月の女神ちゃんと知らない信仰
「――」
わたくしは、よく理解していなかったのかもしれません。
煌びやかな可愛らしい衣装に身を包み、人々の目の前で歌って踊って――それだけ。そんな風に考えていた。
このステージに、銀色が眩しい彼女の背を追って上った時には人々もただの好奇心を向けてきていることはわかった。
でも違った。
銀の魔王、月を冠する最も美しい魔王がその均衡を破った。
人々が向けてくれる信仰とわたくしたちが想定している信仰の量、彼女はそれを破壊した。
初めはシンとするステージの上だった。
でも彼女が、わたくしの魔王様がただの一声――人々に向けて放った言葉、その瞬間、彼女の声に、姿に、ただの好奇心が信仰に変わった。
一瞬だ、本当に刹那の時だった。いや違う。今わたくしがその時のことを思い出しても、まるで時間がゆっくりになったように、覚えたこともない信仰の波が、この場にいるどの女神に向けてではなく、彼女――リョカ=ジブリッドに向けられた。
人々の心を鷲掴みにするようなよく通る声、まるで誰かに向けるのが当然ともいわんばかりの声色。
みんな、今日は楽しんでいってね。ただこれだけの言葉に、どれだけの想いが込められていたのか、わたくしでも推し量れなかった。
そして見に来てくれた皆さんの期待が、想いが、困惑が一身にのしかかる。
短い時間の中でもそれでも一所懸命に練習したつもりだ。だけれど甘かった。
リョカさんがわたくしたちに合図をするように視線を向けてくれる。
現闇の楽器による音楽が鳴り、歌を唄わなければならない。
でも、たくさんの時間を生きていたわたくし、月を通して人々を見守っているつもりと驕っていたわたくしは、それだけで頭の中が真っ白になってしまっていた。
するとわたくしの顔に違和感を覚えたのか、リョカさんが苦笑いを浮かべ、急きょ音楽を取り換え、その場で彼女1人が歌をうたう。
『お~いルナ、人々に見られ慣れているお前は余裕なんじゃなかったか?』
『あ、う……その』
『いや、なにこれ、信仰で頭痛くなってきたんだけれど』
『……いやはやすごいね。リョカちゃんに向けられているのに、その余波だけでこれほどか。テルネ、フィムは大丈夫?』
『……わぁ』
『……』
『駄目っぽいな。ほれルナ、調子戻せ、リョカの1人ステージになっちまうぞ』
女神間同士の独自ネットワーク、みんながそれぞれに声をかけてくれているけれど、正直それどころではない。
こういう時どうしたらいいのか、まったくわからない。
わたくしは最高神だから、こんな時でも冷静に、それになにより人々が待ってくれている。
だからこの口を開くだけ――。
「――っ」
すると唄っていたリョカさんが振り返り、いつも通りの優しい笑顔でわたくしの手を握ってくれた。
怖くないから。ここは可愛いことをみんなに知ってもらう場だから――そんな想いが流れ込んでくるようで、わたくしはつい彼女の顔を見つめてしまう。
ああ、ずるい。
こんな状況で、こんなに可愛いことがあっていいのだろうか。
わたくしは息を吐き、胸を張って前を見据える。
そうだ、ここにいるのは敵ではない。
わたくしが愛する――いいえ違う。
わたくしを、わたくしだけを可愛いと言わせるために、ここにいる皆さんには――。
『おっ』
『僕らも腹を括ろうか』
『キャラじゃないと言われればそうなんだけれど、女神としてはこの熱量に目を背けてはいけないからね』
『……吐きそう』
『て、テルネ姉さま、頑張って!』
わたくしはリョカさんに目をやって頷くと、彼女も笑顔で頷いてくれ、本来やるはずだった曲に徐々に変わっていく。
さあ今度こそ、わたくしたちのライブです。
脚を止めていたわたくしたちは、こうして歩みを前に進めるのでした。