魔王ちゃんと夜の女神ちゃん
「こっちから、かな」
「ねえリョカ、さっきの鈴の音って?」
鈴の音を聞き、僕たちは街の喧騒が陰を潜める外れに足を進めていた。
そこからは湖と街の境で、水のせせらぎが良く聞こえる場所。空を見上げれば夜の帳が月を包んでいた。
僕はスピカを地に下ろし、辺りを見渡す。
「アリシアちゃん」
「え、それって――」
再度鈴の音が鳴り、それは夜を纏って僕たちの前に姿を現した。
「女神にちゃん付けとか不敬なんですけど~」
「それは失礼しました。それでアリシアちゃん、わざわざ僕を呼んだのは何か用事が?」
「……本当小憎たらしい魔王だよねぇ。まあいいや、こんなところにほいほいおびき寄せられちゃって、少し不用心なんじゃないの~?」
「それじゃあ帰りますね」
そうして僕がスピカの手を引いて踵を返そうとすると、正面にベールをかぶった女性、フェルミナさんが出てきた。
「フェルミナ=イグリース」
「……大聖女様」
「あなたと口で張り合おうってつもりはないけれど~……あまり無礼だと死が近くなるよ」
アリシアちゃんが指先を僕に向けてきた。
これでは不死を付与されてしまう。僕が肩を竦めるとスピカが両手を広げ、僕の前に躍り出た。
すると、アリシアちゃんがスピカの顔を見て一度驚いた表情を浮かべた後、少しだけ頬を膨らませて、渋々指を下ろした。
「……まあいいわ。今日はちょっとお願いしに来ただけだし」
「それは良かったです。でもその前に、1つ教えてくれません?」
「なに?」
「アリシアちゃんどうやってこの街に入ったんですか? ルナちゃんとアヤメちゃんなら気が付くと思うんだけれど」
「ああ、そんなこと。ラムダが来たでしょ? それに紛れて入り込んだの。ウチは夜の女神、一度入ってしまえばルナ姉さまにだって見つけられないよ」
「なるほど。会話してくれるとわかったのでもう1つ」
「魔王様は要求が多いなぁ」
「大事なことなので。この間は怖がらせてごめんね」
ウインクしながら頭を下げると、アリシアちゃんが苦虫を噛み潰したような顔をした。
そんな顔されてもあれはやり過ぎだと思ったから素直に謝ったのだ、少しは僕の葛藤を汲んでほしいところである。
「ほんっとう忌々しい魔王だよね。けれどもっと最悪なのは、その忌々しいあなたの力を借りなければならないってことなんだけれどね」
「あら、僕の力が必要なんですね……今グエングリッダーで起こっている事態、ジュウモンジの謀、ただの人で済ませられるものじゃないんですね?」
「え?」
スピカが広げていた手を下げ、僕に振り返ってきた。
僕は彼女を撫でて背中に隠すと、ジッとアリシアちゃんを見つめる。
「あなたの言う通りだよ。あの子も、ルナ姉さまもアヤメちゃんもどうにも事態を軽く見ているみたいだけれど、そんな簡単な話じゃない。そもそも女神なんて絶対ではないんだからいくらでも抜け道なんてある。そこを突かれていることに誰も気が付いていない」
「みたいだね。そもそも魔物の発生にアヤメちゃんが気が付くことが出来ていない時点で、人の手には負えないことを自覚するべきだった」
「アヤメちゃんは抜けているところがあるからそれに関してはあまり参考にならないけれど、現状疑ってかかっているのがあなたと……ヴェイン――宵闇の極星だけ」
そういえば、ブリンガーナイトって夜の名が付いているんだよね。今も少し彼を気にしていたようだし、かかわりがあるのだろうか。
「これ、女神様が絡んでいますよね?」
「……うん、しかも面倒な子が1人ね」
「どなたですか? 女神様が絡んでいるのなら、ルナちゃんもアヤメちゃんも動けそうですけれど」
「それは駄目。ルナ姉さまとアヤメちゃんが動いたらテルネもわいて出てくるし、他の女神も黙っていない。これはあの子が蒔いた種、あの子が解決するしかない」
「あの子?」
アリシアちゃんが僕から視線を外して遠くを見る。
「……ウチが傍にいられればよかったけれど、それはもう叶わない。それに、今さらどの面下げてって感じだしね。10年前もあの子1人に押し付けちゃったし」
「フィリアム様ですか?」
「うん、あの子普段は何も考えていないくせに、やるべきことは無理して1人でやっちゃうから誰かが傍にいるべきなの。甘えん坊なくせに自分からは甘えてこないし、少し目を離すといつのまにか寝ているし――」
僕は腕を組んで顔を逸らしながら言うアリシアちゃんに古き良きツンデレな魂を感じた。
そっと彼女に近づき、頭を撫でてみる。
「……なにしてるの?」
「いやつい。今僕が直面している問題はグエングリッダーのことなので、あまり余計なことは言いませんけれど、ちょっと思うところがあったので」
「あっそ」
そう言っても僕の手を払うどころか、どうにも全力で撫でる手に抗っているようにも見える。甘えん坊は彼女も同じではないだろうか。と、言いたいがぐっとこらえ、僕は彼女のサラサラな黒髪を堪能する。
「それで僕はなにをしたらいいんですか?」
「……止めてほしい」
「ん? 誰をですか? その関わっているもう1人の女神様をですか?」
「時が来ればわかる。その時にウチの言葉を思い出してくれればいい」
「中々難しい要求だ」
「……」
アリシアちゃんが僕を見上げてくる。
本来なら彼女を抱き上げてたくさん撫でたいところだけれど、今それをやるときっとへそを曲げてしまうだろう。
「わかりました、出来得る限り尽くします」
「……そう、頼んだわよ」
アリシアちゃんが名残惜しそうに僕の手から頭を離し、一歩下がる。
「それじゃああまりのんびりしていられないし、ウチはもう行く」
「このこと、一応ルナちゃんとアヤメちゃんにも話しますよ」
「勝手にして。でも大事にはしないで。ルナ姉さまだけが動くのなら別に問題ないけれど、テルネが出てくると本当に面倒になるからそこだけは気を付けて」
「君たち姉妹はテルネちゃん苦手だよね」
「口うるさい、真面目、眼鏡、遊びがない――挙げだしたらキリがないけれど、とにかく面倒臭い」
やはり姉妹だなと和んでいると、アリシアちゃんの姿がぼやける。そして一度スピカに目を向けると、何かを言い淀むように視線をあちこちに逸らした。
「アリシアちゃん、余計なお世話かもしれないけれど、言いたいことは口に出した方が良い。それが悪意だろうが善意だろうが、心は口に出さなきゃ伝わらないよ。例え女神様でもね」
「……本当に余計なお世話。でも、ええそうだね」
改めてスピカに顔を向けたアリシアちゃんが数回の深呼吸をして、口を開いた。
「フィムの聖女、あの子多分極星であるあなたには良い格好しようとするけれど、それ全部話半分で聞いてあげれば良い。出来れば一緒に寝て、出来れば頭を撫でてあげて、出来れば抱きしめてあげれば良い。そこの魔王様ほどとは言わないけれど、少しは参考にしたらいいと思う」
「えっと」
「それと、多分あの子は辛い選択を迫られる。それが成功してもしなくても、あの子はきっと傷つくから支えてあげて」
体が消えかかる直前、それだけ言ったアリシアちゃんが僕に体を向けてきた。
「勘違いしないでね、今回だけはフィムのことだから協力してあげるってだけ。ウチは今でもあなたをルナ姉さまから奪うことを諦めていないから」
「ええ、その時も全力で拒ませてもらいます。でも出来れば、次はあまり他人を巻き込まないようにしてくれると助かります」
「考えておく。ああそれと、今さらだけれどもし機会があれば、椅子には気を付けろって言ったでしょって叱っておいて。ウチが言えるのはこれだけだから」
「わかりました」
「それじゃあもう行くから。本当あのおバカたちはウチがいないと変なことばかりするんだから――それじゃあ銀色の魔王様、あとはよろしくね」
そう言ってアリシアちゃんが消えた。
僕は息を吐いて薬巻に火を点し、彼女の話しを頭の中で纏めるのだけれど、スピカが何か聞きたそうにしており、僕は彼女に笑みを向ける。
「アリシアちゃんとフィリアム様……死神様ってね、星神様と仲が良かったんだって」
「それじゃあ死神様は、フィリアム様を心配して?」
「うん、そうだと思う。女神さまたちから追われている身なのに、それでも僕と接触してきたということは相当心配していたんじゃないかな」
「私、死神様を勘違いしていたのかしら? リョカから話を聞いて、怖い方だと思っていたわ」
「怖い存在なのは間違いないけれどね。それにさっき僕の前にスピカ出てきてくれたでしょ? その時、あの子攻撃の気配を急いで消したんだけれど、フィリアム様の聖女様を傷つけたくなかったからなんじゃないかな」
「……私も頼まれてしまったわね」
「甘やかす方法なら僕に聞いてよ。撫でるツボやらに会いそうな服から何からなにまで」
「少しは参考にさせてもらうわよ」
そうのんびりと話していると、街のどこかで爆音が上がった。
「っと、そういえば僕たちも急がなきゃならないんだったね」
「ええ、すぐに行きましょう」
僕はスピカを抱えて夜を駆ける。
寄り道だったけれど、アリシアちゃんとの再会はおよそ無駄ではない。
今回の騒動、どうにも彼女の言葉がヒントになっている気がしてならないからだ。
全てを話せる程信頼はされていないのか、それともそれを知られたくないからか。多分後者だろう。今アリシアちゃんはフィリアム様のためだけに動いていた。
だから彼女が隠している何かが女神様を動かすほどの大きな出来事に発展すると確信があるのだろう。
つまり、僕たちはその女神様が出張るほどのことを解決しなければならないという。
正直、重い責任だけれど、少なくとも今日のアリシアちゃんはとても可愛かった。だから僕は彼女を信じようと決意したし、どうにかしてあげたいとも心に誓えた。
ここから先に何があるのかはまだ分からないけれど、今はとにかくこの街の騒動を解決しようとスピカと共に水星の聖女様の下に急ぐのだった。




