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四季花  作者: 大石次郎
5/8

冬 ~前~

 俺は建築作業員であってプロドライバーではない。しかしマイクロバスで海岸沿いの国道を走っていた。二種免許を取ると面倒そうだから取りたくなかったが、社命だった。取った結果、案の定だ。

「もぅっ、ダメだってばぁっ!」

 車内に一際カン高い女の声と下品な笑い声が響く。

 車内用のミラーでチラッと確認すると酒に酔った区長がキャバ嬢のスカートに顔を突っ込み、周囲が囃し立てていた。区長は33歳で禁煙と同性事実婚政策を進めるクリーンな政治家ということになっている。人気のTwitterも毎日連投しているが、今日から数日はほぼ影武者が書くらしい。

「ママぁ~、お腹が空きまちゅたぁっ」

 区長の近くの席で同じく酒に酔って巨乳のキャバ嬢の乳を揉みながら赤ちゃん言葉で喋っているのは社会学の権威でヲタク文化に精通して、ワイドショーのコメンテーターもしている大学教授だ。先日、クラブで強姦事件を起こした人気若手俳優に人間のクズとコメントを出して、何様だ? いや正論だ。とネットで騒ぎになっていた。

 乗車しているキャバ嬢(はっきりしない女もいる)は5人。それぞれ区長と教授とその取り巻きにセクハラされ放題。接待役のウチの会社の人間達は何とか連中が『本番』に及ばないようにフォローしている。このバスは別にスモーク張りじゃない(そんな車両は怪し過ぎて使えない)。両側の窓にはカーテンは付いているが前後にはそんな物は付いてない。

 定員削減に伴い、教授の勤める大学の施設の一部が売却再開発されることになった。土地は区長の采配する区にある。教授は一連の売却再開発の責任者だった。開発を担当するのはウチの会社。つまりそういうことで、俺は海の近くの温泉旅館まで一行を送っている最中だった。

 この辺の仕組みはたぶん弥生時代から変わってない。進まねぇな、人間。

 キャバ嬢? の中にはどう見ても若過ぎる娘も一人いた。大丈夫なのか? と思うが、大丈夫だろうが大丈夫じゃなかろうが、俺には何ともできないな。

 ミラー越しに、騒ぎから離れた席で白けた表情でミネラルウォーターを飲んでいた接待の仕切り役でもある日下部長と目が合う。ニヤッと笑ってきた。

 フリーター時代から世話になっている人で頭が上がらないが、正直信用はしていない。

 俺は海風に少しハンドルを取られながら、運転を続けた。


 旅館に着いて、引き続き騒ぐ一行を何とか降ろして後は日下さん達に任せて俺は旅館の駐車場で車内の掃除を始めた。明後日迎えに来るのは別の社員で、俺はとっとと今日中にこのマイクロバスを会社に戻さないといけないのだが、車内は酷い有り様だ。

 キャバ嬢に渡された花束の花も散乱しているが、床にゲロまで吐かれている。窓を全て開け、番頭さんがくれたポカリを一息飲み、

「よしっ」

 と気合いを入れて片付けに掛かる。どぶ浚いでも仕事は仕事だ。

 ゲロや目立つゴミを一通り片した辺りでバスにふらりと日下部長が入ってきた。

「川上君、働くねぇ」

「あれ? 宴会じゃ?」

「先にエロいことさせろってさ。混浴風呂に案内してきた。貸し切りだぜ?」

 薄く笑う日下さん。

「日下部長は混ざらないんッスか?」

「キモい。カメラ回すらしいしな」

 日下部長は煙草に火を点けた。

「吸うか?」

「あざッス」

 一本もらい、火まで点けてもらった。ゴツいライター使ってるぜ。

「おっ、シクラメンか。俺、この花好きだ。花言葉は嫉妬と思いやりだっけな?」

 日下部長はちょうど足元に残っていたシクラメンの一輪を拾おうとした。俺は少し慌てた。最初に掃除した所だ。

「あ、日下さん。そこさっきゲロを片した所です。花にも散ってるんでっ」

「お? あ、そう。上手くいかないね」

 思わず俺がフリーターで、日下部長が本社の部長になる前の呼び方をしてしまったが、日下部長は落ちて汚れた花を拾うのを止め、携帯灰皿に吸っていた煙草を捨てると、開けっ放しのバスの昇降口に向かい始めた。

「じゃ、川上君。後よろしく」

「お疲れッス」

 俺は煙草を口から取って頭を下げた。


 掃除を終え、調べといた近くの食堂で海鮮丼(絶品っ!)を食べてトイレも済ませ、また駐車場に戻り、タイヤをチェックして、俺でわかる範囲でエンジンルームのチェックも済まし、出発前に旅館に挨拶に行ったら女将に鼻であしらわれ(よくあること)、俺はマイクロバスを出した。

 適当にラジオを聴きながら来た時とは逆に海岸沿いを走り、ガソリンスタンドに寄ってから高速に上がった。重ねて主張してみるが、俺は建築作業員であってプロドライバーではない。つまり車体がデカく、走行性能の低いマイクロバスで高速に上がるのは超怖いんだ。行きで既に疲れてるしな。

 ホントはどこかで休憩して仮眠を取りたいくらいだが、今夜中、それも車両部の担当者が会社に残ってる内にバスを会社に戻さなきゃならない。このまま休まず高速をブッ飛ばすしかねぇぜ。

 しばらくそのまま走っていると、疲れがかなりきて、頭が痛くなり、ラジオから流れるスピッツの曲がキンキン頭の芯に響くようになってきた。ヤバい、スピッツすら許せないなんて、俺の中の優しさが限りなくゼロに近付いているっ! 俺はラジオを切り、ボトルの強力なガムを二つ口に放り込んだ。ミントが口の中で爆発するようだ。もはや鼻が痛い。

 音楽が消え、日暮れの高速道路を走る走行音だけになった。これは、くるな。20代前半の頃に比べると確かに体力は落ちたし、人手不足の系列会社のバス運転士の社内募集は、待遇面ではそこそこだったが、現場で建材担いだり重機乗り回す方が性に合ってるぜ。

 日下部長に内勤に移らないかとも誘われているし、実際言われるまま事務系の資格もあれこれ取ったし、事務応援の名目で学生アルバイトにさせるような雑用で内勤の手伝いに入ることも最近増えたけど、俺はこれからどうなるのか? 自分でよくわからない。

 学生やフリーターの漠然とした進路の戸惑いじゃない。自分の業務の展開を自分で選べるヤツなんてほとんどいないんじゃないか? どうするか聞かれても形だけだ。俺は進んでそうしたワケじゃないが今では『日下一派』の便利屋になりつつある。いや、もうなってるな。俺は日下さん次第だ。来た仕事を少なくとも大きくはトチらずやり切るしかない。

 以前は土建は体一つと思っていたけど、頑張って、金稼いで、ってだけじゃ済まなくなってきた。結構、仕事は器用な方だと思ってたけど、俺、間が悪いのかな?

「・・・危ねっ!」

 気が付くと、加速車線からスーッと、ロクに状況を見ずにバイクが本線車道に滑り込もうとしてきた。

 俺は慌てて後方モニターを見てアクセルを緩め、指示器を下ろし、右の後方確認すると後続車との車間距離は微妙だったが、車線を変えた。

 バイクは素知らぬ様子で本線車道に入ると軽く100キロを超えるくらいの速度ですっ飛ばして行った。

「長生きしねぇぞこの野郎っ!」

 思わず怒鳴っちまった。全身冷や汗だ。俺は車間距離を調節しながら、サービスエリアに寄ることを決めた。車両部には一本、詫びの電話を入れよう。

 俺はそんなにタフじゃないよ。


 サービスエリアの食堂で12月限定のストロベリーロールケーキを食べ、ハーブティーを飲み、一心地着いた俺はまず車両部に少し遅れることを詫びて、べらぼうに嫌味を言われ、それから少し迷って藍子に電話を掛けた。

「何? 直樹さ、まずメールしてから電話して、って言ってるだろ? 何なの? んんっ?」

 いきなりこれだよ。

「ちょっ、待て。何で喧嘩腰だよ。あ、わかった。お前今、家にいねーだろ? あの何とかってコック野郎とデートだろ?」

 ファミレス勤務の料理人と付き合ってるのは藍子本人からもう聞いていた。婚活の話を他ならぬ遊馬から聞いた時は多少動揺したが、それは別にいい。だが、藍子が急に髪を黒くしたのはどうも気に入らなかった。俺は10代の頃からことあるごとに、髪を染めるのやめたらどうだと言ってきたのにっ! 村岡成一とかいうヤツ、何者だ? どうやった? やっぱ俺よりチンコがデカいのか?!

「電話切りたいんですけどぉ? 何か急用ですかぁ?」

「さっき事故りかけたんだよ。高速で」

「何っ? 殺ったのっ?!」

「殺ってねーよっ! 殺ったら電話どころじゃねぇわっ。怖いわっ!」

「何? 何なの? ビビらせんなよっ」

「だから藍子さ」

 俺は、なぜ高速をマイクロバスで走っていたかはボヤかして、押し込んできたバイクの話を手短にした。

「ああ、そういうこと。ちゃんとサービスエリアで休みなよ?」

「わかってる」

「高速は・・・あ、村岡さん戻ってきそう」

「戻ってきそう? そういやそっちどういう状況だ? デート中だろ?」

「クレープを買ってきてもらってたんだよ。今、ベンチ。ほら、あたしが前働いてた美容室の近くにクレープ屋あったでしょ?」

「いい歳して、夜中にデートでクレープ食うなよ」

「いいだろ別にっ! まだ夜中って程の時間じゃないしっ、昼間は二人ともシフト入ってて会えなかったんだから」

 そんな、気張って時間作ってんのか? 何か、腹立ってきた。そこのクレープ屋には俺も藍子とよく行ったし、ホント、引き出し少ない女だぜ。藍子っ。

「遊馬の晩メシは?」

「お母さん達に任せた。いいでしょ? あたし、一日中は母親じゃないから。何? 妬いてんの? もう離婚したんだよ」

「わかってる。妬いてねぇし。その村岡ってコックは大丈夫なんだな?」

 藍子と遊馬に関しては、あのどうしても金が必要らしいキャバ嬢だか何だかわからない女達とは違う。大丈夫かどうか? それは俺の問題だ。例え養育費が必要なくなっても、俺の問題だ。

「大丈夫だよ。大丈夫。わかった?」

「よしっ。ところでそいつのチンコは俺よりデカいのか?」

「はい、セクハラ入りましたぁ。あ、ホントに村岡さん来たから、切るね。車、気を付けなよ、おチビちゃん」

「誰がおチビちゃんだよっ?! 俺の本気が東京スカイツリー並みであることは」

 そこまでで通話を切られた。う~む、藍子めっ!

「・・・再婚、するかもなぁ」

 俺はサービスエリアのレストランの椅子にもたれた。入る時はまだ殺気立っていたから目に入らなかったが、クリスマスの飾りだらけだ。近くで結構年配のツーリングの一団が、拡げた地図とタブレット端末をテーブルに置いて、明日のルート確認をしている。あの世代でもタブレット使うんだな。

 時計も見て、俺はトイレを済ませてマイクロバスにまた乗り込む前に里香に電話をすることにした。まだ勤務中だろうが、もしかしたら繋がるかもしれないし、繋がらなくても留守電にメッセージを入れようと思った。

 事故りかけた話をするつもりはもう無い。おでんが食べたくなったんだ。帰ったら里香の部屋でおでんが食べたいと、頼むつもりだった。ついでに普段こんなことしないけど、小さい花束も買ってゆこう。床で踏み散らされてゲロをぶっかけられたりしない、真っ当な花束を、里香に持ってゆこう。

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