年明けの二人
「初日の出を見に行こう!」
何のアポも無しに唐突に現れた彼は、私のアパートの玄関を開けるなり、そう言った。
それなりとは言え、長い付き合いである。彼のそういう突拍子もない所はよく知っているし、ある程度の耐性もあるので、気にしたりはしない。
だが、こちらはほんの数時間前まで仕事をしてきて、そして明日も普段より遅めとは言え、出勤する予定なのである。明日に備えて寝たいのが本音であり、まして日の出まで付き合うなど冗談ではない。
流石に断ろうとした私だったが、そんな返答など彼はまったく意に介さない。まぁまぁまぁと流されるうちに、気づけば私は彼の車に乗せられていた。
突拍子もなく、押しが強い。この彼の性格に私は何度も呆れ、戸惑い、困ったものだが、それでも不思議と嫌いになれないのは彼の天性ゆえなのだろう。
アパートの窓からでも充分拝めるだろうに、私を車に押し込んだ彼は、そのまま落ち着いた運転で車を走らせていく。
朝日一つ拝むのにどこまで行くつもりだろうと思いながらも助手席に座り、窓の外を眺めていた。
市街を走っているうちは灯りも多く、外を見て暇を潰していられたのだが、車が郊外の方へ入っていくにつれて、窓から何も見えなくなると、いよいよもって暇になってくる。
一体、どこに連れていかれるのかという不安は変わらずあるものの、何より退屈と仕事の疲労には勝てず、次第に舟を漕ぎ始めた私は、そのまま夢の中へと落ちていった。
規則的に続いていた振動が途切れて、私は目を覚ました。
ぼんやりと目を開けて、軽く頭を振って、そこでようやく車が止まったのだと気が付いた。どうやら目的地に着いたようだ。
彼が車を止めたのは、海沿いを走る道の路肩だった。
どうやら水平線から昇る朝日を拝みたかったらしい。
ウキウキしながら運転席から降りる彼とは対照的に、私は冬の海の殺人的な寒さに身震いしつつ、コートの前をしっかりと閉めて車から降りた。
コンクリートの堤防をよじ登って、二人で腰掛ける。
敷き詰められたテトラポッドの向こう。真っ黒の海を越えた先の水平線が、ぼんやりと紅く染められ始めていた。
冷たい海風に晒されながら、二人で何を言う訳でもなく、ただ水平線を眺める。
雲は無く、星は手が届きそうなくらい瞬いて見える夜だ。朝日が昇れば、さぞや綺麗な初日の出が拝めるだろう。
もっとも、寒波と眠気に責め立てられている身には何の慰めにもならない話だが。
自分自身に、何をやっているのかと呆れ、頭を抱えながらも待ち続けていると――やがて、その時が訪れた。
滲み出すように水平線に広がった赤色から、ゆっくりと朝日が顔を出す。
黒く塗りつぶされた海と空を染め、瞬く星を掻き消しながら、ゆっくりゆっくりと――
二人で、その光景を眺めていた。
――別に何かを期待していた訳ではない。そもそも、ここに来たかった訳でもない。
そんな私ですら、それは確かに美しいと認めざるを得ない光景だった。
「おめでとう。新しい年だ」
不意に、彼はそう言った。
「……別に新しくもない。昨日と同じ今日が、今日と同じ明日へと続く。いつもと変わらない、何でもない有り触れた一日だよ」
そして、私はそう嘯いた。
一年など、人が勝手に定めた区切り。そんなものが新しくなった所で何も変わりはしない。
世界はただ同じように時を刻んでいるだけ。ただただ同じ日常が延々と続くだけなのだから。
「変わるさ」
そんな私の言葉を、彼は柔らかな笑みと共に否定した。
「僕達の気持ちが変わる。過ぎ去った一年を惜しみながら、新しい日々に思いを馳せ、迎える事ができる。世界が何一つ変わらなくても、僕達の心持ちが変われば、世界のすべてが目新しく映る」
隣で座っていた彼が立ちあがる。
精一杯に伸びをして、冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ。
ゆっくりと吐き出された息が、白い尾を引いて、空気に溶けていく。
「いつだって人は自分の心掛け次第で何かを新しく始める事ができるんだ。たとえ変わり映えのしない世界であったとしても、それを見る僕らが変わるのなら、きっと今までとは違った世界が見えてくるはずだよ」
そう言って、彼は笑った。
その笑顔は、昇り始めた朝日よりも、私には眩しく映ったのだ。