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木陰は熱かった

 あの夜からすっかり塞ぎ込んでしまったレオニーに、クロエはどうしたものかと溜め息をついた。

 ジェラルドが馬車に戻ってきた時は、すべて順調に終わったと興奮した様子だった。後はレオニーが戻って来るのを待つだけ、何も問題が起きようがない状況だった。なのに。


「あの後何があったか? さあな」


 ジェラルドに尋ねても、興味なさそうにそう返されて終わりだ。


「お嬢様のことが心配で堪らないって顔だな」

「当然です。あれだけ危険なことをした挙句あんなに落ち込んでいらっしゃるのを見れば……」


 クロエの心配を他所に、ジェラルドは不敵に口の端を持ち上げた。


「まあそのうち何とかなるだろうよ。大体予想はつく」

「どういうことです?」


 クロエの問いには答えないまま、ジェラルドは窓の外を指し示した。綺麗に整備された植え込みの奥の木陰に人影が見えた。隠れているつもりのようだが、2人がいる部屋からは丸見えだった。


「俺も以前、あんたからこういう風に見えてたんだな」

「あれは……」


 その人影にクロエは見覚えがあった。

 クロエを尊敬していると言って散々まとわりつかれた、苦い記憶が甦る。

 





 窓の外は陽光が燦々と降り注ぎ、木漏れ日すら眩しくて目を覆いたくなるほどだった。

 窓枠に小瓶を置くと、光に透けて中の液体がゆらゆら煌めく。


(これが最後の1本……)


 レオニーは指先でそっと小瓶の蓋を撫でた。

 ジェラルドはまた作ってくれると言っていたけれど、もうお願いするつもりはない。


 あの夜、目がパンパンに腫れて視界が霞むまで散々泣き明かした後に、レオニーは決心した。

 

 まずブランシュに宛てて、マティアスとの婚約を心から祝福すると手紙を書いた。

 そして、手元にあるマティアスから借りた本を、アベルとして返しに行くことにした。


(それですべて終わりにしよう)


 どんなに姿を変えてそばにいても、マティアスは別の人を見ている。レオニーには振り向かない。そんな状態でそばに居続けるのは、辛いだけだと気付いてしまった。

 だからこの本を返しに行ったら、もう2度とアベルには変身しない。マティアスへの気持ちにも、きちんと区切りをつける。

 良き友人としてそばにいられるように、この想いは封印する……。


 そう決めたはずだったが、あれから数日経ってもレオニーはまだ本を返しに行けていなかった。


 まだ気持ちの整理がつかないから今日は無理。

 明日にしよう。

 また明日……。


 そんな風にして幾日も過ぎ、借りた本の返却期限の日まできてしまった。


(もう先延ばしにはできない)


 いつまで未練がましく想い続けているつもりなのか。誰のためにもならないこの気持ちを。


 自らを叱咤して、レオニーはようやく立ち上がった。


「クロエ、出かけるわ。服を用意してほしいの。……私じゃなくて、アベルの」






 馬車を降り、図書館への小道をゆっくりと進む。


(図書館にも、もう来ることはないかもしれないわね)


 王立図書館にはレオニーが普段好んで読むような小説は所蔵されていない。マティアスに借りた本は面白かったけれど、自力であの膨大な書物の中から自分が興味のありそうな本を見つけ出すことは、できそうにもない。


 小さな感慨に耽りながら歩いていくと、図書館が見えてきた。

 そのまま玄関の扉を潜ろうとしたところで、何やら男性の言い争う声が聞こえた。


(この声は……)


 耳をそば立て、レオニーはくるりと踵を返すと図書館の裏側に回った。

 大きな木の木陰にいたのは、思った通りマティアスとリュカだった。お互いに今にも掴みかかりそうなほど殺気立っている。

 2人に見つからないようにレオニーは少し離れた木の影に身を隠した。


「俺に宣戦布告とか言ってきた割には、姑息な手を使うんだな。男ならもっと正々堂々と来いよ」

「マティアスのどこが正々堂々としてるって? 大したこともできずにうじうじ悩んでるだけのくせに、僕を責めるのはおかしいんじゃない?」

「お前……!」


 リュカの胸倉をマティアスが乱暴に掴んだ。


(いけない。止めなきゃ)


 そう思ったものの、普段は見せない2人の荒々しさにレオニーは足が竦んでしまって動けなかった。


 掴まれたリュカは怯えるでもなく冷たい目でマティアスを睨みつけている。負けじとマティアスも鋭い視線を投げつける。

 やがてマティアスが手を放し、リュカに背を向けた。


「たしかにリュカの言う通りだ。俺は意気地なしかもしれない。でもだからってお前のやったことは正当化されないからな。何だよ、俺とブランシュが婚約って。そんな下らない嘘ついて、優位に立ったつもりか」

「レオニーは素直だからね。あっさり信じてくれたよ。レオニーにとってマティアスはもう友人の婚約者ってことになってる」

「それで俺からレオニーを引き離したと思って喜んでるわけか。馬鹿だな。そんな卑怯な奴をあのレオニーが好きになるわけないだろう」


 今度はリュカがマティアスに掴みかかった。突き上げられた拳を、マティアスが腕で弾いた。そのまましばらく睨み合った後、リュカの両手がだらりと垂れ下がった。


「そんなこと……マティアスに言われなくたってわかってるよ。自分がどれだけちっぽけか、レオニーに相応しくないかくらい……」


 そう言って項垂れるリュカの肩を、マティアスがばしばしと叩いた。


「お前の気持ちはよくわかる。俺も同じだ。どうしたらレオニーに相応わしい男になれるのか、どれだけ悩んでも明確な答えなんか出ない。考えれば考えるほど落ち込むだけだ。なんせ相手はあの『氷霜の姫君』だからな」

「マティアス……」

「だが、今回のはやっぱり度を超えてるぞ。リュカらしくない。反省しろ」

「わかったよ……」

「手紙だから何とも言えないが、ブランシュも多分ブチ切れてる。謝りに行った方が良いんじゃないか」

「ああ……そうだよね……」

「大体、あんな馬鹿みたいな嘘で俺を何とかできたとしても、レオニーにはまだ王太子殿下やユーグ・ホワイトがいる。隣国から縁談の話もあるらしい。俺達だけでぐちゃぐちゃ揉めてる場合じゃないんだ」

「え、何それレオニーって他国にまで名が知られてるの?」

「この前の夜会で侯爵夫人がそう言ってた」

「うわーどうしようますます高嶺の花じゃん。本当、罪作りなお嬢様だね」

「まったくだ。ほら休憩終わり。行くぞ」


 さっきの険悪なムードから一転、いつものように小突き合いをしながら2人は図書館の裏口へ戻っていった。


(何、今の……)


 後に残されたレオニーは、呆然としたまま近くの木にもたれかかった。


(マティアスとブランシュの婚約は嘘?)


 リュカが自分を騙していた?

 それをマティアスが怒っていて……。


 目の前で起こったことを頭の中で反芻する。


(いやいやいや、待って待って。それじゃまるで……)


 木陰だと言うのに、身体中が熱くて倒れそうだった。





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