5月18日(水) 3年生の一日
日本の高校進学率が100%近くになって長い。「生徒の能力・適性・興味・関心・進路希望等が多様化している(※)」ということで、2010年代から遠隔授業の仕組みが発展した。僻地や離島で用いるだけでなく、「多様かつ高度な教育機会の提供(※)」を行うためにも利用されている。最初は不登校や諸事情で通学できない生徒向けだったが、通信環境も整った今では「各学校の特色ある取組(※)」のために使われることも多い。
野玖宮高校・東京キャンパスにも遠隔授業が導入されている。
東京キャンパスのウリは、なんといっても「東京回路研究・運用センター」を利用できることだ。回路関連の実技はセンターを使い、それ以外はだいたいを遠隔授業で補う。
学校を新設するよりは手間も費用も少ないので勝手がいい。年間で、3分の1より多めの授業がスクリーン越しにライブで行われる。
1限は仙子の好きな「異文化理解」である。授業の主な内容は、欧米やアジアの生活や習慣を学習すること。
魔語によって翻訳業界は滅んだが、日本における英語の地位も相対的に低下した。
回路の翻訳機能があれば、文字でも音声でも簡単に意味が通じるのだ。学ぶ重要性は薄れる。
語学としての英語は簡単な文法を学ぶ程度、教科としての英語は「言語を通じて他文化を知ろう」の「知ろう」部分が増加した。
スクリーン越し、本校の教師が解説と共に資料を配信する。手元の学習専用タブレット(回路非搭載)に各地の祝祭をテーマにした動画が流れた。原色の鮮やかな民族衣装や、やたらに食欲をそそる現地料理が紹介される。食事の映像が多いのはふくよかな教師の好みかもしれない。
(楽しそうだな)
いつの間にか、頬がゆるんでいた。
仙子は回路の翻訳機能が使えない。タブレットや自前の携帯で読めるのは、自力で理解できる言語だけだ。
回路が使える友達がどれだけうらやましかったことか! 実は今でもうらやましい。中学生の頃はそれでちょっと荒れた。
高校も2年になれば真剣に将来を考え始める。生まれついたものにふてくされてもしようがない。当時、考えに考えた。最後まで残ったのは、「知りたい」だった。
他言語を学べば自分が読めるものが増えて嬉しい。そのうち、日本にない習俗や歴史が面白くなってきた。中世ヨーロッパはベタにハマった。
――もう少しやってみたい。
私立高校に通い、寮にも入っている。親の経済的負担は大きい。うすうす、わかってはいた。
それでも挑戦はしたかったので、同級生や先輩に相談し、担任と面談し、奨学金制度やもろもろを調べ、両親にプレゼンテーション&膝詰めの話し合いをし、条件付きだが進学の許可は出た。
あとは受験勉強に励むばかりである。
『姫川ー、寝るなー』
葵の席は仙子の隣。
6人しかいない教室だから、コックリコックリと揺れる頭はかなり目立つ。葵は朝が弱い体質で、それは入学した当初から変わっていない。本校の教師も苦笑いだ。
「姫ちゃん」
つんつん。
葵の頬をつつく。
「!」
ばっ、と顔をあげ、周囲を見回す動作がなんとも可愛い、と仙子は内心もだえる。5分後に全く同じことが繰り返されるのだが、可愛いは正義、と萌え萌えしながら葵を起こすのだった。
2限の選択理科は苦手な物理だった。今度は仙子が爆睡した。
――4限終了のチャイムと共に戦端は開かれた。
チャイムの1音目が鳴った瞬間に教室の扉はスパンッ、と開け放たれ、本能に突き動かされた生徒たちが廊下を駆ける。
階段なぞ3段飛ばしで降りてしまえ!、なに、着地に失敗しても昼食さえ手に入れればどうにかなる……!
地響きすら錯覚する勢いで生徒はなだれ込み、口々に叫ぶ。
「おばちゃんっ、焼きそばパン2つ!!」
「クリームパンセット2袋!」
「焼きそばちょうだい!!」
「サンドイッチ3つ!」
生徒たちの食欲の前に容赦なく売り切れていく総菜パンたち。
一番人気はやはり伝統の焼きそばパンだ。炭水化物コンボではあるが、代謝の高い高校生(特に魔戦コース)には関係ない。カロリーこそ真理なのだ……!
「メンチ! デニムメンチはまだある!?」
「てめー焼きそば買ったんなら自重しろって!!」
「あんたこそどきなさいよ! 割り込みは(ピー)ね!!」
最近、そんな王者・焼きそばパンを脅かすニューフェイスが投入された。さっくりとしたデニッシュ生地に、重量感あふれる具材のメンチカツ……その名はデニムメンチ。炭水化物&たんぱく質のバランスと、育ち盛りの胃を満たすボリューム。デビュー後、彼は瞬く間に生徒たちの絶大な支持を得た。肉は強い。
麺の焼きそば、肉のデニム。
学食総菜パン頂上決戦はさらに混迷を深めるのであった……!
「せ、世界とは悲劇なのか…………」
そんな昼時なので、5分の出遅れは失策である。致命的と言ってもいい。3年生の4限がちょびっと延びた間に、学食の総菜パンコーナーはあらかた全滅していた。残っているのは何故か搬入された食パン一斤だけである。仙子お目当ての税込み100円パン(もさもさしているが大きいので腹は膨れる)は影も形もなかった。
「仙子ちゃん……」
「うん、ちょっと、ちょっと待ってね、姫ちゃん、うん、今月はまだ大丈夫なはず」
仙子は財布を握り締めた。
もはや食券を買うしかない。このままでは5・6限など乗り切れない。
最低価格のうどん(180円)は当然のごとく売り切れだ。残っているのは今月のおすすめ「新たまねぎと鶏肉のクリームシチューセット」(500円)。
同じ1コインでも、100円と500円には深い溝がある。越え難い溝を泣く泣く越え、仙子はクリームシチューセットをゲットした。葵も同じセットにしていた。
「去年はそんなに混んでいなかったのにな。やっぱり人数が増えたんだね」
学食の席はおおかた埋まっていた。一人ならばなんとかなりそうだが、二人並んで、というのは難しい。
葵が外を指さす。
「うーん、晴れているからそれも良いけれど……天気が良すぎて日差しが痛そうだね」
学食は1階なので外にイスを出して食べることもできる(使用後に脚をふくのが条件)が、カフェのテラス席のようなイカした日除けはない。今日は雲一つない五月晴れ。空気も爽やかというよりやや暑い。紫外線もガンガンそそいでいるだろうから、女子として今日の屋外は避けたい。
さてどうしたものか、と視線を巡らせた仙子、ある一角が妙に空席なのに気がついた。
不機嫌なイケメンが不機嫌オーラをまき散らし、物理的に他の生徒を排除していた。
長い足が持て余し気味に組まれ、テーブルからはみ出している。暑いのか詰め襟の前を開け、シャツからチラ見するのは褐色の肌。 眼光鋭く眉も寄って2・3人殴ってきましたという顔つきなのに、やっぱりイケメンなのが理不尽だった。
仙子は時計を見る。昼休みは残り25分。
食事はゆっくり摂りたい、でないと太る、ついでに教官からフォローを頼まれたのだから話しかける理由もある、とにかく座って食べたい、と瞬時に判断を下した仙子、葵を促して――「あそこだ姫ちゃん」「!?」「大丈夫、怖くない」――不機嫌の主、慶司郎へと歩みを向けた。
心地よい風が教室にそよぐ。
たまらなく眠い昼下がり、3年生はどーにか目を開け議論を始めた。
「えー、今年の課題制作だが、何を作るか希望がある人は挙手」
進行役の陽太の言葉に誰も手を挙げない。
「おーいお前ら、4月からなんも考えてないのか? 連休明けには決める話にしてただろうーが」
「えー、でも高校生だっていろいろ忙しかったんですよ先生」
「今回のツアーはどこだったんだい?」
「広島!」
仙子の問いに隣の女子――梶 凛は朗らかに答えた。「もうサイっコーだったの!」と笑顔も素敵だった。
凛はけっこうなアイドルの追っかけで、一年を通して全国のライブに参戦している。3年生で唯一の通学生であるが、その理由も「寮にいたらツアーに行けない」からで、2年に進級する前に寮から出た。沿線の乗り換え駅に部屋を借り、母親と住んでいる。妹がいるが今年から同じく野玖宮高校に入学・同居しており、今では父親が単身赴任状態だそうだ。
「瀬里澤、梶、話がずれてるから」
「すまない」
「ごめーん」
5限は「総合的な学習の時間」である。自ら課題を見つけて解決するのが狙い。週に2時間あり、片方で魔語を使った装備の制作実習、片方で1年生のサポートを行う予定だ。水曜は制作の時間。今年は卒業制作も兼ねたそれなりに大事なものとなるが、テーマがちょっと難題だった。
凛が手を挙げる。
「1年生に聞く?」
「?」
「今年のテーマは『1年生向けのフィールド用装備』でしょ? そもそもフィールドに入れない私たちが考えたって、いい案なんて出ないじゃない。こっちがいいと思って作っても向こうがいらないってんなら無駄だし」
「そりゃそうだが…………それもそうだな」
「アンケート採って欲しい装備の集計採って、多い順に何個か作るの。それなら1年生からの評価も良くなるでしょ」
担当教師から「6個は作れよー。一人1個担当だ」と合いの手が入る。
「じゃあ上位6個だな」
「で、希望の装備もこっちで指定するの」
「どうやってだい?」
「今まで作ってきたのから選んでもらうのよ。そのまま使うのは無理だけど、一から作るより楽でしょ? こっちは手間が省けるし、1年は早く装備が手に入る。
あたしたち受験生なんだから、できるだけ手間のかかんないようにしたいわけ」
「サンセー」
「いいじゃん?」
後ろで半分寝ていた男子2名からも賛同の声。
「姫ちゃん、それでいいかい?」
仙子の確認に葵も頷く。
「じゃあ決まりね! もー、ほんと助かるー。妹に装備欲しいって頼まれちゃったけどめんどーでさぁ、授業でできればすっごい楽!」
「すがすがしいほど自分本位だな」
「他に意見が出ないんだからいいじゃない。えーと、アンケートはフォーム作って配信するでしょ、制作リスト作るでしょ、あと何が必要?」
指針が決まれば後は早い。陽太と凛が細かい内容を詰めていく。
「アンケートの内容はどうする?」
「まずは自分の希望装備でよくない? 『どーいうのを目指してどーしたいからこーいうのが欲しい』、で十分でしょ」
「あとは物のリストか。……先輩がまとめた表があったな」
「それでいーわ。リストには系統と効果の説明つけとけば1年生でもわかるし」
「系統?」
「ほら、召喚系とか防御系とかあるじゃない、あれよ。ウチの妹は召喚系が欲しいって」
「本っ当に自分本位だな梶!」
「ほめられても困るー」
軽口の合間、教師から「金曜までにサンプルを出してくれ」と指示が入る。金曜の午後には1年生の実技がある。3年生がどんな装備が作れるか、のイメージを持たせたいとのこと。
「サンプルぅ? 先生まさか実物じゃないでしょ?」
「3Dデータでいいぞ。さすがに20人分は無理だろ?」
1年生魔戦コースの在籍は20名。
はっ、と気がついた陽太、教師におそるおそる質問する。
「……先生、もしや、実物で、最終的には6種類20人分、120個作ることになりますか?」
教師は「やってもいいぞ?」と笑ったが、6人全員から断固とした「遠慮します」が出た。実物は実際の金属に魔語を刻まなければならず、たいそう手間なのである。データは6種類、実物は合計20個を1年間で制作することになった。
「サンプル、サンプルねぇ……すぐに出せるようなのなんてあった?」
「うーん……1年生全員に向いたもの、ということだろう? しかも装備もしやすいような」
あったかな?、と首をひねった仙子の頭に閃きが走った。昼に交わした慶司郎との会話がよぎる。
「あ」
「どうした瀬里澤?」
「いや、昼食時に慶司郎と話をしたんだがね。それで思いついたことがある」
「あー、いたなキンリュー、すんげー機嫌悪そーだった」
「なにあの迫力マジで1年?」
「まあ、実に『らしい』理由だったよ、不機嫌なのは」
話しかけてもろくに答えない慶司郎だったが、仙子がなだめるうちに聞き出したのはなんともイケメンらしい理由だった。
「駅で盗撮されるそうだ」
「……は?」
盗撮といっても隣のホームや離れた場所から撮られる程度であるが、無断なのである。だいたいは同年代の女性(たまに男性)たちで、撮ったあとにキャイキャイ騒ぐくらいだが、あまりにもそれが多くなったので今日は文句をつけにいったという。
「そうしたらさらに騒がれて写真を撮られ、最終的には駅員さんが出てきたそうだ。痴漢かと思われたらしい」
誤解はすぐに解けたが、駅では見せ物になり学校には遅刻し噂好きのクラスメイトにはまとわりつかれ、機嫌は急降下。昼には誰も近寄らないレベルまで達していた。
「琴留も災難だったな」
「ほんとにあるんだそんなこと」
「私も驚いたよ。でね、似た話が先輩にもあったろう? あの時のものをサンプル装備として出してみてはどうだい?」
教師も含め、皆「あったあった」という顔になる。
仙子たちの1学年上に、慶司郎並のイケメンに妙な色気を追加した生徒(男)がいたのだ。本人はいたってまっすぐな気性なのだが、その中身と外見のギャップがいい感じに魅力を醸し出すのか、都内に出るたび痴漢被害に遭遇し(て犯人を返り討ちにし)ていた。
「あれの効果は確か……うん、『着用者の存在感を薄くさせる』だ。ピアスではないし、誰でもつけられる」
見兼ねた同級生たちが作成したのが、イアーカフス型試作品・開発名称「スネーク」であった。
「これを回路に組み込めば『異形』に対してもステルス効果が出るかもしれない」
「ちょうどいいな。誰が使ってもいい」
「3Dデータもあるわね。ちょっとーあんたたち、データ直して回路にしてくれる?」
後ろの男子二人からブーイングが出るが、「意見も出してないんだからやんなさいよ」と凜が押しつけていた。
頃合いもよく、5限終了のチャイムが鳴る。
「来週は中間だから次は再来週か。1年のアンケートは集計まで済ませておけよー」
教師の言葉に、仙子は一気に憂鬱になった。
6限はLHRだ。春のBBQ会の日程を決めるぐらいしかないからすぐ済むだろう。空いた時間はテスト勉強でもしようか、でも全くもって気が乗らない……。
頬杖をつき、空を眺める。
雲一つない真っ青な空。
昼寝には絶好のコンディション。
ここまでくると憎たらしいほどの気持ちよさだ。
「テストなんて滅べば良いのに……」
「仙子、あんた前もそんなこといってたから」
「いい加減あきらめろ」
クラスメイトの突っ込みに撃沈する仙子。
結局、今夜も予定していた分の勉強は終わらず、またも「滅べば良いのに……」と枕を濡らして就寝するのであった。
■次回更新日:5月20日 22時
※「」内は文部科学省「高等学校における遠隔教育の在り方について」(報告)より抜粋