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星抱く鬼  作者: 守野伊音
4/13

4.負う背



 木が流れていく。芽吹いた場から動くときは地面ごと滑り落ちていくほどしっかりと地面に根を下ろした木の群れが、次から次へと視線の後ろへ流れていく様に、素直な感嘆が漏れる。


「お前、すっげぇな」


 自分を背負うあまり大きさの変わらない背に向かって、素直にそう言う。

 二人で登り続けた秘密の木が横倒れになったって到底届かないような割れ目を、ヒナトを背負ったまま軽々と飛び越えたクリツは、「そうみたいだね」と静かに答えた。





 攣った足の余韻に悶えつつ、朝から何も飲み食いしていないと告げたヒナトは、あっという間に川の横に座っていた。座った自分の横を流れる川に、最初は何が起こったか分からなかった。ヒナトを抱えて高い崖から飛び降りた張本人は、「水分取らないとまた攣るよ」と、ほとんど同じ大きさの人間を抱えて飛び降りたと思えない様子で二つに千切った干し芋を渡してきた。自分のほうを少なめに千切る様子に、変わらないものは変わらないんだなと妙に感心する余裕は、その時のヒナトにはなかった。

 彼の家には持ち込まれたこともないであろう硬い干し芋を無表情で飲みこんだクリツの肩越しに、さっきまでヒナトが親指を回されて悲鳴をあげていた場所が見える。太い二本の杭からとうの昔に使い物にならなくなった縄の切れ端が揺れていた。なんだこれと、呆然と口に放り込んだ干し芋は見事喉に詰まり、再び川の水のお世話になったのは今から一時間も前の話である。





 意識して動かさずともぷらぷら揺れる足裏がクリツの身体に当たらないようにだけ気をつけて、薄い肩を掴んでけらけら笑う。


「お前におぶってもらうの初めてだな。逆はよくあったけど」

「そうだね」

「なあ、すげぇ軽々おぶってるけど、もしかして片手で俺持てる?」

「持てるかもしれないけど、いちいち枝に当たらないよう避けるのが面倒だからやらない」

「ええー、いいよちょっとくらい当たったって」

「ヒナト、うるさい。ちょっと黙って」

「へいへい」


 ぴしゃりと言い切られて、軽口を閉ざす。あまりうるさくしていると振り落とされるかもしれない。そうなったらなったで、何が何でも追いかけるから別に構わないのだけど、他人におぶわれるという久しぶりの楽しさを手放すのも惜しかった。

 坂道を制御のない台車で駆け下りていく音に似た風と景色が、次から次へと後ろに流れていく。速度はともかく、自分の足が作りだしたものではない揺れに身を任せるのは、本当に何年振りだろうか。父さんが死の病に罹る前は当たり前だった他者の背の温度は、記憶にあるより何倍も温かく感じた。

 転んだクリツを、兄に突き飛ばされて足を挫いたクリツを、泣き疲れて眠ってしまったクリツを。おぶって歩いたのはヒナトのほうだった。背をほんの少し抜かされるまでは、ほとんど体格の変わらない二人だったけれど、いつも働きまわっていたヒナトのほうがクリツより体力も力もあったからだ。けれど、もう、おぶわせてはくれないのだろうかと、顔の見えない項を見つめる。




『ヒナトはきっと、あっという間に大きくなるんだろうなぁ。そうしたら、もう父さんにおんぶも抱っこさせてくれなくなるんだろうなぁ……父さん寂しい』

『もう、またそんなこと言う。子どもとはそういうものです。いいのよ、ヒナト。思いっきり大きくなりなさいね!』


 まだ幼かったヒナトをおぶり、抱き上げ、くるくる回った父と、それを見て呆れながらも楽しそうに笑った母の会話を思い出す。おんぶしてもらうのは好きだった。抱っこしてもらうのも、大好きだった。今ならきっと恥ずかしくてそんなこと口に出したりできなかっただろうけれど、あの頃の自分は大層な甘えただったとヒナトは自覚している。

 あの頃は両親が言っていることがよく分からなかった。自分は、目線が高くなるし、いつもより随分早い速度で景色が流れていくし、何より大好きな両親が一等近くなってその温かさに包まれるから、抱っこもおんぶも大好きだった。けれど、両親はヒナトを抱き上げるだけで、抱き上げてもらったヒナトみたいに目線が高くなることも、早く進むことも、温かさに包まれることもない。それなのに、ヒナトを抱っこできなくなるのが寂しいのは何でだろうと、とても不思議だった。




 クリツは、ヒナトを背負っているとは思えない身軽さで山を駆け抜けていく。心音にも似た振動でのんびり歩くのとはわけが違う。飛んで、跳ねて、風よりも早く木々を縫って進んでいく。ずっとヒナトにおぶわれていた幼馴染は、まるで獣のようだった。

 額から生えたものに引っかかった髪が奇妙にはためき、ちらちらと瞳が見える。見たこともない色を放つ瞳に、ヒナトは向かい風に負けたふりで自分の瞳をそっと伏せた。

 ぎらぎらと、クリツの瞳が光を飲み込む。本を見ては、光を弾くように輝かせていた瞳が光を飲みこみ、鈍色の刃のようだった。刃がぎらつかせるのはクリツの感情だ。歓喜は、まだよかった。信じられないほど早く走れる足、しなった枝を弾き飛ばせる腕、はるか先まで見通せる瞳、遠くの小鳥が飛び立つ羽音を捕える耳。昨日まではなかったそれらが身に宿り、思う様に山を駆けられる気分は如何程の物か。クリツは籠から逃げ出した金糸雀のように、一度も振り向かず一目散に飛び立った。


「ははっ」


 聞こえた小さな笑い声に、ヒナトは伏せていた瞳を上げた。本当はぎゅっと瞑ってしまいたかった。怖くはなかった。本当だ。本当に怖くはない。怖くはないけれど。


 ぎらついた瞳がまっすぐに前を見据えている。そこにあるのは力強さでも清々しい歓喜でもない。どろつきねばついた憎悪を絡みつかせ混ぜ込んだ瞳が、鈍い光を放つ。怒りが、憤怒が、憎悪が、怨みが、怨嗟が、クリツの口から笑い声として漏れ出していた。

 不意に、これが誰の背か分からなくなった。自分の尻を支えている手は細く、自分が掴んでいる肩は薄い。痩せているのもあるが、とにかく力がなかったのだ。触れた身体は変わっていない。夏のかんかん照りの暑い日、一緒に水浴びしたまんまの身体がこの服の下にはあるのだろう。それなのに、どうしてこんな力が出せるのか。身体も、声も、何も変わっていないのに。

 それまで肩を掴んでいた手の力を抜く。気づいたクリツがちらりと視線を向けてくる。顔の角度が変わったことで額がよく見えた。昨日まではなかった二本の角。反対側にも同じ角が二本ある。


「落ちるよ」

「……だーれが落ちるか。もっと早く行こうぜ。昼飯までには町につきたいよな」

「大丈夫なら速度を上げる。けど、酔わないでよ」

「俺、馬あんま乗ったことねぇから酔うかもなー」


 抜いた力を逆方向、開く力へと変えて腕を広げたヒナトは、クリツが何か言う前に薄い身体の前に手を回した。首が閉まらないようにだけ気をつけて、ぎゅっと力を篭める。


「吐いたら避けろよー」

「背負ってるのに無理だよ」

「どうせ次の町で着替え買うから一緒だって。それが嫌なら頑張って避けろよ、クリツ!」


 歯を出してにかりと笑ったヒナトに、クリツは肩を落として嘆息した。






 海に行く。目的地は変わらず据え置いたまま、ヒナトとクリツは二人でこれからの予定を立てた。小さな頃から海を見に行くならどうしたらいいかと、戯れ半分、本気半分で幾度も話し合ってきたお遊びとは違う。二人で、本当にするために話し合った。

 話し合いの結果、故郷の町に通じている街道は放棄した。ほとんど町から出たことのない二人でも、近隣の町の町民の中には顔を知っている者もいる。隣近所の町の行き来は、寂れようがそう簡単にはなくならない。寧ろ、色んなことを近場で済まそうとするので、こじんまりと纏まって寂れていく。更には、三つ向こうの町で鬼が出たばかりなのだ。避けた方が無難なのは火を見るより明らかである。


 妻に別れを切り出された夫が二鬼になったと聞いた。幸いにも人目が多い場所だったらしく、妻は男に殺される前に逃げ出しているが、男は別れを切り出した妻への怒りが収まっておらず、鬼の力を手放さないと言い張り鬼狩人が出てきているらしい。あえてそんな道を選ぶ必要はないと判断し、ヒナト達は新しくできた、今では主流となった街道を選ぶことにした。


 山向こうにある街道へあっという間に辿りつけたのは、クリツのおかげだ。

 運動があまり得意ではなく、剣術の教師が早々にさじを投げたクリツの手をいつも引っ張って走ったのはヒナトだった。しかし今では、鬼の力で飛躍的に伸びた力を持てあますことなく、生まれたときから持っていたかのように自在に使い回すクリツがヒナトをおぶい、あっという間に山を越えてしまった。崖を飛び越え、草を蹴散らし、狼を視線一つで威嚇して、二人は何の危険もなくあっさりと一つの町に辿りついた。


 新しく、といってもヒナト達が物心ついた頃には作られていた街道沿いの、二つ見送った三つ目の町。初めて訪れる町だ。生まれ育った町から一度も出たことがないわけではないけれど、ヒナトは両親が生きている時に隣町か、精々二つか三つ向こうの町までだ。クリツも町長の息子として偶に連れ出されてはいたものの、人付き合いの苦手なクリツは当然そのような集まりを得意とせず、そんな状態のクリツを連れ歩いても解くにはならないと判断した両親から留守番を言いつけられることが多かった。



 町の周辺には、都のように大仰な壁はない。こんな田舎だ。精々、気休めの獣避け用の格子がぐるりと囲む町を、小高い丘から見下ろす。大きな道は街道くらいのもので、後は細々と統一性のない道が伸びて、似通った建物に囲まれている。建物を建てられる職人がわんさかいる都とは違う上に、どうせ同じ工房に所属した職人達だ。どれもこれも似通った建物が増えるのは仕方がないだろう。

 全体像を見てもそんなに大きくない。故郷の町より小さいかもしれない。けれど、人の行き来が全く違う。引っ切り無しに人が出入りしているのが見て取れた。どこの町にも、故郷にも、一応配置されている門番のすぐ背後にはもう屋台の屋根が見えている。


「ここは、これから大きくなる町なんだろうな」

「そうだね」

「じゃあ、今はいろいろごった返しになってる頃だろうから、潜り込みやすいな。安く買える店見つかるといいなぁ。お前、色なんでもいい? 高いのは無理だからな」


 ずっと抱えられていた為、未だに自分の体重を支えていた手の感触が残る太腿を伸ばしながら、クリツを振り向く。少々強い風を真正面から受けていても、目を細めもしないクリツはどうでもよさそうに頷いた。流石にこのクリツをそのまま町に連れていく訳にはいかない。角もそうだが、何より服がまずいのだ。乾いたとはいえ、上下とも真っ黒な液体が飛び散った服で真昼間の町を闊歩するのはいろいろまずい。


「寧ろ、お前がこれ着ろよ。返すから。そもそも、なんで俺にお前のシャツ着せてったんだよ。びっくりしたじゃん」

「……売って生活の足しにすればいいんじゃないかなって。ヒナト、お金は受け取らないでしょ」

「受け取ったら友達とは違うだろ」

「……そんなことないよ」


 何度か繰り返したやりとりを聞き流し、ヒナトは自分の着ているクリツのシャツを引っ張った。ちょっと動くだけで下品ではない光沢が流れていくシャツは、ぱっと見ただけでいい品と分かる。


「それなら、旅の資金源ってことでこれ売るか。そしたら、安いの何枚か買っても、残りを飯に回せるかも」

「ああ、それならこれも売ってきて」


 ポケットに入れたままだった。ゴミでも払うようにおざなりに取り出されたのは、宝石が埋め込まれた懐中時計だ。去年の誕生日に渡された、クリツの好みを一切考慮されない時計は大きく、見事な意匠ではあったが年齢とも体格とも一切合っていないそれを眉根を下げて持て余していたのを知っている。ヒナトは思わずうげぇと声を上げた。


「高いの売るのは面倒なんだよ。特に俺みたいなのは、盗んだと思われる」

「形見ですとでも言えば?」

「ええー……それでいけるかぁ? お前だったらいいとこの坊ちゃまの雰囲気そのままだからいけるだろうけどさぁ……服交換する?」


 盗人に間違われるよりそっちがましだと思ったが、すぐに却下された。


「僕じゃ、質屋相手に交渉できない。そもそも、角はどうするんだ」

「先に俺の虎の子で帽子とシャツだけ買って戻ってくるから、一緒に質屋行こうぜ。なんなら俺、そのシャツ裏返しで着ていくけど」

「それなら僕が裏返しにしていく。でも、ズボンも裏返しは流石にみっともないし、目立つ」


 言っておいてなんだが、自分でも無理があると思ったので、ヒナトは早々に自分の意見を引っ込めて肩を竦める。


「だなぁ……じゃあ、先に帽子とシャツだけ買ってくるよ」


 ちょっとそわそわしてしまうのが自分でも分かった。当然クリツにも分かっただろう。何も言わないけれど、視線がじっとヒナトに向いていて、気恥ずかしくなってくる。子どもっぽいかと照れ臭かったけれど、どうしようもないのでへらりと笑う。


「そしたらさ、一緒に回れるだろ。やっぱさ、旅の始まりって感じで、すげぇ楽しみ」


 お前から借りた本みたいだな、俺、やっぱり冒険物が好きと、照れを誤魔化してつらつら続ける。旅人に導かれても、突発的に飛び出しても、望んでいようがいまいが、目的地があろうとなかろうと、装備を揃えて知らない道を突き進む。そうして宝物を手に入れるのだ。名誉だったり、栄誉だったり、好きな人だったり、金銀財宝だったり、過去に反映した大都市の遺跡だったり、世界を救う方法だったり。少年なら誰だって一度は憧れるものではなかろうか。例に漏れず、ヒナトも冒険譚が好きだった。本が好きなクリツが持ってきてくれた本を借りて読みふけった。恋愛物はよく分からなかったけれど、何でも読むクリツから借りた本を雑食に読み漁った中で、一番好ましかったのは冒険物である。


「すっげぇわくわくする。何せ旅の最初の町だからな! 一緒じゃなきゃ意味ないだろ」

「……ねえヒナト。僕達どういう状況か、ちゃんと分かってる?」

「うん。すげぇ分かってる」


 呆れた声にさらりと返すと、肩が落とされた。


「絶対分かってない。君が追ってこないって約束してくれるなら、僕は君を連れていくつもりはなかったんだ」

「俺がしつこくてお前大変だなぁ。頑張れよ! じゃ、俺ちょっくら入用な物揃えてくるわ」


 他人事のようにというより、他人事そのものを残して駆け出す。帽子とシャツとズボン、出来るなら外套。とりあえずそれさえ用意すればクリツも一緒に町を回れる。くるりと向けた背に、尚も声が続く。


「君、本当に分かってる?」

「帽子とシャツとズボンな!」


 ヒナトはもう一回くるりと反転した。分かってる分かってると、誰が聞いても不安を煽る同一語の二段重ねで返し、ひらひらと手を振る。その間も町に向けて進む足は止まらない。後ろ向きで進んだ足は、当然の如く石に躓いた。思わず飛び出たへんてこな声を上げてしまったヒナトは、照れ隠しも兼ねてもう一度手を振り、後は振り向かず一目散に駆け出した。





 前さえ向いていれば危なげなく走っていく背中を、クリツは黙って見つめる。見送らずとも転んだりしないだろうと分かってはいた。長い間、クリツの手を引いて走ったのはヒナトなのだ。彼一人だけなら、鬼の力などなくてもあっという間に風のように走り去ってしまえる。彼がいつもクリツの横にいたのは、クリツが遅かったからだ。すぐに走る意思を無くして立ち止まるクリツの手を、ヒナトは飽きも疎いもせずに決して放さなかった。いつだって前を見て、すぐに視線を彷徨わせるクリツに先を指さした。分かりやすく、迷いもせず光りを目指す。



 角に引っかかり、目の上を通って流れていく髪を小さく払い、クリツは遠ざかっていく背中を見つめる。


「本当に分かってるの、ヒナト……僕と、鬼と来るってことは、人の道を外れるってことだ。人の道を踏み外し、背くってことなんだよ……」


 ぽつりと呟いた声は、髪を靡かせる風に溶けて散っていった。






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