魔王ちゃん、やっと動き出す
「ん――」
「おはよう。気分はどう?」
僕は膝の上で寝息を立てていた、騎士を継ぐ可愛らしい女の子に尋ねた。
「……少し前のわたくしなら、最悪だと言っていたでしょう」
「元気なようで何よりだよ。もうちょっと頬っぺたプニプニしていていい?」
「わたくしみたいな不愛想な女を掴んで何が楽しいのですか?」
「めっちゃ可愛い」
ランファちゃんが呆れたように息を吐く。
そして半目で僕を睨みつけながら、僕が伸ばした手を払ってきた。
「わたくし、それほど安い女ではありませんわ」
「え~、でもジンギくんがランファちゃんはべたべたされるのに慣れていないから程々にって言ってたよ。つまりこの程度は許容範囲でしょ?」
「どれだけ幅広い解釈ですか。これはもうべたべたの域ですわ」
「本気のべたべたを見たいと申すか? ミーシャはそういうことさせてくれないし、ソフィアは罪悪感が凄いし、カナデは一緒に楽しんじゃうし、ルナちゃんはどちらかというと僕と一緒にべたべたする側だし、アヤメちゃんは被害者。もうランファちゃんを本気でべたべたするしかないでしょ」
僕が手をワキワキさせていると、ランファちゃんが顔を赤らめ、小さく頬を膨らませていた。
なんだこの可愛い子、なんというか今僕の周りの女の子が持っていない恥じらいというものを持っている。
それを持っていたのがセルネくんだけだったから、少し新鮮だ。
と、そんなよこしまな感情を抱いていると彼女が近くを浮遊しているアガートラーム、その中にいる小さなクマのぬいぐるみに目を向けていた。
「ああ、あの子はエレノーラ、可愛くて優しい子だから見かけたら仲良くしてあげて」
エレノーラが器用にアガートラームを操縦してランファちゃんの傍にやってきた。そしてアガートラームを開け、体を出して彼女の頭をポンポンとした。
「……エレノーラさん、ええ、先ほどはありがとうございますわ。あなたがいなかったらどうなっていたことか」
エレノーラが嬉しそうに胸を張り、ランファちゃんに手を振ると、再度アガートラームに戻り、僕の目となるために飛んでいった。
本当にエレノーラはクマになってからよく働いてくれる。もっと自分の時間を持っても良いんだよと言っても、恩返しがしたいの一点張り。
生前の躾と教育が良かったのか、彼女は稀に見る善人だ。
ご両親からたくさんの愛情を注がれたことが窺える。
このことをロイさんに話すと、彼は複雑そうな顔と誇らしそうな顔を浮かべ、最終的には困っていたのは内緒だ。
小さく手を振っていたランファちゃんだったけれど、辺りを見渡すようにキョロキョロとし始めた。
「あの神官服の……」
「ああ彼、ロイさんはあんまり表に出てこないんだよ。でもきっとエレノーラがロイさんにランファちゃんがお礼してくれたことを自慢すると思うから、感謝は伝わるよ」
「そうですか」
するとランファちゃんが体を起こそうと僕の膝から離れようとした。
少し名残惜しいけれど、そろそろ状況の確認もしておいた方が良いと思い、僕は彼女の背中を支えて起き上がらせる。
「ありがとうございますわ。それで状況を聞きたいのです、が――」
顔を上げたランファちゃんの目に映ったのは、多分あれだろう。
彼女が一度顔を青くさせたかと思うと、すぐに片手で頭を抱え、呆れたような視線を僕に向けてきた。
「あなた一体何と戦っているんですの?」
「ああ、アリシアちゃん」
「それは誰ですの? そしてどうして貴女が狙われているんですか?」
「う~ん、どう説明したものか。えっと、アリシアちゃんはルナちゃん……月神様の妹でね、月神様から奪うことを目的として行動しているらしいんだけれど、今回はその標的に僕が選ばれちゃったってわけ」
ランファちゃんが引き攣った顔をしている。
けれど必死に状況を飲み込もうとしている辺り賢い子なのだろう。
「……わかりましたわ。とにかく今、あなたは理不尽に襲われていて、その敵があんな災厄を持ち出してきたということですわね? さっきの問い、撤回しますわ、目覚め最悪ですわ」
「それはなにより。ここが最底辺なら、あとは楽しいことだけだよ」
「本気で言っていますの?」
「本気だよ。というかだね、今回僕ほとんど目立ってないんだよ」
「引き立て役にしては不相応では?」
「ああ、噛ませ犬としては確かに不出来かもね。本当に美味しいかわからないからなぁ、これで不味かったら噛ませにすらならないよ」
ランファちゃんが自分の額と僕の額にそれぞれ手を当ててくる。
熱なんてないよ、これが真っ当な魔王の感性だよ。
「竜ですわよ?」
「肉だよねぇ」
「……本当に魔王というのはメチャクチャですわ。世界の終焉、最強最悪の災害、天災を凌ぐ災厄。そんな存在が目の前にいて、あなたは笑っていられるのですわね」
「魔王だって同じでしょ」
「違いないですわ」
ランファちゃんが口を手で覆って上品にクスクスと笑う。本当に可愛らしい子だ。
けれど、この戦場で一番可愛くなければならないのはこの僕だ。
例えランファちゃんにもこの役は譲れない。
「さって、そろそろやろうかな。アリシアちゃんが悔しがる顔が目に浮かぶよ」
「お手並み拝見させてもらいますわ。あなたがどんな魔王で、どのような勝手を演じるのか、一番近くで見させてもらいますわ」
「うん――ねえランファちゃん」
僕は立ち上がって屋上の端に向かって歩き出し、そして振り返る。
ランファちゃんが首を傾げて僕を見てくれたから、僕は笑顔で言い放つ。
「良かったら僕のこと、愛してね」
驚いた顔をしたランファちゃんに、僕はウインクを投げる。
さあ、世界すら虜にする可愛さを以って、僕は戦場に立とう。
女神すら超える魅力を、誰もを釘付けにする魔王としての僕を――。
さあ、理不尽を穿ち貫こう。




