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  8月25日(木)15時 伝承される神話





 わずかな時間だが、気を失っていたようだった。体の下は、冷たく堅い土の地面の感触。


 慶司郎は身を起こし、近くを見回す。


 奇妙だった。

 さきほどまで昼間の山にいたはずだ。山道とはいえ、木漏れ日はあった。


 けれども、今、視界は薄暗い。


 天井は真っ暗だ。洞窟の中にでもいるかと錯覚する。閉じた空間のように思われ、空気も心なしか重く感じる。


 遠くにレンガのような壁があり、たいまつがたかれていた。かろうじて物が見えるのはそのおかげらしい。壁はゆるやかに曲がっている。円形の広場のようだった。


 

「慶司郎っ……無事か!?」


 振り返ると3年生がいた。装備でよく相談をしている仙子だった。一瞬、誰かと思った(仙子も私服だったので)が、手から「糸」を出せる知り合いは一人しかいない。伸びた「糸」は慶司郎と、近くに横たわっている杏に絡みついていた。

 目にゴミでも入ったのか、仙子は目をつぶったままだ。


「……無事だ。あんたこそ、大丈夫か」


 近寄る。

 ちょっと迷って、慶司郎は「糸」を引っ張る。

 なんとなく、腕を取るのはためらわれた。


「無事か、杏ちゃんは?」

「そこだ。寝てる」

「そうか……良かった」


 仙子がほっ、と息を吐き――身を固めた。直後、「いた!」と叫ぶ声が反響する。


 声のしたほうを振り向くと、さきほどの少女が二人、離れた場所にいた。汚れた服の少女が本を抱えたまま元気よく近寄ってくるが、もう一人は地面にへたりこんで動きもしない。

 奇妙な違和感を、慶司郎は感じる。


 ――そもそも、自分たちは山の中にいたはずだ。なぜ、こんな、よくわからない場所にいる? あの子どもは、何をした?


 仙子が、すまない、と言って手を伸ばし、触れた慶司郎の服を掴んだ。

 駆けてきた少女も話しかけてくる。


「すまない、慶司郎。ここは『力』が強すぎて、私にはよく見えないんだ」

「ねぇ、お兄さんもこっち来たんだ!」

「慶司郎っ、聞いてくれっ、君にはどんなふうに見えている!? 何がいるんだ、誰がいる!?」


 同時に返事はできない。少女には目で「黙れ」と制し、仙子の奇妙な問いに答えることにした。


「5人いる。俺と、あんたと、梶。子どもが2人」

「子ども? どれくらいの年頃だ?」

「……小学生じゃねぇのか? どっちも女。おい、何年だ?」


 問えば少女は「あたし4年生!」と元気よく答える。


「そこに、いるのかい?」


 仙子の声が固い。

 服を掴む手が震えている。


 聞こえただろうに、と慶司郎は不思議に思う。


「いるぜ」

「それは――」

「あたし美咲(みさき)っていうの。美しいに咲く! お兄さんは?」


 仙子をさえぎって朗らかに言う少女には、子ども特有の強引さがあった。若干の不愉快さを感じ、慶司郎は思わず言ってしまった。


「人がしゃべってる時に口出すな」


 少女――美咲は、はっ、と固まり、「ごめんなさい」と小声で謝った。強い口調で言ってしまったが、泣かせずにすんで慶司郎はこっそり安心した。


「……慶司郎だ」

「?」

「名前」

「慶司郎っ、君、何を!?」


 叫ぶ仙子はとりあえずそのままにし、慶司郎は、会った時からずっと気になっていたことを美咲に尋ねた。


「お前、大丈夫か? 怪我してねぇのか?」


 服も汚れている、とハンカチ(母にいつももたされて習慣になった)を差し出す。

 美咲は、ハンカチをじっ……と眺め、それから、慶司郎を見上げ――



「……うん、大丈夫! お兄さん、ハンカチ王子みたい!」



 ――そうしてハンカチを受け取り、ぱぁ、と花がほころぶように笑った。



 途端、ゴゴゴと地鳴りが響き、足下が揺れる。ぐっ、と重さを感じて見下ろせば、仙子が服にしがみついたまま、ずるずると倒れていく。立てないようだ。

 慌てて抱えると、「瀬里澤!」と叫ぶ声。今度は誰だ、と目をやれば、3年生が二人、漫研の会長の宅と、仙子とよく一緒にいる女子が、薄暗い広場の奥から駆けてくる。


 いったい何なんだ、と混乱する慶司郎の視界のすみで、美咲がにこにことハンカチで顔を拭いているのが見えた。


 いつの間にか、空気が軽くなった気がした。



 ◆◇◆



「『ふきだまり』の中だ」


 ここはどこだ、という慶司郎の疑問に、3年生の陽太が答えた。

 ひどい仏頂面だった。


 現れた3年生の二人は周囲にいた者を集め、壁際のたいまつの近くに座らせた。物音はいつの間にか止まっていた。「見えない場所は危ないが、明かりの真下で丸見えなのも危ない」という陽太の言葉は、ずいぶんと場慣れした物言いだった。


「僕らは、3年は、多かれ少なかれ『ふきだまり』に入ったことがある。外で魔語が書けると、こういったことに巻き込まれやすくなるらしい。小さい頃からそれなりに対応方法を教えられた。ただ、危ないからいつもは寮に引っ込んでる。寮や学校は設備もいいから安全だからな」


 だけど、と陽太は杏を見る。


「梶の妹が馬鹿な気を起こして濃度の高い場所に戻った。それを知った姉が心配して僕らに連絡をしてきた。寮のほうが近かったからな。妹は魔語が書けないそうだし大丈夫じゃないかと思ったんだが、とにかくうるさいから、3人で探してたんだ」

 

 馬鹿な気を、と陽太が言うのを聞いて、同じことをした慶司郎はちょっとばかり気まずかった。なので話をそらすことにした。


「なんでどこにいるかわかったんだ?」

「……僕らはこういったことがあるから、けっこう精度のいいGPSをつけてる。どこで巻き込まれたかわかるように。梶の家では妹にもつけさせてるみたいだな。それで位置を聞いて検討をつけた。琴留までいるとは思わなかったが」


 陽太が「ここに入っている」と腕時計を示した。


「あとは瀬里澤だ。あいつの『糸』はよく伸びるから、こういった人探しには向いてる。……頑張り過ぎたみたいだけどな」


 陽太につられて、横になった仙子を見る。よく見れば、仙子にも陽太と似た時計がはまっていた。「糸」を出すための魔語を書きすぎ、めまいがするらしい。隣には、いつもいる女子――姫川 葵が付き添っていた。


「妹との電話が切れたって、もう、大変な騒ぎ方だったよ。電波が切れただけじゃないかとは思ったんだが……まさか本当に『ふきだまり』に巻き込まれてるとは」


 いい迷惑だ、もっと気をつけてくれ、と陽太は慶司郎の隣をにらむ。杏が目を覚まし、身を起こしていた。咳は止まったようだ。陽太に「ほっとけ」と言われたが、気になってはいた。


「…………ぃません」


 杏が小さくなって謝る姿に、慶司郎はさらに気まずさが増す。こんな大事になると知らなかったとはいえ、杏と同じことをしている。状況から考えれば、仙子は自分たちを引き留めようと「糸」を絡め、一緒に引きずりこまれたのだろう。はぐれないように、と3年生同士も繋いでいたそうで、結果として陽太と葵も巻き込んでしまった。


「『ふきだまり』の中じゃ電波は遮断される。外と連絡は取れない。……まあ、僕らのGPSが途絶えたことで、たぶん家に連絡がいって、警察や学校にも話がいく。教官たちも僕らの面倒を見ていてこういったことには慣れてるから、探してはくれるだろうが」


 陽太は天井を仰いだ。

 たいまつの光が届かない天井は高く、何も見えない。


「おかしな場所なんだ、『ふきだまり』は。いつもと変わらないこともあれば、よくわからない場所になっていることもある。一説には異次元や異世界に通じてる、って話もあるくらいだ。……ここまで別の場所になっている『ふきだまり』は、よくない。出入り口を探すにも苦労するだろうな。見つけてもらうには、ここから出ないと」


 慶司郎としても、薄暗く気味の悪い場所にいるのは願い下げだった。広場の中央には、よくわからない動物の骨も転がっている。出れば教師らにこっぴどく叱られそうだが、このままここにいるよりはマシに思えた。


「どうすりゃ、ここから出られる?」


 陽太は、少し、黙った。

 知らない、というより、どう言うか、言葉を探しているようだった。


「……出るには、ここがどんな場所なのか、……知らなくちゃならない。それは、たぶん、ここに連れ込んだ、その子が知ってるんだろ」


 慶司郎の隣(杏の反対側)にいた美咲が、ぱちり、目を瞬いた。



 ◆◇◆



「ここは『迷宮』なの」


 ここはなんだ、という陽太の問いに、美咲が答えた。

 楽しそうな笑顔だった。

 

「ほら、これ、ここにあるでしょ」


 開かれたのは美咲がずっと持っていた本だった。小学校の図書室によくある児童向けの本で、「ギリシア神話」とタイトルが書かれていた。


「ミノタウロスが住んでた『迷宮』なの。牛のお化け。ここはその『迷宮』の真ん中。お化けを閉じこめておくんだから、かんたんに出られないよ」

「……なんでそんなことになってんだ?」

「暗いしじめじめしてるし、そうっぽいなって思ったらそうなったの」


 要領を得ない。意味がわからない慶司郎に、陽太が続ける。


「琴留、ここは『ふきだまり』だ。『力』が溜まってる場所だから、何が起こってもおかしくない。『力』はイメージ次第で何にでも変わる。その子は、おそらく、最初にこの『ふきだまり』に迷い込んだ。そして、本にあるような、神話の迷宮だと思ったんだ。それで、こんな形に変わった。……君は、ここから出たことがあるか?」


 美咲は首を振る。

 横に。


「……ううん。出たいんだけど」

「さっき、出てたじゃねぇか?」


 山で見た姿はなんだったのか、と聞くと、美咲はキョトンとした。


「出てないよ。迷路をさくらちゃんと歩いてたの。そしたら、せきが聞こえたの。……いつもそう。外の景色は見えるのに、なんか、見えないけど壁があって、出られないの。さくらちゃんも入ってこれたのに、出られなくなって。……だれか大人の人、探してたの。だからお兄さんに来てもらったの。いっぱい来てもらえてよかった!」


 葵や仙子のそばにいた少女――さくらの背中が震えた。向こうで何やら話しているが、こちらの声も聞こえているようだ。


「……琴留、その子には、外じゃなかった。たぶん、お前が見た白い霧が、『力』だ。それは、その子には迷宮の壁に見えたんだ。『力』は、その場で一番強く想像されたものに形を変える。この場所は、その子のイメージで迷宮になってる。……出られないから、迷宮なんだ」


 陽太は「見せてくれ」と、美咲の本に手を差し出す。美咲は、わずかに、ためらい、それでも陽太に渡した。陽太は礼を言って本をめくった。

 最後まで目を通して、陽太は、しばらく、黙っていた。

 そうして、顔を上げ、美咲に向かって告げた。



「たぶん……たぶん、これなら、物語を成立させれば、この『ふきだまり』から出られる」



 ◆◇◆



「人形を作りましょう」


 14人もいないよ、という美咲の主張に、葵が答えた。

 穏やかな表情だった。



 ――クレタ王は迷宮の中心に半人半牛のけだものを閉じこめていた。毎年、アテナイから14人の若者を生け贄としてを捧げさせた。ある年、その贄の中にアテナイ王の息子テセウスがいた。人を食らう化け物、ミノタウロスを倒すために。彼は迷宮の中心で怪物を倒し、クレタ王の娘アリアドネからもらった魔法の糸玉で迷宮を抜け出した。


 神話の概略を話し、どうして出られないと思う?、と聞いた陽太に、美咲はこう返した。


「だってここ、14人もいないし、糸玉もないじゃん」



 土でせっせと人型の何かを作りながら、陽太が「成立させるポイントは、『人数』と『糸玉』だ」と慶司郎に話した。


「このままでは不完全な『迷宮』だ。だからこの子は出られないと思っているし、巻き込まれた僕たちも出られない。条件を満たして完全な『迷宮』にしないと。まず、14人の生け贄をそろえる。で、糸玉の糸で迷宮の入り口とこの中心を結ぶ。そうすれば倒されるためのミノタウロスが出現し、それを倒せば僕たちは出られる」

「……そんなに簡単に、化け物が出るのか?」

「出なければそれっぽい化け物を想像して出せばいい。琴留、ここは『ふきだまり』の中だ。常識は捨てとけ。この子のイメージ次第でどうにでもなる。逆に、この子のイメージが固まらないと、たぶん、入り口を見つけても外に出られない」


 そうなのか、と美咲を見ると、相変わらず、にこにこしながら土をいじっていた。美咲が作っている人形の出来はいい。葵に指示された通り、髪型なども自分に似せている。


 人形がどうして人の代わりになるのか、をとくとくと美咲に説明したのは陽太だ。


「古代から人に似せたものは人の代わりとして用いられた。雛祭りの原型である流し雛、陰陽師が使う人型の紙なんかがそうだ。漫画とかで見たことあるだろ? ……ない? じゃあ古墳の埴輪だ! あの腕、あの目! イイ! 古墳は権力者の墓だ。もとは本当に人間を埋めていたらしいが、時代が移るにつれて、人の代わりの副葬品になった。これこそ立派な人の代用品! ……なんだその顔、わかってないな? ……お、ちょうどこの本にも載ってるじゃないか! 『プロメテウスは、土をとり、水とねりあわせて、神のすがたにそっくりな人間を作り上げました』。素晴らしい! 土から人を作る神話とは、やはり農耕民族系か、まずその信仰は豊かさを象徴する大地から――」

「……陽ちゃん」


 こういった分野の話が好きなのだろう。葵が服の袖を引くまで陽太の口はまわった。


 多少の脱線はあったが、持っていた本に書いてあったこともあり、美咲は土の人形が人代わりになることを納得していた。


 人形の材料は地面の土を使うことになった。広場のすみを、女子高生標準装備のくしや眉毛ハサミで掘り返し、適当な人型に成形する。

 慶司郎も、父親の影響もあって創作活動はわりと得意である。こんな場合には不謹慎かもしれないが、意外と面白かった。


「仙子ちゃん……」

「……すまない、姫ちゃん」


 絶望的なのが仙子だ。めまいもおさまった、と起きて作りだしたが、どうにもあやしい。あれほど器用に「糸」を操るというのに、土をこねる手はおぼつかない。やがてできあがったのは、人ともヒトデともつかない、よくわからないものだった。


 思わず、慶司郎は吹き出してしまう。


 つられたのか、隣の杏からも、ぷっ、と聞こえる。反対の隣にいた美咲は「なにそれー!」と指をさして笑った。


 仙子に「君ね……」とにらまれたが、慶司郎は知らぬふりをした。


 


 7人が作った7体それぞれの人形の腹に、銀の指輪が埋められる。葵のほっそりとした指が、その上に、魔語を刻む。



  『犠牲的な子羊』



 物騒な意味だった。


「なにこれ変なの! 読めるよさくらちゃん!」

「……魔語だよ。見たことないの?」

「うん、すごい! 魔法だ! これが人の代わりなの?」

「そう、私たちのための、あなたのための。これは片割れ。あなたであって、あなたではない。私たちであって、私たちではない。あなたに、私たちに、災いが襲いかかる時、代わりに受けてくれる」


 小学生二人が葵のそばでしげしげと人形を見ている。


 人形を身代わりにしましょう、と提案したのは葵だった。万が一に備えてこの人形に身代わりの魔語を刻みましょう、と静かに言ったのだ。慶司郎はこの3年生がこんなにしゃべるのを聞いたことがことがなかったので、申し出の内容よりもそちらに驚いた。


「あんなんで、大丈夫か?」

「実技で使ってるだろ? 身代わり用の回路。あれと同じ魔語を、姫川が書ける。入れた指輪は……効果を高める部品だ。姫川がいつも着けてるお守りだからけっこう効く。……何があっても、一度だけは大丈夫だ。こんな場所だ、ないよりはあったほうがいい」


 見て、と葵は子どもたちに自分の長い黒髪を示す。ポーチから小さなハサミを取り出し、髪を途中から切り落とそうと力を込め――



「すごいすごい!」



 ――落ちたのは、葵の土人形の髪の部分だった。人形の同じ部分がポロ、と欠けて落ちた。

 美咲が興奮してはしゃぐ。これにはさくらも驚いたようだ。


「ミノタウロスはこれでいいだろ」


 陽太が美咲に何かを見せる。それは、少々不格好ではあるが、2本の足で立つ、牛の人形だった。


「これで登場人物はそろったな」

「すごい! ……そっか、なんだ、作ればよかったんだ。そうだ、そうすればよかったんだ」

「……そうだな。作れば良かったんだよ」


 美咲が何度も「そっか」とうなずく。その姿を、陽太と仙子が、やけに苦い顔をして見ていた。


「ねぇ陽ちゃん。身代わりの人形がある時とない時、どちらならば、私たちは、この子は、このままで迷宮を出られる?」


 牛の人形を撫で、葵が静かに陽太に聞いていた。


「…………ある時だ」

「そう。……うまくいけば、うまくいくわ」




 ◆◇◆



「糸は私が伸ばそう。迷宮を抜けるにも私の『糸』が役に立つ」


 糸は、という葵の呟きに、仙子が答えた。

 顔に、まだ血の気が戻っていなかった。



 仙子は陽太と時刻を確認――「現在、ヒトロクマルマル。これより出発する」「……瀬里澤、イタいぞ、教官のモノマネは」「似てないかい!?」――していた。「無理なんじゃねぇか?」と声をかけた慶司郎に、仙子は笑った。


「仕方ないさ。他に方法がない。人形の材料はあったが、ここに糸はない。せっかく作れるんだ、使わない手はない。……『ふきだまり』は高濃度の『力』の溜まり場だ。長居は、良くない。速やかに出るべきだ。幻覚や幻聴、人体への悪影響はよく聞く話だろう?」

「……でも、先輩一人じゃ、ちょっと危ないんじゃないんですか?」


 顔色すごく悪い、という杏の言葉に仙子は笑った。


「ありがとう! なに、私たちはこういったことには慣れている。伊達に教官に鍛えられていないさ。君たちよりも2年も長く教官のご指導をいただいているんだ、そうヤワではないよ! ここは私に任せてほしい。無事に迷宮を抜けてみせる。会長の話ではミノタウロス以外に怪物はいないそうじゃないか。危険はないよ」


 ね、会長、と仙子は陽太に言う。


「……まぁ、『力』が見えるタイプだから、瀬里澤が一番向いてるな。『迷宮』の出口はこの『ふきだまり』の外と接してるから、『力』の濃度は高くないはずだ。つまり、相対的に濃度が低い所を目指して進めばたどりつけると思う」


 それに、と陽太は続ける


「琴留、梶、お前たち、自分じゃわからないだろうが、けっこう疲れた顔してるぞ。回路無しでこんな高い濃度の場所にいるのに慣れてないんだ。抜け出す時にヘバってちゃ意味がない」

「……」


 それでも、慶司郎にとってはうなずけることではなかった。危険はないと言うが、広場から見る迷宮の通路はさらに薄暗かった。下手をすると真っ暗かもしれない。そんな場所に年上とはいえ女子一人を行かせ、自分が安全な場所にいるのは、なんというか、案配が良くなかった。


「特に琴留、お前はここにいなくちゃならない。なんたって王子が必要だからな」

「?」


 陽太はニヤ、と悪い笑みを浮かべた。


「ミノタウロスとテセウスは迷宮の中心で戦った。つまり、テセウス役が迷宮の中心にいれば、ミノタウロスになる化け物も現れやすくなる。テセウスはアテナイ王の息子、なわけだが」


 さて、と陽太は美咲とさくらに尋ねる。


「王の息子は、何て言う?」

「……王子?」

「その通り! じゃあここに男子が二人いるが、どっちが王子っぽい?」

「おにーさん!」


 即座に美咲は慶司郎を指さした。

 なんの迷いもなかった。


「だろうな! ハーフの琴留のほうが『らしい』からな! 喜べ琴留、今日からお前は王子様だ!」

「王子様……!? 似合う、似合うぞ慶司郎! ばっちりだ!」


 薄暗い迷宮の広場に、笑いが弾ける。

 慶司郎の後ろからは「……王子、キンリューが王子」という、必死に笑いをこらえている杏のつぶやきが聞こえる。美咲はきゃらきゃらと大笑いしている。さくらも葵も口元を抑えているが、笑っているのが丸わかりだ。



「……今だけだ!」



 笑い声が、ひときわ大きく響いた。






【引用図書】

 トマス・ブルフィンチ 作 箕浦万里子 訳(1995)『ギリシア神話』/集英社


次回更新日:8月25日 16時

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