魔王ちゃんと女神の天敵
「――っ」
僕は体をブルと震わせ、持っていたティーカップをソーサーに置き、辺りを見渡した。
「リョカさん?」
「え、あ、いや、なにか尊い犠牲が生まれたような気配がしてね」
「ミーシャさんが出した犠牲なので気にしなくても良いですよ」
テルネちゃんが口にカップを運びながら言い、紅茶から上る茶葉の香りを堪能するように目を閉じていた。
セルネくんには苦労を掛けるなと心の中で謝罪をし、僕は改めて食後のデザートをソフィアとテルネちゃんと楽しむことにする。
しかし僕がさっき話したこと、ミーシャはどうにも納得していなかった。
まああんなものがあると、あの子自身の拳で殴れないからな。僕としてはそのまま大人しくなってくれればいいんだけれど、無理だろうなぁ。
「本当ルーファったら、ミーシャさんに余計な力を与えてしまって、女神としての自覚は……あんまりなかった子でしたね」
「ルナちゃんとテルネちゃん、結構ルーファ様に強く当たるよね、やっぱり同世代だからですか?」
「それもありますが、あの子は昔から何かと私とルナを怒らせてきたので、こういう対応が癖になってしまっているのかもしれません。まああの子は特定の国を持たずとも信仰が集まる女神なので、私たちより余裕があり、空いた時間で私とルナをからかっていたから悪いとは思っていませんが」
すると、僕の膝に頭を置いて寝そべっていたアヤメちゃんが気だるそうに手を上げた。
「ば~か、ルーファは確かに阿呆だけれど、お前とルナに関しては誰よりも近くで見ていたわよ。あいつがちょっかいかける時なんてのは、お前らのどっちかが無理している時だってまだ気が付いてなかったの?」
「……初耳ですが?」
「そりゃあ言わないでしょう。あいつは享楽主義の阿呆で、人のことなんて全く考えない刹那主義の女神よ。でもそれは刹那の時しか生きない人にこそ向けた感情で、一瞬の時の中でそれでも面白いことをする人を肴にするために至った感情だ。でも女神は違う、いつまでもついて回る。俺たちはまったく別の個で成り立っているが、それでも女神間の腐れ縁は絶対に消えない。あいつはそれをよくわかっていたわよ」
テルネちゃんがむっと顔でお茶とお菓子に素早く手を伸ばした。
僕はクスクスと笑いながら大きく伸びをする神獣様を撫でてやる。
「テルネ様もルナ様も、アヤメ様には敵わないのですね」
「……ソフィア、それは撤回してください。アヤメのようなダラケ獣に私たちが負ける要素なんてありません」
「へいへい」
僕とソフィアが可笑しそうに笑うと、テルネちゃんはすっかりへそを曲げたようにそっぽを向いてしまった。
叡智神様の可愛らしい姿はいつまでも見ていたいけれどせっかくだし、少し相談してみるか。
「ねえテルネちゃん」
「……なんです?」
「膨れた顔もかわ――じゃなくて、ちょっと相談したいことがありまして」
「先ほどアヤメとしていたシラヌイ対策ですか?」
「うん、アヤメちゃんはよくシラヌイを天敵だって言うけれど、具体的にどう影響があるのかなって」
女神様は死ぬことのない存在だ。でも魂壊の魔王・ミルド=エルバーズのように、神核から発生した魂をどうにかできれば実質的な死をもたらすことが出来る。ルナちゃんはそう話していた。
でもそのミルドを天敵とは呼ばずに、シラヌイを神獣様は頻りにそう呼んだ。何か意味があるのではないのかというのが僕の見解だ。
「……そうですね、あまりこういうことを人の耳には入れたくはないのですが――リョカさんとソフィアなら問題ないでしょう。シラヌイが加護の影響を受けない。というのは知っていますよね」
「はい、以前カナデがアリシアちゃんの加護を弾いたことがありました。そして加護の欠片であるギフトの影響もまた受けない。回復の奇跡や多分強化も効かない」
「ええ、その通りです。では、ギフトで発生した炎、水、風などはどうでしょうか?」
「どうって、それは確かにスキルで発生した物だけれど、所謂世界の物理法則だ。焚火に突っ込んで炎が消えるわけでもなく、海に入って水が消えるわけじゃない」
「そんなことになったらカナデさんが生きていけなくなってしまいます」
ソフィアの言う通りだ。少なくとも僕は自身に影響のあるスキルが対象になっていると考えている。
しかしテルネちゃんが首を横に振った。
「消えているのですよ、今リョカさんは物理法則だと言いました。そうですね、この世界の事象である以上それが消えることはありません。ですが、人にとっては見えないものでも女神にとって致命的なものが消えているのです」
「……信仰?」
「はい。ルナや私のように触れられないものであるのならそれほど影響はありません。ですがアヤメのように闘争を司る場合、シラヌイが行なった戦いからは信仰は得られません」
でも、それだけなら別の問題ないように思える。
シラヌイは数がそもそもいない。これが世界中の人がそうなら脅威になり得るけれど、高々個人の信仰程度で女神様が揺らぐはずもない。
そう、信仰、加護――。
「――っ」
「……リョカさんは、世界を作る際に利用していますものね」
馬鹿か僕は。そうだ、世界を形成するために何を使っていた。
この世界の事象はほとんどが加護から成り立っている。そしてその加護そのものが女神様だ。
月が消えたのならきっとルナちゃん――月神様は消えてなくなる。
この世界に衛星はない。月そのものが加護だ、月そのものが女神様だ。
そしてシラヌイは月を壊す手段を持っている。
「シラヌイがルナちゃんに触れただけで、月の信仰は途切れてしまう」
「その通りです。そして私たちが死なないのも、莫大な信仰から常に体を、魂を保つだけの力が流れ込んでいるからです。それが一時的とはいえ途切れてしまい、そして傷を、致命傷を受けたら――」
「ああうん、確かに天敵だ。シラヌイは神を神たらしめる力の配給を止めることが出来るのか」
「それではテルネ様、カナデさんに触れることは」
「極力避けたいところですね。彼女が善人であることはわかっていますが……」
あれ――そういえば。
僕はつい噴き出して笑ってしまう。
「リョカさん?」
「ああいや、そういえばうちの妹はそんな相手にも関わらず、喜んで傷の手当てをしてくれたことがあったなって」
「あっ」
「相手が何であるかなんてあの時も知っていたはずなのに、僕の妹はまったく気にした素振りも見せずに僕の友だちを助けてくれた。これはお姉ちゃんも頑張らなきゃな」
「……私も、別にカナデが嫌なわけではないのですよ」
「テルネ様、カナデさんに隙だらけだって毎回撫でられてますものね」
「そういうことではなくて――もうっ」
今日はテルネ様の可愛い表情が堪能出来て素晴らしい日だ。
そんな僕を膝の上から見上げているアヤメちゃんが口を開いた。
「んで、月の姫様よ。シラヌイに対抗は出来るのかしら?」
「任せなよ、僕は月だって作っちゃうお姉ちゃんだよ。女神様を守る理くらい、いくらでも作ってあげるよ」
「頼もしいお姉ちゃんだことで」
「もっと瞳を輝かせてもう一回言って!」
「おね~っちゃん――ってやらせんなバカたれ」
「うぉぉぉっ! お姉ちゃんやる気でてきたぁ!」
「……」
「テルネ様――わ、私のことを、その、そ、そう呼んでもらっても大丈夫です!」
「別に羨ましがっては――」
「お顔が」
「……リョカさんはルナとアヤメことを深く考えてくれている。ソフィア、あなたもです。ですからそれで満足していますよ。それにあなたは私も2人のようにカルタスの家に入れとでもいうつもりですか?」
「可能ならば!」
「まったく……考えておきますよ」
そんな2人の話を聞き、僕は全力思考を繰り出すのだった。