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  7月17日(日) 優先順位





 ちまたでは「マスプリ」の略称で親しまれているアプリ「マスター&プリンス♪プリンセス」は、異世界から預かった男の子(または女の子)を教育し、立派な紳士淑女に成長させる育成ゲームである。基本プレイ無料でアイテム課金制。課金対象は幅広く、衣装・小物・調度品・背景データのほか、教育資金として必要なゲーム内通貨、フィールド内で実体化可能な3Dデータ作成サービスなどがある。

 キャラクターメイキングはパーツ種類も豊富で、美少年美少女はもちろんショタ生足少年にロリ巨乳少女、男装麗人に男の娘、ケモ耳系も人外系も作りたい放題。初期設定によって成長時の容姿も変化し、他のプレイヤーの「養い子」(ゲーム内で育てるキャラクターのこと)とそっくりさんになる確率は62億分の1と言われている。運営会社が発表してるアプリダウンロード回数が約300万回なので、数値上の話ではあるが同じ姿形になることはないだろう。

 搭載されているキャラクター用AIも評価が高い。大手メーカーが提供するサポートAI(いわゆる「秘書AI」)並みの受け答えの自然さ、日本人向けに調整された「全部言わなくてもだいたいわかってくれる」良い意味での適当な対応、加えてこれまた「全く同じものに育てるなんて不可能」と開発陣が豪語した変化するAIの性格。出来が良いため、某大手ICT企業や某政府筋の技術協力があったと噂されることもある。

 冗談混じりに「紫の上アプリ」と呼ばれているが、「マスター」(つまりプレイヤー)が己の初期設定で「未婚」「年齢:30代」を入力していると、「養い子」が結婚を促してくることもある。世間に多々ある「サポートAIが未婚率を高めている」という非難をかわすためなのだろう。世相を反映しているのが世知辛い。

 当初の想定していた利用ユーザ層は30代前半だったが、映画化やアニメ化で認知が広がり、今では20代~10代後半にまで広がった。運営会社も各種イベント・システムを追加して若年層の取り込みを図っている。




「あ゛ーーーー、ちっくしょーー」


 日曜日の寮生の夜は自由時間である。夕食や入浴を済ませれば、あとは部屋にこもろうが共有スペースでくつろうが、寮生に任されている。


「どうしたんだい?」

「……マスプリ、次のアプデは俺のスマホ非対応だった」


 蓮がべたぁ、と共有スペースのテーブルに突っ伏す。くしゃり、ノートが巻き込まれる。端の席で問題集を広げていた仙子は「熱心にいじっているかと思えば、ゲームかい?」と返した。蓮の公務員試験は9月中旬。先日の模試はまずい結果だったはず。まだ間があるとはいえ、気を緩めすぎではないか?、と呆れてしまう。


「いーじゃん勉強してんだしさー。休憩だってひつよーだろ?」

「それはそうだけれども、休憩のほうが長くないか?」


 仙子の言葉に、蓮は身を起こして再びスマホの画面をいじる。


「……遥希がさー、もうすぐ試験じゃん? やっぱ、ちょっとぴりっとしてっしさ。まー、いづれーんだよ、部屋に」


 だからか、と仙子は納得した。共有スペースで蓮が勉強する姿など見たことがない。どうしたのかと思っていたのだ。


「なんか、部屋じゃないとシューチューできない感じ?」

「普段と環境が変わればそういうこともあるだろうが、そんな贅沢なことも言っていられない状況だろう?」


 君だって試験が近いのだから、と指摘すると、「仙子のくせにナマイキだなー」と蓮はまたテーブルで伸びた。

 寮で共同生活を初めて3年目。お互いの性格もだいたいわかっている。蓮は遥希に気を使って部屋を出てきたのだろうし、苦ではあるが将来のために勉強道具を広げているのだろう。が、やはり苦なので気を紛らわすためにこうして他人に話しかけてくるのだ。

 まったく、と仙子はシャープペンを回す。

 集中が途切れてしまった。ちょうど良いから何か飲むか、と席を立つと――


「あ、俺アイスコーヒー。牛乳半分な」

「瀬里澤、僕は炭酸。氷も入れてくれ」


 ――面倒なオーダーが入った。しかもそれまで無言でなにやら作業をしていた陽太からも。

 

「……君たちね!」


 若干、イラッ、とする仙子である。




「課金はいくらぐらいしてるんだ?」

「マスプリ? そんなしてないなー。金ないし。2~3万くらい?」

「けっこうしてるじゃないか」

「まー中学ン頃からやってっから」

「あれって育成ものだろ? 楽しいのか?」

「人によんじゃね? 俺ミニゲームが面白そーで始めたし。ちゃんと育てりゃ意外とアレ、話し相手にもなんぜ」

「無駄に性能がいいAIだな」


 ほら、と蓮と陽太に飲み物を渡す。


「サンキュー。…………あ゛ーーーーちっくしょー。……新型欲しーなー」

 

 蓮がスマホを眺める。

 携帯端末は個人情報の固まりだ。回路認証を利用すれば安全性が高まるとあって、今年発売された新機種ではほとんどが回路を搭載していた。この流れは変わらないだろう。


「新型か。確かにそろそろ変えたいな。僕のもたまに反応が怪しい」

「いつから使ってん?」

「高校に入る前」

「なげー! じゃあ4年目?」


 麦茶を一口。

 週の始めの暑さから一転、ここ数日は大雨が続いてる。室内は涼しいので氷を入れなくても十分に冷たい。


 新型か、と仙子は自分の携帯端末を指で弾く。

 今ではめっきり見ない折りたたみ型の端末はもともと旧型だ。大手古本屋店舗の一角で見つけたそれはもとは店頭ディスプレイ用だったらしく、未使用のまま中古となっていた(いわゆる「新古品」)。寮に入る際に必要だから、と購入したお値段は五千円を切るベストプライス。それ以来、電話にメール、ちょっとしたネット検索など最低限の機能しかない端末だが、仙子の高校生活を支えてきた。

 新型は確かに欲しいが、回路が使えない体質では支障が多い。たとえ端末本体のロック機能をオフにしたところで、ネット上のサービスが回路認証を求めてくる。


「あ゛ーーーー……」


 蓮が、テーブルに伏した。


「……俺たち、このまま置いていかれんのかなー」


 陽太は「さあ」と返して頬杖をつく。


 ブルル


 仙子は震えた自分の端末を手に取る。メールを受信したようだが、どうにも空気が重く、開く気にはなれない。何か言わなければ、と思うのだが何を言って良いのかわからない。

 何かないか、と必死に考えていると、思い出すことがあった。


「凛が言っていたのだけれど」

「?」

「回路が使える同棲相手を作れば良いのだそうだ」

「……はぁー?」

「相手の人で認証を登録して、使う時に解除してもらえば良いと。そうすればどんな新型でも使える。一緒に住んでいるのだからちょうど良いということらしい」

「…………やーーいやいやちょっと待てよそれ! 問題ありまくりだろ! なんでもかんでも、そんな、勝手に中身見られっちまうだろーが!」

「そもそも別れたらどうするんだそれ」

「それは私も疑問に感じた」


 仙子の疑問に答えた時の凛を思い出す。

 良い笑顔だった。


「別れたらすぐに機種変更をして新しいスマホにし、各種のサービスも新しい彼氏さんで登録し直すそうだ」

「え? なにそれ? まじで? やーちょっとよくわかんねー、男切らさないのとーぜんみてーに言われても」

「……あいつ、回路載ってるスマホ使ってたな。聞いたことがある。親御さん、お母さんのほうは回路を使えるそうだ。実際に家で解除してもらってるからそういう発想になるのか」

「だからまあ、蓮、君も彼女を作れば良いのではないかい?」

「なにそれ重ぇーよ! なんか結婚前提っぽくね!? もっと気楽につきあいてー……」

「木平……そうか、やっぱり三次元には興味がないんだな。二次元にはあんなに熱が入るのに。リアル女子は、お前にとっては遊びなんだな」

「蓮! そんな軽々しい気持ちで交際したいとは、君、女子をもてあそんで捨てる気だな! 女の敵め!」

「ちげーし!!」


 3人でふざけていると、寮監から「静かにしないとやらんぞー」とポテトチップス(大袋)が飛んでくる。試験勉強の追い込みに入っている遥希への差し入れ、のおこぼれのようだ。


 ブーーブーー ブルル


 仙子の端末がまたも震える。先ほどとは振動パターンが違う。

 仙子は、はっ、と端末を掴んで開き――


「教官からだ!」


 ――目を輝かせた。


「さっきのとは反応が全く違うな。しかも受信パターンが特別仕様」

「まーチョロ子だしさー。……やっべ、俺たちにもメール来てる。なんか3年に配信されてるっぽい」

「なんだと?」

「今度のオープンスクールの件で打ち合わせをされたいそうだ。明後日の終業式後に体育教官室に1名来るように、とのことだよ!」


 うきうきしていると話を進めていると――「会長、私が打ち合わせに行ってこようか?」「そうしてくれ。誰も止めない。梶にも連絡しておく」「じゃあ教官に返信しておくよ!」――仙子は先ほど受信した一つ前のメールの差出人に気がついた。


「……慶司郎からメールが!?」


 4月にアドレスを交換して以来、初めての連絡であった。

 タイトル、「装備」。

 なんとなく、なんとなく仙子は予想がついた。まさか、と思いつつメールを開く。


「キンリュー、何だってー?」


 仙子は無言で蓮に端末の画面を見せた。


「『なんかないか』? は? こんだけ? 意味ふめーじゃん」

「……これは私の推測だけれども、新しい装備を要求されているのだと思う」

「はァ?」

「ほら、金曜日の授業での対人戦。慶司郎が負けただろう? あれに対抗するために何か手段はないかという、実に驚くべき話だが、これは慶司郎からの相談なのではないかと。……かなり、悔しがっていたからね」

「対人って、あのキンリューVS魔戦クラスのやつ? あんなん勝てたらすげーよ。つーかさ、ほとんど勝ってたじゃんか、最後は凛の妹の騙し打ちみてーなもんだろあれ。ルール的にどうなんかなー」

「私もそう思うのだが、慶司郎の中では、負けは負けらしい」


 仙子はもう一度、文面を見返す。「なんかないか」。あの後輩は、どんな気持ちでこの言葉を打ったのだろう。


 ――反則すれすれとはいえ、最後にフィールドに残っていたのは凛の妹チームのメンバーだった。1学期の間、慶司郎は一度も対人戦で負けていなかった。その彼が負けたとあって、モニタールームはどよめきに包まれたものだ。

 フィールドから出てきた慶司郎は無言で去っていった。勝利した魔戦コース生たちは興奮し、その後もしばらくフィールドで大喜びで騒いでいた。

 さすがに気になり、仙子は「ちょっと様子を見てくるよ。担当だしね」と部屋を出て追いかけたのだ。




 後輩は着替えもせず、黒いコートのまま更衣室前の手洗い場に頭を突っ込んでいた。蛇口から勢いよく出された水が頭にかかり、黒髪がびっしょりと濡れている。


 背中が一度、震えた――ように見えた。




 仙子は声をかけず、モニタールームに戻った。

 その後、「今日の試合はルール上反則の可能性もある。気になる場合は休み明けにでも声をかけてくれ」とメールを送った。


 送る前から、慶司郎が声をかけてくることはないだろうと思っていた。自己満足だ、という自覚もあった。それでも、あの後輩に何か声をかけたかったので、迷った挙げ句、送信ボタンを押したのだ。


 送ったのが金曜の夜である。返信まで丸二日かかったことになる。実技には人一倍熱心な後輩のことだから、ずっと対抗策を考えていたにちがいない。考えに考え、自分一人ではどうしようもない、と思ったのかもしれない。


「装備ったってさー、どーすんだよ。そんな都合のよさそーなやつあんのか?」

「まあ、終業式後にでも話を聞こうかと思う。教官とのお話が終わった後は予定もないし」


 返事を打って送る。

 送って十数秒後に返信が来た。

 返ってきたのは、「部室で」という文にもならない言葉。

 

 よっぽどのことだ、と仙子は思った。

 知らないことを知られるのを嫌がる多感な十五歳が、AR回路の実技ではダントツに優秀な後輩が、実技もできない自分に相談を持ちかけてきている。


「何か良い装備、あるかな……」


 金曜日の対人戦を思い起こす。


 ――今回の対人戦のチームリーダーは凛の妹だった。見慣れない新しい装備をつけていたのは、おそらく凛の協力だ、期末考査の時もなにやら言っていた。口では文句を言っても妹を可愛がっているから、装備の提供や作戦の入れ知恵をしたのだろう。それなら慶司郎にだってサポーターがいないと不利ではないか、しかし夏休みは1日10時間の勉強を目標にした、相談に乗るなどそんな余裕はあるだろうか、でも……。


 考えていると、「瀬里澤」と陽太に呼ばれる。


「瀬里澤、まあ、僕が言うことじゃないかもしれないが……琴留の話、無理なら断ることも大事だと思う。あいつの言うことはたぶんレベルが高いだろうし、そうなれば手間もかかる。僕らは受験生だ。優先順位はある。琴留も、言ってわからない奴じゃあないだろ」


 かなわないな、と仙子は思ってしまう。言いづらいことを、言いにくいことを、それでも言ってくれる陽太の言葉に、仙子はいつもそう思ってしまう。


「うん……うん、ありがとう。無理はしないよ。私も大学に合格したい。……うん、でも」


 メールを、また、見てしまう。「なんかないか」の一文を打つ後輩の姿を想像する。


「でも、なんだか、頼られるのが嬉しくってね。私たち、頼るばかりだろう」

「……まあな」


 蓮が、「あーあ」とまたテーブルの上に伸びる。


「とっとと公務員受かりてー。んで遊びてー」

「勉強するしかないな。休憩、ちょっと長いんじゃないか」

「うへー会長まで」


 最後のポテトチップスを食べた仙子は喉の乾きを覚えて席を立った。立った瞬間、「しまったまたこのパターンかまあ仕方ない同じものなら許そう」と2人からのオーダーに備えたが――


「あ、俺ホットコーヒー。ミルクと砂糖多めでコーヒーは濃いめ。熱々のやつなー」

「瀬里澤、さっきは氷が多すぎだ。今度は温かい麦茶がいい」


「……いい加減にしたまえ君たち!!」


 ――かなりイラッ、とする仙子であった。






■次回更新日:7月27日 22時

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