16:或いは、牢獄にて起こるもうひとつの戦争
「最初は痛くする前に終わるかも知れません、それでも確実に相手の息の根を止める事を心掛けましょう。」
参照:「はじめての制裁」より抜粋
ネクロマンサーは恐ろしい存在である、その行動の全ては他者への攻撃だと思わねばならない。
「カーペット柔らかぁぁぁぃ、凄い柔らかいよ、もうここで寝たい。」
ゴロゴロッとカーペットで転がりまわるリン。
人狼王の調べた限り、リンはヒーラーとして活動していた頃に幾度と無く人間の・・・それも、リンがネクロマンサーの力を持つことを密かに知った狩人たちからの悪意に晒されて来た事が調査により判明している。
「おぉ、ソファもツルッツルだよスゴーィッ!!!」
ソファーに身を預けてはしゃぐリン。
フクロウの生まれを厭い、無垢にヒーラーとなることを望んで都市の門を潜った少女が、文字通りのバケモノに成り果てるまでに、一体どれだけの凄惨な仕打ちを受けたかは語るべくも無いだろう・・・。
「こ・・・このベッドで寝ていいんですか!」
リンは適当に服を脱ぎ散らかして下着姿になり、ベッドに飛び込ながら、
ベッドの柔らかさと寝心地をモフモフしながら楽しんでいる。
「あらあら、そんなにはしゃぐと怪我をしますよ。」
メイドは、事前に人狼王より聞かされていた悲惨な経緯から予測していた姿よりも、ずっと年相応に浮かれて振舞うリンを微笑ましく思っていた。
看守としてこの場にいる彼女は衛兵ではなく、最悪の事態を警戒した人狼王からこの場に派遣された野良メイドであり、彼が部下以上に信頼する数少ない存在である。
彼女は最悪の事態を想定していた人狼王により、リンの扱いについて念入りに言い含められていた。
曰く、相手をする間は、絶対に油断してはならない。
曰く、彼女の心と体を決して傷つけてはならない。
曰く、彼女を出来る限り歓待すること。
重ねて記す。
このメイドは人狼王が最も信頼する野良メイドであり、群れることを嫌うクマの獣相を持つ者としては珍しく積極的に人と関わり、中立を保つ事を選んだ稀有な女性である。
しかし、長い戦歴を持つこのメイドすらもただの少女のように振舞うリンに対して少しだけ警戒を緩め油断していた。
そう・・・彼女は油断した。
この油断に関して、たとえ幾重にも言い含められていたとはいえ、彼女の非を責めることはできないだろう、それほどまでにリンは”自然に振舞えている”。
彼女はネクロマンサーとして人間の悪意を見て育ち、家を出てヒーラーとして過ごしていても周囲の悪意に晒され続けた。
もしこの哀れな娘を悪と呼ぶならば、無垢な少女の心に黒い怪物の色を塗り込めた人間たちこそが・・・。
***
「あらあら、そんなにはしゃぐと怪我をしますよ。」
メイドはこちらの目論見どおり、様子を見に来た。
「あー…そういえば、手紙を書きたいんですが紙を貰ってもいいですか?」
そう言いながらベッドに座って状況を再確認する。
脱ぎ捨てた服の中に見えるナイフはちゃんとメイドの視界に入ったらしい、
こちらの意図通り、メイドは私が咄嗟にナイフを取れない位置に移動しようとする。
身を起こしながら左手でマクラを握り、右手は自然な動きで下着に仕込んだワイヤーに触れた。
メイドさん、怖いネクロマンサーは下着しか着ていませんよ?
もっと近づいて、もう少し、もう少し、そう・・・もう少し、
そうすれば、枕を投げても避けられない。
突然枕を投げつけられればビックリして、体が硬直するでしょう?
そしたら、ベッドに押し付けて、ワイヤーで絞殺してから鍵を奪えば・・・。
***
リンの行動があまりに自然だからこそ、その目が憎悪に濁っていても、メイドにはそれに気付けない。
後一歩の場所までメイドが歩み寄ったとき、リンは無意識のうちにメイドから感情を読み取っていた。
リンの他者の感情を読み取る力は、先天的なものではなく相手から身を守るために自然と身に付いた技術である。
顔だけ笑う人間たち、虚栄、傲慢、嫉妬、色欲、そして悪意と殺意。
リンにとって他人の感情は地獄に等しい、それでも自らの身を守るためにリンは他者の感情を無意識に読み取ってしまう。
「・・・。」
メイドがこちらを見る真っ直ぐな瞳、深い慈愛と僅かな同情、そして規則正しく織り込まれた奉仕への誇り。
人間から向けられる暖かな感情など偽物だと思おうとしても、リンはこれが本当に暖かい物だと知ってしまっていた。
ホネッコが暴走したとき、自分の手を取って逃げてくれた少年剣士から放たれる想い。
魔力越しに流れ込んでくる、人狼とその共犯者が互いに向ける柔らかな想い。
寂れた教会を救うために非道すら辞さない神官の想い。
三つ巴になった洞窟で、それぞれが私を助けるために向けた想い。
忠誠を誓おうとした人狼の秘めた激しい想い。
ヒーラーとして幾度と無く得ようとしては裏切られ、ネクロマンサーになってから、ほんの何度か向けられたその想い。
その暖かさを知るからこそ、凍える地獄を暖めるその小さな灯火を自ら消すことなど…
彼女にはもう出来ない。
メイドが歩み寄る。
攻めるなら今しかないのに、私の両腕は動かない。
きっと、きっと彼女の慈悲は暖かい、暖かいに違いない。
メイドが歩み寄る。
このままでは、間合いの内側に入られてしまう。
それでもほしい、欲しい、その暖かさを向けて欲しい。
メイドが目の前まで歩み寄る。
その手が私の顔に伸びた、反射的に目を閉じる。
ああ、殺される・・・それでも構わない。
どうか最後に一度だけ、その温もりを分けて欲しい。
「・・・。」
・・・。
柔らかな手が私の頬に触れて、頬を伝った涙を拭いとられた。
起こった事はそれだけだった。
メイドが何も言わず、そっと私に微笑んだ。
起こった事は・・・それだけだった。
***
この野良メイドは人狼王の部下ではないにも関わらず、その信頼を勝ち得ている。
それほどまでに彼女は慈悲深く全てにおいて中立であり続ける。
そう・・・彼女こそが、後に偉大なる名を轟かせる中立ギルド【世界樹】の初代ギルド長に就任する事になる「ナナ」と呼ばれる女性であった。
しばし後、紙とペンを受け取ったリンは、サラサラと思いつくままにモーリー少年へパーティーに誘ってくれたお礼と、しばらく療養することなどを書き連ねていった。
恥ずかしくてメイドさんの顔が見れない。
「違うから…私がその気になったら貴方なんて速攻で狩っちゃうんだから。」
「まぁ怖い…恐ろしくて眠れませんわね。」
「…今はその気にならないから、運が良かったわねメイドさん!」
「ふふ、お慈悲を有難うございます。」
ええ、本当に慈悲をありがとうございます。
それにしても・・・ちょっと失敗したかもしれない。
リンは、宿屋の部屋で使い魔と共に溶け去ったように見せかけておいたブラッディジェムと、黒インクに紛れさせたシャドウサーペントに頼んだ命令を思い返していた。
【私の魔力が消えたら、仮面無しでも完全に制御できる子を1体呼んで。】
敢えて実力は指定しなかったけど、そういえば私って今どのくらいの子まで呼べるんだろうか・・・。
これでゾンビ1体とかだったら笑えるわね・・・まぁ、流石にこの都市の城門とか警備隊を見れば外で待機するでしょうし、ほとぼりが冷めたら迎えに行こう。
***
改めて書くが、リンは女性であり、優性遺伝となる母親は完全に後衛型で召喚特化のネクロマンサーの家系である。
つまり、劣性遺伝だった父方から得た能力のほんの一部である自己強化だけで中級冒険者に対応出来る実力を誇るネクロマンサーの場合、優性でしかも召喚特化のネクロマンサーを母に持つ彼女の制御できる範囲がどれだけとんでもない事になるかを彼女は十分に理解していない。
一体だけ、仮面無し、そして完全に制御できる範囲で特に呼び出しを希望する誰か、という制限があってなお、呼び出されたリンの配下が様々な人々を勘違いと恐怖の渦に巻き込むことを…彼女はまだ知る由もない。




