1話 一大事
慶応3年(1868)11月18日夕刻
新暦で言えば、12月上旬。盆地である京の街はとても冷える。
その京の東山にある高台寺月真院。
「大変だぃ!!一大事だぃ!」
白い息を弾ませて潤五郎(茨木潤五郎)が転げるように掛けて来た。相当慌てていると見えて、敷居に気躓いて激しく転んだりしている。が、すぐにすくっと起き上がって、駆けてくるなり言葉にならない事を捲し立てた。余程、興奮しているように見える。目は血走り、口の両側には泡を吹いたような跡。
御坊の一角。潤五郎が祇園で拾ってきたという白い「帳」を下げた一室。その「オニ」の屯所に、ちょうど居合わせた酒天の親父(酒天童子)、於鶴(副島鶴)、白竜(金熊白竜)はどうしたことかとやきもきした。もしや、衛士さんたちの機嫌を損ねたかと身構えたが、とりあえず落ち着かせるため於鶴が冷ましたお茶を一杯差し出した。
潤五郎は差し出されたそれを一気に飲み干すと、わなわな震える声で呟いた。
「伊東先生が・・・・伊東先生が斬られた」
室内が凍り付いた。
「それは真かい?」
白竜が聞く。
「本当だい!本堂の方は大騒ぎだ!篠原先生と服部先生はきっと新撰組の仕業だって言って、壬生に討ち入りすると言って聴かないんだい!藤堂先生が宥めるのに必死で・・・」
そうこう言っている内に、屯所の入り口で誰かが叫んでいるのが聴こえた。
「おーーい!伊東先生が油小路に居るらしいぞぉ!状況は分からんが、待っているらしいぞぉ!誰か、迎えに行ってやれぃ!」
「何だ?斬られたのでねえのか?!」
服部のでかい声が聴こえる。
「斬られてねえ!先生を勝手に殺すなや!」
その声に屯所の空気が少し緩んだ。
どうする、どうすると相談した結果、藤堂・篠原・鈴木・服部・毛内・加納・富山の7人で迎えに行くことになった。不思議にも衛士一同の間では「どうやら斬られたというのは間違いであった」という安堵感があった。「先生は一応、伊東道場の婿養子だしな」という軽口まで叩くものまで出て来た。「帳」の間の一同にもその感があったが、どういう訳か於鶴だけは浮かない顔をしていた。
「私もついて行きます!心配ですから!」
唐突に言い出した時には、皆が笑い出したほどであった。服部が於鶴の頭を撫でながら言う。
「心配し過ぎだ。安心せい。平助に変な虫がつかんよう、儂がちゃんと見張っとる」
この、歳十六の娘は藤堂平助に一途に恋していることは屯所中の皆が知っていた。
「これこれ、衛士様の邪魔をしてはいけん」
酒天の親父が宥めるが、於鶴は聞かない。しまいには藤堂が折れた。
「よかろう。迎えも多い方が先生も嬉しかろう」
いつもは「平助様とお出掛けだ」と燥ぐ於鶴は、この時は珍しく下を向いたままであった。衛士7人と於鶴は油小路へ向け、出立した。