魔王ちゃんとキサラギの裏ボス
「ああリョカさんっ、なんとお礼を言ってよいか――妻を、リッカを治してくれて、本当にありがとうございます」
「いえいえ、僕でどうにかできることで良かったですよ。それで虫を使う魔王に心当たりはありますか?」
「いえ、それは……」
ガンジュウロウさんが首を横に振り、リッカさんにも目をやったけれど彼女もわからないらしい。
まあこれに関しては今考えても仕方のないことだろう。
病気だと思われていた時期がそれなりに長いため、思い出すにしても時間が必要だろう。
「まあこの件に関しては追々ということで」
「そうですな、今はともかく体がよくなった妻を喜ぶことにします」
ガンジュウロウさんが安堵したように息を吐き、うっすらとだが瞳がうるんでいた。そんな彼に体が弱っている時に食べられるレシピの書いた紙を渡していると、ふとリッカさんから微かだが殺気が漏れており、なんだと彼女に目をやる。
「……ところであなた」
「ん、どうした? 甘いものでもいるか、それとも――」
しかしガンジュウロウさんはそれに気が付いていないらしく、僕とアルマリアが冷や汗を流して顔を見合わせる。
「レンゲとサジについて、これはどういうことでしょうか?」
「えっ」
ガンジュウロウさんが勢いよく首を振り、僕たちに目を向けてきた。いや、そんな顔されても僕たちは何も知りませんが。と首を傾げて返すと、ルナちゃんが彼に触れ、先ほど見せたテッカたちを再度再生した。
「これは――」
「ねえあなた、私にはレンゲとサジは元気にやっていると言っていませんでしたか?」
「いや、あの……」
顔をそらして体を震わせ始める先代キサラギ当主、ガンジュウロウさんに体を向けることなく、正面を向いたままポツリと話すリッカさんの戦闘圧が段々と膨れ上がっていく。
この当主、奥さんに何も話していなかったのか。
あれ、もしかしてリッカさんってミーシャ寄りの人?
「スミレさんが亡くなった時、あの子たちは家で引き取ると決めましたよね? でもあの子たちがそれを辞退したと……でもテッカの話を聞く限り、こちらに何か落ち度があったようですね」
「いや、その」
「ねえあなた、私は本当のことを話してほしいと言っているのです。私に気を遣いましたか? 病気で弱っている女を心配させまいと黙っていましたか? 遠くから眺めていればあの子たちが幸せになれるとでも思っていましたか――」
「あ、そのだな、だから」
ヤバい、リッカさんの体がよくなったからか、それとも病気だろうが構わずこんな戦闘圧を発せられるのかはわからないけれど、ミーシャの殺気と違ってヤバいくらいに鋭い。
背中に刃物押し当てられているような感覚が常に続いている。
額から流れる汗を拭うこともできないガンジュウロウさんから、僕たちは顔をそらすことしかできなかった。
そしてリッカさんがガンジュウロウさんに視線を向けた瞬間、それは明確に刃となって僕たちを何度も貫く圧力となって通り過ぎた。
「ねえ、あなた?」
「いやっ、ですからその――」
ああ、キサラギの力関係ってこうなっているんだ。
口ごもるガンジュウロウさんに、リッカさんがまるで絹をつかむような優しい手つきで手を伸ばした。
見た目だけならば、聞き分けの悪い子どもに母親が手を差し出すようなそれであるのだけれど、彼女の放つ殺気がそうではないとはっきりと告げている。
呼吸を整えたリッカさんが病気で痩せ細っているはずの腕を伸ばし、ガンジュウロウさんの頬に向かっていく。
「『百華』」
「ちょ、まっ――」
焦るガンジュウロウさんに、独特な呼吸を繰り返すリッカさん。
マズイこの人妻、アルフォースさんたちと同じ部類だ。
「『天魔律離掬』」
息を吐ききったリッカさんの指がガンジュウロウさんの頬に触れ、彼女がその指をピンっと弾いた瞬間――。
「がぁぁぁぁぁっ!」
キサラギ先代当主が襖などをぶち破って吹っ飛んで行った。
ガンジュウロウさんが壁に突き刺さったまま、体をぴくぴくと痙攣させており、あの一撃の威力に戦々恐々していると、隣のルナちゃんがボソと口を開いた。
「ギフト『風喰』呼吸によって身体強化するスキル構成、それと『跪け王の一擲』弾くことにおいて最大級の威力を発揮するスキル構成のギフトです」
「……わぁ、リッカさんってこんなに強かったんですねぇ」
「それはそうですよ。だってリッカさん、お母さまに拾われてからガンジュウロウさんと結婚するまで、ずっと夜王の右腕を務めていた方ですし」
「待って何それ初めて聞いた」
「もう40年ほど前のお話で、テッカさんを産んで体が弱ってしまってからは大人しかったのですが、それまでは荒くれ者たちを武力で抑え込んでいた人たちでしたから」
夜王の話をお母さまはしなかったから、必然的にリッカさんの話も聞かなかったのか。
けれど40年前ってことはお父様よりも古い友人ということか。
というか下手したらさっきの虫もその時代につけられたものじゃないか?
「あらあらごめんなさいね、こんなみっともないやり取りを見せてしまって」
「いえ、なんというか、お母さまの友だちは怒らせないようにします」
「あらあら、リョカちゃんはいい子だからきっと大丈夫よ」
僕は苦笑いを浮かべながら、いまだに動かないガンジュウロウさんを横目に映すことしかできないのであった。