30:斯くして英雄は生まれず
ジョウ・リン・サンカは狂人である。
幼少の頃より異形の死霊と共に育った彼女の感性は、人間のそれとは大きく異なる本質を持つ。
新たな世界の主となる栄誉も、
全ての者が頭を垂れる名声も、
全知全能の存在となる意味も、
永遠の命も、
不老の体も、
無限の力も、
リンにとっては死を拒む人間達が手を伸ばす幻想にすぎない。
だから彼女は、世界樹の種の誘惑に負ける事もなければ、それを隠匿する為に都市から逃げる事も無く、自分の持つ欲望と罪悪感に苛まれて引き籠もるようなことすら一切無い。
結局のところ、常人の思考回路しか持たないナナには予想すら出来ない事だろう。
ありとあらゆる欲望と誘惑をもたらす世界樹の種を手に入れた存在が、何食わぬ顔でそのまま都市に戻って来て、翌朝から慌ただしく活動する勢力、つまり”世界樹の種の存在を知る勢力”が誰なのかを見極めようとしている事を予想しろ等と要求する事自体が常人には無茶なのかも知れない。
***
大通りに面したオープンカフェでコーヒーの香りを楽しみながら、世界樹の種をそっと撫でる。
透き通ってた宝玉のように見えるそれは、握りこぶしより少し小さいくらい、最初に出会った時は透き通った青色だったそれは、私の血を吸収して深い紫色に染まっている。
「(種なのに透明って不思議だね。)」
手で持てば使い慣れた武器のように手に馴染むそれに触れて意識を通わせれば。
一晩語り合ったというのにどこか懐かしさを感じさせる声が私の心に触れる。
「(正確に言えば、我々は種子ではありません。)」
じゃぁ貴方って植物じゃないの?
「(それはお答えできません。)
・・・タネって呼ぶわ。
「(貴方がそう望むならば、喜んで。)」
望むなら・・・か。
視線を向ければ、朝方の都市を慌ただしく行きかう商人達が見える。
昨夜一晩呑んで騒いでこれから眠ろうとするフラフラの冒険者が見える。
キビキビとした歩調で、街中を巡回する衛兵たちが見える。
ゆったりと歩いているように見えて、内心では非常に焦りながら、それを悟られないように何かを探す野良メイドが見える。
もしも私が今唐突に、この都市を消し飛ばしたいって望んだら、種は喜んで力を貸すだろう。
世界を滅ぼす為じゃなく、それが私の利益になるって考えるから、そしてそれには他の人間の生死なんて一切考慮されない。
一晩話し合ってみて分かったけど考え方も判断の基準も、道理で何処かで見た事が有ると思った。
「(貴方が生まれた場所ってどこかしら?)」
「(それはお答えできません。)」
「(種は私の前に誰かと契約した事ある?)」
「(それはお答えできません。)」
「(正義の精霊について知っていることを全て話して?)」
「(それはお答えできません。)」
ハイ、確定・・・受け答えが死霊ソックリだわ。
むしろ、感触から死霊と同じ存在だと思う。
別に、世界樹の種が実は死霊だったとか、何でこんな状況になってるんだとか、そういう事は別にどうでもいい・・・でも。
心の中に潜むナイトメアが、音もなく慟哭している。
私の心は、抑えきれない程の怒りに満ちていた。
死霊の心に好き勝手ラクガキして世界を滅ぼす道具にした連中に思い知らせねばならない。
”死を冒涜してはならない”
この状況を整えた連中は文字通り人間じゃない。
目的は分からないけど、これは10年掛かりで手を込めた悪趣味な英雄譚だ・・・。
今の状況は、本来なら背景だった私が、急に色々やらかしたお陰で物語の軸がズレたんだろう。
物語を裏側から操作してた悪趣味な見物人は、今頃アホ面でも晒してるかしら?
それとも、私が何かやらかす前に物語の修正でも試みる?
ふと思い立って、誰ともなしに呟いた。
「あら、知らなかったかしら?ネクロマンサーは仲間に甘いのよ?」
お馬鹿さん、貴方の物語をグチャグチャに破壊してあげる。
***
《緊急連絡、至急証拠を隠滅しろ・・・盗聴がバレてる。》
連絡を聞いて直ぐに机を離れてようとして、机から垂れ下がったコード類に足を取られる。
クソッ・・・クソックソックソッ!
無理矢理押し進めば机の上のアレコレがガチャガチャと音を立てて床に転がった。
話が違うじゃないか。
ここは安全じゃなかったのかよ。
ぼぼぼ・・・、僕の所まで来るのか?
あ・・・あの怪物が?
ガタン、と音を立てて椅子が転がり背筋が凍る。
「ヒ…ヒィッ!」、
《すまん、修正する。お前さんのアレは”お姫さんの逆鱗に触れた”らしい、せいぜい・・・
通信機は好き勝手に声を放つが、男には既に聞こえていなかった。
裾の長いトレンチコートとキャスケットを身に着け、白い目出し帽で顔を隠した大男が、ドアを叩き割り、逃げようとしていた痩せて猫背の男を捕まえて左手だけで持ち上げて宙に支える。
逃げようとしていた男は持ち上げられたままで暴れるが、大男は揺らぎもせず、右手で自分のコートの前を開く。
「あ”・・・?」
男の胸部には・・・正確には、胴体に体は存在せず、巨大なオルゴールのシリンダのように、2本の棘が付いたローラーが縦に並んでいる。
体内に巨大なオルゴールを持つ大男が、その左手で吊るした男に顔を寄せると一言だけ告げた。
「眠り姫より伝言である、[あの子の痛みを思い知りなさい。]、遺憾ながら、同意見である。」
オルゴールの2つのシリンダーが内側に巻き込むように回転し始めた、それは優しいテンポの幸福な曲から始まり、やがてアップテンポな狂騒曲から更にテンポを上げていく。
「ま”、ま”っで”、お”れ”・・あ”あ”あ”A”a”a”a”・・・。」
凄まじい絶叫と共に超高速の葬送曲が流れ、やがて曲は徐々にテンポを落として、緩やかで物悲しい曲と共に音楽は止まった。
部屋から逃げ出そうとしていた男は、もうどこにも居なかった。
コートを再び閉ざした大男は、地面に転がった”声の出る箱”に話しかける。
「眠り姫より伝言である、[この粛清はあくまで、世界樹の種子の件によるものです。]、インペリアルの件は罪ではない、よってこれはその報復ではない。」
《ハハッ、それは寛大な事で。》
「但し、今後もああいった事が繰り返されるなら、”事故”が起こる。」
《それは、お姫さんの意見かな?》
「これは、自由意思による解答と暴言である、くたばれ糞野郎。」
罵声と共に思いっきり踏みつけた足の下で、声の出る箱が粉々に砕け散った。
「・・・ふむ。」
感情と共に喉から声を出す事を教えられた時は、一体それがどういった効果をもたらすのかイマイチ分からなかったが、実際に行動してみるとスカッとした気分になった気がする、眠り姫は博識である。
一転して上機嫌になった大男は、再びコートの前を開いて部屋の中に有る意味不明で雑多な金属体を次々と体内のローラーで破壊しながら柔らかなテンポの子守歌と共に呑み込んでいく。
こうして一人のゴミが部屋のゴミと一緒に都市から消滅したが、それを知る者は少なくともこの都市にはもういない。
斯くして英雄は生まれず、作られた物語は流された。
そして世界樹の種を持つ彼女を起点に、新たな物語が始まろうとしていた。




