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  1月21日(土) ささいな疎外。だけどほら






 子ども、というには、はみ出る体格であった。

 青年、というには、柔らかいものが顔立ちに残っていた。


 彼は、店内の奥にいた。


 すらり、と伸びた両足がテーブルの下で組まれる。濃紺のジーンズと黒のジャケットが、オフホワイトのインナーの明るさと対照的だ。わずかに首を動かしたのか、フードのファーがふわふわと揺れる。


 海の向こうの血を引く顔立ちは、自信と強さを秘めていた。


 V字の襟からのぞく首筋は細くない。しかし、褐色の肌は丹念になめされた革のように張りがあり、若々しい。耳朶にはまる装飾品(イアーカフス)は鈍く輝き、青い瞳と共に容姿を彩る。

 

 いるだけで、彼は注目を集める。


 きらめく瞳で何を真剣に見ているのか、それを知りたくて視線をたどれば――



「何やってんの、あれ」

「えーと、ワンナイトなんとかという、アナログ推理ゲームだよ」



 ――男子高校生が4人、顔をふせ、テーブルを爪でカタカタたたいていた。



 ◆◇◆



 運命の日、新センター試験から1週間。

 野玖宮高校・漫画文化研究会は本日、毎年恒例、神田明神お参り日であった。


 もとはついでから始まった行事である。年が明ければ、3年生は卒業までまっしぐら。例年、魔研コース生の就職先は回路関連企業やAR大会の関係各所が多く、そのうちのいくつかは市ヶ谷に集まっている。この時期、挨拶周りに市ヶ谷を回るうち、近くの名刹(めいさつ)にお参りしよう、となったのだ。お参り先が神田明神になったのは、関係各所に就職した卒業生が原因である。職場でもお参りしてよく知っているから、と道案内を申し出(てちゃっかり休憩時間にし)たのが事の起こり。漫研の発展と部誌の売り上げ増加を願い、今では年中行事と化した。


 午前は3年生と顧問による市ヶ谷への挨拶回り。午後は1・2年が合流し、合計9人で神田明神へお参り予定。せっかくだから昼でも食べよう、ということで、集合は飯田橋近辺のファストフードに昼前、となっていた。


 ちなみに、国立志望の仙子と凜は二次試験の勉強のため、午後からの合流。私大志望の陽太はセンターのできが良かったようで、就職組と共に出かけていた。


 仙子も午前中は必死で小論文を書き、きりの良いところで寮を出た。野玖宮高校は山中にあるが、一応は東京都所在である。乗換駅で凜と合流し、スムーズに都内に出て野暮用を済ませ、飯田橋のファストフード店2Fに上がり――3年男子3名・2年男子1名のアホな姿を目の当たりにしたのである。


「どうしてこういった所でするかな? 寮でも結構やっていただろうに」


 顧問が注文へ1Fに降りたスキを狙ったらしい。アプリを持っている蓮がやりたいと言い出し、誰も止めずに(むしろ乗り気で)始まったとのこと。陽太は悪びれもしない。


「暇だったんだ。琴留もどんなゲームか興味があったみたいだしな。同人アプリにしちゃあ、よくできてる」


 仙子はイケメン後輩がカタカタするさまを思い浮かべた。「それはちょっと……いやでも面白いかも」と思いつつ顔を向けると、正面に座っている慶司郎が、わずかに視線を外す。


「慶司郎、君、先輩の悪い所を真似てくれるな。こんな人目のあるところでするものじゃないぞ。ただでさえ君は目立つのだし」


 仙子の心からの助言は「……っせぇ」と後輩に受け流された。16歳にはややうるさかったようだ。


「仙子、それすごく親が言いそう。特に母親」

「うら若き女子高生だよ私は!」

「あとわずかでそれも終わる。現実の人間は必ず年を取る。だけど二次元は永遠にそのままだ。だから二次元は素晴らしい。キンリュー、お前もそう思わないか?」

「…………」

「後輩を妙な価値観で染めようとするのはやめよう、遥希」

「いや待て最上(もがみ)、年を重ねることで初めて出る味わいだってあるじゃないか。リアルはいいぞ、リアルのしわは……!」


 陽太と遥希は議論を始め、間の席にいる蓮を味方につけようと賄賂(ポテトS)を送り出す。入学当初から決着のついていない話だ。卒業してもつかないだろう。またどうしようもないことを、と仙子はあきれ、自分のセットメニューに集中することにした。

 健康志向をうたうこのファストフードには、米製のバンズもある。しょうゆをさっと塗った米は軽く焼かれ、香ばしさを増す。パンよりは米派な仙子にはうってつけで、ここ最近のマイブームである。


「……どうなんだ?」


 かぶりついていると、慶司郎に声をかけられた。ビッグメニューを頼んでいたはずだが、すでにたいらげたらしい。バーガーを包んでいた紙やらナプキンやらが、丁寧に畳まれている。

 仙子は、そぅっと自分のトレイ回りをきれいにした。しつけの良い美形後輩(男)の正面に座るのは、なにかとプレッシャーであった。情報の足りない発言を推測するほうが、慣れている分、楽だ。


「二次試験対策なら、そこそこ順調だよ。小論とプレゼンだけだし、テーマも理系ではない。センターよりも気楽だね。しかし慶司郎、君には本当に世話になった。物理基礎、助かったよ。改めて感謝する」

「大したことじゃねぇ」


 慶司郎が頬杖をつき、横を向く。本人としては。遥希と陽太の議論を聞いているふうに見せたいのだろう。しかし仙子もこの1年、このわかりにくい後輩につきあってきたのだ。照れているのか、とまるわかりであった。


 先週の新センター試験は、極寒のまっただ中で実施された。この冬一番の寒気は各地に大雪を呼び、交通機関を攪乱、開始時間までに試験会場へたどり着けない受験生を続出させた。

 幸い、学校近くの沿線に遅れはなく、陽太や凜と共に、仙子は開始までに会場に入ることができた。寒さで手がかじかんだのには難儀したが、どうにかこうにか、基礎物理を含む2日間の試験を乗り越えたのである。体の下に仕込んだホッカイロの功績も大きい。6~7枚もつけると、暑さを感じたほどだ。


「プレゼンは授業でもしているから要領はわかっている。あとは小論かな? どういったテーマが出るか、あてをつけて、それに対応した意見を準備する必要がある。まあ、このあたりは先生と相談だね」


 得点発表の日、専用サイトにIDを打ち込む時は、さすがに手が震えた。おそるおそる押したEnterキーはページを更新させ――


「週明けには出願だ。受理されればあとは勉強するだけだよ。もう大学近くの宿も取った」


 ――仙子のセンター試験の得点と、受験可能な大学のランクを表示させた。志望大学もそこに含まれていると理解した瞬間、こみ上げた絶叫をなんとかこらえたものだ(次に陽太が待っていたため)。


「遠いのか?」

「遠いねぇ。前泊しなければ間に合わない。試験は来月末だが、雪もまだ残っているだろうな、あの辺りは」

「……受かったら、どうすんだ?」

「気が早いね! 落ちることを考えるよりは得策か。受かったら、一番に大学の寮を申し込むよ。安いし安全だ。寮生活なら今と大して変わらない。入れなければ……うーん、近場に物件が残っていれば良いけれど」

「あら、実家から通わないの? あんたの実家ってあの辺でしょ?」

「凜、『あの辺』でくくられても困る。千葉と埼玉、一緒にしたら先輩に怒られただろ? あれくらいには違うから」

「同じじゃねぇのか?」

「都民はこれだから全く……慶司郎、いま君は、埼玉県民と千葉県民を敵に回したぞ!」


 そんな雑談を交わしていると、テーブルの向かいにいた蓮が「あーまたかよー」とうめいた。陽太が「どうした?」とのぞきこめば、「会員登録で弾かれちまった。回路いるってよー」と顔をしかめて返す。どうやら、トレイのシートに印刷されていた『あなたの塩分チェックします!』イベントを試み、回路認証に引っかかったらしい。シートの右スミ、「答えはこちら!」のQRコード横には、「※会員登録が必要です」と小さく注があった。


「おやおや、参ったね、答えを見てみたかったが」


 顧問も携帯端末をいじっているが、同じくお手上げのようだ。仙子は自分の携帯を出そうとして――手を止めた。仙子の端末はそもそも旧型である。会員登録のページすら表示できないだろう。


 シートに印刷されたチェックリストは、実にたあいのないものだ。「味噌汁やあじの開きは週何回食べますか?」や「しょうゆやソースはどれくらいかけますか?」などなど。寮の食事は管理栄養士がメニューを作るから、仙子などそれなりに自信がある。結果を見て、皆でわいわいと話すには、ささいで、手頃な話題。


 ささいなことである。

 してもしなくても、生きていくには何も支障がない。




 けれども、3年生たちは、誰一人、このささいな結果を、この先ずっと、自力で見ることはできない。




 テーブルが、少しばかりしん……とした時である。2年生が、のんびりと言った。


「会員登録できましたよ。何度でも入力できるみたいですから、先生も先輩もやってみてください」

 

 コンコン、と近くでテーブルが鳴る。仙子が振り向くと、にゅう、と最新の携帯端末がさしだされた。画面には、チェックシートの点数を入力する欄が表示されている。


「できた」


 慶司郎だった。

 まじまじと、仙子は後輩を見る。

 普段から美形だが、今は5割増しでイケメン(つまり度を越した美形)に感じられた。


「しねぇのか?」

「いや……ありがとう!」


 放るように端末を渡され、慌てて両手で持つ。ガタイの良い後輩は手も大きいのだろう、端末画面はずいぶんと大きい。指も長かったな、と仙子は思い出しながら、入力フォームをタップする。タップして表示された文字入力(厳密には自動で変換や入力を推測する)部分を見て、仙子は何気なく、本当に何気なく言った。



「そういえば慶司郎、この絵文字ってどうやって出すのかな? この間のメールにあったのを私も使ってみたいのだけれど、出し方がわからない」


 

 隣の凜が、盛大にむせた。

 2年生の端末を見ていたのだが、ドリンクが気管に入ったらしい。「大丈夫ですか!?」と心配されている。ゲホ、ゲホ、ゴホッ、とせきこむ合い間に、「え、もじ?」と聞こえる。

 そんなに意外かな?、と仙子は思った。勉強の質問をしていたため、仙子はわりと頻繁にこの後輩とメールを交わしていた。物理基礎の師匠でもあるから、新センターの得点を見たときは、親の次にメールで連絡した。

 入力しながら、「そうそう、侮れないぞ、凛。慶司郎は私よりもよっぽど上手く絵文字や顔文字を使うし」としゃべっていると、突然、手の中の端末を取り上げられた。なにごと!?、と仙子が顔をあげると、5割増しのイケメン後輩が8割増しくらいの仏頂面(つまりかなり怖い顔)で端末をいじっている。


 褐色の頬が、若干、赤みを帯びていた。


「………………だ?」

「……えーと?」

「何点だっつってんだよっ」

「11点だが?」


 端末画面に結果が出る。思った通り、悪くない。ちょい、と慶司郎の端末をつかむと、この後輩、今度は先輩に渡してくれない。このまま見ろ、ということらしい。まずいことだったかなぁ?、と首を傾げつつ、仙子は身を乗り出して、慶司郎の手の中をのぞきこむのであった。



 ちなみに、凛が微妙に恨みがましい目で見ていたのには、さっぱり気がつかなかった――ということに、仙子はした。

 


 ◆◇◆



 店を出ると、冬の青空が広がっていた。空気は冷たいが、先週の寒波ほどではない。風もなく、お参りには絶好の日和である。


「どっち行くんだったっけかー」

「御茶ノ水。JRで次の次。信号渡ったら駅だから」

「おー。……あれ? なんならさー、集まんのも御茶ノ水で良かったじゃん」

「そうなんですよねー。去年も飯田橋でしたけど、何かあるんですか?」

「……まぁ、あると言えばある」


 駅はすぐそこだ。

 人ゴミをすり抜けながら、漫研部員たちは歩く。仙子も、陽太の発言をぼんやりと聞きながら歩く。


 ――まあ、あると言えば、女子にはある。縁結びの神様とか、東京大神宮とか。飯田橋が一番近いし。有志の女子がこっそりお参りするのも、今年で終わりだろうか。なんといっても、女子がいない。姫ちゃんにお参りの必要がないのは、うらやましいな……。


 先頭は蓮と遥希。その後ろで、葵は先頭で陽太と一緒に歩いている。なにやらしゃべる陽太に、にこにこしながら耳を傾けていた。

 そぉっ、と首を後ろに回せば、2年生や顧問と歩く凛が見えた。志望校や受験勉強の方法で盛り上がっている。


 ほっとして前を向こうとして――腕をぐい、とつかまれた。


「……ぶつかんぞ」

「おや、ありがとう!」


 気の利く後輩が、通行人とぶつかるのを防いでくれたようだ。



 妙に、熱く、感じた。

 大きな手が、長い指が、離れた。

 強く掴まれたけれど、痛くはなかった。



 何気ないふりで礼を言い、そのまま連れだって駅へ向かう。


「神田明神って、近ぇのか?」

「駅からは近いよ。参拝で混んでいなければすぐだ。あそこは串焼きの屋台も出ていて、それがまたおいしい」

「……肉か?」

「そう! 牛だったかな。豚もあったと思う」


 飯田橋の駅はお堀の上にある。

 横断歩道を渡ると、橋の下に水面が見えた。仙子がひょい、と水面をのぞくと、橋脚の根本、浅くなったコンクリート部分に、小さな動物がいた。


「おや、カメだ」

「本当ですか?」

「うそぉ。あ、いたいた」

「この寒いのによくいるねぇ」



 仙子の頭の上で、「いるな」と声がする。振り向くと、慶司郎もお堀をのぞき込んでいた。


 きらきら、と。


 青い瞳が、さざなみのゆらめきを閉じこめ、きら、きら、と、輝いていた。



「おーい、行くぞーー」


 先を行く蓮に、「わかった!」と返す。


 お賽銭は500円くらい弾もうかな、と仙子は、また、ぼんやりと思った。財布には痛い金額である。だが、惜しいと思う気が、どうにも見当たらなかった。新年早々、とても良いものを、心浮き立つものを、見たのだ。お返しをしなければ、どうにもざわめきが収まりそうにない。

 マフラーを頬までしっかり巻き直し、後輩や友人たちと共に飯田橋の改札へ向かった。




 雲一つない空に、白い水鳥が飛んでいく。






■次回更新日:2月14日(火)22時

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