頑強の執事くん、過去を崩して固め歩く
今日の昼頃、突然学園から避難指示が出て、俺たちは街から出る準備をしていた。
けれどランファの準備に手間取り、俺は夕方ごろにお嬢様に買い出しを頼まれて寮を出たところで冒険者らしき奴らに捕まり、すぐに避難をするようにと連れてかれた。
ランファと合流したかったが、それどころではないことは冒険者たちの雰囲気からも察せられることが出来た。
今現在、街を出てゼプテンに向かう森の街道を進んでいる。
「どうなってるんだ一体?」
今この場には俺と冒険者たち以外にも、明らかに戦闘能力のない街に暮らしている一般人がおり、小さな子どもを連れた人々が多くいた。
学生は俺1人で、他の奴らはすでに逃げたのだろう。
俺がそんなことを考えていると、冒険者の1人が俺を見ていた。
その冒険者のおっさんに俺は視線を返す。
「ああすまん、君学園の生徒さんかい?」
「あ? ああ、でも強くはないぞ? 助けを頼むんなら魔王……リョカとミーシャにでも頼んでくれ」
「ああいや、そのリョカちゃんとミーシャちゃんは先頭で戦っているよ。俺たちは彼女に頼まれて住人の護衛任務さ」
「リョカとミーシャが? なああんた、一体何が起こっているんだ?」
「え~っと、俺もまだ木っ端の冒険者だから詳しくは知らされていないけれど、なんでもこの街に不死者の大群がやってきたらしい。今リョカちゃんとミーシャちゃん以外に、ガイルさんとテッカさん、それと学生の何人かも前線に立っているって聞いたね」
セルネたちのことだろう。
それに不死者の大群だと? どれだけ考えてもこの騒動の真相はわからないが、こうしてリョカたちが人々を逃がすということは、それなりに危険な状況なのだろう。
しかし――。
「……まあ、俺がいても役に立つわけないか」
別に声がかからなかったことに拗ねているわけではない。
実力不足は自覚しているし、どれだけの数かはわからないが、学園の屋上にあんなデカイ紋章が出現して、あそこから大量の魔獣たちが召喚されているのを見るに、不死者も相当な数いるのだろう。
俺が特別なんて思ったことはない。
けれど、やはり何かできてしまうのではないかと驕ってしまう。
これはきっと、魔王と聖女に近づきすぎてしまったせいだろう。
特別な2人とかかわりを持てた。それだけで俺は錯覚してしまった。
調子に乗るなジンギ=セブンスター。俺はただの学生で、特別なことなどまだ何もしていない。
俺は小さく深呼吸をして肩から力を抜くと、ふっと因果なものだと苦笑いを溢す。
「ん? どうかしたかい?」
「おおいや、昔もこうやって買い出しに出た時にこういう重大な事件が起きたなと思ってな。っとそうだ、なああんた、俺と同じ学生の女で、小柄でキツめな顔をした……あああと、頭に羽根飾りを付けている奴を見なかったか?」
「え~っと、ごめんね、俺が発見したのはここの人たちだけなんだ。ああでも、街で逃げ遅れている人がいないかを確認しているのはギルドマスターだから、きっと君の言っている子も保護されていると思うよ」
俺は安堵の息を吐いた。
ギルドマスターといえば俺たちが戦わされる予定の人で、金色炎の勇者と並ぶ猛者だとリョカから聞いた。
それならば、ランファは一応安全だろう――か? 正直、俺にその判断は出来ない。だが今、俺は動けないし、何より確かめるだけの力もない。
「……」
「でも君たち学生は凄いよね」
突然冒険者がそんなことを言ってきた。
「すごい?」
「俺もさ、リョカちゃんたちが来るまで、学園なんかに通っている世界も知らない子どもたちが、一体ギルドに何をしに来るんだと思っていたんだけれどさ。勇者のセルネくんやオタクくんたち、ソフィアちゃんとカナデちゃん、あの子たちは、もしかしたら俺たち以上の信念を持って依頼に励んでいたんだよ。正直、冒険者は学園を舐めすぎていたと痛感したよ」
「それは――」
それは、魔王と聖女の存在がデカすぎるせいだろう。
きっとあの2人が先頭に立っていなければ、この冒険者の評価もずっと変わらなかったはずだろう。
「君もすごいよ」
「俺が?」
「え、だって、君がこうして隊列の一番後ろにいるのって、後ろからの敵を警戒してでしょ?」
「は――?」
彼に言われて、俺は初めて隊列の最後方にいることに気が付いた。
「子どもたちの顔を見た後、どんどん後ろに下がっていったよね。君は、優しくてすごい子なんだね」
「――」
初めて他人から褒められた気がする。
ああなんだ、そっち側に立つのは案外簡単なんだな。
魔王にも言われていたな、俺は小心者だと。聖女にも言われていたな、俺は臆病者だと。
そうだった俺が一体どれだけの後悔を抱いたのか。
ずっとずっと逃げていた。
「あれ、何か失礼なことでも言っちゃった?」
「……いや、まさか褒められるとは思ってなくてな」
辺りを見渡す。
非戦闘員の人たちは相変わらず不安そうな顔をしているけれど、先頭で歩いている冒険者2人、中衛で全体を見渡している1人、そして後方にいる俺と話している1人。
彼らが不安がる人々を安心させるような声かけをしていた。
俺も、近くにいた男の子の頭に手を伸ばす。
「大丈夫だ。今この街を守っているのは、最も可愛らしい魔王様と、最も気高い聖女様だ。両方ともおっかねぇけどな」
頭を撫でてやると、男の子は嬉しそうに頭を手に押し付けてきた。
もう心配することはないだろう。冒険者に聞くと今向かっているのは冒険者たちが拠点にしているギルドで、アルマリアさん含めた数々の上位冒険者もいるらしく、そこで人々を護衛しているとのことだった。
そこまで行けばきっとランファにも会えるだろう。
そうして体から力を抜くのだが。
「――?」
俺は振り返る。
何か、違和感がある。
空気が変わった。ような気がする。
この感じ、最近どこかで覚えた気がする。
そう、リョカとの戦闘訓練。そこで確か彼女は言っていた。
違和感というのは入り口だ。君は小心者だから、きっと危険に敏感になる。そこで君は選択をしなければならない。それは――。
俺は足を止めた。
「ん? どうかしたのかい?」
「……」
俺は足を踏み出すのを躊躇する。
囲まれている。
だが、だが――。
背後から迫ってくるこれは、正面の比じゃないほどの危険を覚える。
俺は顔を動かし、冒険者にそれを伝えようとする。
そうだ、ここには冒険者がいる。きっと彼らなら迫りくる危険にも対処できる。
そう、俺は何もしなくても――。
『一歩を踏み出すか、そこで足を止めるかだ』
ずっとずっと逃げていた。
俺が逃げていたのは……。
俺はあの日、守れなかったから。ただただ泣き喚くお嬢様に、なにも声を掛けてあげられなかったから。
あんな後悔をするくらいなら初めから、俺は力なんて持ちたくもなかった。
また、後悔するのか?
もし、もし、ここで俺が何もしなかったら?
いや、何も変わらない。俺程度が何かしたところで、結末など変わらない。そうだ、そのはずだ。
「ねえ、君?」
「……でも――ない」
「え?」
そうだ、これも錯覚だ。俺は特別な人間なんかじゃない。異常な状況だから勘違いしているだけなんだ。
何かする必要などない。
もう、もう……誰かの泣き顔に関わることなんて。
「――ッ!」
隣にいた男の子が俺を見上げてくる。
俺は男の子の手を引き、冒険者と手を繋がせる。
「――れ」
「え、なに」
「走れぇ!」
俺の怒声に冒険者たちがハッとなり後方に目をやる。
何かが迫ってきている。ここまで来てはっきりと意識に訴えかけてくる。
冒険者たちがその背後からの危険に対応しようと武器を構えだした。けれど俺はそれをさせないように声を上げる。
「お前たちがここで戦ってどうする!」
「な、なに言って――」
「前にもいるんだよ! 今お前たちがここで戦ったら、一体誰がガキたちを守るんだ!」
冒険者たちが顔を見合わせている。
「で、でも君を」
「俺は弱い! だから、まだ俺には、ここにいる奴らを守れない」
「……」
「頼む」
こんな時でも恰好がつかない。こんなに声を震わせていては、こいつらも動けない。
一瞬で良い、この先俺は天にこの願いを口にしないから、どうか今だけは、どうか今だけは――俺から恐怖を取っ払ってくれ。
「早く行け馬鹿野郎! 俺は守れねぇから! ここで足止めするしか出来ねえんだ! 早く!」
「――ッ! 全員戦闘準備を整えつつ、一気に駆け抜ける! 絶対に1人も殺させるな!」
冒険者と街の人たちの気配が背中越しに遠ざかっていくのがわかる。俺は安堵の息を吐く。
「すぐに!」
「あ?」
「すぐに助けを呼んでくる!」
「……ああ」
冒険者たちの気配が完全に遠ざかった。
そこでやっと、俺の頭も正常に戻ったのか、歯をガチガチと鳴らし始めた。
足どころか体を震わせ、情けなく瞳には涙が溢れる。
けれど。
俺はリョカから貰っていた薬巻を口に咥えて火を点す。
「簡単じゃないか。こんな簡単なことから、なんで逃げていたんだろうな」
俺は別に、子どもに優しい人間なんかではない。
ただ、子どもだった時に得られなかったものと得てしまったものを重ねているだけだ。
もう、もう――子供を泣かせるわけにはいかない。
俺の記憶の中では、まだあいつは子どもなんだ。
だからこそ、ここで進まなければならない。
いつまでも、子供ままでいられるわけがない。
震える拳を打ち付ける。
眼前に迫る不死者の集団。
俺は大きく息を吸う。
「頑強凱武!」
体を鋼鉄に変え、俺は飛び出した。
「ここから先は行かせねえ! まだあいつらが逃げてないんだ!」
すでに空っぽの動いているだけの体に鋼鉄の拳を叩きつける。
肉が潰れる感触に一瞬だけ顔を歪めるが、そんなことに気をやっている暇はない。
俺は次々と不死者を肉塊へと変えていくが、順調に進んでいるのも束の間、すぐに飛び退く。
「お~随分活きの良いのが交じってるじゃあねぇか」
俺よりも大きな半裸の男がゆっくりとした口調で言い放つと、その男が大きく振りかぶった。
大して早くはない拳、だがそんな拳に俺は足が動かせなくなっていた。
どういうわけか大きく見える拳、その拳が俺に届いた瞬間、体が浮き上がる感覚と、激しい痛み。
「うがっ!」
背後にあった木々を押し倒し、吹っ飛ばされた。
「あ~ん? まだガキじゃないか」
頑強凱武で鋼鉄化したにもかかわらず、体の中から血液がせり上がってくる。
俺は口にまで溢れてきた血を吐き出し、ガタガタと震える体を抱えるように立ち上がる。
本物の殺意、今まで味わったこともないような突き刺さる様なそれに、俺は呼吸を荒げる。
「つまらんなぁ。そこで寝ていろ、わしはお前みたいな雑魚に用はない」
男がのしのしとゼプテンへと足を進めていく。
諦めろ。見逃してもらえたんだ、これ以上何かしてどうする。
そんな声が俺の頭を塗りつぶしていく。
けれども、それとは裏腹に足は男へと向かっていく。
「待てやぁ!」
「あ~ん?」
「まだ、まだ立ってんだろうがよ!」
「……クソガキが、せっかく拾った命、ここで散らす気か」
俺は我武者羅に飛び出し、男に拳を放ち続ける。
「鬱陶しいガキだ。そんなに死にたいのなら殺してやろう――『狂気と踊れ』」
男の目から光が消え、大きな腕からは青い血管がいくつも浮かんだ。
ギフト・バーサーカー。強力な身体能力向上の代償に、理性を失くすというギフト。
そんなギフトを持っている男がスキルを使用して、その拳を俺に放った。
一撃、二撃、三撃――次々と放たれる拳に、俺は意識を手放しそうになっていた。
体が痛い。体中から血が流れている。
もう、何も考えられない。
「行くか」
男が呟いた。
すると男の傍からもう1人出てきた。
「ちょっとバイツロンド、何をちんたらやってんのよ」
「ん~、パルミールか」
「相変わらずすっとろい爺さんね。で、そこの坊やは何?」
「ただの雑魚だ」
「そっ、ならさっさと行くよ」
「で、どうするんだ? アルマリア相手にこの戦力じゃあ心もとない」
「はっ、あの小娘、基本的に甘ちゃんだから人質でもとれば勝手に自滅するでしょ」
「なるほど、だから今追っているのか」
何事かを喋っている。
だがもう無理だ。体なんて動かせるわけがないし、すでにスキルも解けている。
「……頑強、凱武」
2人揃って進もうとする。
スキルなんて発動してどうする。もう通用なんてしない。
もう諦めろ。まだ生きていられる。それで十分じゃないか、何を意地になっている。
俺は立ちあがることが出来た。
無駄だ。もう終わったんだ。それにこれだけ時間を稼げたのなら、もう逃げのびたに決まっている。
「――るせぇ」
「ん~?」
「うるせぇっつったんだよ!」
「このガキ、まだ」
俺はバイツロンドと呼ばれていた男に飛びつき、そのまま腰に引っ付く。
「ならばこれで――『傷つき壊すことが誉也』」
明らかに喰らってはいけない拳が俺へと迫る。
意識など最早ない。だが、まだ終わっていない。
いや、ここで終わっても良いのだろう。
もう十分やった。俺は戦うことが出来た。だから、後悔などない。
「ああ、せっかく特訓したのにな」
俺の頭には、魔王と聖女、強がっているお嬢様の顔が浮かんだ。
聖女はあの日の帰り道で言った。
弱いのなら弱いなりに、意思と覚悟だけは強く持ちなさい。それはきっと、あんたを生かしてくれるわ。
魔王はあの日の特訓中に言った。
ジンギくん、ナイトマイトメタルは金属に変化するギフトだ。この世界で最も硬い金属はんだと思う? 知らないなんてことはない。あれも一応金属に分類される。君はその金属を知っているはずだよ。僕も使っているし、セルネくんも使っている。
お嬢様は泣くことを止めたあの日に言った。
ジンギ、わたくしたちは強くならなければなりません。でも、あなたは降りても良いのですよ? だってあなた、臆病者じゃない。わたくしに付き添う必要はありませんわ。
どいつもこいつも、勝手なことばかりだ。
俺はバイツロンドの拳に向かって手を伸ばす。
「『厳爆鎧王』」
俺の拳と、バイツロンドの拳がぶつかり合った。
「む――」
バイツロンドの拳から血が噴き出す。
しかしそれに怒ったのか、奴が表情を強張らせ、さらに追撃の拳を振りかぶった。
ああ、もう限界だ。
バイツロンドから手を離し、倒れてしまいそうになる。
浮遊感のある感覚、体が倒れ、俺はあの拳に潰される。
そんな予感があっても、どうにも心は穏やかだった。
「ちったぁ、格好良くなれたかね」
目を閉じて、地面へと倒れる刹那、俺の背中を何かが支えた。
「ビーストレイブ・ガンズレイクラブ!」
「聖剣顕現――ヴァナルガンド!」
聞き慣れた声。
ああ、俺は心底安心する。
この絶望を払うのは、やはり――。
「あっしらの友に何手ぇ出してんだボケェ!」
「俺の友だちを傷つけたのはお前か!」
鈍重そうな盾になっている腕を、血を撒き散らしながら振り回したタクトがバイツロンドの腕を弾き返し、その隙をセルネが聖剣で切り刻む。
「やっと来たのかよ勇者様たち」
俺は、そう言葉にして、小さく安堵の笑みを溢したのだった。




