7月13日(水) ツバメ
野玖宮高等学校・東京キャンパスの生徒数は少ない。3学年合計でも100人を越えない。それでも最低限のことは生徒たちで運営させて自主性を育てたいという学校側の方針により、委員会がいくつか設置されている。
一番人気は音響機材を扱う放送委員会。
1年生が入って人数に余裕ができたのか、今年は昼休みの放送が始まった。軽妙なトークに気の利いたコメント、とはまだまだいかないが、ポップス(和洋)からネット系楽曲、時には20世紀末~21世紀初頭の古いアニソンまで流す選曲は教職員にも好評だ。リクエストは随時受け付け中。
図書委員会は今も昔も図書室が活動場所。
とはいえ、図書室の目録も電子書籍・動画が多く、近年は紙の本の貸し出し業務も減少。一方で学校の授業で調べ学習が増えたこともあり、どのような調べものにどのような文献が役に立つのか、といった紹介などを作成して図書室や校内に掲示するのが主な活動内容。それ以外には、「貸し出し人気ランキング」や「クラス毎の貸し出し冊数」といった定番の数値も毎月発表している。最近の貸し出し冊数1位は1年生の魔戦コース。借りた書籍・動画の内訳カテゴリは、「AR回路実戦系」「筋トレ系」のラインナップであった。
断トツの不人気を勝ち取っているが美化委員会である。
読んで字のごとく学校の美化活動を行うのだが、この委員会、校内の美化のほか、外の花壇の手入れや不燃物の片づけ、地域貢献を兼ねた通学路の清掃なども行っている。東京キャンパスが開校した当時、少ない在校生が総出でやっていた雑用をそのまま引き継いだため、活動も多岐に渡る。
その中でも特に嫌がられるのが、ツバメのフン受けの交換だ。
「う……汚いな」
「今年は落ちたヒナも多かったからね。生まれたヒナも多かったからだろうし、順当な結果といったところか。ほら」
仙子は脚立に乗った陽太から板を受け取った。ツバメのフンが大量に付着している。においは極力かがないようし、新しい板を渡した。板は巣の下に作られた受け具にはめられる。
陽太の作業を下から見ていると、仙子は揺れを感じた。地震かと思ったが、周囲の後輩美化委員たちが騒ぐ様子もない。
汗が、額を流れる。
ぬぐって、「立ちくらみか」と気づく。
「…………暑い」
「言うな、瀬里澤。もっと暑くなる」
梅雨明け宣言はまだ出ていない。けれども、東京は先週末から快晴が続いている。今日も太陽は遠慮なく照りつけて地上の気温をガンガンあげた。放課後になってようやく日差しもやわらいだが、昼の熱波の余韻はまだまだ冷めない。
山向こうに見えるのは成長しきらなかった入道雲か。一雨くれば涼しくなるのだろうが、残念なほどに青空の面積は広い。
そんな中での屋外作業である。
しかもにおい避けにマスク着用。汚れても良いように、と着替えたジャージ(学年色:黄)は半袖ハーフパンツにしたが、通気性の悪い軍手が地味に熱を持っていた。
「瀬里澤、僕のペットボトル」
もはや話す気もしない。
無言で陽太に投げ渡し、仙子はマスクをとって水筒の麦茶(寮で自作)をあおる。朝に詰めた氷は全て溶けたが、それでも周囲の気温より低い麦茶が喉を滑り落ちた。
いくぶん気力を取り戻した仙子、中庭の壁面を見上げる。
この地域のツバメは少々変わった場所に巣を持つ。家屋の換気扇や排水パイプの上に巣を作るのだ。土台がしっかりしているので、巣作りの労力も省けたことだろう。土台が何も無い壁には巣は1つもない。
教室毎に必要なので、校舎には大量の換気設備が取り付けられている。整然と並んだ箱型の設備、それら全てにツバメの巣がちょこん、と乗ったさまは、最初から巣も込みで建設したかのような印象を覚える。
賢いというのか省エネ型というのか。初めてその光景を見た時、「ツバメって頭が良い鳥なんだ」と仙子は感動したものだ。
そんな素敵な感動も、自分が掃除をする羽目になるとどこかに行ってしまった。
中庭に面した校舎の壁は、さながらマンションのドアのごとく巣が並ぶ。時期になると多くのヒナがピーピーと合唱するが、「かわいー☆」とは喜んでいられない。これだけ巣があれば飛び交うツバメも大群で、落ちるフンも相当になる。中庭は食堂にも隣接していたから、外で昼食を食べる生徒や教職員には時に悲劇が降り注ぐ。
「弁当にまで!?」とは運の悪い被害者の悲痛な悲鳴だ。
開校当初、もっと多くの巣があったが、衛生面でも設備面でもちょっと、ということで2・3Fの巣は全て撤去された。地元採用の学校職員からの「そういや昔はツバメ避けやってたよ」というアドバイスもあり、今では職員お手製ビニールテープのツバメガードが換気設備を守っている。
全部潰すのもあれだ、と残された1Fの巣だが、こちらはフン受け用に適当な板を設置して対応している。
美化委員会が本日行っているのが、フンで汚れたこれらの板の交換であった。
「こんなくっそ暑い時にやらなくても……2学期だっていいだろ。熱中症になったらどうする」
「本当にね……先日、今時期にやる理由を先生に聞いたのだが」
「おう」
「中学生も見に来るから、だそうだ」
「ああ、学校見学」
「そう、学校見学。少しでもきれいにしたいと」
陽太はペットボトルを飲み干す。
ペキョリ。
空いた容器を握りつぶした。
「……つまり、僕たちは体のいい清掃員か」
「会長、事実であっても、口に出すとむなしい」
「現実は残酷だな」
とはいえやらなければ終わらない。
休憩を切り上げ、陽太と共に移動しては黙々とフン受けの交換作業を続ける。
(……ん?)
視界を、何かがよぎった。
ブゥン
耳元を、何かが飛び去る。
「虫か? うるさいな」
「そう、だね」
あたりを見渡す。
ブゥン、と黒い点。
蠅。
また、ブゥン、と羽音を鳴らして、蠅が飛ぶ。
黒く小さな粒があちらこちらを飛び回り、地面から湧きあがるかげろうに消える。
ブゥン ブゥン ブゥウン ブゥン
羽音は、止まない。
ゆらり
景色が、ゆがむ。
湖面の揺らめきのように。時に、それよりもひどく。
流れている。細い。切れ切れの流れ。か細く、薄い、透明な川。色は無く、それでも仙子の視界を、見える青い空や建物をゆがませるそれ。
世界を変えた、「力」。
蠅はそこから産まれたように生じ、そうしてそれに絡まれたように流れの奥へ奥へ、源へと進んでいく。
その先、行き着く先には――
「瀬里澤、ちょっといいかい」
――振り返ると、漫研の顧問が立っていた。
「どうも虫が多くてね。近くで何かが死んでいるんじゃないかと思ってるんだが」
「…………ぇえ、はい、多いですね」
声がかすれる。
喉が乾いていた。
唾液を飲み込む。
「多いです。……それに、見えています。『力』が」
顧問が目を細める。
「宅は?」
「……僕は、少し、騒がしく感じます。ただ、この、虫? 蠅か、蠅の音かと思ってました」
そうか、と顧問はうなずき、後ろにいたジャージ姿の2年生(学年色:緑)に「リヤカーとビニールシートを借りてきなさい」と指示する。生徒は無言で校内に走っていった。陽太が「御明?」と呟いたのが仙子に聞こえる。
「御明君?」
「そう。いろいろ手伝いをしてもらっているんだ。……瀬里澤は、見えるんだったね。どこから出ているか、わかるかい?」
うなずき、指さす。
体育館と、そのすぐそばまで迫る山肌の間。細い通路。その先。
「体育館裏だと思います。ここからは見えないので、あの角を曲がった奥です。……わずかですが、『力』はそこから」
「わかった。確認する。君たちは、あまり、気にしないように」
顧問は体育館裏へと向かう。その後ろを緑ジャージの2年生・御明が、仙子と陽太へ、じろり、鋭い目つきをよこしてリヤカーを引いていった。
ほう、と仙子は息を吐く。
陽太は脚立の上で眼鏡をかけなおした。汗で汚れたようだ。
「……最近、よく死んでないか?」
「多いね。それに、濃度が高い。学校の敷地で『力』が見えるなんて久しぶりだよ」
野玖宮高校・東京キャンパスは山のど真ん中にある。谷あり川あり急斜面あり、と山深いため、野生動物も多く生息している。
一見、緑濃く豊かに見えるが、自然界は厳しいのだろう。校舎近くで動物の死骸に遭遇することも多い。大半は小鳥だが、今日のように蠅が大量発生しているということは、それなりに大物(中型犬以上)の死骸が近くに転がっていると考えられた。
「今年は山の実りが不作だとかニュースで言っていたけれど、この辺りでもそうなのだろうか」
「あれは神奈川とかの話だろ?」
「東北でも熊が出ていると聞くよ。食べ物が少なくて民家のそばまで来るらしい」
「……じゃあ、最近のは餌を求めて『ふきだまり』に入ったってことか?」
普段ならば死骸を片付けて済む話である。いささか不安を覚えるのは、その死骸が「力」を帯びている、という点だ。
世界を変えた「力」は、地球の生き物には少しばかり刺激が強い。
回路が無ければ、時に、身を損なうほどに。
通常、「力」は施設に集積される。集められる過程で施設周辺に溜まり、感知されることはある。だが学校や役所のような公共機関は、「力」を集める際にその通り道から除外される設備を持っている。そのため、本日、仙子が見ている「力」は、敷地内にその発生源がある、ということになる。
また、「力」は、それを多量に含んだものを摂取することで体内に取り込まれることが判明している。少量ならば目立った害はない。だが、短期間に大量に取り込むと異常な行動を起こし、死に至る場合もある。
今回もそういったケースの可能性は高かった。山の奥、少ない餌に耐えかねた動物が本能の告げる「ふきだまり」の危険性を無視し、「力」を含んだ植物や虫を食べる。やがて行動がおかしくなり、崖や川、斜面を転がり落ちて死ぬ。落ちた先は体育館の裏。「力」を大量に含んだ死骸は、朽ちていく過程で「力」を外部に垂れ流す。そして死骸から産まれる白い蛆と黒い蠅……。
一連の流れが二人には想像できた。
「説明はつくね。……山の『ふきだまり』は、先輩方がだいぶ散らしたはずだが」
「また溜まってきたとかな。おっかない話だ。こんな山の中で巻き込まれるなんて冗談でもごめんだ」
「夏休み中に業者さんを呼ぶかな?」
「瀬里澤、甘い。下手したらやらされるかもしれないぞ。費用もかからず面倒な申請書類もいらない。便利だからな、僕たちは」
こういった「力」の副作用が知られた現在、濃度の高いフィールド内での飲食は禁止されている。
ただ、幻覚を見るという「ふきだまり」の中ではなにがしかを食べてしまったという話も多い。食べたことで、呪われて化け物になったとか数年後に発症して死んだとか、そういった話が「本当にあった怖い話」系書籍で定番だ。ネット界隈では神話の「黄泉竈食ひ」になぞらえ、「ヘグった」などと言われることもある。
仙子は「ただ働きかい? 勘弁願いたいよ」と返し、体育館を眺める。
緑ジャージが見えた。よく見ると、その顔は陽太と仙子の方を向いている。
「……会長、御明君がこちらを見ている」
「安心しろ。さっきからずっと見てる。というかにらまれてる」
「私たち、彼に何もしていないのになぁ」
「あいつは僕たちの存在そのものが気に食わないんだ。構うだけ胸クソ悪い。先生に任せておけばいい」
陽太の語気はずいぶんと鋭く感じられた。
「御明、琴留のアレで呼び出し受けてたんだろ? 表だった話はないけど、ああやって先生の手伝いをしてるのは罰代わりなんだろうさ。せいぜいこき使われればいいんだ」
「……」
強い口調の陽太に、仙子は何も言えない。
葵を泣かせた御明に、仙子も関わりたいとは思わない。ただ、あの2年生が自分たちを、魔研コース生を目の敵にする理由を思うと、いつも、やるせなく、どうにもできない気持ちになるのだ。
「……外で魔語が書けたって、たいして良いことは無いのに」
「瀬里澤、書ける奴が言っても意味がない。御明は書けない。僕らは書ける。どんなにあいつが努力したって、もうそれは変わらない。だから御明は僕らがねたましい。……どうしようもない。無いものねだりだ」
「……」
――お互いにね。
浮かんだ言葉に口を開き、けれども結局、仙子は声にできなかった。したところで、現状は何も変わらない。陽太の気分を損ねる程度だ。御明は外で魔語を書けないし、自分達は回路を使えないまま。それは一生変わらないだろう。
――回路も使えない人たちからアドバイスをもらっても。
御明の言葉を、仙子は思い返す。
あの時、魔研コース生の心は大きく揺れた。あの言葉は事実の指摘でもあった。自分達も、うっすらとどこかで感じていた、不安の。
――作れはしても、使えはしない。そんな自分たちの言うことは、技術は、はたしてあてになるものだろうか、確かなものだろうか。人の役に、社会の役に、立つものだろうか?
事実だから、葵は泣き、当時の3年生は激昂したのだ。
「板」
陽太が手を差し出した。
「?」
「あんな奴の話は止めないか? とっとと終わらせて部室に行こう。今日は会誌の締め切りを決めなくちゃならない。そっちのほうがよっぽど建設的だ」
「……うん。うん、そうだ、そうだったね」
黙り込んでしまった仙子への、陽太なりの気遣いなのだろう。
仙子は頷き、板を渡す。
「待たせると梶がうるさい。あいつ、こういう時くらいはきっちり仕切ってもらわないとな。いつもはろくに顔を出さないんだし」
「そうだね。この間、6限が終わったらえらい勢いで帰って行ったろう? テレビの公開収録に当たっていたそうだよ」
「本っ当に受験生か梶は」
「凛は勉強ができるから」
次の巣へ移動する前に、陽太に断って水筒の麦茶を飲み干す。
最後まで飲みきってしまったからあとは校内の自販機で飲み物を買うか、いや、教員室の冷蔵庫から氷をもらってドリンクスティックのアイスにするべきか、そういえば寮の冷蔵庫に部室のお菓子を入れていた、今日は1学期最後の活動日、1年から3年の全員が集まるのだから持っていこう……。
暑さにぼんやりと思考を飛ばした仙子は、あ、と思い至った。
「会長、今年のツバメだが」
ブゥン、ブゥン。
蠅は相変わらず飛んでいる。
「サイズの大きい動物がよく死んでいただろう? 今のように、蠅が多かったと思うんだ。それを食べる虫も」
「? そうだな」
「ツバメにとっては、餌が多くて育てやすかったことだろうね」
「……おい、ヒナが落ちてたのって、まさか、それか?」
「会長、私たちは知らずして『生物濃縮』を見ていたようだよ……! いやあ、生物用語の実例を実地で見られるとはすごいな!」
死骸にたかる蠅は、当然「力」を大量に含む。それらを餌とする他の生き物(例:トンボ)の体内にも「力」は溜まり、そしてそれを捕食する次の生き物(例:ツバメ)へまた溜まる。連鎖は巡り、その途中、「力」に耐えきれなかったヒナが落ちたのかもしれない。
「来年も、来るだろうか?」
いくら餌が多くとも、それが毒では良い営巣地とは言えない。
見上げた壁面にたくさんある巣は、大半はもうカラだ。もしかしたら来年もカラのままかもしれない、と思うと仙子は少し寂しい。掃除が楽になるのは後輩たちにとってもありがたいことだろう。だが巣からちょいちょいと顔を出すヒナはやっぱり愛くるしいのだ。癒やしである。フンは困るが。
「来るんじゃないか」
「そう、かな?」
「餌がこれだけいるんだ。親だって多く食べて、多く卵を産める。卵が多ければ、生き残るのもきっと多いさ。多産多死。そうやって代を重ねて、中には耐性ができるのも出てくるだろ」
「なるほど」
仙子は板と軽くなった水筒を持ち、脚立は陽太に任せて次の巣に向かう。
ようやく風も出てきたようだ。
火照った腕にあたる微風が心地よい。
「生き物って、強いものだね」
「数は力だ」
校舎の上を、くるり、ツバメが数羽、円を描いて飛んでいく。
■次回更新日:7月17日(日) 22時




