月の女神ちゃんと百顔の外道
「マジかあの聖女。マルエッダ、もしや君にもあれくらいのことが」
「出来るわけないでしょう。正直、ここにいる聖女たちには、彼女の在り方は刺激が強すぎますわね」
「皆一様に困惑しているな。在り方も戦い方も、聖女と呼ぶにはあまりにも荒々しい」
ヴェインさんもランガさんも、マルエッダもミーシャさんの戦い方には困惑しているようです。
当然と言えば当然ですけれど、街の外に出て行ったために、ここからでは全体は見えておらず、ミーシャさんがどう戦っているのかわからなくとも流れ込んでくる戦闘圧と爆発、竜王と呼ばれるクオンの信仰を全力で放ったそれが宙に伸びていっただけで、正直戦意を失くす方は多いのではないでしょうか。
ちなみにわたくしは終始彼女を見ていますから、あとでリョカさんにお説教してもらおうと思っています。
腕を巻き込んであれを撃つことになんの意味があったのでしょうか。
と、わたくしがミーシャさんの戦いに肩を竦めながらもヴェインさんに声を掛ける。
「ジュウモンジとテッド、すでにこっちに入り込んでいますよ。ドッペルゲンガーは厄介ですね」
「……百顔のガーランド、あれの性格が良かったのならどれだけの人を救えたことか――なあ、そうやっていつまでも壁に徹しているんなら、それをすぐに砕いてやるぞ」
ヴェインさんが瞳を鋭くさせてわたくしたちがいる、アストラルセイレーン本部のエントランス、その一角にある壁に声を上げた。
「相変わらず不躾な方ですね。大人しくしていれば良いものの、そうやってわざわざ死地に身を置こうとする。私はあなたが嫌いなんですよ、宵闇の極星・ヴェイン=ローガスト」
「いきなりだなガーランド、まあだが、そこは気があったな。俺もお前が嫌いだよ」
壁の一部が揺蕩い、まるで蜃気楼のように壁から人の姿が現れた。
ギルド・ヘカトンケイルの副官、ガーランド=ユーステス。ドッペルゲンガーというギフトを持っていて、強い力を持っていながら女神の下にも届く悪名。
闇討ち、だまし討ち、詐欺や強盗、様々な悪事に加担していて、正直わたくしもあまり近づきたくない部類の人間だ。
「ジュウモンジはどうした」
「間抜けにもあの化け物が飛び出してくれたおかげで助かりましたよ。あとは……」
ガーランドの視線がマルエッダに向けられた。
やはり聖女を集めているようです。けれど今さら何故? 多分これはテッド由来のたくらみではないはずなのですけれど、一体ジュウモンジは何を考えているのでしょうか。
「マルエッダ、私と来ていただきますよ」
「お断りしますわ。私があなたの穢れた手をとると本気で思っているのですか?」
「相変らずつれない聖女様だ。何度も言っているでしょう、この手は近い内誰もが羨む力の手へと変わる。掴んでおくことが賢明ですよ」
自信過剰なガーランドに、マルエッダが顔を歪めた。
もしやあれが彼にとっての求愛行動なのだろうか。だとしたら相当勘違いしているというか、自分の力を誇示するのは別に悪いことではないのですが、相手を選べとしか言いようがないです。
「まあお前についてはどうでも良い。ジュウモンジはもうリョカさんたちのところだな」
「ええ、あなたたちが間抜けで本当に助かりました。あの魔王の力で外に逃げられたらどうしたものかと考えていましたが、逃げるどころかわざわざこうして我らの礎になることを選んでくれたのですから」
「悦に浸っているところ申し訳ないけれど、ここにいる魔王様を舐めない方が良いぞ。いくらジュウモンジといえ彼女を倒すことは不可能だろう」
その通りです。
リョカさんが極星といえ、そう簡単にやられるわけはありません。
彼女と直に戦ったからか、ヴェインさんはそれがよくわかっています。
月神的ポイント1です。今度少しだけ優しくしてあげようと思います。
けれどガーランドが心底可笑しそうに喉を鳴らした。
「わかってないですね。そりゃあ正面からやり合ったのなら私だって勝てるなんて驕りませんよ」
「なら――」
「しかしあの魔王、どうにも魔王らしくない。彼女が真に魔王であったのなら、この状況に陥ったのならマルエッダとスピリカを連れ出し、尚且つこの場所に罠を張るなんてことも出来たでしょう」
心底不快な声で男が囀っている。
わたくしの額に力がこもるのがわかる。
「けれどそうはしなかった。スピリカがここにいないのを見るに、彼の魔王様は心底星の聖女と末の女神を傾倒しているようだ」
ガーランドが口を開く度に、この場にいるヴェインさんもランガさんも、マルエッダも闘争心を溢れさせていく。
「私は何故彼女が魔王に選ばれたのか理解出来ません。魔王とは力を求める者、魔王とは破壊と混沌を好む者――それなのにあの中途半端な魔王はあろうことか、末っ子根性の抜けきっていない聖女と女神を甘やかしている」
その先を口にしない方が良いです。
わたくしはそれなりに人々には平等に接してきたつもりです。どのような人でも慈悲を以って接してきたつもりです。
かの血冠魔王ですら、彼女を侮辱することはしなかった。
「あの程度の闇も知らぬ小娘、我々にとっては与しやすい雑魚でしかないのですよ」
「――」
わたくしは人々と接し過ぎていたのかもしれない。
確かに心を痛めることは何度もあった。
ロイさんが魔王となった時もわたくしは手を出さなかった。フェルミナが囚われた時も相手がアリシアだったから何も捨てられなかった。
でもどうしてでしょう、今わたくしの心に渦巻いているのはリョカさんやミーシャさん、アヤメとこちらで過ごした日々。
失くしたくない。奪われたくない。
リョカさんもミーシャさんも本当に素晴らしい人です。
どんな相手、女神にだって慈愛をかけられる人たち。
そんな彼女を、この目の前の男は笑った。
「おや、月の最高神が随分と人間に怖い顔を向けるのですね」
「……ええ、怒っていますから」
「しかしあなたは何も出来ない。女神は人に何ももたらさないでしょう」
嘲笑するガーランドにわたくしは強く拳を握る。
そんなわたくしの心を汲んでくれたのか、いの一番に飛び出したのは宵闇の、死と夜の信徒、ヴェインさんだった。
「口を噤めよガーランド=ユーステス! 彼女の優しさも、彼女の星をも凌駕する煌めきも、お前に嗤われるいわれはない! 『死を繋ぐ夜の眷属』」
彼が飲み込んだ魔物の死体を繋ぎ合わせた腕がガーランドへと襲う。
アリシア由来のギフト、『死を踏みにじる福音』あらゆる命の屍を飲み込み、それらを使用して戦う死を冒涜する者。
どうして彼がこんなギフトを選んだのかは謎ですが、アリシアが管轄するギフトだけあって強力です。
「駄目駄目駄目! ヴェイン、お前では私を傷つけることすらできない!」
けれどヴェインさんが放ったスキルは、腕を石壁に変化させたガーランドによって防がれ、さらに――。
「クリップグリッド!」
そして吸収された衝撃を蓄えた壁を、ガーランドがヴェインさんに返す。
「センスガンズインパクト!」
壁が割れ、その瓦礫がヴェインさんに直撃する。
「ぐわっ!」
ヴェインさんが吹き飛び、壁に激突したけれど、ガーランドの死角からランガさんが飛び出した。
「如月流――」
「ラ~ンガ、お前が一番甘っちょろいぞ!」
確かに死角を狙った攻撃だったにもかかわらず、ガーランドの腕がドッペルゲンガーによって増え、ランガさんの腕を掴んだ。
そしてそのままランガさんを床にたたきつけ、体の向きを変えた。
そこには精霊術を使おうとしていたマルエッダがおり、彼女に向けて下衆な笑みを浮かべた。
「これで――」
「マルエッダ、それでは駄目だと言っているだろう! 君は私のこの手を乞うべきだ、それ以外で君が救われる未来はない!」
マルエッダの足元に散らばっている先ほどの瓦礫が途端に形を変え始め、彼女を捕まえる腕と化した。
「マルエッダ!」
「やはりお前たちでは相手になりませんね。ぬるい戦いしかしてこなかったお前たちとは格が違うのですよ」
ヴェインさんの言葉ではないですけれど、これほどの力を持っていて何故あんな性格になってしまったのか、本当に理解出来ない。
別に、何か彼の人格を形成するエピソードなどないにもかかわらず、彼はずっとこうやって生きていた。
正直に言うと、今わたくしは彼を嫌悪している。
「さて、残ったのは無力な女神だけですか。あなたなど取るに足りませんが、あの魔王を釣るにはよい餌となるでしょう」
ガーランドの腕がわたくしに迫る。
「ん……?」
けれどふと、その違和感を覚えた。
「小麦?」
「は――?」
わたくしとガーランドがその違和感を察知すると同時に、何かがものすごい勢いでわたくしたちを通り過ぎていった。
「なんだ? ヴェイン、お前か?」
「……は? 何を言っている」
最上階の円卓に続く道のりに金色の小麦が落ちている。
あれは一体、と、思案すると、わたくしのアンテナがそれを捉えた。
「ああ、間に合ったのですね」
「あなたが何かしたのですか? ならばやはりここで潰しておきましょう」
わたくしは安堵の息を吐く。
ガーランド=ユーステス、確かに強力で極悪人といえる人物でしょう。
けれどわたくしは彼の上を行く存在を知っている。
今でこそその罪を清算していますが、それ以前は誰も手を出せないほど高みにいた。
ガーランドの腕がわたくしに伸びた刹那、その柔らかそうな手が彼の腕を掴んだ。
「なに――」
「我らの月神様に、不敬にも触れようとするのはこの手ですか――『主への祈りこそ力なれ』」
ガーランドの顔面に、その尊き信仰を纏ったクマの拳が振るわれた。抗うことも出来ず、ガーランドが吹き飛んでいき、壁に激突して砂煙を上げた。
ロイ=ウェンチェスター、血冠魔王と呼ばれた彼がわたくしたちを守護するために現れたのでした。




