豊穣の女神様とケダモノの女神
今何が起きた? アヤメの遠吠えが聞こえてきて、さらにあの子の圧がここまで届いた。
そこまでなら理解できる。
けれどここにいる聖女、ミーシャ=グリムガントはそれを受けてケダモノの咆哮を上げた。
その後だ、その後この聖女はおかしなことをした。
女神の神核で体を生成した。
それではまるで――。
「女神じゃないか」
あたしたちは普段はほとんど神核で生活している。それは神核があたしたちの本体とも言えるからだ。けれど本体と言ってもそれは力としての在り方と、女神として当然得られる権利だからであって、替えも利くし、なくてもそれほど困らない。強いて言うならその神核に魂を纏わせ、その上から体を着込むための土台として必要なくらいだ。
女神としての重要度は魂が一、次に体、その次で神核ではあるけれど、人からしたら一に神核、次に体で魂。それは人にとって御しやすい物が神核であるからだ。
だからミーシャちゃんが神核を奪い取ってもそれほど女神たちが騒がなかったのは、人の扱える程度の力しか引き出せていなかったからだ。
でも違う、事情が変わった。
彼女は神核から女神になれる。
これはマズい、非常にマズい。
女神間で物議を醸すだろう。人が持っていていい力ではない。ないのだが……。
「ミーシャちゃんの使っている神核が女神上位2人なんだよなぁ」
本人か、もしくはメルフォースくらいしか文句も言えない。
もし彼女にケチをつけようものなら、当然アヤメとクオンに睨まれるだろう。女神としてはそれは出来ない。というかやったらどんな報復が待っているかわからない。
しかもルナもまた、リョカちゃんほどじゃないにせよミーシャちゃんにも傾いている。
つまり、女神のトップと女神3強の2人、さらには残りの1強のメルも……その繋がりが強すぎる人が聖女の隣にはいる。
実質、リョカちゃんとミーシャちゃんは女神から見たら、最高権力者と女神最強が全て付いていることになっている。
あたし自身も多分2人に加担するだろうし、女神からしてみれば文句の1つも出せない。
そんな境遇のミーシャちゃんがこれだけの力を発現させてしまった。
荒れるだろうなぁ。
「ラムダ様、あれは……?」
「気にしないのが一番だよ。しかしイシュルミ=テンダー、強いね」
「ええ、まさかミーシャさんの攻撃をあそこまでいなすなんて。あんなこと出来る人ではなかったのに」
「それだけの鍛錬を積んだんだ」
先ほどまでのイシュルミはスキルを一切使わずにミーシャちゃんの攻撃をすべて逸らしていた。
けれど今のミーシャちゃん――髪はアヤメのような金色に代わり、耳と尻尾、さらには伸びた爪と牙、彼女が纏う信仰がバチバチと破裂を繰り返している。
互いににらみ合っており、先ほどまで苛烈に攻めたてていたミーシャちゃんを警戒するように、イシュルミが瞬き1つせずに彼女を見据えて剣を構える。
「――?」
しかしほんの刹那、フワと前髪が靡いた。
風――と、疑問も持つよりも早く、金属の軋む音。
いつの間にか、ミーシャちゃんの拳をイシュルミが防いでいた。
速さもそうだけれど、何よりも聖女の攻撃を防いだ彼もまた、英雄となりうる人材だろう。
しかしさっきのようにイシュルミがミーシャちゃんの拳を弾いたのだけれど、拳を無理矢理体に引き戻した聖女ちゃんが嗤い顔でそのまま彼の顔面に打ち込んだ。
「――っ!」
吹き飛んでいったイシュルミは壁に激突すると口から血を吐き出し、体を支えて立ち上がってミーシャちゃんに真っ直ぐと視線を向けた。
「身体強化のスキルね。今のは健康優良児、体を強化させたみたいだけれど、あんたの強化じゃクレインの足元にも及んでいないわね。もっとも地の力が強いからクレインでは敵わないでしょうけれど」
「……」
先ほどからイシュルミは一言も発しない。
ミーシャちゃんと戦っている間も、言葉はなく、ただ戦っていた。
彼に傀来はついていない。けれど明らかにカリンという者に記憶を弄られた様子だったし、もしかしたら人のあるべき何かすらも忘れさせられているのかもしれない。
ミーシャちゃんはジッと彼を見ていた。
ああして同じ戦場に立つ者同士、なにかわかり合えることがあるのだろうか。
すると、あたしの手を握っていたランファちゃんが口を開いた。
「イシュルミ=テンダー!」
「……」
「あなたが向ける剣の先を、お父様――騎士団長ランバート=イルミーゼに胸を張って告げられるのか!」
「……」
「イシュルミ!」
「……ランファ、少し口を閉じていなさい」
「でも」
「わかっているのよ」
「どういう――?」
ミーシャちゃんが一度目を閉じると、イシュルミに拳を向ける。
そんな彼女に、ほんの一瞬だけれど、彼が微笑んだように見えた。
「『発破天涯・六光絶技、身体強化』『守護天使』『狂気と踊れ』」
すべて自己強化型のスキルで、彼の振るう一撃が圧倒的な脅威へと変貌した。
しかしそんなイシュルミ=テンダーを前にしても、ケダモノの聖女はその不遜な顔を崩さない。
それどころか戦闘圧をさらに高め、拳を向けた。
もうとっくに、この戦いにランファちゃんは入り込めない。
そもそもあたしもこの場所ではまったく力を発揮できないから手伝うことも出来ないのだけれど、それでも最後まで見守ろうと体に力を込めるのだった。