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四季花  作者: 大石次郎
4/8

秋 ~後~

 三階に入ってた健康食品の会社が潰れたせいで、引っ越し屋が整理業者が金目の物を持ってった後の残品を片付けに来ていた。

 一応エレベーターは使えたけど、優馬に通わせてる空手教室は二階だし、邪魔しちゃ悪いかな? と思ってもう道着を着せている遊馬の手を引いて階段を上っていた。が、足元ばかり見ている遊馬が足を交差させるように階段を上るのでやたら遅く、あたしの手を握ったまま左右に揺れながら足を上げるのであたしも階段を踏み外しそうになって危ない。

「遊馬、ジグザグに上るの止めなっ。危ない」

「面白いよ?」

「面白くなくていいからっ」

「ええっ?」

 心底意外だという顔であたしを見上げてくる遊馬。

「世の中、『面白い』より『危ない』の方が大事なの」

 根性焼きとトマトの刺青があるあたしが言うのも難だけどね。

「何で?」

「『面白い』は嬉しいだけでしょ?」

「うん」

「『危ない』は死んじゃうんだよ?」

 死んじゃう、の件で声を低くしてやった。

「え~っ?! 嫌だぁっ!」

 体をすくませる遊馬。よしっ、もう一押し。

「フニャフニャ歩いてここの階段から落ちたらぁっ、遊馬の頭がパカァって割れて中がドリュゥッ! って出て死んじゃうよぉっ?!」

「ドリュゥッ?! 嫌だよぉっ!!」

 半泣きになる遊馬。フッ、他愛無い。6歳児じゃ相手にならないね。ふふふっ。

「ほらっ、わかったら真っ直ぐ歩きな」

「はぁい」

 半べそで大人しく普通に階段を上りだす遊馬。横顔や、耳、何かがやっぱり直樹に似ていて困ったな、って思ったりもする。

「遊馬、帰りはお爺ちゃんがバスで迎えに来るから。銭湯行って、着替えて、お爺ちゃんとどっかでお昼御飯食べてね」

「うん」

「お母さん、3時からお仕事だから今日は7時くらいに帰ってくるからね」

「お仕事ってコンカツ?」

「はぁっ?」

 声が裏返った。

「コンカツのお仕事?」

 綺麗な目で聞いてくる。

「こ、婚活じゃないよ? 3時からはスーパーのパートだよっ?」

 これから3時までは村岡さんとデートだけどねっ!

「そうなんだぁ。今日はコンカツのお仕事じゃないんだねぇ」

 遊馬はもう『コンカツ』に興味を無くしてポケモンだか妖怪ウォッチだかのメロディーを口ずさみ始めた。

 あたしは冷や汗が止まらない。だ、誰だぁっ? どこのすっとこどっこいが『婚活』を『お仕事』何て遊馬に教えやがったぁっ!!

「帰りにお土産買ってくるよ。何がいい?」

 猫撫で声で取り繕ってみる。

「じゃ、チキン。ビスケットもっ!」

「OKOKっ! あたしに任せてっ、ハハハっ」

 笑うしかない。

 それから、遊馬を空手教室に届けて母にメールで遊馬を送ったことを知らせ(父は家にいる時、携帯電話を充電器に置きっぱなしでいまいち伝わらない)、あたしは軽自動車で待ち合わせしている古本屋の近くの駐車場まで行き、停めた。大手の不動産屋系の駐車場で停めやすいし、入り易いし、出易い。スペースの詰んでる駐車場は最低だからね。

「おっしっ。あ、でも早い」

 まだ待ち合わせの時間まで少し早かったけど、あたしは気合い満タンだ。離婚してからホントに誰とも付き合ってなかった。ずっと渋っていた結婚相談所に登録したのも6月のちょうどあたしの排卵日前に、キッチンで初物の苦瓜を料理しようとしたところ興奮を覚えてしまい、いやっ、勿論何もしてないけどねっ! 実家だしっ! これはこのまま放置しておくと変なことになると悟った結果だった。

 今のところ村岡さんとは二人で出掛けたり、食事をしたりするくらいで何もないが、それでももう苦瓜だのトウモロコシだのにドキッとすることはなくなった。身も蓋も無い言い方をすれば寂しかったんだと思う。

 あたしは紙と埃と古いインクと珈琲豆の匂いの籠った古本屋に入ると、本棚を素通りして店の奥の小さな喫茶スペースの椅子に座った。

「ホットコーヒー下さい、ブラックで」

 60代くらいの店主に頼む。『ブラックで』はドヤ顔で言ってやったさ。コーヒーは苦手だけど、ここはコーヒーと水とオレンジジュースとサイダーしかなかった。

「たまには本も読んであげて下さいね」

「すいません」

 活字は苦手。あたしが笑ってごまかすと、店主は片眉をクイっと上げて、ゆっくりとした動作で豆を挽く支度を始めた。いい店。村岡さんが教えてくれた。直樹に無いチョイス。程なく店主が持ってきてくれたコーヒーは、味はやっぱり苦くて美味しいと思えなかった。でも香りが濃厚で、脳までまろやかにになりそう。あたしに嫌いなコーヒーを飲ませる何て、侮れないねっ、村岡誠一っ!

 そんなことを思ってまったりと待っていると、約束の時間の6分程前に村岡さんは来た。

「あ、やっぱり。駐車場に高倉さんの車あったから。早いですね」

「本を読め、って怒られてたとこです」

「お客さん」

 店主を少し困らせちゃったよ、ふふふ。落ち合ったあたし達は古本屋の裏手の通りを抜けて、緩い坂道を上って先にある美術館に向かった。ゆっくり歩いてく。遊馬とはいくらでもゆっくり歩けるけど、やっぱりあたしに付き合ってくれる人と歩くのは特別だよ。直樹とは別れるまでの一年くらいは戦争状態で、一緒に普通にどこかに出掛けるとかそんなこと言ってられなかった。基本的には、イイやつなのにね。

「村岡さんもコーヒー頼めばよかったんじゃないですか? 今日、寒いし」

「本買わないのに長居しちゃ悪いですよ。でもホントに寒くなりましたね。月曜からシフト遅番何で、明け方自転車で帰ると結構堪えますよ」

「家から近くても自動車にしたらどうですか?」

「従業員用の駐車場が少ないんで、店長がうるさいんですよ。自分はアメ車をバーンって停めちゃってますけど」

 あたし達が笑い合うと、秋の終わりの冷たい風が吹いてきて、あたしの髪がなびいた。そういえばしばらく染めてないからプリンになってきてた。中学の頃からずっと染めてるけど、もういいかな? ふと、そう思ったりもした。

 美術館を二人で観て回った後で、本当は二人で昼食も食べたかったけど、村岡さんの今日の仕事のシフトが1時からだから無理だね。美術館の外のベンチであたしは缶紅茶、村岡さんは濃いタイプの缶緑茶を座って飲んで、後は駐車場で村岡さんの青い車を見送って別れた。

「さて、と」

 あたしは駐車場で伸びをして、鍵を手に、自分の軽自動車に歩き出した。お腹も空いたけどトイレに行きたい。コーヒーと紅茶をガブガブ飲んだからね。そろそろ父が、遊馬を迎えに行ってる頃でもある。スケジュールを詰めれば速攻で取って返してあたしが遊馬を迎えに行って、あたしが銭湯に連れて行って、あたしがどこかで御飯を食べさせて、あたしが家まで送って、そこからパート先に出勤してもギリ間に合ったろうけど、とてもじゃないよね。

 古本屋とパート先の中間くらいにある蕎麦屋に着くと、茄子天蕎麦と玉子焼きを頼んでトイレに早速ゆこうと思ったが、ふと遊馬を送ってから一度もスマホを見ていないと気付いて、席から立ち上がった中途半端な状態のまま鞄から取り出して確認してみた。結構入ってた。

 父からのこれから遊馬と銭湯とゆくという短いメールが来てた。ホント助かる。SNSにパート先の年下の同僚から土曜出勤が嫌だ。というグチ連投も来てた。連投の後半でパート先の冷蔵庫の中に入って親指と小指を立てて舌を出すポーズをしていたけれど見なかったことにしておく。夜学時代、早く就職したくて一緒に高認の試験を受けた粕谷桃華からも、オーストラリア人の旦那と移住した香港でデモが凄いことになってると何本かSNSに入っていた。危ないなぁ。

 取り敢えず、父には手短にありがと、と。パート先の後輩にはおバカ、と。桃華にはそういうのには近付かなくていいから、と返信しておいた。

 あたしはため息を一つしてトイレに入った。

 我慢していたからガッツリ目にオシッコをして、体重が軽くなったことを実感しながら洗面台で手を綺麗に洗った。顔を上げて鏡の中の自分と目が合うとやっぱ老けてきたな、って思う。目の下とか、口の回りとか、首とか、張りが無くなってきた。それに昔はもっと怒ってるみたいな目をしたり、そうじゃない時は自分が弱っち過ぎることにビビッて卑屈な顔をしていることが多かった。今は落ち着いてしまって、自分が何かに負けても平気な顔している。

 10代後半から20代中盤くらいまでのビビりで半端なクセに一番調子に乗って何でも安易に手を出そうといた頃、あたしのしてきたことは正解だったのか?

 結局お金が残らなくて親に頼って、それを定期的に自分は公務員で、そこそこの会社員と結婚して息子をボーイスカウトと英会話教室、娘は早期教育の脳トレとリトミックに通わせて自治会の委員としても熱心に活動している姉の瞳にボロンカスになじられ、美容師の仕事も実はパーマ液が体に合わなくて遊馬と関係無く復職が難しく、直樹の浮気で離婚協議している時に実は中学の時に初めて付き合った予備校の講師に相談した勢いで『11回』も抱かれていた。・・・11回は多過ぎるだろっ?! 自分っ!! 確かに上手だったけどねっ!

 ああっ、ダメだ。ゼロどころかマイナスだ。もはや恥ずかしいことしかしていない気がしてきた。周りに迷惑しか掛けていない。自分の人としてクオリティの低さに呆然とする。たぶん来世は毛虫に転生すると思う。

「最低だよね」

 呟いて洗面台に手をつくと、ふと傍の花瓶に生けられた花に気が付いた。この花はあたしでも知ってる。秋桜だ。赤、ピンク、白の花だった。中でも『白』が目に付いた。村岡さんと観た絵画展でも白の色彩が際立っていた。作者は大国の介入で内戦状態に陥った祖国から亡命して、そのまま二度と帰国することはなかった人物で、描かれた作品はどれも祖国ではなく亡命先の国のごく普通の街並みだった。でもその絵には部分部分、無秩序に色彩が切り取られたようにモノクロで描かれた所があった。そこでは特に『白』が念入りに塗り込まれ、線が塗り潰されるようになっている絵もあった。

 音声ガイドや村岡さんの話によると晩年作者が健忘症に苦しみながら描いた絵らしい。祖国のことをほとんど、どうしても思い出せなかったそうだ。

「創作に対価は必須何だと思いますっ」

 村岡さんはやや興奮してベンチで濃い缶緑茶を飲みながら話していた。美術の学校を出たり絵を本格的に描いたりする経験は無い村岡さんだったけど、30を過ぎて急に美術鑑賞に目覚めたらしい。だったら結婚相談所のプロフィールに趣味は美術鑑賞と書けばよかったのにと言ったら、詳しいワケじゃないからホントに美術が好きな人をガッカリさせてしまうと気恥ずかしそうに応えていた。

 あの『白』には主張があった。覚えてられるかどうか知らないけど、失敗と敗北の繰り返しの先に、あたしも何か『一筆』描かずにはいられないようなモノが残るんだろうか? 別にあたし何かが何かをする必要は特に無いんだろうけどさ。

「どうしました?」

「え?」

 あたしがずっと花瓶の花を見ていたから、いつの間にか後ろに来ていた小綺麗なOLさんが声を掛けてきた。

「あっ、すいません。失礼します」

 そそくさとトイレを出ると、席に玉子焼きはもう出されていた。

「おっ、来てる来てる」

 席に着いて、手を合わせる。

「頂きます」

 割り箸を取って割り、玉子焼きを一切れ取って丸ごと口に入れてモシャモシャ食べる。甘くていいおダシで香ばしくてふっくら柔らかい。旨し旨しと食べていると、

「お待たせしましたぁっ」

 茄子天蕎麦も来た。これこれ。大根おろしつゆに軽く浸した茄子天とパリパリ噛むと熱い中身がトロっとて出てくる。この流れで蕎麦っ。

「ん~っ!」

 旨い。ガラにもなく美術館何て行ったから? あれこれ考えちゃったけど、今、蕎麦が旨くて3時からパートっ! しっかり働かないとね。何か資格を取って改めて実家を出るにせよ、何にせよ、やることやってそれからの話。

「すいません、稲荷二つ下さい。これ、後からセットにできますか?」

「ええ、もちろん。どうぞどうぞ」

 店員さんに追加オーダーして、あたしは本格的にエネルギー充填体勢に入った。ちゃんと食べないとねっ!

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