5月17日(火) 中間考査1週間前
『これにて本年度の生徒総会を終了いたします』
昼食後の5・6限目。
体育館はまったりとしていた。
5月も半ばである。日差しはくっきりと床に影を作り、さわやかな風が生徒や職員の眠気を誘う。
前方の大型スクリーン内では、新たに選ばれた本校(関西)在籍の会長が締めの言葉を終えた。映像は鮮明。東京キャンパスは山の中にあるが、今日も電波は調子良く本校から飛んでいるようだ。
仙子はあくびをかみ殺して拍手をする。
私立野玖宮高等学校の生徒総会は今年もつつがなく終わった。生徒会役員は例年通り本校からの選出である。東京キャンパスからは立候補者もいない。生徒数も増えてきたので、来年からは東京キャンパス独自に生徒会を設けようかという話も出ているが、仙子たち3年生には関係の無い話だ。
音響・映像機材は放送委員会が担当だが生徒が座ったイスは全員で片づける。
眠気覚ましにはちょうどいい、と立ち上がった仙子の耳に、さらなる眠気覚ましが飛び込んできた。
『なお、来週の24日からは中間考査が始まります。そのため、本日から部活動は休止期間となります。皆さん、十分に準備をしてテストに臨みましょう』
(…………あ)
背中に、いやーな汗を感じた。
瀬里澤仙子、私立野玖宮高等学校・先端魔語研究コース在籍。
来週からのテストをすっかり忘れていた、とはちょっと言えない高校3年・受験生である。
「どうしよう、終わらない」
寮生活にもスケジュールがある。
夕食と入浴を終えれば学習時間と決まっていて、土日と水曜以外は自室か共有スペースで勉学に励むことになる。仙子はもっぱら共有スペース派だ。机で勉強すると整理整頓の欲求に駆られるのだ。同室者にも迷惑なので、たいていは勉強道具を抱えて共有スペースの隅に陣取る。
「なにが」
「中間までのテスト範囲。なんでこんなに広いんだ!?」
「始めるのが遅いからだな」
「うううう……」
仙子は物理基礎の問題集に顔をうずめた。2年生で学習しているはずだが、頭から公式がさっぱり抜けている。
斜め向かいの同級生の眼鏡男子――宅 陽太は仙子に更なる追い打ちをかけた。
「4月なんてろくに授業がないんだ。さっさと始めれば良かったじゃないか」
「先週の模試にかかりっきりだったんだよ」
「模試って8日のか?」
「15日にもあった」
「それにしたって前からわかってただろ……ふふふふふふははっ、今回の模試でも日本史100点を狙ったぞ僕は!」
「歴オタめ! 君も物理で苦しみたまえ!」
「はっ、私大文系志望になにを言っているんだ瀬里澤! 理科なんぞとっくに捨てた! molもNもわからなくたって生きていける!」
「私だって加速度計算なんて嫌いだーーーー!」
ヒートアップして「お前ら静かにしろ」と寮監から説教が落ちるところまでが様式美である。であるから今夜も説教は炸裂し、二人はしばらく黙々と問題を解く。
「瀬里澤」
「なんだい」
陽太が声をかけた。
「……進学、説得できたのか」
「うん」
仙子の実家では5月の大型連休に大掃除と墓参りをする。天気も気候も良い時期なので長距離の帰省は苦にならないが、今年は家族会議も開かれた。ちょっと重たかった。議題は2年生の末から続いた仙子の進学・就職問題である。家の経済状況を改めて知ってアレだったが、仙子としては希望を拾えた家族会議だった。
「国公立なら四大でも学費はまかなえる。文系は理系に比べれば安いしね。一人暮らしも奨学金があればどうにかできそうだ」
「私大は?」
「なし」
「滑り止めは?」
「なし」
「……落ちたらどうするんだ」
「実家に戻って、公務員試験のスクールに通うことになる。良ければ県庁、だめでも地元の役所だね」
「……シビアだな、ご両親は」
「そうかい? スクールの費用は親持ちだ。実家で暮らせば三食風呂付き個室付きなのだから、なんとも豪勢じゃないか!」
「個室はいいな」
「だろう?」
そうして二人は顔を見合わせ、笑う。
寮で個室なのは寮監や保険医の部屋だけ。仙子は二人部屋だが、陽太は男3人で四人部屋。風呂は共同浴場(男女別)とくれば、一人になれることは滅多にない。
「進学のチャンスをもらえたんだ。良しとしないとね」
自分を励まし、仙子は物理基礎の問題集を再び眺める。……数秒であくびに襲われた。目がチカチカしてきた。公式の意味が全く理解できなかった。
「…………うう、吐きそう」
「ここで吐くな。僕の邪魔だ」
「ひどい暴言だ!」
軽口をたたいていれば学習時間も終わりを告げて、寮の清掃、そのあとすぐに消灯となる。
3年生がいる寮は学校の敷地内という最高の立地。だが来年度に改修工事が入り、2棟目の合宿所になる予定だ。学校側は男女別で合宿所を用意したいらしい。1・2年の寮生は隣駅に新設した寮から通学している。
かつて40人ほどがいたこの寮もだいぶ寂しくなった。現在いるのは仙子たち3年生6名のうち5名だけ(1名は近隣に部屋を借りたので退寮した)。人手が少ないので、手分けてして廊下や風呂場を掃除する。
学校は山の中にある。
窓の外は雨。
少し寒い
夜が深い。
静かだ。
――いなくなってしまった。
手が止まる。
風呂場(女子)にため息を落とす。
ふとした折り、仙子は寂しさを感じる。
去年までは、多くの先輩がいた。彼ら彼女らとは、ただの先輩・後輩の間柄ではなかった。同じ悩みを持ち、同じ苦しみを感じていた。魔研コースは回路の使えない者の集まりでもあった。仲間だったのだ。
ある者は就職し、ある者は進学した。学校を訪れる者もいるが、センターでの仕事や進学先での研修のついでだ。長居するわけはないし、まして寮に来ることもない。仙子たちが最後の魔研コース在籍生だ。
――ああいうふうに、なれるんだろうか。
今でも悩んでいるのかもしれない。後輩には見せないのかもしれない。目の錯覚かもしれない。
けれども、顔を出す先輩らは、皆、楽しんでいるように見える。進んだ道を、その道を選んだ自分を信じているように見える。
――あんなふうに、納得したい。
「仙子ちゃん」
おとなしそうな女子――姫川 葵が風呂場をのぞいていた。仙子の同室者である。戻って来ないので様子を見に来たようだ。
「ごめん姫ちゃん。もう終わるよ」
うなずき、仙子を手伝う葵。小柄な体格と引っ込み思案な性格ともあいまって、小動物のような女子だ。
この同室者の口数はとても少ない。困ったことがあってもオロオロとするだけで、「どうしたの?」と聞いても潤んだ瞳で見上げてくるばかり。これを「キャワイイ♪」と萌えるかイラっとくるかは意見が分かれるところである。
仙子は「キャワイイ♪」派なので、こうして仲が続いている。先日は1年生に似たタイプがいると――「慶司郎って姫ちゃんと似ているね」「…………………………どこが?」「目で会話するところさ」――陽太と話した。同意は得られなかった。
掃除が終わればすぐに就寝。携帯端末は部屋に持ち込めないので寝るしかない。
本日予定していたテスト勉強はやっぱり終わらなかった。
明日から本気出す、と仙子は決意して眠りについた。
この種の決意がうまくいかないのは、まあ毎度のことである。
■次回更新日:5月18日 22時