風と影の教員さん、揺らぐ炎に溺れる
「は~……」
俺はため息をつき、街中のお茶処で外に出された縁台に腰を下ろし、およそ不機嫌な顔で道行く人々を眺めながら菓子を口に運んでいる。
別に嫌なことがあったわけではないが、どういうわけだかガイルとミーシャ、神獣様がここ7日ほど帰ってきていない。
毎日帰ってくるリョカと月神様は苦笑いを浮かべて大丈夫だと言ってはいるが、あの聖女――ミーシャ=グリムガントのことだ、また妙なことを考えているに違いない。
サジはともかく、レンゲは無事だろうか。
あいつは昔から諦めが悪い。レンゲは覚えていないかもしれないが、俺が国を出る前、あいつに稽古をつけたことがあった。その時あの子は5歳ほどだったか。
まだ早いとあれらの母親とレンゲにも言ったが、それでもやると聞かない2人に圧され、刃を交えた。
その時、どれだけ圧倒的な実力差を見せようとも、レンゲは何度も何度も俺に向かってきた。その熱心な姿に妹びいきかもしれないが感心したものだ。
国を出てからのあの子たちのことは分からない。
親父に処理は任せていたし、いない間の決め事も託した。あとはみな自由にするようにと通達も出した。
だが、あの子たちは……俺は、間違っていたのだろうか。
何度目かになるため息をつき、俺は残っているはずの菓子に手を伸ばしたが……。
「ない?」
縁台に茶と一緒に置かれていた皿に盛られたはずの菓子がなくなっており、俺は首を傾げる。
するといつの間に後ろに座っていたのか、顔を布で覆った着物の女性が座っており、距離を詰めすぎていたから腰を浮かせて拳1つ分ずれる。
のだが、その女が口に運んでいた菓子が俺がさっきまで食べていたものと同じ菓子だと気が付き、詰め寄ろうと体を彼女に寄せるのだが、その瞬間、口の中に菓子を放り込まれ、俺は驚きに体を固める。
「もし毒だったのなら大変ですよ、ね? キサラギの方」
顔を覆う布を持ち上げ、可憐に微笑んだ女性が、カグラがそこにはいた。
「……お前はまた唐突に」
「二度目では?」
「ん……」
俺は頭を抱えた。突拍子のなさがどうしてもカナデと被ってしまい、別人であるのに俺は普段生徒に接するような気やすく心掛けている空気感で彼女に声をかけてしまっていた。
「う~んぅ――カナデ、ですか?」
「ああ、よく似ているからな、頭の中が少し混乱しているようだ」
カグラが口を手で覆い、クスクスと声を漏らして笑うその顔を横目で見つめてしまうのだが、そんな彼女と目が合ってしまい、俺は咳払いではぐらかすと、彼女がふいに口を開いた。
「でも不思議ですね。まさかシラヌイがキサラギに教えを乞う立場になっているなんて」
「まったくだ。最初にあいつのことを聞いたとき、本当に驚いたんだぞ」
「……しかもそれが、あの子を国から出すきっかけになった方の教えと聞いたら、さらに驚くでしょうね」
「覚えていたのか」
「ええ、あの時あなたに見逃してもらわなければ、あの時、追ってくるシラヌイをあなたが引き受けてくれなければ――私もカナデもこうして生きてはいなかったですから」
あの時俺はヤマトの襲撃に乗じてシラヌイを討つ任務を受けていた。長く続いたキサラギとシラヌイとの戦いにやっと終止符を打つことが出来ると全力で臨んでいた。
しかしキサラギのほとんどはヤマトへの対応で身動きが取れず、俺1人でシラヌイに挑んでいたところに当時まだ無名だった炎を纏わせる程度の勇者が現れた。
ガイル=グレッグ、今ではすっかりと有名になってしまった俺の相棒。
その時に子どもを抱いたシラヌイを見逃した。それがカグラとカナデであった。
「当時は何を考えているんだと悩んだものだが、間違ってはいなかったのだろうな」
「……」
俺はそう言いながら、お茶処のばあさんに菓子の追加を頼み、彼女から視線をそらしてまた戻すとどういうわけかカグラがじっと俺を見ており、首を傾げる。
「どうして、見逃してくださったのですか?」
「それは――」
俺は少し頬に熱が宿るのを感じながらそっぽを向き、人の波に目を向けた。
あまり話すようなことでもないし、何よりらしくない考えがあの時浮かんでいたから、口にしたくないのが本音なのだが……。
「当ててあげましょうか」
「ん?」
するとカグラが相変わらず可憐に笑いながら俺と背中合わせになるように前を向いた。
「きっと今悩んでいることと関係しているのですよね」
「な――っ」
「やっぱり。私がここに座ってから気が付くことなくず~っとため息ばかり。いつになったら気が付くかなぁってちょっと寂しかったので、あなたを観察していました。その結果、ああ、同じことで悩んでいるんだろうなって」
「――むぐっ」
俺は驚き、勢いよく振り返るとすでにこちらを向いていたカグラに再度菓子を口の中に突っ込まれる。
「隙だらけですよ、キサラギ現当主様」
「……」
俺はついふてくされたような顔で、口の中の菓子を飲み込んだ。
そんな俺にカグラは笑いながら謝罪の言葉を放ち、そしてやっと俺の隣に腰をずらして移動してきた。
「ならいっそ、ここで話してしまってはどうです」
「なに?」
「私は生憎あなたのことをあまり知りません。そしてあなたもまた、私のことを知らない。だからこそ、話せることもあるでしょう?」
小首を傾げてこちらを覗いてくる彼女に、俺はため息をつく。本当に何度目だ。
「……あの時、俺は戦いの前に弟に会ってな」
「弟さんがいるのですね。私にもいますよ、随分と背伸びばかりして捻くれちゃいましたけれど」
「それは妹の方だな。話を戻すがそいつがカナデと同じ年でな、当時お前が抱いていたカナデと弟のサジ――兄妹を重ねてしまった。あの時シラヌイを必死になって倒そうとしていたのも、あの子たちにこれ以上キサラギを、殺しを背負わせたくなかったからなのに、子を抱いて逃げるお前を見て、終わらせようとしていたこともどうでもよくなってしまった」
「……あなたは」
「うん?」
「いえ、キサラギが、羨ましいです」
一瞬顔を伏せたカグラだったが、すぐに俺と目を合わせ、相変わらず優し気な笑みで口を開いた。
「悩みはその弟さんと妹さんのことですか?」
「……ああ、ヤマトを倒した後、俺は国を出ることに決めた。恩を返さなければならないやつができたからな。だからシラヌイはもういなくなったと思っていたし、俺がいなくともやっていけるだろうと判断した」
「しつこくてごめんなさい。我が家のことながら本当に厄介なのですよ」
「まったくだ。まさか魔王が当主とも思ってもいなかったし、お前たちの頭――エンギ=シラヌイが未だに権威を振るっているとは誰も予想していなかった」
「驚きました、そこまで調べがついているのですね。しかもすでに父……あの男のことも」
カグラが肩を落とし、心底疲れたように息を吐いた。彼女にとってエンギという魔王は受け入れられない存在らしい。
「それであなたはキサラギを出て他国へ?」
「ああ、今までキサラギのために働いてくれていた者にも暇を出し、殺し以外の道を皆に提示した。したんだがな……」
「弟さんと妹さんになにかあったのですか?」
「……わからない。情けない話、俺はあの子たちにそれを直接言ったわけではないからな。普通の子として、普通の生活を送ってもらえるように、それなりのものを置いていったつもりだったんだが、それをすべて受け取らず、あの子たちは自分たちだけで生きていた」
「なにか、掛け違いがあったのでしょうか?」
「それもわからない。俺はただ、あの子たちが子どもらしく生きていてくれたら良いと――そう思って、駆け抜けていたのだがな」
そう、思いつく限りの支援をするつもりだった。
しかし後になってレンゲとサジがキサラギからの支援の一切を断ったのだと聞いた。
俺は何か間違えたのかと悩んだが、今さら聞くわけにもいかず、ただただ時間だけが過ぎていき、いつの間にかあの子たちを避けるように考えないようにしていた。
「ねえ、キサラギの方」
「どうした――」
彼女に呼ばれ、俺が顔を向けるとカグラが俺の手を握り、そのままその手を胸元でぎゅっと抱きしめてきた。
「あなたに足りないのは、その優しさの対価」
「対価って、兄弟だぞ」
「笑顔になってもらいたい、喜んでもらいたい、これも立派な対価です。でもあなたはそれを受け取らないようにしていた」
「……」
「いいじゃないですか。だって兄弟なのですから、お兄様が弟さんを、妹さんの幸せを願って何が悪いことがありますか」
カグラの言うことに、俺は思い当たる節があった。
いや、これはレンゲとサジだけではない。ミーシャやカナデ、学園の生徒にも言えることだ。
俺は先生だから、年上だから、勇者の剣だから――与えるのが、当然になっていた。
以前リーン殿に言われた、速度を見極めないことへの叱責。俺は俺の速度しか見ていなかった。当然だ、対価なんて求めたことなんかない。
だからこそ見誤る。
妹のことも、弟のことも、生徒のことも――。
あの子たちが進む速度を、目的地を、対価を置き去りにして、ただ速いことだけを誇っていた。
「ねえ、キサラギの方――テッカ様、まだ間に合います」
「……そう、だろうか?」
「ええ、だってあなたは最速なのでしょう? 後ろで手を伸ばして待っている子たちに駆け寄って元の場所に戻ることなんて、それこそ簡単にできるはずです」
カグラがうなずき、俺の手を握りながら祈るように顔を伏せた。大丈夫だと言葉にする。
そして俺はそんな彼女を目に、空いた手でそのカグラの手を握った。
「――」
呆けた顔を一度浮かべたカグラだったが、すぐに笑みを浮かべ、口を開いた。
「まずは弟さんと妹さんと仲直り、ね」
「あ、ああ――」
そしてカグラが俺の手と自分の手をほどき、そっと離れた。
「もう時間ですね」
「……そうか」
彼女がゆっくりと俺から離れていき、そして小さく手を振って背中を見せたのだが、俺はつい、その背中に声をかける。
「カグラ――」
「んぅ?」
「その、あれだ、あ~……だから――」
言葉が出ない。この年になってこんな小僧みたいな対応になってしまいどうにも恥ずかしくなるが、カグラが小さく可憐な笑い声を漏らし、手を差し出してきた。
俺は首を傾げて立ち上がってその手をつかむと、彼女はそのまま飛びついてきて、耳元で囁いた。
「テッカ様、また、お会いしましょう」
返事をする間もなく、彼女は少し赤らめた耳を隠すように人ごみの中に消えていった。
俺は頭を抱え、深いため息をつくと縁台に腰を落とし、生暖かい目を向けてきているお茶処のばあさんんを横目に、呆けたまま人の波を見つめ続けるのだった。




