4月22日(金) 宿泊研修(1年)5日目
宿泊研修・5日目。
最終日の今日は午前のみのスケジュール。
昼食後に解散である。
座学は無しとあって、朝食を終えた1年生たちはとっとと施設になだれ込んだ。
1年生の大半は、朝もはよからフィールド内で大はしゃぎである。「力」を感知できたことで、感じる世界が一新されているのだろう。スタッフが苦笑いするほどの興奮ぶりだ。
対して、早々に「力」を感知した慶司郎や他の数名の生徒は黙々とトレーニングに励んでいた。そのストイックな姿に3年生は――「ふつー遊ぶんじゃね? 高校受験終わったばっかなのになー」「私は入学前の課題が残っていた時期だったね……」「お前あれやったの?」――我が身を振り返ってみた。
棚上げしておくことにした。
昼食はちょっとした打ち上げも兼ねている。フィールドに入れない3年生は準備担当だ。学校に戻り、会場となる教室を飾り付けたり余興の仕込みをしたりと忙しい――中で、仙子は施設の管理棟に残ってPC(回路非搭載)を借り、必死こいてレポートを作っていた。
昨晩、惜しくもデータが飛んだレポートの再作成である。
昨日の慶司郎の訓練後、教官は仙子に頼み事をした。
今回の慶司郎の敗因分析と今後の育成指導案を立ててみないか、という誘いであった。「教官をさしおいてそんなことはできません」と恐縮する仙子に、教官は「3年生のサポートが1年生に良い影響を与えている。この事実を広く知らせたいから一例としてまとめてほしい」と重ねて頼んだ。
敬愛する教官にそこまで言われて否応もない。「喜んで!」と胸をたたいた。
ちょろっと「継続して効果を見たいので、引き続き琴留のサポートを頼む」との一言が追加されたが、教官に頼られた、と歓喜にわく仙子は「任せてください!」と即答しちゃった。
男子2名に「あいつチョロイ」「仙子からチョロ子に改名だなー」とプギャーされた。
レポートを打ちながら、仙子は悩む。
――大丈夫だろうか?
今年は高校3年生。
大学進学、しかも現役を希望しているのでバリバリの受験生だ。あんまり得意ではない勉学に励みながら、1年生のサポートなど満足にできるのだろうか?
しかも相手は、鼠に食われてもひるまない15歳。
(自信はない、自信はないけれど……やると言ったのだからやり抜きたい!)
つねづね、こうと決めたらやり遂げる人間でありたい、と思っている。勢いとはいえ「任せてください」と言葉にしたのだ。なんとしても為し遂げたい。
それに、よぉく考えてみれば死ぬほどのことではない。死ぬ気で頑張れば、たいていのことはどうにかできるものだ。
「仙子ちゃーん、見学の方が来られたよー。案内お願いできるー?」
タイミング良く職員から声がかかる。レポートの印刷も頼むべく、仙子は、はーい、と声を返す。
魔語専門のコースは全国でも少ない。
同じ高等学校以外にも、東京キャンパスには各所からの視察が多い。回路関連企業やAR大会の関係者、AR大会に参加する大学やら各種団体やらの職員、と訪れる顔ぶれはさまざま。
「こちらの桜ももう終わりか。都内はすっかり葉桜だ」
「ちょうど入学式のころが満開でしたよ。今年は雨も多くなかったので、長く咲いていました」
やって来た初老の男性もその一人だ。ふだんは仙子たちの試作品を見に来るのだが、今日は1年生の視察だという。
「都内も今年はよく咲いた。市ヶ谷から飯田橋のあたりは桜が多く植わっていてねぇ。昼に食事がてら歩くんだが、つい魅入って足が止まる」
痛いのも忘れてしまって、と杖をつく男は笑う。
かつて、「異形」との戦闘で膝を負傷したという。
施設は広い。迷うと苦労するから、仙子はよく案内をかってでる。
「そんなに素晴らしいんですか?」
「ああ、遊歩道があってね。こう、道をおおうように枝がはって、つぼみはすべて開いて……散る花びらは、どうしてああも美しいのか。瀬里澤君も一度見に来るといい」
大学に合格したら是非見に行きます、と返事をし、1年生を見学できるモニタールームの扉を開ける。
――大型ディスプレイには、慶司郎と女子生徒の対戦がドン、と写し出されていた。
女子は慶司郎に続いてフィールド外の実体化に成功した1年生だ。巫女服に似た装備が印象的。周囲に小型ドローンをいくつも物質化し、次々と飛ばす。慶司郎は時にそれを交わし、時にそれを叩き落として距離を詰める。
訓練はPvP形式(プレイヤー同士の対戦)になっていた。本来「異形」との戦いには不要だが、ユーザーの強い強い強い要望に負けたゲーム会社が実装し、普及した。
慶司郎と女子生徒が互いに行動を起こすたび、モニタールームで見物している1年生から歓声があがる。
やがて、慶司郎が背後に周り、女子生徒の背中をけり飛ばした。防御システムの限界を越えたのか、フィールド全体に警告音が鳴り渡り、訓練終了を告げる。
(容赦ないな)
仙子は今後に暗雲を感じた。
慶司郎のヤクザキックには何のためらいも感じ取れなかった。女子相手に加減する、という配慮はミジンコサイズも期待できそうにない。
からん。
音に振り返る。
男の杖が倒れていた。
拾って男に差し出すが、顔がモニターに釘付けになっている。
どうしたのか、とモニターを見ても、慶司郎と女子生徒が写っているだけだ。高1でここまで戦ったのもすごいとは思うが、大物の「異形」を削った昨日の慶司郎のようなインパクトはない、と思う。
「瀬里澤、ご苦労」
仙子の手から杖が取られた。
いつの間にか、隣に教官が立っていた。
「どうぞ」
教官が、男の正面に立ち、杖を差し出した。
男は、ひきつった顔をしていた。
何か。
信じられない何かを、見た。
そんなように、ひきつった顔。
「どうぞ。お取りください」
男は杖をつかんだ。
手が、震えていた。
仙子はそっとモニターに近づき、2人から離れる。1年生はPvP談義に夢中で、来客に気づいていない。できるだけ、男と教官を隠すような位置に立つ。
「平和に、なったんだな」
男の声はかすれている。
「ええ」
教官の声は変わらず静かだ。
「あなたがその足で守った、結果です」
鼻をすする音が、聞こえた。
「異形」が出現した最初の頃、その戦いには多くの犠牲者が出たと聞く。この初老の男にも、今の映像になにがしか思う出来事があったのだろう。
見知った人が泣いている、というのは自分に責がなくても居心地が悪い。大人の男の人でも泣くのだな、と思い、仙子はしばらく素知らぬふりをした。
◆◇◆
電車は都内に向かってのんびりと走る。
同級生たちも大きな荷物を抱えて乗っている。本数が少ないから、帰りの電車は自然と一緒になる。騒がしいしこちらを微妙に気にしているし、慶司郎はうっとーしくなって最後尾の車両に移った。金曜日とはいえ平日の昼下がり。観光客も少ない。
車窓から、ぼぅ……と山並みを眺める。
眠い。
昨日も一昨日も、合宿所では爆睡だった。
今日も午前中いっぱい体を動かした。
眠い。心地よい疲労。飯がうまいのもいい。日本の食事とは相性があうのかつい食べてしまう。米うまい。カレーが辛くなくていい。から揚げもっと食いたい。母の料理と似た味だ……。
電車はのんきに各駅に止まる。
まぶたが落ちて、どうにかまた開ける。
5日間、毎日フィールドにいられるなんて最高だった。全力で殴っても蹴っても、誰にも迷惑がかからない。思いっきり力を出して、本当に満足した。日本に来て、この高校を選んで良かった。初めてそう思った。でもあの「異形」に負けたのは悔しい。次は潰す……。
スマホが震えた。
画面を見る。
電子メールを着信している。慶司郎には見たこともないアプリだ。携帯会社が提供しているものだという。キャリアメールとか言うらしい。今日、教えてもらうまで、自分のスマホにこんな機能があるとも知らなかった。
タップするとアプリが立ち上がる。同級生や家族とのやりとりはSNSしか使わないから、読み方も戸惑う。携帯会社からの初期メッセージの次に、タイトルが「これからよろしく!」とあった。タイトルをタップして、やっと本文が表示される。
『こんにちは。
瀬里澤だ。
これから1年、君たち1年生のサポートをする事になった。改めてよろしく。
ARの実体化はできないが、力関係なら相談にのれる。
何かあったらこちらのアドレスか電話番号に連絡を頼む。』
文末には、電子メールアドレスと携帯の電話番号、それに「瀬里澤仙子」とフルネーム。
昼食後、3年生に呼び止められた。
3年生たちが4月以降も1年生のサポートをする事が決まったという。慶司郎の担当を引き続き行うことになったと、仙子から連絡先のメモ(手書き)をもらった。
見慣れない文字列。
よくわからない。
SNSのIDを聞いたら、「使えないんだ」と笑って携帯端末を見せられた。二つ折りの端末など初めて見た。
「回路を搭載していない。こっちのほうが手間がなくてね。スマホはだいたい回路を積んでいるから、認証するのにいちいち実家まで戻らないといけない」
「?」
「……回路が起動できない、と言ったろう? たいして『力』のいらないスマホのロックからして、認証を解除できないんだ。回路の起動そのものが必要だからね。たいていのアプリもログインできないから、IDも持っていない。親に替わりに登録してもらうこともできるが……1度や2度ならともかく、いつも親に頼んで認証を解除してもらうのも面倒な話さ」
眼鏡をかけた上級生が横から口を挟む。
「だからといってガラケーはどうかと思う」
「ガラケーほど古くはないよ! ガラホだ!」
「どちらも骨董品だな」
慶司郎は両方ともわからなかったので黙っていた。
正直、回路を使えない相手では実戦の役に立つとも思えない。
ただ、仙子は「力」が見えるし、装備に関して気になることもある。3年生はどこでも魔語が書ける技能を使って、実体化させる装備に回路や魔語を組み込む実習をしているらしい。
連絡が取れれば何かと都合が良いだろう。
そう考え、なんとか自分のメールアドレス(これも初めて見た)を引っ張りだして仙子に伝える。
「後でこちらからメールを送るよ。それを登録するほうが君には簡単だな」
イラッ、ときた。
できない、と思われることほどカンに触ることはない。慶司郎はこの年上ヅラした(年上なのだが)上級生にやり返すことにした。
「あんた、なんでそんな変なしゃべり方なんだ?」
「……そんなに変かい?」
できるだけ、感情をこめて言ってやる。
「気持ち悪ぃ」
上級生は大きく目を開いて――
「ひどいな! そこまで言うか!? 直球だな!!」
――大笑いした。
眼鏡の男子も笑いをこらえていた。
「……いや、悪い。なかな、か、君のように、面と、向かって言って、くれる人はいなくてね。うん、さすがだ」
上級生は笑顔で言った。
「まあ、癖だよ。小さな頃からこうでね。あきらめてくれたまえ」
メールの本文からアドレスや携帯番号を登録する。
確かに簡単だった。
いちいち入力していたら間違えたかもしれない。
(…………気持ち悪ぃのはマジだろーが)
べつに、言い過ぎたとか、そんなことはかけらも思ってもない、気もしない。いや思ってないし。
返事をしようとして、できなかった。
タップしても文字入力の画面が出てこない。
「返信」のアイコンを押す必要があることに気がつく。
慣れない形式にてこずる。
入力後、しばらくしてから「送信」アイコンにも気づき、押す。
封筒が飛んでいくアニメーションが流れる。
――なんだか慶司郎は不思議な気分だった。
この合宿ではいろんな体験をした。フィールド外での実体化も初めてだし、あんなに軽々と「力」を集めるのも初めて見た。久しぶりに「異形」に負けた(上級レベルだったから仕方がないはず。でも次は勝つ)。同級生の中には自分に怯えない者もいたし(返り討ちにした!)、そういえば仙子とはふつうに話していたような気もする。
そして最後はこのメールだ。
まぶたが落ちる。
眠い。
疲れた。
米うまかった。
そんなには気持ち悪くない。
乗り換え駅までもう少しある……。
慶司郎の体はずるずると座席に寄りかかる。
陽の光が、春に萌える木々に透ける。
電車は木漏れ日のトンネルをくぐり、高校生たちを乗せてゴトンゴトンと走る。
野玖宮高等学校・東京キャンパスの新年度は、まあ順調に始まりそうである。
■次回更新日:5月17日
※「フューチャーフォン」→「ガラホ」に修正