4月18日(月) 宿泊研修(1年)1日目
「『出現せよ』」
起動文言を宣言した瞬間、慶司郎の周囲をつむじ風が舞った。
導電性素材のインナーにプリントされたマーカを目印に、回路を流れた「力」が物質化を始める。
拳を覆うグローブ、足を守る頑丈で軽い靴とすねあて。腹部から胸部にかけての防具が形成されると、それにかぶさるように黒く長いコートが出現した。
コートの襟は高くしている。補強具を入れ、首周りの防御値を上げた。
裾も長くした。脚に絡まない長さを見極めるため、何度も丈を調整した。
空気をはらんで膨らんだ袖口を、手首から肘までの手甲が抑える。
3Dデータが現実に出現したことによって起きた突風(発動風)が止む。
ふわり。
黒いコートの先端がひるがえり、やがて、静かに舞い降りた。
目の前の上級生を見る。
指導役の女子(3年生)はあっけにとられたのか、口を開けて固まっていた。
やがて、ごくり、のどを動かした。
「……え、えーと、一発で成功するとはすごいなっ、『きんりゅう』君!」
「……『ことどめ』だ」
琴留慶司郎。
私立野玖宮高等学校東京キャンパス魔語運動コース(通称「魔戦」)1年生。
彼がたたき出した、フィールド外でのAR実体化回路・最速起動記録「研修合宿1日目・初回試行」は、校史に残る出来事となる。
◆◇◆
~座学・1日目~ 現代の世界編
世界はある日、一変した。
突如つながった異世界から不可思議な「力」が流れ込み、世界各地に「異形」が出現した。「異形」に対して既存兵器は効きが悪く、1体の「異形」を撃破・破壊するために多くの犠牲が払われた。
気の早い終末論者が人類滅亡をうたった頃、異世界から提供された特殊な言語を用いた「回路」技術が花開く。回路は「力」を消費して使用者が望む「結果」をもたらし、その「結果」は「異形」に劇的な効果を及ぼした。
ひらたく言うと、特定の場所で回路を持って「土よ槍になれ」とか叫んじゃうと地面から土でできた硬い槍が生え、その槍は「異形」をウェットティッシュのように引き裂いちゃったのである。
――魔法キタコレ!
人 類 大 歓 喜 !、の瞬間であった。
希望に湧いた技術者は既存技術と回路の併用に燃えに燃え、ついにAR(拡張現実)の実体化に成功する。3Dデータを回路に突っ込んで物質化したのだ。そして、それを装備した兵士が「異形」を物理的に潰した日、国連は『人類の献身と発想の勝利』宣言を発表した。
かつて世界に満ちて「異形」と化した「力」も、現在では各国の管理下におかれている。「力」を吸い込み集積するための専用施設がいくつも建てられ、人類の生活圏における「力」の濃度もだいぶ低くなった。
「力」や回路の研究も進み、その特性を活かして既存の技術や普段の生活に応用されている。
その中で最も人気を博しているのが、このAR実体化回路だ(以下「AR回路」)。
「力」を集める施設の内部でも特に濃度が高い場所(「フィールド」と呼ばれる)でしか起動できないが、「俺(私)の考えたさいきょうの自分」を実現できるVRRPGリアル化技術である。飛びつかないわけがない。
近年、各国とも「異形」を排除するためにこのAR回路の熟練者を高待遇で求め、各地で大会(高額賞金つき)を開催。
「異形」の討伐要員に選ばれる名誉と報酬、AR回路の安全性向上、回路の起動が可能な施設の普及……。
いくつかの要因により、「異形」の討伐はある種のお祭りとなり、その訓練は人気スポーツ化した。
これが、ここ20年ほどの話。
私立野玖宮高等学校・東京キャンパスの魔語運動コース設置も、そのブームに乗ったものである。昨今の少子化でジリ貧一方の生徒数をなんとか増やそう、と打った策だ。
AR回路の運用に重点を置いたスポーツコースで、進学先は大会実績や討伐要員を出したい大学・団体を予定。今年は初年度なのでコースの生徒を20人ばかりに絞り、いろいろ試して来年度からがっつり、と学校側はもくろんでいる。
3年生の瀬里澤仙子が彼ら1年生の宿泊研修の手伝いをしているのもその「いろいろ」の一環である。指導者にベテラン教官、チューターに「力」の扱いに慣れた3年生を配して手厚くサポートするのが狙いだ。
午前が座学、午後が実技のスケジュールで研修は始まった。
……とはいえ初日初っぱな初回から、フィールド外でのAR回路起動に成功するとは誰も思っていなかった。仙子だって思っていなかった。
フィールド外での実体化はコツがいる。「力」の濃度が低いので普通はそうそう成功しないのだ。いろいろ説明しながら、成功者が出るのは明後日くらいかな、と思っていたくらいだ。
ちょっと、いやかなりびびった。
加えてこの男子生徒、およそ1年生とは思えない風体である。170cmはあろうかという高身長としなやかな筋肉。装備の隙間からのぞく肌は褐色で、黒コート&黒インナーとあいまって、堅気とは全く思えない。
どこの諜報員?
どこのアンチャッタブル業界の人?
周囲もそんな感想を抱いたようで、さっぱり近寄ってこない。
じろり、と仙子を見下ろす瞳は青い。シンメトリーな顔立ちは東洋と西洋をいいとこ取りで混ぜた、世界が狙えるレベルのイケメンであった。とはいえ、今は無表情に仙子を見ているので、「かっこいい」よりも「なにこれ怖ッ」が先に立つ。
仙子は手元の資料をもう一度確認した。
『ことどめ けいしろう(15歳)』
「(15歳)」を二度見した。
衝撃の「(15歳)」である。「そんな15歳いるわけねーじゃん妄想乙プークスクス」とか後ろ指さされそうな15歳である。備考欄にアメリカ人と日本人のハーフと記載があって、むしろそっちに安心した。
「『ことどめ』と読むのか。すまない」
「……あんたの名前は?」
この顔で日本語ってすごく違和感があるなぁ、と仙子は思った。
「『せりざわ』という。さんずいの瀬に、やまざとの里、画数の多い澤で瀬里澤と読む。よろしく、琴留君」
「あァ?」
うなった。
堅気に見えない15歳がうなった。
ヴー、ガルガルガル。
そんな幻聴が聞こえそうなしかめっつらだ。
「名前、つったろ」
ハーフ!
彼はハーフ!
そう、アメリカ人のハーフなら名前呼びも仕方がない!
そもそも柄が悪い、というセルフつっこみを仙子は無視した。
「『せんこ』だ。仙人の仙に子どもの子。漢字はわかるかい?」
カルチャーギャップ、カルチャーギャップと自身に言い聞かせる仙子に、さらなる爆弾が落ちる。
「なめんじゃねぇ、漢字くらい読める。俺は慶司郎だ。よろしく頼むぜ、仙子」
まさかのタメ口&呼び捨てであった。
さすがにむっとしたので、注意の一つでも言ってやろうと慶司郎を見上げ――仙子はなんだか拍子抜けしてしまった。
顔こそしかめっつらのこわもてだが、慶司郎の青い目はきらっきらと輝いていたのだ。陽光にきらめく、春の海のように。図体はでかいがこやつも15歳。一か月前は中3である。そんな中、初めてフィールド外でAR実体化に成功!(しかも一番乗り!)、ときたら興奮しないはずもない。隠そうとしても隠しきれない感情が、その瞳にはあふれていた。
(なんだ、子どもじゃないか)
そんな感想を持てるくらいには、仙子も余裕ができた。
となればこっちだって先輩だ。舐められたままでは先輩の沽券に関わる。
くぐった修羅場なら負けないぞ、と腹をくくった仙子、にっこり笑顔で慶司郎の右手を取り、ぎゅううううううっ、と渾身の力で握手する。
「こちらこそよろしく、慶司郎」
「――ッ」
波乱を予感させる、宿泊研修・1日目であった。
◆◇◆
暗闇の中、小声で、しかしはっきりと宣言する。
「『出現せよ』」
慶司郎の周りにつむじ風が起きる――ことはなかった。
当然だ。
回路を搭載した端末は手元にないし、マーカつきのインナーだって着ていない。
しかもここはフィールド外だから、そもそも装備のデータが現実化するわけがない――はずだった。
寝返りをうつ。
学校の合宿所。
就寝時刻を過ぎた男子部屋は消灯し、聞こえるのはクラスメイトの寝息ばかり。
今日、わずか数時間前、確かに自分はフィールド外で装備をまとったのだ。
あの時、世界は一変した。
……空中に漂う「力」の流れと、それを糸のように巻き取る上級生の姿。
腕の回路から流れ込み指の先まで満ちる「力」のうねり。それは自分の意のままに集まり、望みのままの「結果」に変換される。
世界を変える、全能感。
細部まで鮮明になった視界に、無数の糸が、「力」が広がる……。
舌打ちを、一つ。
知ってしまった世界の感動は、しばらく冷めそうにない。
(眠れねぇかも)
もう一度、寝返りをうつ。
■次話投稿日:4月19日 22時