聖女ちゃんと疲れ果てた復讐者
獣の連撃をもってしても、イシュルミ=テンダーから奪えた時間はわずか数秒だった。
彼はほんの一瞬動きを止めると、すぐに体を抱えて起き上がり、剣を杖代わりに体を支え、あたしと、そして近づいてきたランファに目をやった。
そして彼は一度、まるですがるような幼い気配を纏う彼女に肩を竦めると、すぐに首を横に振った。
「……私の名前を頻りに呼んでいましたが、お嬢さんはどこのどなたでしょうか」
「――っ」
ランファがラムダの手と、自身の服をキュッとつかんだのが見え、泣きそうな顔を浮かべた。
そんな彼女から視線を外したイシュルミが、あたしに目をくれる。
「さすが、ケダモノの聖女というわけか。自分を、高めてきたつもりだったのだがな」
「……強かったわよ。あんたが聖女だったら負けていたかもね」
イシュルミが鼻を鳴らし、天井を仰いだ。
すでに敵意はない。が、その敵意と一緒に、多分もう1つ捨てている。
そもそもの話、最初から敵意なんてこちらには向けてきていなかったか。
「……イシュルミ、あんたは騎士よ」
「ああ、俺は騎士だ」
「そう、わかっているのね」
あたしが顔を伏せると、突然バルバトロスが大きな爆発音を上げ、揺れだした。
きっとアヤメたちがコアを破壊したのだろう。つまりこの飛行物体はもうすぐに落ちる。
「アヤメたちがコアを壊したよ。あたしたちもすぐに脱出しなくちゃ」
ラムダがそう言ってランファの手を引こうとするけれど、彼女はイシュルミを見つめている。
「……あなたも」
「お嬢さん、私の部下を救ってくれて、ありがとう」
「わたくしは――」
「イシュルミ、この子があんたの誓った決意を成す子よ」
「……そう、ですか。そうか」
イシュルミがフッと息を溢すと、あたしと、そしてラムダに目をやった。
そんな彼に、豊神から手を離したランファが一歩、また一歩と近づく。
「ミーシャ=グリムガント」
「ん?」
「……私は、無駄な人生を過ごしたのだろうか。私の運命に、意味などあったのだろうか」
「知らないわよ。それはあたしが決めることじゃない」
「君はあの魔王と違って随分と厳しいのだな」
肩を竦めるイシュルミが、ほんの一瞬ランファに目をやって微笑んだ。
「あんたは清廉な騎士よ。だから――」
あたしがその言葉を告げようとすると同時に、この場所の天井が崩れた。それはちょうどランファの真上で、あたしは拳を握ったのだけれど――。
「――」
「――え?」
イシュルミがランファを押し出し、その瓦礫に巻き込まれた。
吹き飛ばされた彼女はまるで信じられないものでも見るかのような顔で、騎士団副団長を見つめ、すぐに駆け出した。
「イシュルミ!」
あんな瓦礫程度、あいつにとって些細なものだったはずだ。腕を振るえばランファを突き飛ばさなくとも切り裂けたはずだ。
でも、それをしなかった。
あたしは一度奥歯を噛みしめるのだが、すぐに拳を握り、彼を救おうと瓦礫を破壊しようとする。しかし――。
「ミーシャ=グリムガント!」
「……」
体を押し潰されて顔だけを出しているイシュルミが、首を横に振った。
「もういいんだ」
「あなた何を言って――」
イシュルミに近づいたランファだったが、彼のその顔を見て動きを止めてしまう。
微笑んでいる。しかし目はどこにも向いておらず、最早あたしたちすら映していない。
「……馬鹿よあんたは。それが騎士だって言うの?」
「いいや、違う、違うんだよミーシャ=グリムガント。私はね、騎士なんだ、そう、騎士なんだよ。何故騎士なのかははっきりとは思い出せない。だが、体が、心が――私が今剣を向けてしまった相手こそ、死んでも守らなければならなかったんだ。それに」
ランファが崩れた瓦礫を血がにじむ指で掻き、体を震わせている。
「もう、疲れた」
「――」
「長い、永い旅をしていたようだ。随分と遠回りをしたのだろう。もう、両の脚で歩くこともままならない」
あたしは奥歯を鳴らし、ランファに近づいて彼女を肩に担ぎ上げる。
「待って、待ってミーシャさん! わたくしはまだ、イシュルミに――」
「お嬢さん、私のようにはなるな」
イシュルミに背を向け、背中に伝う雫に気が付かないふりをしてあたしはラムダも抱えて走り出す。
「ああ……やっと、やっと終えられた。やっと出会えた。あなたたちのためにぼくは頑張りましたよ――」
そんな声が聞こえたが、イシュルミと戦っていた空間を出ると同時に、天井が崩れ彼の姿はもう見えないだろう。
あたしはただ、一言も発せずにジンギたちと合流するために足を動かし続けるのだった。