6月30日(木) それぞれの進路
大学入学試験の風景から「英語」が消えてから久しい。
2020年に始まった新センター試験ではすでに民間の英語検定試験の利用が開始されていた。これは従来の「読む・聞く」学習だけではなく、「書く・話す」を重視した結果、もはや大学入試だけで補える範囲ではなくなったためである。
「書く」――英作文の採点までなら記述式試験の1つとしてどうにかできたかもしれない。だが「話す」――スピーキングを判断する面接試験は、膨大な人数の審査員の手配・各審査員の採点基準統一などの問題を解決できるめどがたたなかった。
金の問題でもある。
試算額ですでにアウトだった。
そこで、当時の文部科学省は思い切った策に出る。思い切って「英語」を「外注化」――民間の英語検定試験を入学試験に代替――したのだ。受験生は出願までに取得した試験のスコア(直近2年)を志望大学へ提示し、大学側はそれをもって英語の学力を把握する、という方式が採択された。
近年、回路の普及によりその重要性は低下し、英語は魔語を含めた外国語枠の選択科目の一つにすぎない。だが外部の検定試験を活用する仕組みは残り、地球の諸言語のほか、魔語技能の学力判定にも利用されている。
本日、3年生の5・6限は自習である。
本来は「魔語」の授業だが担当教師が夏風邪でダウンしたのだ。代理の教師がいないわけではないが、期末考査が来週に控えている。もともとテスト勉強を予定していたこともあって自習となった。
今年はまだ梅雨が明けない。
雨は本降り。
校舎に雨音が響く。
ダラダラしつつもテスト勉強をしていた3年生であったが、クラスに顔を出した担任の一言で何名かがピシイィィッ、と硬直した。
「自習ならちょうどいいか。模試返すぞー」
災厄は、忘れた頃にやってくる。
恐怖の模試返却&進路面談が始まってしまった。
仙子はそろそろそろ……、と慎重に廊下を進む。うかつに歩くと、頭に詰め込んだ担任からのアドバイスがこぼれ落ちそうだった。
中年を少々越えた担任はあちらこちらの予備校で指導経験があり、こと進路指導ではベテランである。大学に行きたいと申し出た仙子の相談にものってくれ、奨学金やら学生寮やら、親を説得するためのヒントも多くくれた。ただ、「キャバ嬢口説くのにすんげえ役に立った」という弁舌は流暢すぎて立て板に洪水であり、一介の高校生にはあまりに情報量が過多だった。
――役に立つ夏休み学習アドバイスを多くゲットできた、が、自分なりにまとめなければ、これはとても身に付きそうにない。メモを取ったから見返そう……。
教室に戻った仙子、「凜、次だよ」と声をかけて席につき――しかばねを見つけた。
「会長、蓮はいったい」
よく見たら蓮だった。目が死んでいる。机上に身を投げ出していた。
「模試が悪かったんだと」
「模試って……蓮は公務員志望だろう?」
「それ用の模試があったんだな。自分で申し込むタイプだから学校は通さないんだろ。結果はとっくに返ってきてたのに部屋に隠してたらしい。で、それがバレて、面談中に寮に走らされて先生に見せた」
「それで叱られた?」
「説教されたわけじゃないんだろ、蓮」
陽太の声にしかばね――もとい蓮はぎぎぎ……と顔をあげた。
「…………ちょーまずいって。まじで受からないかもって」
「一般教養をなめてかかるからだ」
蓮の隣で遥希がつっこむ。
「……だってさー『一般』教養とかいうからさー、ふつーの成績があればいーと思うじゃんさー。一般だぜ一般。知識分野ってなにあれー……等差数列とかもう忘れたし。つか地学なんてやってねーし」
「対策なしで公務員とかもう草を生やすしかない」
「ばっか机に書くなよ消すの俺だろ! ……ちくしょーだってさー、魔語はらくしょーだしさーもう2級取ってるしさー」
遥希も蓮も、それぞれ地元の役場へ技術職(魔語)での就職希望だ。この場合、受験資格には「高卒」に加えて「魔検●級以上」(指定する級は自治体による)が追加される。
正式名称を「実用魔語技能検定」という「魔検」は、読んで字のごとく「魔語をどれだけ使いこなせるか」を測る検定である。魔語の文法や単語の組み合わせ、それらから発動する効果や注意点、回路を作成するための技法などがその試験内容。回路製作の実技がある3級以上が実用レベルとされ、回路系関連企業の技術職志望ならばおさえるべき資格となっている。
魔研コース生はこの魔検を年に2回は団体受検させられている。3年生はとっくに3級以上を取得済みだ。
蓮が模試で引っかかったのは、技術職とは全く関係のない教養試験であった。
「公務員試験もずいぶん大変なのだね」
「遥希の問題集を見たが、高卒採用だからレベルは定期テスト並だな。範囲が高校全部だからやっかいだ」
ぐぬぬ、とうめく蓮に「6割取れればいいんだからまあ頑張れ」と陽太が適当なエールを送る。
6割、と聞いて仙子は手元の帳票を見返す。
判定評価「C」――合格可能性40%。
憂鬱なアルファベットの曲線がいやでも目に入る。
胸にのしかかるのは、「もう少しの努力が必要です」の文言だ。
(まだまだだなぁ……)
頬杖をつく。
赤字のたくさん入った小論文の出来は60点台。安全圏とはとても言えない。
仙子に返却されたのは、国公立大学の個別試験模試であった。
2020年の大学入試改革以降、各大学は新センターで思考力などの学力を、その後の個別試験で判断力や表現力、本人の主体性などを測っている。
仙子の志望大学も、個別試験は小論文に面接、プレゼンテーションを課す。小論文とプレゼンは、大学入学後に何を学びたいか、という志望動機と直結したものが多い。この2つ、テーマがテーマだけにどちらか1つでもポシャると挽回は難しそうである。
(評価テストよりはいいけど。……評価テストは7割以上かぁ)
寮のPCで志望大学の募集要項を検索していたらたまたま評価テストの合格者最低点を見つけ、つい計算してしまった。かなりドキドキだった。
安全圏を目指すなら75%の得点率は欲しいところだ。「新センター試験得点8割超えの方法」とあおり文句のついた大学受験生向け雑誌(○雪時代)を読み返すべきかもしれない。
ぐぬぬ、と仙子も帳票をにらみつける。
「ちょっといい?」
教室に戻ってきた凜がそのまま教室の黒板前に立った。
少々険しい顔つきである。
「先生と相談したの。夏休みからの予定、確認しておきたいんだけど」
そう言って書き出したのは終業式以降のスケジュールだった。10月半ばまでだが、行事などで黒板はだいぶ埋まった。途中「あんたたちいつ試験なの?」と蓮と遥希に質問が飛び、遥希の日程を聞いた凜は「えーーー、じゃあオープンスクールの準備なんかしてらんないじゃない」とこぼす。
--------------------------------------------------------
7/19 終業式
7/21 オープンスクール(学校説明会)
7/23 ツアー(静岡)
7/24 公務員試験一次(遥希)
7/30 ツアー(鹿児島)
7/31 模試(新センター)
8/5 閉寮
8/6 ツアー(長野)
8/9 ツアー(神奈川)
8/14 即売会イベント3日目(本出す?)
~この間で公務員試験二次?(遥希)~
8/22 開寮
8/23 オープンスクール(学校説明会)
8/28 模試(個別入試)
9/1 始業式
9/16 芸術鑑賞会
9/18 公務員試験一次(蓮)
10/1 学校公開日
10/7 学祭準備日
10/8 学祭(9日まで)
--------------------------------------------------------
10/8の下には「ここまでに1年生の装備仕上げ!(最低でもデータまで!)」とデカデカと書かれていた。
「こうして見るといろいろあるね……主にツアーが」
「おい梶ツアーってどういことだツアーって。行くのか」
「行くわよ。何ための夏休みよ」
「受験生の発言じゃないな」
「まあ鹿児島は無理だけど」
チョークを置き、凜は教卓に両手をついて「葵以外は私たち、受験か就職なわけでしょ」と教室を見渡す。
葵は家事手伝い、凜は仙子や陽太と同じく大学受験の予定である。
「夏休みからはそっちに集中したいと思わない?」
「思うがお前のツアーが一番よくわからない」
「おだまり遥希。聞いたわよ。あんたイベントで本出すんですって? 試験真っ最中のくせによくやるじゃない」
「そんなに褒められても」
ふぁさ……とわざとらしく前髪をかきあげる遥希の隣で――「顧問サークルで委託? あの人ジャンルは評論だろ。いいのか? というかそもそも間に合うのか?」「かまわないってさー。なんか表紙先に入れれば9日入稿OKの印刷所もあったし。遥希は一次終わったら書くっつってた」「極道入稿のにおいがプンプンするな」――復活した蓮と陽太が顔を寄せる。
仙子は詳しくないのでよくわからないが、どうやら即売会イベントとは抱き枕を売っているだけのものではないらしい。「表紙と漫画が俺」とか「小説は遥希か」などの会話から推測するに、漫研の会誌のようなものを作るのだろう。
凜の言葉通り、「就職試験もあるのによくやるなぁ」という感想である。
「一番いいのは行事の準備を2年に丸投げすることなんだけど、さすがに全部は難しいみたいなのよね」
「全部投げてーよ。なんで3年がしなきゃなんねーんだよー……」
蓮がぼやく。
これは学校側の「生徒の主体性を育みたい!」という方針が原因である。わりと迷惑だった。
「ほんと面倒よねー。まあでも、話の持ってき次第かなーとは思うのよ。7月のオープンスクールだけは受け持つから、あとは2年生で、とかね。こっちは人生決まる就職試験が控えてるし? 大学受験だって夏の過ごし方で成績の伸び変わるし? 2学期からなんてそうそう余裕ないし? まさかそんな3年生に行事頼むなんてないですよねー、って」
「……俺は? 試験、7月の24なんだけど」
「頑張れ! ……ってウソウソ。7月のはあんた以外でやんの。で、二次試験の後に面倒な話が出たらあんたがメインでするの」
遥希が首をひねる。
「そりゃ助かるけど……面倒な話って何だ?」
凜は笑顔で、きっぱりはっきり、言い切った。
「1年生からの装備修正希望。絶っ対、来るわよ」
「あるね、それはあるね……」
思わず仙子はうめいてしまった。よく考えたら心あたりがありすぎた。
1年生は魔戦・魔技コース共に10月の学祭でそれまでの実技の結果を発表することになっている。夏休みは発表準備もするだろう。魔技コースはどうにかなるとして、どうにもならないのは魔戦コース生の貪欲さである。
毎週金曜日の6限は「総合」の時間で、3年生は1年生のサポートを行っている。1年生から希望を取って提供した装備(6種)は3Dデータのため修正がしやすい。実技に非常に熱心な魔戦コース生たちの腕前は順調に上達しているから、修正希望も毎週あがってくる。いくらしやすいといっても、毎週毎週作業するのはけっこう面倒だ。しかも複数人が使用しているから、互いに矛盾する希望も出てくる。そのあたりを納得させる説明をするのも授業の目的の1つなのだが、当事者としては手間がかかってしようがない。一人1種担当なのが不幸中の幸いだった。
「1年って学祭でお披露目すんでしょ? フィールド実技の。夏休み、部活も合宿ガンガンするんだって。今まで週1で済んでたけど、夏休みはほぼ毎日になるんじゃない? 希望出してくるの。このへん1年とルール決めておかないとやばそうよ。あたしもほんっっっと妹がうるさくって。これがクラス全員とかなったらやってらんないわ」
「うげー……」
「で、9月は学祭に向けて、ってことで絶対追い込みでしょ? 学校始まったら教室に押し掛けてきそうだから、ここは遥希を生け贄にして」
凜はぴっ、と指をたてる。
「私たちは1年から無事逃げて勉強する、ってわけよ!」
「サンセー! すっげーサンセー!」
「異議なし。さすが梶。ナイスプランだ」
「凜……素晴らしいよ凜!」
教室は賛同の声に満たされた。スタンディングオベーションが起こった。遥希の「はぁ!? 生け贄ってなんだ! 全部やるとか無理だから!」という少数派の抗議は多数派にまるっと無視された。
「じゃ、先生に話通して来るわ!」
凜は軽やかに胸(物理)を踊らせ、教室から出ていった。
「遥希……君の尊い犠牲は忘れない」
「死んでないから! チョロ子やっぱりうざいなお前!」
仙子としても、さすがに全てを遥希にさせるには、と思いはする。が、「チョロ子」呼びは許し難い。「そんなことを言うと本当に君に丸投げするぞ」と軽口(半分本気)で釘をさす。
遥希が「仙子のくせに生意気だ……」とうなだれると、葵(実はいた)が目で「頑張って!」と励ましていた。仙子が見るに「私も手伝う!」というメッセージがこもっていたが、残念ながら遥希はうなだれていたので全然通じていなかった。
んー、と仙子は背を伸ばす。
ささいなことだが、先の予定が決まるというのは実に心地よく感じる。
「まずは期末テストから片づけるかな」
期末考査は週明け月曜からスタートだ。
中間の反省を踏まえて今回は早めに始めていたので、ちょっぴり気持ちに余裕がある(気がする)。
窓の外を眺める。
空は灰色の厚い雲。雨は変わらず本降りだ。山の奥では、小規模な土砂崩れもあったとか。予報では、週の後半から天気も回復し、気温もあがるという。
梅雨が明ければ、もうすぐ夏である。
「400時間も、夏休みに勉強できるかな……?」
勉強時間を確保するには、魔戦コース生の猛攻をなんとしてもかわさなければならないだろう。
褐色の後輩が思い浮かぶ。
――砂塵を巻き上げ、倒した異形の前で口の端をゆがめて、笑う、その姿。
背中に悪寒が走る。
うっすら、そこはかとなく、ちょっとくらいは勝てる気が――やっぱりしなかった。
(諦めるな私! 諦めたら試合終了だと昔の人も言っている!)
ぐぐぐ、と仙子はこぶしを握る。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが6限の終了を告げる。
分の悪い勝負だが負けるわけには!、と決意も新たに勉強に励む――前にチョコを漁りに漫研の部室へ向かう仙子であった。
■次回更新日 7月5日




