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αφεσις  作者: 青空顎門
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二 使徒達――新たな日常④

 その教会は本来あるはずのない場所に立っていた。

 アノミアにのみ存在する建築物。使徒の力の顕現。アノミアに留まるための施設。

 そこにアノミアを彩る色が持つ根源的な死の穢れは感じられない。

 あるいは、小さ過ぎて感じないだけかもしれないが。

 しかし、総じて普通の教会からは考えられないような冷たく暗い色が使用されており、中に長時間いると陰鬱な気分になりそうだ。

 聖アフェシス学院襲撃の直後。そのアノミア内で、有馬公彦は同士たる佐川宗則と共に時乃宮市の拠点の主を前に跪き、報告を行っていた。


「そうですか。まあ、多少なりデュナミスを得られただけよかったとしましょう。最近では警戒も厳しくなり、その収集も難しくなっていますからね」


 言葉の内容、丁寧さとは裏腹に、その口調は公彦の氷すら凍てつかせることができそうな程に冷たい。

 その黒く濁った瞳の奥には明らかな苛立ちが見て取れる。

 外見的には紫の司祭服が不釣合いな、非常に若く見える青年だが、その立ち姿には言い知れぬ威圧感がある。右目のモノクルもどこか異様な雰囲気を醸し出している。

 彼は公彦が使徒となった時には既にここにいて、本人の話によれば世界大戦も経験した年齢らしい。

 彼の名は時乃宮ユダ。

 アフェシス派からは異端者として敵視され、自らはクリストイ派と名乗る者達の拠点を守る司祭だ。

 未だに生きていると聞く一五〇年前の創始者からユダの名を賜ることができるのは、最上位の位階『熾天』の者に限られる。それ以外、第二位『智天』の公彦や宗則すら、派内では下っ端に過ぎない。

 そもそも第三位『座天』以上でなければ、派に属する資格はない。

 ユダの名は、選ばれた者の中でもさらに選ばれた者しか名乗れないのだ。


 一般に、ユダはイエスをローマ帝国へ売った裏切り者の名として広く知られている。しかし、グノーシス主義キリスト教では、彼こそ唯一イエスの教えを真に理解していた者とされることがある。

 肉体とは魂を捕らえる穢れた檻であり、ユダはイエスをそこから解放した最も優れた弟子。

 それ故グノーシス主義を取るクリストイ派はユダの名を司祭に与えているのだ。

 そして、派の名であるクリストイとは、キリストのギリシア語読みであるクリストスの複数形だ。

 使徒は死によって万民を解放する救世主であるという派の信条を表している。


「ともかく、これでまた審判の日が近づいたことは確かです。引き続き、デュナミスの収集に尽力して下さい」

「はい。お任せ下さい」


 ユダはその返答に無表情のまま頷き、奥の部屋へと戻っていった。

 公彦達はしばらく頭を下げ続け、彼の気配が消えたのを確認してから立ち上がった。


「迷い子を直接殺して欠片が手に入れられれば楽なんだがな」


 宗則の面倒臭そうな呟きに、公彦も、全くだ、と頷いた。

 迷い子を使徒が殺してはデュナミスを得られない。

 殺したその瞬間に世界へと還元されてしまうからだ。

 そのため、必ずタナトスによる魂の破壊というプロセスが必要になる。

 タナトスの現実化へ向かう特性が、魂の欠片を維持させるという話だ。

 この制限のせいでデュナミスの収集は中々進まないのだ。


 たとえアノミアに入る瞬間に誰かに触れ、相手を引きずり込んでも思うようにはいかない。

 タナトスが発生し、迷い子を殺すのを待つ間にアフェシスの使徒が現れ、邪魔をされてしまうからだ。

 半月程前のように迷い子の目の前に野良タナトスが現れ、さらに近くに別の迷い子が生じるような偶然でもない限り、簡単に人間一人分のデュナミスは手に入れられない。

 今回は統計的に迷い子が生じ易い日に敵の拠点に直接乗り込んで混乱を与え、結果的に多少上手くいった訳だが。

 また使徒を排除しようにも相手に『力天』程度の力があれば、逃げに徹せられる限り仕留め切ることはできない。それ以下の弱者には群れて対処される。

 そうなると不意打ちしかないのだが、使徒は他の使徒を察知できるため基本的に不可能だ。


「ユダ様が奴等を排除して下されば――」

「奴等にもユダ様と同じ位階のパウロがいる。そう簡単な話じゃない。それにユダ様はこの教会を守らなければならないのだから」


 教会は使徒の力で構成される一種の結界。

 アノミアにしか存在せず、そのため中にいればアノミアに留まることができる。

 しかし、アフェシス派の教会とこの教会では、真の機能に大きな違いがある。

 前者はデュナミスの分解を促進するため。

 後者はそれを維持、保管するためだ。

 クリストイ派の目的にはデュナミスが必要不可欠。

 故に、この施設を奪われる訳にはいかず、最大の戦力は教会に残しておかなければならないのだ。


「分かっている」


 宗則は遅々として進まない計画に苛立っているのか、眉間にしわを寄せながら続けた。


「それよりアノミアが終わる。ここを出るぞ」


 公彦は肩を竦めて、外へと歩き出した宗則に倣った。

 視界には教会があることを除いて現実と変わらない景色。

 しかし、全ての色に根源的な死の穢れが含まれている。

 それは世界が死で満ちている何よりの証だ。

 それなのに、空は青くどこまでも澄み渡っていた。穢れを多分に抱きながら尚。

 公彦はアノミアの終わりを待ちながら、それを忌々しい気持ちと共に睨みつけていた。

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