健康優良児くんと楽園を開く天使
俺がここに来た時には、彼女は大量の不死者と名も知らないA級冒険者だろう2人に囲まれていた。
召喚された怪物たちを巧みに操り、自身へと近づけさせないように立ちまわっていたけれど、彼女は一切動かずに、背後に控えているもう1体の怪物と共に目を閉じていた。
「ソフィアさん!」
「――? クレインさん?」
俺がソフィアさんのの前に飛び出すと、彼女は安堵の息を吐いたように見えた。
「状況は?」
「すみません、私のスキルの関係で動けません。完全に相手の実力を見誤りました」
「俺はどうしたら良い?」
「……」
彼女が躊躇したように見えた。
周りは不死者の大群、そして俺が倒せるかがわからない上級冒険者、きっと彼女はどうすればいいのか悩んでいる。
「ソフィアさん、俺なら大丈夫だから」
彼女は奥歯を噛みしめ、深呼吸を繰り返し、少しの葛藤の後口を開いた。
「クレインさん、私を、守ってくださいませんか?」
「任せて!」
彼女がどんなスキルを使ったのかはわからない。けれど守ってほしいとお願いされた。ならば俺はそうするだけだ。
「発破・天凱――胴体強化」
俺は飛び出して不死者に拳を放つ。
けれどそこで違和感を覚える。
不死者は俺の拳を受け止めて、下卑た笑いを浮かべた。
ここの不死者が特別強いのだろうか。ここに来る前までは一撃で頭部を破壊したにもかかわらず、ここにいる不死者は冒険者たちと戦っているかのような高い戦闘能力を持っていた。
「三華弩・腕力強化!」
三華弩を使用して、やっと不死者の防御を崩せる。
俺は拳を強く握った。
俺の勝てる相手ではない。
大量の不死者、そしてその背後には未だ動かない上級冒険者が武器を回してこちらの様子を覗っている。
逃げ出したい。
けれどそうもいかない。
ソフィアさんをチラリと見ると、彼女は膝立ちで目を瞑り手を組んで、集中している。
俺が守ると言った。
彼女はそれを信じてくれた。
俺はポケットに潜ませていた錠剤を取り出し、歯で挟んだ。
そしてそれをかみ砕き、不死者たちを睨みつける。
「ソフィアさんに手を出させない。ここを通りたいのなら俺を退かすことだね――けれど、俺は健康だけが取り柄なんだ、それなりにしぶといよ」
俺の言葉に、不死者たちが一斉に飛び掛かってきた。
「三華弩・感覚強化――ッ!」
頭が割れるように痛い。一斉に頭に入り込んできた情報の波に脳が悲鳴を上げている。体が力み、ギチギチと頭の骨が悲鳴を上げている。
でも俺は一斉に飛び込んできた不死者一体一体の急所を遅くなった世界の中で的確に撃ち抜く。
例え数で押されても、敵は統一された集団ではない。そこに個はあり、それぞれの隙を、それぞれの時間で狙い撃つ。
今この状況を切り抜けるには、とにかく個を重視した戦いをしなければならない。
そのためにはとにかく感覚強化を切らさないように立ち回る必要がある。
今俺が数と質以外で敵に勝っているのはこの体で取り込める情報だけ。これを駆使してなんとしてもソフィアさんを守る。
「く――っ」
やっぱり長期戦闘には向かない。
リョカ様から貰った薬を使うと戦闘能力は上がるけれど、数分しか戦えないことを実感する。
ソフィアさんにどれだけ時間がかかるのかを聞いておくべきだったか。いや、例え聞いたとしてもこの状況は変わっていなかった。
敵は強く、尚ソフィアさんを守らなければならない状況、最初から最後まで全力でなければ切り抜けられない。
しかもこれだけの数、何よりも集中力が――と、俺が一瞬痛みに気を抜いてしまうと、視界の隅で空間が揺れた。
なんだ。と、思考する刹那――俺は体を後ろに逸らせて湧いて出てきた剣に顔を顰める。
「これは……ッ! グリッドジャンプ」
空間の揺れと同時に現れた剣と、それを使用した上級冒険者。
俺はそいつに向けて拳を放つけれど、再度使用されたグリッドジャンプによって拳は空を切る。
それと同時に、体中が警鐘を鳴らすように筋肉が力んで軋み、俺はそれに目を向ける。
空間跳躍ではなく、純粋に速さだけでここまで突っ込んで来た影。
「天神か! 脚力強化!」
目の前に現れた影を蹴り上げる。けれどその影は俺の蹴りを受け流し、体に刃を入れてきた。
最悪だ。
よりにもよって上級冒険者が使うギフトがあの2人と同じもの。
片方はギルドマスターのアルマリア=ノインツさんの空を超える者、もう片方は金色炎の勇者の剣、テッカ=キサラギさんの風と影に潜む者。
どちらも、防衛線では脅威になるギフト。
2人が俺から離れたと思うと、ソフィアさんの傍で空間の揺れを確認した。
俺は飛び出して彼女を庇うように刃を体で受けた。
切り傷から血液が飛び出してソフィアさんの膝元に降りかかる。
「――?」
彼女の肩が跳ねた気がした。
よく見ると肩が震えている。
ああ、何をやっているんだ俺は。
信じてくれている。あの場からソフィアさんが動かないところを見るにそれは確実だろう。でもそれはそれだ。
怖くないわけがない。
いや、俺が傷ついているのを許容できるような人じゃないことくらいわかっていただろうに。
俺はそっと、彼女の頭に手を伸ばした。
「大丈夫。俺は倒れないよ」
彼女を撫でると、肩を張っていた力を抜き、安心したように俺の手に頭を預けてきた。
ソフィアさんの頭から手を離し、拳と拳を打ち付け合う。
「発破・天凱――四翠・感覚強化!」
瞳から血が流れる。
けれど構うものか。
上級冒険者2人の姿が消えた。
だから俺は、2人を先回りし、拳を打ち付ける。
上級冒険者が驚き、体勢を崩した。
「見えているぞ。どれだけ速くても、どれだけ空間を飛ぼうと、俺より先に動けると思うなよ」
2人の姿がまた視界から消える。
けれど、空間の揺れ、速さの先の終着点の予測――俺は現れた2人の腕を掴んで投げ飛ばす。
まだ俺はこの2人を倒せるだけの力はない。
でも時間を稼ぐだけなら、俺にも出来るはずだ。
もっと、もっと――体の中を燃やせ、今日食べた物が、今日まで培ってきたあらゆる栄養の全てが、俺をこの場に立たせ続ける。
感覚強化しつつ、脚力を強化し、せめて初動は並べるように、2人を向かい打つ。
俺がソフィアさんを必死で守っていることを上級冒険者たちが理解したからか、先ほどから彼女を狙おうと動いているのがわかる。
だからこそ、動きが読みやすい。
高速戦闘に切り替わっているけれど、俺自身が高速で動く必要はない。
ただ点を追え、線などただの終着点に至るまでの道でしかない。
目を見開け、たった1つの違和感すら逃すな。
どれだけ小さな点だろうとも、それを逃せば敗北する。
敗北、その意味は俺の死ではない。
ソフィアさんがやられることを認めて良いはずがない。
「あぁぁぁぁっ! ――っつ!」
頭の奥底で何かが千切れる音がした。
痛い痛い痛い――今まで覚えたこともない痛みが頭から身体へ流れてくる。
意識が飛びそうになる。
足を踏み抜け。そう思った。そう決意した。けれど、平衡感覚がわからなくなる。俺は今、地を踏んでいるのだろうか。
否、否――まだ前を向ける。
敵がいる場所はわかる。
今自分がどこにいるかなんて関係ない。
視界が真っ赤になっていようとも、頭をガンガン警鐘が鳴らしていようとも!
「ろふぃあしゃんふぉからはふ――」
言語が曖昧になろうとも、呂律が回らなくとも前を向け。
発破・天凱――五久門・感覚強化。
体がバラバラになる感覚がする。
頭を始め、体中から血が噴き出すのを、俺はまるで他人事のように俺を見ていた。
ふと視線を違和感のある記号に向けると、それが動き出そうとしていた。
きっと1つは空間を割り、そこから任意の場所に飛び出てくるのだろうけれど、どうしてか、俺は奴が出てくる場所が事前に分かった。
もう1つは今この瞬間に動き出そうとしており、まだ動き出していないけれど、奴が通る道が視界に映った。
ふんわりとした思考の末、俺は足を動かして、2つの点が重なる個所で拳を振り上げた。
五久門――腕力強化。
2つの記号が困惑を表現したような記号を張り付け、俺の目の前で足踏みをした。
地を叩くと、それは大きな衝撃となって2つを吹き飛ばし、周りにいた小さな記号たちが消し飛んだ。
まだまだ数は多いけれど、これを続ければ、きっと……きっと? 俺は今、何をしていた? どうしてここで戦っているのだろうか。
俺は振り返った。
一際大きな記号。
――さん。
そうだ、守らなければならない。
誰を?
違う。守るんだ。
吹き飛ばした2つの記号が戻ってくる。
スキルを、すkルを使わなければ。
ああ、駄目だ。今度こそ倒れてしまう。
約束したのに。大丈夫だってそう言ったのに。
「――?」
倒れ掛かる俺を、そっと誰かの手が支えてくれた。
「ありがとうございます。もう、大丈夫です」
安心する声。
あなたに惹かれた時、焦る俺を引き戻してくれたのも、こんな優しい声だった。
俺は目を開けた。
気が付けば、頭にはリョカ様の聖女としての力が込められた布が巻かれており、傷が治っていた。
そして俺はそのまま寝かされ、彼女の膝に頭を置いていた。
「ああ、ソフィアさん」
「はい、クレインさん――。あなたは何も聞かずに、何も言わずに、私を守ってくれました。今のクレインさんは、私が知る、勇者様そのものでした。あとは、私が」
上級冒険者2人が俺とソフィアさんに向けて刃を振るおうとしていた。
「開け楽園への扉――その腕で抱く全ての子羊たち、救いも快楽も何もかも与えられる理想郷にて、我がために安寧を享受しろ。『六つに別れし最後の扉』」
躱せない。
けれど不思議と躱す必要性を感じなかった。
ソフィアさんが相変わらず可憐な顔で口を開いた。
「地獄に堕ちろ。です」
上級冒険者、辺りを覆っていた不死者たち――ざっと見積もっても100以上はいた不死者すべてが、突然体を液状化し、まるで溶けてなくなるように命を終わらせた。
「やっぱすごいね、ソフィアさんは」
「あなたがいてくれたから、頑張れました」
「そっか」
色々と聞きたいことも、聞いていたい言葉もあるけれど、何よりもどれよりも、俺はこの状況を手放したくなかった。
撫でてくれる小さな手に神経を集中させながら、俺はもう少しだけ、彼女との時間を過ごしたいと思うのだった。




