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初夏にそよぐ招待状

 驚きの余り、その場から動けなくなってしまったレオニーに、ようやくジゼルから逃げ切ったクロエが足早に近づいてきた。


「お嬢様、いかがなされましたか」

「何でもないの、行きましょう」


 はっとしてそのままちょうど準備ができた馬車に乗り込み、リュカの方を一度も振り返ることなく逃げるように帰ってきてしまった。


 マティアスとブランシュが婚約。


 想像したこともなかった。

 みんないいお年頃なのだから、そろそろ婚約の話が出てくるのはわかる。けれどまさかこんな近しいところで縁談の話が持ち上がるとは、思いもしなかった。


 レオニーは最近目にした2人の姿を必死に思い出そうとする。


(最後に2人が一緒にいるのを見たのは、多分ワインの試飲会の話が出た時……)


 あの時も、変な様子はどこにもなかったはず。いつも通り軽口を叩き合って、声を出して笑って。


 思わずギュッと唇を噛み締める。


 すらりと高身長で男性らしい精悍な顔立ちのマティアスと、大輪の花のように華やかで可愛らしいブランシュ。

 そう意識して見れば、2人はとってもお似合いだ。お互いに言いたいことを言い合って、そのくせ喧嘩に発展したことはない。考えれば考えるほど、理想のカップリングに思えてくる。


(まさに物語の王子様とお姫様みたいな2人ね)


 物語と言えば、レオニーの母が執筆した小説の中でヒロインの友人はみんな、ここぞという絶妙なタイミングでヒロインをサポートし、物語をハッピーエンドへ導く。


 ヒロインだけではなくヒーローとも友人のレオニーの立場なら、全力で2人を応援しなければならないはずだ。応援も何も2人は既に心を通わせ合っていて、将来婚約する予定だということなら、レオニーは2人の友人として盛大に祝福をしてあげるべきだろう。


 それなのに、レオニーの心は曇ったままだった。

 喜ばしいことだと頭ではわかっていても、胸の奥にもやもやした何かひっかかっているようだった。


(もう4人で一緒にいられないかもしれないから?)


 悲しそうな表情のリュカが思い浮かんだ。何も言わずに帰ってきてしまって悪いことをしたと、今更ながら反省する。今度会った時にきちんと謝ろう。


 けれどあの時のリュカの気持ちと、今の自分の気持ちは一緒ではない気がした。

 





 緑が生い茂り、じっとりと本格的に汗ばむ季節になってきた。

 部屋の窓を開け放って外から舞い込んでくる風で涼んでいると、扉をノックする音が大きく響いた。


「レオニー、ちょっと良いか」


 顔を見せたのは父だった。窓辺で寛いでいたレオニーは慌てて身なりを整えて立ち上がった。


「お父様、どうなさったの?」

「実はちょっと相談があってな」


 クロエに勧められ、2人はソファに腰掛けた。すぐにレオニーお気に入りのティーセットが運ばれてくる。


「今度、王宮主催の舞踏会があるんだが、そこにレオニーをぜひとも連れてきてほしいと頼まれたんだよ」

「私を? 一体誰に?」

「それが……王太子殿下なんだ」


 そういって父が差し出したのは、王家の紋章が押印された封筒ーー王宮の舞踏会への正式な招待状だった。

 王宮の舞踏会は、爵位を持つ家の者であれば参加そのものは問題なくできる。ただし王家への謁見を許されるのは、招待状を手にした者だけの特権だった。


 王太子と言えば、いずれはこの国の全責務を負う尊い人物。レオニーも遠目にならその姿を拝見したことはあるが、直接お会いして話したことは一度もない。


「王太子殿下がどうして私なんかを」

「私も詳しいことは知らないが、ご友人にお前のことを聞いて、ご興味を持たれたらしい」


 友人と聞いて、レオニーは考え込んだ。


 可能性があるとしたら、リュカだろう。以前、ロゼワインを王太子に直接売り込んだとか言っていたはず。その時は気にも留めなかったけれど、元々面識があったからできたことだったのかもしれない。


(私のこと王太子殿下に話すなんて……しかも興味を持たれるなんて、一体どんな話したのかしら)



「レオニー、一緒に行ってくれるか」

「ええ、お父様」


 王太子殿下に直々にお誘いいただいたとなれば、断れるはずがない。本来、招待状をいただくということは大変名誉なことなのだ。それを断るとなるとホワイト侯爵家の名に傷が付く。


 以前のレオニーだったら、当日になってお腹が痛いとか何とかもっともらしい理由を作って、自室に立て籠り何とか行かずに済む方法を考えたかもしれない。

 けれど今のレオニーは、父の立場、自分の立場、この招待状の意義をきちんと理解できていた。


 レオニーの快諾に、父はほっとしたように表情を和らげた。






 そうして迎えた王宮の舞踏会当日。

 できるだけ目立たないように、変な印象が残らないように、レオニーは水色のフリルがたっぷりあしらわれた優しい色合いのドレスを選んだ。最近流行っているごくありふれたデザインのドレスだ。


 王宮に着くとさっそく父にエスコートされ、レオニーはやや緊張した面持ちで王太子の前に立った。


「お初お目にかかります。レオニー・ホワイトと申します。今夜はお招きいただきありがとうございます」


 何とか噛まずに挨拶を口にし、おそるおそる顔を上げると、同じ年頃の王太子は目をキラキラ輝かせてレオニーを見つめていた。


「貴方がレオニー・ホワイト嬢? ずっと会ってみたかったんだ。今日は来てくれてありがとう。よろしければ1曲」

「喜んでお受け致します」


 王太子はさっと立ち上がるとそのままレオニーの手を取った。人波がさっと二手に分かれ、ホールの中央までの道を作る。


 王道のシンデレラストーリーに出てくるような光景に、レオニーはますます緊張し、石のように固まった。が、すぐに気を取り直して王太子の手を握り返し、ぎこちないながらも何とかホールの中央まで行き着いた。


 音楽が流れ始め、王太子がレオニーの腰に手を回したところで、王太子がくすくすと小さく笑う声が聞こえた。


「話に聞いていた通り、レオニー嬢は可愛らしい人だね」


 王太子は一体どんな話を聞いたというのか。気になるものの、王太子に直接問う勇気はない。


「どうぞレオニーとお呼びください。あの……殿下は、リュカ・ハワードとは親しいのですか?」

「ああ、リュカとは図書館で知り合ってね。司書長に尋ねるより、リュカに訊いた方が早く読みたい本が見つかるんだ。彼はなかなか有能だよ」

「そうだったんですね」

「僕に対してまったく物怖じしないところも良いね。いつだったか、突然僕の前に現れたと思ったら、名も知られていないワイナリーについて長々と演説を始めるものだから、本当に驚いたよ。その内容につい惹かれてしまって、散財する羽目になった」

「それはもしかして、ロゼワインでは」

「そう、前の舞踏会に出したロゼワイン。そうか、レオニーも知っているんだね」

「はい」

「あれはリュカにしてやられた。買わされたものがまたあの美味いワインだったから、余計に悔しかったなあ」


 少年のように本当に悔しそうな顔を見せる王太子に、レオニーは小さく声を上げて笑わずにはいられなかった。雲の上の存在だった王太子は、レオニーが思っていたよりずっと親しみやすい人のようだ。


 そのまま王太子のリードで軽やかなステップを踏み、楽しい会話に花を咲かせ、気づけばあっという間に1曲が終わっていた。


「ありがとうレオニー、楽しかったよ。また機会があれば」

「はい、またぜひ」


 余計な争いごとを生じさせないために、王太子は余程のことがない限り同じ女性と2曲続けて踊ることはない。

 暗黙の了解で2人は別れの挨拶をし、王太子は颯爽と王座に戻っていった。


 ほどなくして、残されたレオニーもさっと踵を返す。


 一体どういうつもりでどんな話を王太子にしたのか、リュカに聞きたかった。この前何も言わずに帰ってきてしまったことも謝りたかった。


 王宮の舞踏会は他に類を見ない大規模な会でどこを見ても人でごった返している。目当ての人を探すには苦労するが、レオニーはリュカがどこにいるのか見当がついていた。


 カフェのように開かれた広いバルコニー。レオニーがマティアスとリュカと初めてロゼワインを酌み交わしたあの場所で、きっと今日もわいわい楽しく飲んだくれているに違いない。他の舞踏会でも、レオニー達は大体テーブルセットのある一角を陣取ってゆったりと時を過ごすのが常だった。


 ずんずんと大股で突き進み、バルコニーの入り口まで来るとレオニーは辺りを見渡した。ここも今日は人で溢れかえっている。マティアスが一緒にいればすぐに見つかるのに、一体どこにいるのか。


 なかなか見つけられずバルコニーの外に一歩足を踏み出したところで、ふいに後ろから声をかけられた。


「レオニー?」


 優しく耳に残る声。何度も聞いたことがある。


「レオニー、偶然だね」


 リュカではなかった。






 同じ頃、ゆっくりと赤ワインを舌で転がし味わう王太子に、レオニーの父はおそるおそる訪ねた。


「殿下、恐れながら、殿下に私の娘のことをお話ししたのはどちらの方ですか」

「ああ、それなら」


 王太子はガラスをテーブルに置くと、にやりと口の端を持ち上げた。


「彼女の元婚約者だよ」

 

 

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