交際三ヶ月目の二人
絶賛開催中『侵撃セヨ!真夏の触手祭り』参加作品です!
健全な触手を目指して書いてます!
よろしくお願いします。
生徒会室と書かれた部屋のドアをそっと開く。
ほんの少し空いた隙間から息を殺して中を覗き込んでみると、予想通りそこには一人の女子生徒がこちらに背を向けて窓の外を眺めていた。
窓から差し込む陽光に照らされた彼女の長い髪。
蔓草のようなダークグリーンの髪が、光を浴びて元気を得た植物の如く嬉しそうにうねっている。
まるで蔓草のダンスだ。
髪の隅々にまで自分の意志を伝達出来る彼女だから出来る芸当だ。
髪の先から漂う仄かな甘い香りが僕の鼻まで届いてくる。
ご機嫌は上々みたいだ。
彼女はいつも待ち人が来るまでの時間を、るんるんと楽しそうに窓の外を眺めて過ごしている。
待ち人というのはもちろん僕のこと。
そんな彼女の後ろ姿を見たいがために、僕はついつい遅刻してしまうんだ。
────だってさ、自分を待つ恋人の姿ってすごく可愛くない?
(あー……本当に可愛いなぁ。……よし)
そして僕はもう一つ、見たいものがある。
────それは。
「マイカさんごめんっ、遅くなっちゃって……」
ガチャンとわざとらしく音を立ててドアを開くと、窓際の彼女──マイカさんが勢いよく振り向く。
「セアスくん!」
この瞬間の彼女を僕はいつもこう表す。
可憐な花が咲いたようだ、と。
目尻が下がったぱっちりと大きな紅色のアーモンドアイ。
表情をめいいっぱい明るくした笑顔、その向こうで蔓草のような髪がぴょんぴょん揺れる。
つるんとした白肌がとても眩しい。
これだよこれ……! と僕は心の中でガッツポーズをした。
マイカさんはいつもこうして満開の笑顔で僕を出迎えてくれる。
その時ちらりと覗くギザギザの歯がなんとも可愛くて……だから辞められないんだ。遅れて行くのを。
このことを伝えたらマイカさんは怒るかな。
いや、きっと怒らないで『もうセアスくんってば……』と言って照れてくれるはずだ。
僕はそんなことを考えながら彼女のそばへと歩み寄った。
「いつもごめんね、待った?」
我ながらわざとらしいセリフだなぁと思う。
しかしマイカさんが僕の嘘に気づいた様子は見られない。
マイカさんは小さく首を横に振り僕に向けて微笑んだ。
「いいえ、私もさっき来たところでしたから」
「…………はー、ホントに天使……」
「え?」
「なんでもないよ」
僕は知っている。彼女がお昼休みになると真っ直ぐここへ向かうことを。
だけどそれを億尾にも出さず、まったく待っていないと嘘をつく彼女が健気で健気で健気で……もう、可愛い過ぎるよ……。
今からお昼ご飯を食べるというのに、幸福感でもうお腹いっぱいになってしまう。
「さあ、食べましょう? 今日のお弁当はとっても自信があるんです!」
しかしそれでも食べるに決まっていた。
なんてったって彼女の手作り弁当だからね。
「今日はセアスくんが好きって言っていたので、卵焼きをたくさん焼いてきたんですけど……」
ついでに一つ年下の僕相手に丁寧な言葉遣いなのも可愛い。
僕としてはタメ口でもいいんだけれど、なんでも癖らしくて。そんなところも当然可愛い。
ちなみに僕がタメ口なのはマイカさんにそうお願いされたからだ。
最初は先輩呼びだったんだけど、皆からは『マイ』とか『マイカ』って呼ばれてるから僕にもそう呼ばれたいんだって。可愛い。
「うふふ、とってもいい焼き色してると思いません?」
マイカさんがお弁当を広げながら僕の腕に蔓草のような髪をしゅるしゅると伸ばしてくる。
ほわほわと甘い髪の匂いを堪能する前に、ぐるりと絡んだ太い髪にぐいぐいと引っ張られて僕はお弁当の前に座らされた。
隣にはもちろんマイカさん。それでも近距離なので甘い匂いを充分に感じられる。
優しさと純真のハーモニー……言ってる意味が分からないと思うけど、彼女の匂いってそんな感じなんだな。
さて、彼女の匂いもそこそこに、僕は目の前に広げられたお弁当箱の中身を見下ろす。
唐揚げ、タコさんウィンナー、アスパラガスのベーコン巻き、ミニトマトやレタスに囲まれたミートボール……
配色バランスの良い、綺麗におかずが詰められたマイカさん特製お弁当だ。
そしてマイカさんが言った通り、美しい黄金色の卵焼きが六つも並べられていた。
「本当だ。すごくいい感じだね、マイカさん! 食べるのがすごく楽しみだよ……!」
「ふふふ……」
本心を告げるとマイカさんは嬉しそうな照れ笑いを浮かべながら僕に箸を差し出した。
僕はその箸を受け取り、パンと手と手を合わせて言う。
「いただきます」
「はい、どうぞ。うふふ」
ニコニコとマイカさんが見守る中、僕が真っ先に箸をつけたのは勿論卵焼きだ。
六つある内の一つを箸で取り、半分ほどをぱくっと口に入れる。
刹那、じゅわっと口いっぱいに広がったのはダシの香りと程よい甘み。
とろけるような卵の触感と僕好みの甘やかな味付けが波のように広がる。
口いっぱいの幸福感に僕の顔もついつい緩んでしまう。
「美味しい、うん、美味しいよ……マイカさん……」
あまりの美味しさに涙が零れそうだ。
「本当ですか? 良かったぁ! 自信あるって言ったんですけど、セアスくん好みの味になってるといいなーって実は心配だったんです……あ、もちろん味見はしたんですけどね」
静かに見守っていたマイカさんだけど、その裏では緊張していたみたいだ。
僕が食べるまで蔓草のような髪が落ち着かない様子でうねうねもじもじしていたし。
ほっと安堵した笑顔を浮かべてマイカさんも自分の分のお弁当にようやく手を付け始めた。
僕の物より一回り小さいピンク色の女の子らしいお弁当箱で、中身のおかずは僕とお揃いだ。
しかもお弁当箱はマイカさんらしいお花型だった。
こういうチョイスも本当に可愛いと思いながら、残りの一口を飲み込んだ。
「いつもお弁当本当にありがとう。でも、毎日大変じゃない……?」
「いえ、大変なんて……! 自分のを作るついでですから」
僕の言葉にマイカさんがにっこり微笑んで否定した。
ギザギザの歯がおにぎりを一口齧る。
もぐもぐと口が動き、白い喉が小さく嚥下した。
「……それに」
一口飲み込んだマイカさんがぽつりと呟くように言葉を付け足した。
「……セアスくんに美味しいって喜んでもらいたいですから」
だから作るんだと、ちらりとこちらを窺うような上目遣いで言われた僕の胸がきゅんと疼いた。
あーあーあーあーもう。
本当に天使。
天使だよマイカさん……。
僕は箸を持ったまま額を押さえ天を仰いだ。
神様、ありがとう。こんなに可愛い人を僕の彼女にしてくれて。
────だけど実は、三ヶ月経った今でも信じられない。
彼女は有名な魔族の家の生まれだし、僕といえば多少運動が出来る程度の平凡な出自の人間。
加えてマイカさんは美人だし、しかも僕たちが通う世界中立アリフレッタ学園の生徒会長まで務める人だ。
多種族が通う学校なので色んな美人さんがいるけれど、清廉な花のようなマイカさんはやはり注目を浴びやすい。
なんでそんな人と僕がお近づきになれたのかって、思うよね。
学園の裏にある山へ薬草を取りに行っていたマイカさんが野獣に襲われているところを偶然僕が助けるなんてイベントでも無ければ、彼女との接点は生まれなかったと思う。
剣が得意で本当に良かった。ちょっと手強い野獣だったけど、追い払えなかったらマイカさんが僕に一目惚れするなんてことも無かった。
本当に奇跡だよ。
だって僕もマイカさんに一目惚れしていたから。
それも学園の裏山で出会うよりもっと前に。
僕はマイカさんを見つめ返しながら静かに箸を置いた。
「……マイカさん。好きだよ」
「──! セ、セアスくん! そんな、急に言われたら、照れちゃいます……」
「先に言わせちゃった分、何度だって言うよ。本当にマイカさん……君が、好きだから」
「セアスくん……」
告白はマイカさんの方からだった。
奇跡的な出来事に断る理由もなく、僕たちは恋人になった。
それからお互いを知りましょうということで学校では必ずお昼を共にし(マイカさんは生徒会長なので時々叶わないこともある)、休みの日には街へ繰り出す。
そのおかげもあって、僕たちの交際は至って順調だ。
だけど僕も至って普通の男だ。年頃の、ね。
そろそろ彼女との関係に一歩踏み出したいと思う。
「……マイカさん」
「……セアスくん」
見つめ合っている今、チャンスの到来を感じていた。
ゆっくりと近づく僕に、マイカさんの顔に緊張の色が浮かんだ。
白い頬を赤く染めて、紅色の瞳が戸惑っている。
彼女の意思を反映する蔓草のようなダークグリーンの髪も、落ち着きなくクネクネクネクネしている。
最終的には落ち着ける場所を探して僕の腕にしゅるりと巻き付いた。
どくん、どくんと鼓動が伝わってくる。
これは僕の緊張か、マイカさんの緊張か。それとも両方か。
どちらかは分からないけれど、僕たちの距離は鼻先が触れ合いそうなところまで縮まっていた。
顔を近づける僕の行き先は、マイカさんのくちびるだ。
「……あっ、だめぇ……!」
あともう少し、ほんの少し────というところで僕が感じたのは、むわっと鼻腔に入り込んだ異臭だった。
「────ガふッ!?」
「セアスくん!!」
僕は椅子ごと後ろにひっくり返った。
背中に衝撃、けれど僕はそれどころじゃない。
盛大に倒れた僕に慌てるマイカさんの髪もあわあわと落ち着きなくうねっていた。
「あ、が……グ、ゴ……!」
「セアスくん! セアスくん!!」
椅子から転げた僕の身体は石化してしまったかのようにピンとなり、かと思えばガクガクと痙攣しだす。
あっという間に視界は狭まっていった。
僕を襲った猛威に意識が朦朧としていく中、僕の目に映ったのは口元を押さえたマイカさん。
──それと、その手の隙間から立ち昇るなんとも言えない色のガスだった。
もう一度言うけど、僕は普通の人間の男子で、彼女は有名な魔族の家に生まれた女子だ。
まさかここで種族の違いによる問題が起きるなんて、このときの僕に予想出来ただろうか。
いいや、単に交際が順調過ぎて僕が忘れてしまっていただけだった。
────そういえば、まだちゃんと自己紹介をしてなかったよね。
僕の名前はセアス・ヴィスキオ。
狩猟を生業とする家に生まれた至って普通の人間で、アリフレッタ学園剣術科の二年生だ。
それから彼女の名前はマイニーシャカ・R・アルノルディ。
アリフレッタ学園の生徒会長を務める治癒術科の三年生。
そして彼女はなんと──植物界の王であるラフレシア一族の家に生まれ、しっかりとその特性『ブレス』を受け継いだ魔族の女の子なんだ。
キスしようとしたとき、僕の鼻奥を突き刺した臭いは彼女によって放たれたものだった。
この臭いは耐性のある者ならしばらく麻痺する程度で済むらしい。
だけど人間には────耐性がない。
それがどんな臭いだったかを考える間もなく気を失ってしまうんだという。
「ごめんなさい! ごめんなさい、セアスくん!!」
故に僕の意識はここで途絶える。
それは幸せなランチタイムが終わることも意味していた。
美味しいマイカさん特性お弁当をしっかり食べ切れなかったのは残念だけれど、その代わり一つ気づいたことがある。
ブレスを吐き出しながらも謝り続けるマイカさん、可愛い…………ガクッ。