知識の演出家ちゃん、戦場で馳せる慕情
「……」
あれは一体何だろうか。
突然王都の門から飛び出してきた帆船、そのあとには見たことのない乗り物がバルバトロスに昇って行ったけれど、乗っていたのはジンギさんだった。
そちらに関しては彼から不確定な力を感じたことから、あまり心配していない。
きっと強い心で追いかけていったのだろう。
けれどあの船――そして今確かに覚えた星神様の力。『集いし星の魂の極光』と言ったか、ランファさんと同じような力を覚えた。
つまり船に乗っている誰かは極星であり、私たちの味方をしてくれる人。
「ウロトロス=マイザー」
なるほどと納得する。
あれが海星の勇者、一昔前にその力を振るった海の英雄。
その冒険譚はヴォルチアからこの王都まで届いており、吟遊詩人たちが港でその栄光を唄うほどだ。
もっともその人物がまさかギルドマスターをしていたなんて私でも知りませんでしたが、お父様は知っていたのだろう。
私はクスりと声を漏らすと辺り一帯でこちらの隙を窺っている元人間――正確には魔王のスキル、傀来によって人の命を失くした無法者たちに意識を向けた。
傀来たちは多少のざわつきを見せたが、さすが元騎士と元冒険者たち、その気配は一瞬で鳴りを潜め、私を観察するようにじりじりと間合いを詰めてきている。
警戒してくれている動物たち、私の2つ目の門の眷属たちを撫でてやるとこの子たちは甘えた声で喉を鳴らす。前までは少し不気味だったけれど、こうして接すると可愛く思えてしまう。
けれどこれではらちが明かないな。私は息を吸い、そのカギを回す。
「開け楽園への扉――その腕で抱く全ての子羊たち、救いも快楽も何もかも与えられる理想郷にて、我がために安寧を享受しろ。『六つに別れし最後の扉』」
私の背後から翼の生えた美しい女性だと思われる異業――彼女が歌をうたう。
それは何よりも優しい歌で、聞く者すべてを魅了し、安寧を与える。
私はふと、この背後の女性がリョカさんのように見えた。
そんな荒唐無稽に声を漏らして笑うと、歌によって強化された敵の頭上に輪っかが浮かんだ。
そしてその輪っかが付いたすべての敵の戦闘圧が大きく膨れ上がる。
身体強化、スキル威力の向上、あらゆる力が数倍にも膨れ上がる。
傀来たちは自身の強さに気が付いたのか、下卑た顔で私に視線を向けた。
飛び出してくるのも時間の問題かと思案するけれど、思った以上に考えることが出来ないのか、1人が飛び出してくると同時に、全員がタガが外れたように飛び込んできた。
「我を守るは勇ましき志を抱く者、敵を殲滅するはあらゆる海を渡る海星へと至る者――『物語にその名を叫べ・頑強の絶対意思・海星へと至る勇者』」
大地を割り飛び出してきた若き日の英雄――その帆船はあらゆる海を駆け、その海を進む船、女神様の名を持つ星の船は数々の魔王を打ち倒し、海に潜むあらゆる災害すら乗り越えた。
英雄と呼ばれるその日まで、彼の者は船を降りることはなかったという。
曰く、その英雄の乗る船は傷1つ付かず。
曰く、その英雄は海に愛されていた。
曰く、その英雄は海の化身である蛇を連れていた。
曰く、かの英雄は――。
「船の上では負け知らず。あなたがたに、この物語を書き換えられますか?」
大地から飛び出してきた船に並走するように大蛇が現れ、次々と敵を攻撃する。
すると離れた場所で戦っていたセルネ様と騎士団長やカンドルクさん、さらに見覚えのない老人――全員が大きく口を開けて私を見ており、彼らに笑みを返した。
するとお爺さんが喉を鳴らしたようにクツクツと体を震わせ、次第にここまで聞こえるような大声で笑い始めた。
私は彼に頭を下げるのだけれど、彼は大きく頷き、そのまま船を回して人形たちを退治しに戻っていった。
すでに雌雄は決したか。と、私は盾の英雄の背に寄りかかりながらテルネ様から頂いた本を開く。もっとリョカさんとミーシャさんの役に立ちたかったけれど、今の私ではこのくらいが限界だ。
というより、今回は相手が悪かったというべきか、流石にあんな空高く上がった兵器というよりは怪物をどうにかするのは難しかった。
一応リョカさんと無王アンデルセン=クリストファーの話を隣で聞いていたけれど、私の知る知識ではまったくついていけず、相変わらず学園の魔王様は底が知れない。
でも今回使われていた知識について、テルネ様が手配してくれるとのことなので、とりあえずはそれを楽しみに事件を解決しよう。
一体どんな知識なのか、どんな世界に誘ってくれるのか。そこに冒険譚はあるのか――湧き出る好奇心に、私の頬に朱が差すのがわかる。きっと火照った顔をしている、とても頬が熱い。
ああ、なんて素敵な――まるで殿方とのデートを待つ乙女のようだ。と、あまり馴染みのない感情につい声を漏らして笑ってしまう。
とはいえ、あまり馴染みのないのも問題だろうか。デート、デートですか……誰かを誘ってみてもいいのかもしれない。
そんなことを考えた私の頭には1人の男性が浮かんだ。
つい、思考を止めてしまう。
首を横に振ると、ため息をつき、つい先日起きた感情が制御できなかった日を思い出し、少し頬を膨らませる。
こんな時に何を考えているのか。
「――」
私は熱っぽい吐息を漏らし、読んでいた本で口を元を隠すとそのまま耐え切れずに本を閉じ、盾の英雄に背を向けて歩みを進める。
王都のお土産くらいは買って行っても良いかもしれない。
そんなことを考え、私の脚は飛び出すように軽い足取りで一歩を踏み出した。
背後から武器を構えた敵がいることには気が付いていたけれど、今私が抱く感情は誰にもどうにも出来ない物だろう。
2歩目を踏み出すと同時に、飛び込んできた敵含め、輪っかが頭上に浮かんでいた全員が、まるで死に解けるようにシトシトとその命を終わらせる。
命は解ける。しかしそれは大地に還らず――楽園への鍵を失くした憐れな子羊を私は振り返ることなく、リョカさんたちの下に歩を進ませる。
「――?」
けれどふと、何かの気配を覚えた。
それは真っ直ぐとリョカさんの方に向かっていったみたいですけれど……。
「ゆっくりと想いを馳せながら、風に身を任せて帰るべきですかね。巻き込まれたくはありませんし」
そろそろ夜が近い。
月と星が顔を出す時間――少し、同情してしまう。
私は読みかけの本を再度開き、ゆっくりとした足取りで街道を歩いて行くのだった。