月の女神ちゃんと血の従者
「くっ、そういえばいましたね。お前が何者なのかはわかりませんが、放ってはおけない相手、ということでしょうか――」
ロイさんがわたくしに手を差し出してくれたからその手を取ると、ガーランドから離れたところに連れて行ってくれた。
そして彼はそのままドッペルゲンガーの腕に捕まっているマルエッダまで足を進ませると、その腕を破壊し、座り込んでいる彼女を横抱き……所謂お姫様抱っこで持ち上げて、わたくしの隣にそっと彼女を下ろした。
「お嬢さん、お怪我は?」
「え、あ、その……」
普段は誰よりも大人らしくしていたマルエッダが、頬に朱を差し驚いた顔を浮かべている。
それにしてもあの子持ち既婚者魔王、クマであるために表情なんてないのに、わたくしの目には確かに爽やかに微笑むロイ=ウェンチェスターが見えています。
「貴様……」
マルエッダの反応にガーランドが額に青筋を浮かべたけれど、当のロイさんは改めて辺りを見渡し、わたくしに視線を向けてきた。
「助かりました。上に行ったのは」
「エレノーラです。私よりも速いですし、何より有事の際にはあの子の力は役に立つ。それでルナ様、あなたがこちらにいらしたので、こうして出張ってしまったのですが余計なお世話だったでしょうか」
「いいえ、正直危ないところでした。ヴェインさんもランガさんも力のある2人なのですが、ガーランド=ユーステス、彼のような性悪相手では素直過ぎたようです」
「なるほど、ならば私はうってつけですね。もっともあの程度相手にもなりませんが、ルナ様への不敬、この目でしかと見ましたので、軽く捻ってやりましょう」
「……」
「ルナ様?」
わたくしは頬を膨らませる。
あの男はわたくしが敬愛する人を悪く言った。その優しい在り方を笑った。
許せない。許せないけれど、それを口にしてしまうのは――。
「ルナ様、私は影です。本来なら世界に存在すらしていない残り香です」
「え?」
「だからこそ、私には出来ることがある。もし女神さまたちが光を行くというのなら、私は闇に潜りましょう。その光の中で身動きが取れないというのであれば、闇である私があなた方の代わりに世界を正しましょう」
欠陥などない決意、誰よりも力強く女神に届く言葉。
わたくしは目を閉じて小さく息を吐く。そして瞳を開いて笑みを浮かべながら自身の首に指を添える。
「喋れるようになったのはラムダのおせっかいですか?」
「ええ、それでは不便だろうとラムダ様が力を与えてくれました」
「そうですか……」
わたくしは大きく深呼吸を繰り返すと、ガーランドを指差した。
「かの百顔は、わたくしの魔王を嗤い、侮辱しました。ロイさん――女神の影たる血の神官、ロイ=ウェンチェスター、わたくしに代わってそこの思い上がった悪党に裁きを下す命を与えます」
わたくしの言葉を静かに聞いていたロイさんが、顔を伏せたまま振り返り、飛び出そうとしていたガーランドにその意識を向けた。
「――ッ!」
「この命に代えましても、必ず執行しましょう」
振り返ったロイさんがミーシャさんにも負けず劣らずの戦闘圧を溢れさせ、ガーランドを睨みつけた。
それと同時にロイさんが指をクイと上げると、顔を引きつらせているガーランドの足元から次々と血の棘が生えた。
「くっ、グリップグリッド――」
「『血刺繚乱』」
飛び上がったガーランドが足を壁に変えて足元の棘にさっきやったように衝撃を吸収しようとしたようですが、それはもう彼には効かない。
以前アルマリアさんにやったように、寸でのところで勢いを殺し、衝撃を吸収しても大した威力にはならない。
「なに――」
「遅い」
クリップグリッドは使用したらずっと衝撃を吸い取るわけではない。あれはカウンタースキルです、だからこそ一度テンポをずらされてしまうと、途端に隙だらけになる。
ロイさんが再度指を振るうと、血の棘が勢いよくガーランドを貫いた。
「がぁぁぁっ!」
「ガーランド、と言いましたか? 何を勘違いしてその結論に辿り着いたかはわかりませんが、ルナ様を怒らせただけでは飽き足らず、挙句に私の恩人を愚弄したとか……」
ロイさんの気配が濃くなっていく。
それは血冠魔王時代、誰もを恐怖に陥れた圧倒的な力の奔流で、ガーランドだけではなく、ヴェインさんもランガさんも、マルエッダでさえ歯を鳴らし、体を震わせ、魔王の力に戦いていた。
「喜びなさい、真の悪党というものを教えてあげますよ」
「ふざけるな! ふざけるな! 何を言って――」
体に傷を受けてもなおガーランドは攻撃をすることを止めない。
彼は幾つもの手を生やし、そのままロイさんへと攻撃を繰り出す。
けれどガーランドがその一歩を踏み出した瞬間、彼を血液が包んだ。
「は?」
「『血鮮樹・血の豊穣』」
そこでわたくしは気が付いた。
ブラッドヴァンの性質が軒並み変換されている。あんなスキル見たこともない。
「まったく、ラムダったらやりたい放題やっていますね」
血液が循環している大木にガーランドが取り込まれ、血液の中で溺れている。
しかし彼が自身の体を無機物へと変えて、それを防ごうとしている。
けれどロイさんは首を横に振った。
その刹那、血の大木が意思を持ってガーランドに次々と根を張り、彼から血液を吸収していた。
「これは……」
「な、何故!」
暴れながらも大木から顔だけを出したガーランドが恐怖に顔を塗り固めながらも、ロイさんに尋ねた。
「原初とは血、血とは命――あらゆるものに血は通っているのですよ」
ガーランドの無機物に変わった箇所が次々と命を終わらせるように崩れていく。
ミーシャさんのフォーチェンギフトしかり、それよりも明確に命を定義した血液の根がガーランドから命を吸い取っていき、徐々に大きくなっていく。
その大樹は命を巡らせる。
「その程度で悪と名付けられるとは片腹痛い、ゲンジの方が幾分かマシでしたよ――それでは、存分に本物の悪党をその魂に刻みなさい、坊や」
「あ、ああ、うあ――あぁぁぁぁっ!」
ロイさんが指を鳴らすと、血の大樹にひびが入り、まるで命を終わらせるかのように砕け散った。
「む?」
しかしロイさんが砕けた大樹に目をやり肩を竦める。
「ああも脆弱になってしまうと、本当に殺しかねないですね。まあここはこれくらいで勘弁してあげましょう」
ロイさんの言葉にわたくしは気配を追うと、虫ほど小さく変化したガーランドが逃げ出していた。
「けれど忘れないことです。血はいつまでもあなたを廻る――もしまた私の前に立ち、女神様と私の恩人に害を成すというのであれば、その時は」
何よりも鋭い戦闘圧、対峙した者を切り裂きかねないその闘争心をロイさんがガーランドへと向けた。
「私の黄金で一生を過ごすことになりますよ」
本当に、ラムダはとんでもない人に加護を与えたものです。
わたくしはその頼りになる女神の従者へと足を進ませるのでした。




