魔王ちゃんと彼女の世界
「……」
リョカさんとミルドの戦いが始まってから、リョカさんはずっと彼からの攻撃を耐えるように一度も反撃をしなかった。
今リョカさんが何を考えているのか、わたくしには判断できないけれど、過去一に彼女が怒っているのはわかる。
「あの、ルナお姉さま、リョカお姉さまは――」
「大丈夫ですよ、わたくしの信徒は本当に強いのですよ。それよりもフィリアム、テッド、2人はもう大丈夫ですか?」
わたくしは意識をリョカさんに向けつつ、末っ子女神の2人に笑顔を向けた。
「は、はい……あぅ、女神らしくない姿を晒してしまいました」
「そんなことありませんよ。少なくとも、わたくしはフィリアムが健やかに女神を務めてくれていると安心しました」
笑ったり泣いたり出来なくなった女神に、人を導くことは出来ない。
だからこそ、フィリアムが嬉しさに大泣きしたことがわたくしにも嬉しかった。
「ルナ様、あたしのせいでこんなことに巻き込んでしまい、本当に申しわけありません。どのような処分も覚悟しております――」
わたくしはテッドの唇に人差し指を添えて言葉を遮る。
「あなたが無事で良かったです。あなたの処分を決めたわたくしがこんなことを言うのは虫が良すぎるでしょうが、わたくしはあなたをこれから罰するつもりはありません」
とはいえ、テルネ辺りが横やりを入れてきそうではありますが、今はとにかくこの状況を脱しなければならない。
すでにミーシャさんたちは脱出を始めている。
ここにいない方が良いという判断を下したようですけれど、多分リョカさんもこの戦いをあまり見せたくはないのではないでしょうか。
「あの、ルナ様、ありがとうございます」
「いいえ。とにかく今はみんなで無事に在るべき場所に帰ることを考えましょう」
「はい。それで、あたしを助けてくれた彼女は――」
「リョカ=ジブリッド、最速で至った魔王です」
「魔王……でもそのような気配は」
「15年前に外から人を連れてきたという話をした時は、テッドでしたよね?」
「それじゃあ彼女が?」
「ええ、彼女はこの世界を愛してくれています。ただ、向こうに関してはあまりいい思い出がなかったようで、それで魔王に」
「世界を恨むという条件は満たしていたわけですね」
わたくしが頷くと、フィリアムが首を傾げており、彼女に目を向ける。
「ルナお姉さま、これ」
フィリアムの足元には小さなクマがおり、彼女が足を畳んで正座しながらクマを手に取った。
「リョカさんの……ミーシャさんクマですね」
「そうなんです――ふわぁ?」
突然フィリアムが可愛らしい声を上げてぶるぶると身震いを一度した。
「フィム?」
「なんだかビリビリしました、びっくりした」
わたくしは思案し、リョカさんに目を向ける。
彼女はミルドの攻撃を致命傷は避けながらも受け続け、いつもの戦い方とは違っていることは明らかだった。
魂壊の魔王・ミルド=エルバーズは魂そのものに攻撃をすることで、肉体に様々な影響を与えてくる。
「どうした! 一切反撃もしてこないじゃないか若い魔王! 先ほどまでの俺に対しての怒りとはその程度の物なのか!」
ミルドが大笑いをしながらリョカさんの魂に傷をつけていく。
しかし小さな切り傷程度なら、わたくしの加護を混ぜた聖女のスキルで回復可能で、リョカさんは一瞬でそれを治していた。
「貴様は魔王になって何を語る! 何を望む! 魔王とは良いなぁ、世界が俺を中心に回る。俺の世界だと実感できる」
「……」
世界とはこの世界に生きる全ての命のものです。
いくら魔王とはいえ、この世界をあなただけのものにした記憶はありません。
「貴様は何を望んで魔王になった! 俺には劣るとはいえ、今世界を揺るがす強き魔王だ。貴様の宗教は――」
ミルドが言葉を放つよりも先に、リョカさんの拳が彼の顔面に叩き込まれた。
「五月蠅い。おい、お前よくもフィムちゃんを泣かせたな? おい、よくも可愛い子に涙を流させたな」
「は? 貴様一体何を」
リョカさんの身体能力はお世辞にも高いとは言えません。だから彼女の拳にも一切ダメージを受けていないミルドが、リョカさんの拳を顔に受けながらも首を動かし、彼女を睨みつけている。
「どうでも良い。お前の思想思考宗教、私には一切関係がない。なあおい、泣かせたよな? お前泣かせたよな?」
フィリアムにくっ付いていたミーシャさんクマがリョカさんの下に戻っていくのが見える。
「こいつ、一体何なんだ? 魔王としての矜持を全く感じられない」
ミルドが顔を歪めた。
初めて対峙するタイプの人間だったのだろう。
けれどリョカさんは普段通りです。
あの人はいつだって可愛いを追いかけていた。
自分自身が可愛くなることも、他の誰かが可愛いと呼ばれていようとも、それを追っかけ続けていた。
「可愛い子には可愛い涙を流させるべきなんだよ。それなのにお前はどうでもいいだろうクソみたいな理由でフィムちゃんを泣かせて、スピカを泣かせて、テッド様を泣かせて……」
「俺の理由がしょうもないだと? 俺は魔王だ! 女神如きに縛られる理由はない。そもそもここは俺の世界だ、それなのにそこの星神が我が物顔で俺の領域を踏みにじりやがった。だからそいつが愛してやまない極星を1つ穢してやったんだ!」
フィリアムが顔を伏せた。
本来なら13の極星が輝くはずだった。
あの子は国の発展のために、真に心を通わせられる人を13人……本当はもっと多くしたかったみたいでしたが、アリシアに止められ、この数に落ち着いた。
この13人で世界を豊かにしようとしていた。
けれどその1つをミルドは穢した。
13と言う意味のある数字を彼は消したのだ。
アリシア、フィリアム、テッドがたくさん悩んで思いつき、実行した初めての女神としての大仕事、あの子がどれだけ1つの星がなくなった時に悔やんでいたのか、あの魔王は知らないのだろう。
「やっぱしょうもないじゃないか」
「なんだと?」
ミーシャさんクマを肩に乗せたリョカさんがミルドの顔から拳を離し、そのまま後退した。
「世界に輝く星は1つで良い! 俺と言う星1つで――」
「もう良い、会話をする気にもならない。さっきから言っているけれど、私はお前が可愛い子を泣かせたから殺すのは確定しているし、これ以上の会話は時間の無駄だろう。ミーシャたちはもう外に出たみたいだし、これで心置きなくやれるよ」
リョカさんの言葉に、わたくしは違和感を覚えて空を見上げる。
転界で夜に変わった空間に、首を傾げずにはいられなかった。
「ルナお姉さま?」
「どうかしましたか?」
フィリアムとテッドの心配気な声を耳に入れながらも、わたくしは早足で飛び出した。
そしてヘカトンケイルの本拠地の円卓にある窓から外を覗く。
夜が来ている。月が出ている。星が瞬いている。ここには大地がある――わたくしは驚き、リョカさんを見つめる。
「世界世界うるさいんだよ。そんなに中心に立ちたかったのなら世界の1つでも創ってみろよ」
「何言って――」
「『絶界・僕だけの月の世界律』」
結界の中を夜で模倣したわけではない。
この絶界と呼ばれたリョカさんのスキル、今この場所で確かに世界を創り上げた。現に今わたくしたち女神の力が全く反応しない。
シラヌイの加護を弾くとはわけが違う。
「な、な――」
「世界の中心に立つって言うのはこういうことだ。『魔王特権』――」
その名の通り、この世界ではリョカさんこそが最高権力者、月も夜も星も大地も、すべてリョカさん……否、銀の魔王の物。
この世界では、わたくしでも彼女を止められるかはわからない。
「『僕こそが月の庇護を受けた魔王なり』」
その強大な力に、わたくしはただ見惚れるのでした。




