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何も知らない

 その日もジェラルドは、庭仕事の手伝いをするふりをして、母屋から程よく離れた小さな温室に一人籠もっていた。


 あらゆる魔法を操り国々を渡り歩くジェラルドは、唯一変身魔法だけが苦手だった。闇雲に頑張ればそれなりに出来てしまう攻撃魔法とは違い、相当の集中力と緻密な計算を要する。少しでも気が散ると全く違うものに変身してしまい、場合によっては取り返しのつかない大失敗を引き起こす。 


 しかしながら、ウェイア国に滞在中、ネズミのような小動物に変身して敵地に潜入を試みるというような案件が最近増えている、という噂を小耳に挟んだ。


「まあ、お前には無理だろうがな」


 悪友の嘲るような笑いを思い出す度に、ジェラルドは奮起した。


 最初は老婆や少年といった人間から。これは数日でコツを掴んだ。柱や木といった静物も、難なく会得できた。犬や馬などの大型動物、これは少々苦労したものの、つい昨日完成させた。

 残すは小動物のみ。これさえクリアできれば、変身魔法はほぼマスターしたと言って良いだろう。


 周りに誰もいないことを何度も確認すると、ジェラルドは温室の中央に立ち呪文を唱えた。両手を正面で組み、両人差し指に意識を集中して体の全エネルギーをそこに集める。

 宙に浮くような浮遊感が体を包み込み、ふっと全身の力を抜くと視界が真っ暗闇に変わった。

次の瞬間、ジェラルドの目線は地を這うほど低い位置にあった。


(これは成功だろう)


 温室のビニールにぼんやりと映るちっぽけな自分の姿を確認し、ジェラルドはふふんと鼻を鳴らした。


(なんだ、案外簡単だったな)


 これでもう変身魔法は完璧だ、と魔法を解こうとした次の瞬間、ジェラルドは自分の考えの甘さを嫌というほど思い知らされることになった。

 変身魔法の真の難しさは、変身することではなく、変身後の振る舞いにあるのだということを。


 不気味な唸り声がして振り返ると、少し離れた植え込みの奥で、獰猛そうな巨大な獣が鋭い眼光をジェラルドに向け、狙いを研ぎ澄ましているのが見て取れた。


 なんてことはない、温室に住み着いている子猫だった。けれどネズミ姿のジェラルドには、とんでもなく恐ろしい化け物に見えた。すっかり気が動転したジェラルドは、ビニールの隙間から温室を抜け出すと、一目散に屋敷の方へ走り出した。


(誰か助けてくれ……!!)


 そのまま、ちょうど開け放してあった厨房の裏口に駆け込んだ。


「わ、ネズミが出た!」

「ええ、ネズミ?」

「早く捕まえろ」


 ジェラルドにとってはむしろ屋敷内の方が地獄だった。

 ちょうど夕食の仕込みをしていたシェフ達は、ジェラルドを見つけるなりモップやハエ叩きなど思い思いの武器を手に持ち、ジェラルドを追いかけ回した。 


 死に物狂いで逃げ惑い、やっとのことで厨房を抜け出し廊下に出ると、今度は侍女や執事達に追いかけられる。


「何の騒ぎだ」

「ネズミが入り込んだらしい」

「早く誰か捕まえて」


 1匹のネズミを巡って屋敷中は大混乱となり、ジェラルドもパニック状態であちこち体をぶつけながら必死に逃げた。

 物陰に隠れて魔法を解けばそれで済む話なのに、すっかり興奮しきっているジェラルドはそんなこと思いつきもしない。

 

(もうこれ以上は無理だ)


 短い人生だった、と力尽きかけたところで、奥の扉が1つ微妙に開いているのを見つけ、その隙間に体を滑り込ませた。 


 ほっと一息つくと同時に、尻尾を掴まれ持ち上げられた。視線がぐんぐん上がっていく。


(終わった……)

 

 そう思い目を閉じかけたその先に、アイスブルーの大きな瞳があった。うるうると揺らめきながらジェラルドをじっと見つめている。


「ねえクロエ、見て。ピンクのネズミよ、可愛いわね。どこから来たのかしら」


(ピンクだと?)


 驚いて近くにあったドレッサーを見ると、白くほっそりとした指に尻尾を摘まれれ、艶々としたピンク色の毛を纏った自分の姿が確認できた。


 初めて馬に変身した時と同じ失敗だ。少し手順を間違っただけで平時の特徴である赤髪が色濃く反映されてしまう。


「お嬢様っ!」


 扉の外から息を切らせた老年の執事の声がした。思わずぴくりと身を竦ませるジェラルドを、尻尾を摘んだ人物ーーレオニー・ホワイトは両手でしっかりと抱きかかえた。


 



「今着替えてるの、少し待ってくれる?」


 扉の鍵をかけ、震えるピンクのネズミを優しく撫でながら、レオニーは外の執事に向かって声を張り上げた。


「失礼致しました」

「何かあったの? 賑やかね」


 階下でどたどたと大勢が走り回る振動が、この部屋にまで伝わってくる。


「申し訳ございません。屋敷内にネズミが侵入したようでして」

「まあそうだったの。それは大変。こわいわ、早く捕まえてね」

「かしこまりました」


 レオニーの演技がかった声に執事はあっさりと騙され、こちらには来ていないようだ、と他の者達と話しながら去って行った。

 レオニーは、ふぅっと息を吐いた。手元の小さな生き物はふわふわと柔らかく温かい。


「お嬢様、それをどうなさるおつもりですか」


 それまで黙っていたクロエが、ぶつぶつ文句を言いながら眉間に皺を寄せた。


「ネズミなどお嬢様が触れて良い動物ではございません。お離し下さいませ。すぐに手を清めなければ」

「大丈夫よ。こんなに毛並みが良いんだから、この子は普通のネズミじゃないと思わない? 誰かに飼われているのかも。それにしてもこんなに怯えて、可哀想に」

「きちんと調べてからでないと、何があるかわかりません」

「誰かの罠だとでも言うの? 私なんかに仕掛けてどうするのよ」

「お嬢様はご自分の価値を全く理解していらっしゃらないのです」

「その溜息何よ」


 クロエと言い合っているうちに、レオニーの手からネズミがぱっと飛び降りた。その途端に視界が一瞬ぱっと真っ白になり、次の瞬間には赤髪で黒づくめの服を着た男が目の前に立っていた。


「貴方は……たしか、ジェラルド?」

「いかにも」


 ウェイア国から父が連れて来た剣士。なかなか腕が良いらしい。時々、庭師を手伝って黙々と庭仕事をしている姿を見かける。


 ネズミの姿が見当たらないのに気づいて、レオニーはすぐに勘づいた。


「貴方、もしかして魔法使いなの?」


 シェイキア国ではめったに見かけないが、魔法使いと呼ばれる人達がいることは、本で読んで知っていた。ジェラルドが黙り込んでしまったので、レオニーは目の前の赤髪の男を上から下までしげしげと眺めた。


(見た目は普通の人間とあんまり変わらないのね)


 更に観察しようとしたレオニーの前に、ジェラルドがすっと歩み寄った。


「助けていただいて礼を言う。しかし今日のことは内密にしてほしい」


 無機質な尖った声でそう言うと、レオニーの前に深く跪いた。

 お嬢様になんて口の利き方を、と文句を言おうとしたクロエも、その姿を見て押し黙る。


 レオニーは、うーんと考え込んだ。

 父が素性を調べずに見知らぬ男を雇うはずがない。ということは、父は彼が魔法使いだということを了解の上で連れて来た。けれどおそらく家族には知られたくなかった。

 そして男は何があったのか、ネズミの姿に変身していて、たまたま自分の目の前に現れ……。


(あ、わかったわ)


 レオニーが考えついた答えは1つだった。


(お父様に付いて国の重要な任務にあたっているのね、この人)


 それならばレオニーは邪魔をしてはいけない。下手に詮索することも、父の命取りになるかもしれない。


「ジェラルド、私はここでいつも通り、お茶を飲みながらのんびり本を読んでいたの。貴方には会っていない。もちろん何も知らない。貴方はお父様に雇われた剣士。これで良いかしら」


 レオニーはそう言ってにっこりと笑って見せた。やや緊張した面持ちだったジェラルドは、それを聞くなりぱっと立ち上がってレオニーの両手を手に取り、強く握りしめた。


「この恩は忘れない。何か困ったことがあったらいつでも俺を頼ってくれ。俺にできることなら何でもする」


 後ろでクロエが青ざめているが、レオニーはジェラルドの真剣な目から視線が逸らせない。


「ありがとう。でも今は特に何も困ってないから」

「本当に何でも良いんだ。自由に俺を使ってくれ」

「急にそう言われても」

「いつでも良い。困った時には呼んでくれ。必ずお前を助ける」

「わかった、覚えておくわ」

  

 ようやく納得して、クロエに引きずられるようにしてジェラルドはレオニーの部屋を後にした。






 このピンクネズミ騒動が起きたのが、王宮の舞踏会が開催される3日前のことであった。

 ジェラルドに何度も念押しされたにも関わらず、レオニーは舞踏会の後しばらくの間、この騒動のことをすっかり忘れてしまっていた。


 

 

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