夏の夜空に散る
高らかに乾杯し陽気に飲み進めたのも束の間、だんだんと雲行きが怪しくなってきた。
「俺なんてどうせ……」
始めはいつも通り楽しく会話していたはずなのに、マティアスの様子がおかしい。だんだんと自分を卑下するような言葉が増えてきた。
「マティアス大丈夫?」
悪酔いしたのかもしれないと水を進めても、そちらには見向きもせずにワインをがばがば飲んでいる。
(マティアスどうしちゃったの?)
いつ何があっても対応できるように、レオニーは今夜は一滴も飲んでいない。アイスミルクティーを片手にマティアスと話をしていただけで、何故こうなってしまったのかとオロオロするばかりだ。
「いちおうこれでも、俺なりにものすごく頑張ってるんだけどなあ。何で届かないかなあ」
「うん、マティアスは頑張ってるよね。すごいと思うよ」
何の脈絡もないマティアスの話に付き合って、レオニーも適当に相の手を入れてみる。しかしマティアスの耳に入っているのかどうか、微妙なところだ。
「リュカのあの不意打ちは卑怯だろ、完全に油断してた。あいつ一体いつから……」
「リュカ? ああ、喧嘩してるんだっけ?」
「あっちからいきなり吹っかけてきたんだ」
そう言ってテーブルに突っ伏したかと思えば、突然起き上がってまたグラスを煽っている。
「俺はどうしたら良いんだ……」
(それはこっちの台詞よ)
周りを見渡せば、ちらほらと人が減り始めている。みんな花火が見えやすいように外のテラスへ移動しているようだ。
「マティアス、そろそろ花火が始まるみたいだよ」
レオニーも花火を見ようと、嫌がるマティアスを説得してバルコニーの1番奥の席に移動した。
「花火がそんなに見たかったのか?」
「うん。こんな近くで見るの初めてなんだ」
しかも、こんな少年姿ではあるものの、他でもないマティアスと2人で見られるのだ。
レオニーは嬉しくて頰が緩むのを抑えられなかった。
程なくして、花火の打ち上げが始まった。夏の夜空に、彩り豊かな花が次々と咲き誇る。
「わあ……綺麗……」
「アベルは無邪気で良いな」
呆れたように呟きながら、マティアスも食い入るように夜空をじっと見上げている。
静かな夜に、軽快な花火の音だけが響き渡る。
「なあアベル」
ふと聞こえてきたマティアスの真剣な声色に、レオニーはマティアスの方を振り返った。そこには、怖いくらいに真剣な顔のマティアスがいた。
「何? どうしたの?」
「お前は俺みたいにはなるなよ」
「え?」
きょとんと首を傾げるレオニーに、マティアスは少しだけ悲しげに微笑んだ。
「後から焦って色々やっても間に合わない。今からちゃんと勉強して、運動もして、心身ともに鍛えておいた方が良い。努力して手に入れられるものは全部掴んでおけ。もっと大人になった時に、大切な人を自分の手で守れるように」
(それって……)
一瞬にして、それまで浮かれていた気分が地の底にまで落とされたような気がした。
(ああ、さっきリュカがどうとかって言ってたから……喧嘩ってそういうことね)
頭の中で散らばっていたピースがぴたりと当てはまり、レオニーは納得がいった。
(マティアス、そこまでブランシュのことを)
リュカにとってブランシュは大切な従妹だ。何か行き違いがあって、ブランシュのことでリュカとマティアスが揉めたのは間違いないだろう。しかもまだ仲直りできず険悪なままで、そのことでマティアスは落ち込んでいる。
(こうして一緒にいても、マティアスが考えているのはずっとブランシュのことなのね)
少年姿の自分がそばにいてもいなくても、マティアスには関係ない。
マティアスの心に映るのは、たった1人だけ。
改めて突きつけられた現実に打ちひしがれる。
(もう私ったら馬鹿みたい。何でこんなことしてるんだろう。ここから逃げ出したい)
けれど、気落ちしたままのマティアスをこのまま置いて帰るわけにもいかない。
マティアスは故意に人を傷つけたりしない。こんな風に酒に溺れて落ち込んでしまうほど大切な人のことを、傷つけられるはずがない。リュカだって友人なんだから、本当はわかっているはずだ。
レオニーは立ち上がると、マティアスの真正面に直り、その大好きな瞳をじっと見つめた。
「マティアスは立派な人だよ。ものすごく頭が良いし、話だって面白いし、口では色々言うけど本当はすごく親切だし。いい加減そうに見せてるけど実は真面目で優しい人だって周りの人はみんな知ってるよ。俺なんか、なんて言わないで。そんな言葉はマティアスには似合わない。マティアスの言葉や行動で救われてる人はきっといっぱいいるよ。それって、今までマティアスが頑張ってきた努力の証でしょう? 間に合わないも何も、マティアスはもう沢山のものを掴んでるよ。だから大丈夫だよ、きっと。今からでもちゃんと守れるよ、マティアスなら」
思いつく限りの励ましの言葉を、レオニーは必死に伝えようとした。マティアスに元気になってほしくて、いつものように笑ってほしくて。
出てきた言葉は他でもない、レオニー自身の気持ちそのものだった。
急にべらべらと喋り出した目の前の少年の言葉に、マティアスはぽかんと口を開けたまま聞き入っていた。
やがて、ふっとその顔が笑顔に変わる。
「なんか……お前の瞳に見られてると全部レオニーに言われてるみたいだな」
「は?」
(え、私?)
急に出てきた自分の名前に、レオニーはびっくりして飛び上がった。
「本当に遠縁か? 実は姉弟なんじゃないか、お前とレオニー。……ああもう、いいや。うだうだ考えてても仕方ないもんな。明日からまた前進あるのみ。アベル、慰めてくれてありがとな」
何かが吹っ切れたかのように、マティアスは立ち上がって大きく伸びをした。花火は終わり、元の静かな夜空に無数の星が瞬いていた。
マティアスと別れた後、レオニーは脇目も振らず待っていた馬車に飛び込み、そのままクロエに抱きついた。
「お嬢様?」
「おい、どうした」
心配そうに声をかけてくれるクロエとジェラルドに、何も答えられない。ただ、それまで我慢していた涙が止めどなく溢れ出た。
マティアスが元気になってくれた。
ちゃんと励ますことができた。
けれどそれは、マティアスとブランシュの仲を後押しする行為でもある。
(もう無理……)
レオニーは気付いてしまった。
少年の姿になってマティアスと会っても、レオニーの気持ちがマティアスに向いていて、マティアスの気持ちが他にあるのなら、辛いだけだ。
今夜のように。
「……ひとまず帰りましょう」
「その方が良さそうだな」
馬車が王宮を出てすぐに、軽い目眩と共にレオニーの変身は解けた。
けれどレオニーの涙は止まることなく、静かに零れ落ちていった。




