朝日とギモーヴと
赤ワインと白ワインの間に存在する、第3のワイン。
その珍しさもさることながら、薔薇色という名前が良い。レオニーの乙女心をうまい具合にくすぐる。そして喉越しが柔らかくてとても飲みやすい。楽しみにしていたスイーツとの相性も最高だった。
すっかり嬉しくなったレオニーは、にこにこと普段は誰にも見せない子どものような笑顔で、初対面の青年2人と相対した。
「レオニー真っ赤になって可愛いなあ」
「飲み慣れないって言ってた割には、まだ飲むのか」
「だって美味しいんだもの。良いでしょう」
「最高の褒め言葉だね。やったねマティアス」
「おお、どんどん飲め」
リュカが次々と運んできてくれるグラスを、レオニーがスイーツと共に着実に飲み干していく。
ワインに向く葡萄の話、気候の話、隣国で流行っている飲み方などを、マティアスの低く落ち着いた声が得意げに語る。それをリュカの優しい声が、レオニーにもわかるように噛み砕いた表現に直してくれる。レオニーにとっては初めて耳にすることばかりで、感嘆の声を上げながら深く相槌を打つばかりだった。
3人で何度もグラスを高く掲げ意味もなく乾杯し、大いに盛り上がった。こんなにたくさん笑ったのはいつぶりだろう。
それからのことはよく覚えていない。気づいたらレオニーは自室のベッドの中で、険しい表情をしたクロエに顔を覗き込まれていた。
「あれ……私……」
「おはようございます、レオニー様。体調はいかがですか」
のろのろと体を起こす。窓から差し込む朝日が眩しい。
「特に悪いところはなさそうですね。よろしゅうございました」
「クロエ、私って昨日……」
「朝食のご用意ができておりますので、支度しながらお話し致しましょうか、レオニー様」
クロエは普段はレオニーのことをお嬢様と呼ぶが、何か物申したいことがある時はあえてレオニー様と丁寧に名前で呼ぶ。それに気づいたレオニーは口を噤んでベッドから這い出た。
「本日はお出かけのご予定はございませんので、こちらのドレスでよろしいですか」
「任せるわ」
「ではこちらで。昨夜のレオニー様は些か羽目を外されたようですございましたね」
いわく、ホワイト侯爵家のものではない馬車で男性2人に送り届けられたレオニーは、真っ赤な顔で一歩近づけばすぐ酔っているとわかるほど酒臭く、そのくせすやすやと熟睡していたらしい。
「昨夜はつい、ちょっと飲みすぎちゃって」
「そのようですね。男性方が奥様にもう良いと言われるまで何度も謝罪なさっておられました」
「あの2人は決して怪しい人じゃないのよ。場慣れしていない私に親切にしてくれた人達なの。その上わざわざ家まで送り届けてくれたのね。こちらからお礼をしなきゃいけないくらいよ」
「身元は確かなようですね」
「……もう調べ上げたの?」
「当然です」
そう言うとクロエは素早くレオニーの髪をときハーフアップにまとめた。
「マティアス・ロバーツ様はロバーツ伯爵家のご長男、リュカ・ハワード様はハワード伯爵家の三男であらせられます。ご年齢はレオニー様より2つ年上です。お二方とも王立図書館の事務員としてお勤めでいらっしゃいますが、それは形式上でのこと。マティアス様は経営戦略に長けた切れ者、リュカ様は誰をも惹きこむ巧みな話術を操ることで有名で、いずれはお二方とも政務官になるのでは、ともっぱらの噂だそうです。さしづめ図書館事務は下積みってところでしょう。レオニー様のご友人としては申し分ない方々です。けれど昨夜のように、男性を目の前にして酩酊されるまでお酒を嗜まれることは二度とございませんよう、くれぐれもご注意くださいませ。クロエは確かに気晴らしに舞踏会に行かれてはと申し上げましたが、あのような気の晴らし方は理解できかねます。男性に抱えられるようにして馬車から降りてきたお嬢様を目にした時には、肝を潰しました」
「はい、すみません」
クロエは普段が淡々としているだけに、怒らせると怖い。早口でわーわーと捲し立てられ、レオニーはただ謝罪の言葉を口にすることしかできない。
「ご理解いただければそれで構いません。では参りましょうか。今朝は奥様がご一緒にお食事をされたいとのことで、お待ちです」
「えぇ?!」
レオニーの母は深夜に執筆活動をすることも多く、朝食は日によって食べたり食べなかったりまちまちだった。
「お母様、怒ってた?」
「それはご自身でご確認ください」
転げ落ちるようにして階段を駆け下り食堂の扉を開けると、母はのんびりとパンを頬張っていた。
「あらやっと下りて来たわ、夜遊び寝坊娘が。ちょうど今食べ始めたところだから貴方も早く席につきなさい」
「お母様、昨夜のことは」
「彼らから聞いたから説明してくれなくて結構よ」
視線で促され、レオニーは大人しく母の向かいの席に腰かけた。
「会場中探しても見つからないから先に帰ってきちゃったんだけど、まさかあんなに素敵な青年を2人も捕まえてくるとはねえ。普段引きこもってる割には抜け目ないわね」
「そんなんじゃないわ。誤解よ!」
「まあまあ、今回のことはお父様には黙っててあげるから、安心なさい」
楽しそうにころころと笑う母に、レオニーはげんなり項垂れた。クロエのように怒っていなかったのは良かったものの、これはこれで面倒臭い。どうやら母の作家魂に火をつけてしまったようだ。
2人のうちどちらの方が好みなのか、これからどうするつもりなのか、下らないことをあれこれ興味津々で聞いてくる母を無視することに決めたレオニーは、そっぽを向きながら黙々と食事を口に運んだ。
ようやく食後の紅茶に辿り着いたところで、まるで今ちょうど思い出したかのようなわざとらしい演技で、母が明るい声を出した。
「そうそう、今朝方、貴方に贈り物が届いてたわよ」
「贈り物?」
首を傾げると、母の侍女がすっと小さな包みと手紙を差し出してきた。
「開けてご覧なさい」
なるほど、これの中身が知りたくて母はわざわざ朝食の時間を合わせてきたのか。納得したレオニーは素直にそれを受け取った。
送り主はリュカで、包みの中身はギモーブだった。手紙には、昨夜は調子に乗って飲ませすぎて申し訳なかったということと、お詫びに昨夜レオニーが美味しそうに食べていたギモーヴを贈るという内容が、それはそれは丁寧に綴られていた。
「昨日の今日でもう相手の好みを把握できてるとは、さすがハワード伯爵のご子息ね。ロバーツ伯爵のご子息は一歩遅れを取ったけれど、今ならまだ巻き返し可能よ。頑張れ」
「何勝手に競わせてるよ、失礼でしょう」
「新作のネタになるわ。私も良い娘を産んだものね」
けらけらと楽しそうに声を上げて笑いながら、母は席を立った。
「あ、そうだ。あの2人に何かお礼しなきゃとか考えてるなら不要よ。お礼状だけにしておきなさい」
「え、どうして?」
「樽ごと買い上げたから。1ダース。貴方が飲んだロゼワイン? っていうやつ。充分彼らのためにはなったはずだから、これ以上何かしたら逆に恐縮しちゃうでしょ」
「買った? 樽ごと?」
「後学のためにね。貴方にも少しは飲ませてあげるけど、ほどほどになさいね。クロエが真っ青な顔して震えてたわよ。あれはさすがに可哀想だったわ」
そう言い残すと、母は足取り軽く鼻歌を歌いながら食堂を出て行った。自分の作品のためなら時間もお金も全く惜しまない人だ。父の苦労が少し分かった気がした。
「お嬢様、お部屋に筆と紙のご用意はできております」
後ろに控えていたクロエがそっと耳打ちしてくる。ああなった母は誰も止められないとは言え、事前に何も教えてくれなかったのは昨夜の意趣返しか。
ともあれ、初対面の相手に迷惑をかけたのだから、お礼状はきちんと書かなければならない。いくら引きこもりの侯爵令嬢でもそれくらいの常識は弁えている。冷めた紅茶を飲み干すと、レオニーは静かに席を立った。