聖女ちゃんと獣王特権
本当に嫌になる。
誰彼殴って済ませられるのならそれに越したことはない。
けれどそんなことばかりではないことを、あたしは最近になって気が付いた。
殴られて気が付く奴もいる。けれど気が付いたうえで、あたしの拳を受け止めたうえで、それを拒否する奴がいる。
あたしはそれに気が付いた、気付いてしまった。
馬鹿な奴だと一蹴するのは簡単だ。何の罪悪感もなくこの手を取ってくれればきっとあたしは何とかしようとする。リョカだって協力してくれる。アヤメだってルナだって、他の女神だってきっと許してくれる。
でもそうじゃない――。
「『傷つき壊すことが誉也』」
さらに強化されたイシュルミの剣があたしに向かって真っすぐと伸びてくる。
速度も、剣に込められた力もさっきまでとは比べ物にならない。けれどあたしはそれを力任せに弾くと、一息でイシュルミの背後に回り、そのまま拳を叩きつける。
しかし弾かれた剣を引き戻したイシュルミが剣の面を背中に回し、あたしの拳を防ぐと、すぐに体を回転させて攻撃に移ってきた。
強い――攻撃の1つ1つが洗練されており、まったく隙が見えない。
「……馬鹿よ、あんたは」
あたしの呟きに、イシュルミの口元が動いた。
微笑んでいる。きっと何を奪われたかまではわかっていない。
でも彼にはわかってしまうのだろう。例えなにかがなくなっていようとも、ここまでの道すがら刻み込み続けた信念が、彼に違和感をもたらした。
だからなのだろうーー。
あたしは足元に力を込めると鋼鉄の床を踏み抜き、拳を振るうことを止めない。
「『拳聖の狂化』」
一撃一撃が必殺の威力を誇っている。
セルネ辺りではこのくらいで対応は難しいだろう。
けれどあたしはその強化された剣にも拳を当てる。
「『赤目の狂宴』ぐがぁっ!」
瞳から血を流しながら、歯を食いしばったイシュルミが剣を、そして心に沈んだ信念を吐き出すように、剣術とは言い難い暴力を振るう。
しかしそれだけ暴れ回る剣であっても、彼の剣筋には確かに騎士の面影があり、振るわれた剣閃からは衝撃が放たれた。
ただ殴っているだけでは足りない。
もっと鋭く、もっと圧倒的な力――。
「『自己犠牲の寵愛――』」
以前からコントロールの練習をしていた力。でも今なら上手く使えるような気がする。
獣の形を思い浮かべ、自身を覆うような大きな黒き獣――否、必要なのは大きさではない。
もっと小さく、必要な部分だけを生成する。
「『黒獣・極爪』」
あたしの腕の傍に黒い獣の腕が現れ、その腕に込められた生命力と戦闘圧を纏めて放出する。
黒い爪痕がイシュルミが放った剣圧とぶつかり、衝撃が弾けるようにあちこちに奔っていく。
生命力が足りなくなる。
けれどイシュルミは次々と斬撃を放ってくるから、あたしもそれに押されないように、獣の腕をもう片方の腕の傍に生成して、衝撃波を何度も何度も撃ち出した。
あたしは足元に『施しの慈愛』を使用しながら生命力を回復させつつ、それでも足りない部分を、ヘリオス先生から常に持たされている生命力回復の薬をがぶ飲みしている。
衝撃の飛ばし合いでは分が悪いと悟ったのか、イシュルミの顔が歪んだ。
「ぐ、がっ! がぁ!『暴虐の尽くす者也』」
剣での衝撃波を捨て、あたしの爪を掻い潜ってイシュルミが突っ込んできた。
すぐに迎え撃つ体勢を整えたあたしは伸びてきた剣を寸でのところで躱し、そのまま拳を彼の顔面に叩きこむと、追撃するように飛び出す。
鋼鉄の床を砕き、飛んでいったイシュルミに2発、3発と拳を放ち、床に向かって彼を吹っ飛ばして叩きつけると、そのまま足を高く上げて踵で彼の脳天目掛けて放つのだけれど、それは剣で防がれてしまい、あたしは顔を歪める。
「――」
しまった。と、体を逸らそうとしたときには遅く、剣閃があたしの脚を切り裂いて血しぶきを上げた。
それと同時に、イシュルミが震える腕で大きく腕を、剣を掲げた。
「『守る者を忘れた殺戮者』ガァァァァァっ!」
「――ッ!」
腕を伸ばしてあたしの顔面を鷲掴みにしたイシュルミが、あたしの頭を掴んだまま駆け出し、壁に頭を打ち込むと、そのまま走り出した。
鋼鉄の壁があたしの頭をゴリゴリと削っていく。
これほどの痛みを与えられたのは初めてか――いや、ロイの時もアルフォースの時も痛いには痛かったか。
けれどこんなところで意識を手放すわけにはいかない。
イシュルミは壁にあたしの頭を埋め込んだまま、力任せに腕を振り投げ飛ばすようにやっとあたしから手を離した。
とどめを刺しに来ている。
でも、だからこそ攻撃がわかる。
どれだけ狂化しても、記憶を失っても、こいつは、この男は――きっと最後はその憧れを振るうだろう。
吹っ飛んだあたしに、突っ込んできたイシュルミが案の定剣を振ってきた。
あたしはその剣を素手で掴むと、血まみれの顔で嗤い顔を浮かべる。
「捕まえた」
「――」
自身の手で剣を掴んだまま、あたしは両腕の周りに生えてきた黒い獣の腕、それにさらに戦闘圧をくべる。
その腕はさらに存在感を濃くして、この世界に存在する体と大差ないような――そう、例えるのなら女神たちの体のような、確かに触れられ、確かにそこに存在する獣。
「『獣王特権・黒き獣を従える者』」
あたしの戦闘圧すべてが獣へと変貌し、あたしの背後で爪を鳴らし、牙を鳴らす。
その獣が咆哮を上げ、イシュルミの顔がひどく歪んだ。
でも、この男はこの剣を離さないだろう。
「離せないわよね。あんたは死んでも剣を離さない。それが教えなのか、魂に刻み込んだ信念かはわからない。でも、あんたは騎士だもの。どれだけその記憶を奪われようとも、忘れるわけがない」
「――」
イシュルミが驚いたような顔を浮かべたが、ふっと体から力を抜いた。
それは諦めではないことは明確で、あたしは獣の前足を振り上げさせた。
あたしは息を吐くと同時に、黒い獣を操って、何度も何度もその拳をイシュルミに叩きつけるのだった。