6月22日(水) 合同実技事件と会誌
瀬里澤仙子の通帳には故郷のゆるキャラが描かれている。かつて「ゆるキャラグランプリ」でいいとこまでいったという、動物とも植物とも判別できない生物だ。ここに、毎月1日、実家から月2万円が振り込まれる。
小遣い兼生活費なので、この2万円から毎日のお昼代(予算500円/日・飲み物込み)や携帯料金、文具や洗顔用品などの雑費が容赦なく消費される。
自由に使える金額は5000円程度。都内に遊びに行っちゃうと瞬く間に消える金額である。服だって欲しいし髪だってきれいにカットしてもらいたい。あのブラ可愛い、とか思っちゃうともう大変で、その月はお昼代を削って耐えるしかない。買ったことは意地でも後悔しない。
ちなみに受験に必要な模試代や問題集代は親持ちである。5月の帰省時に粘ってゲットした偉大な勝利であった。レシート必須で後払い制なのが妥協点。
そんな仙子の財政状況である。
月も下旬になれば残金は心もとない。来月の振り込み日まではあと10日ほど。財布の中身を確かめた仙子はそっ……と菓子を棚に戻して購買部を出た。
時は放課後。
ぼちぼち小腹もすいてくる頃合。
しばし思案し、漫研の部室に行くことにした。「もうすぐ期末考査! 勉強するには糖質が必須!」とこじつけて備蓄のおやつを漁るためである。最近は妙に品ぞろえが良い。
梅雨の真っ最中とあって天気は今日も雨だ。吹き抜けの階段から見える山並みは雨に煙り、白い霧がかかったよう。夜になればまだ冷え込むが日中は蒸し暑い。もうすぐ襲来するだろう真夏の湿度を嫌でも想像させる。
水曜日の放課後は委員会の活動日である。仙子が所属している美化委員会は花壇の手入れなどを行っているが、本日は雨のためお休みだ。
3Fの廊下を奥へ歩く。3年生の教室は空っぽ。図書室前で葵に会ったので「あとで私も行くよ」と座席の確保を依頼。先月はショックの模試返却だった進路指導室前を通過し、漫研の書庫へ。
書庫は大きなスチールラックがいくつも並び、大量の漫画本が納められている。すん、と鼻をつくのは特有の紙とインクのにおい。雨のためかいつもより強い刺激。
「湿気がひどいね」
「カビてるんですかねぇ。くしゃみが」
読書中の漫研2年生男子と雑談を交わして仙子は部室へ続くドアを――「あ」「?」「あー……」――開けた。
正面に、等身大の半裸の巨乳美少女が広がっていた。
「ばっ、おまっ仙子てめーノックしろノックー!」
「入ってるんだっ入ってるんだああぁぁぁ!」
正しくは、半裸の美少女がプリントされた抱き枕カバーだった。
見るからにキョドった蓮と遥希が慌てて抱き枕カバーを隠すが、たたんだ隙間から肌色の足やら胸やら白くベタつきそうな何かやらがのぞく。
バタン
あまりにいたたまれない。
無言でドアを閉めた。
「裏面が18禁だそうで。僕は見ないようにってことでこっちに」
「……すまない、なんだか、本当にすまない……」
責があるわけではないが、謝らずにはいられない仙子である。
「会長も止めてくれたまえよ」
「二次元には興味ないからなあ」
「そういう問題かい?」
部室のお菓子箱をひっくり返すと缶入りのチョコを発見した。カカオ77%。ブランドもののちょっとお高い系である。最近よくあるな、と不思議に思いつつお茶受けにと皿にあけてテーブルへ。我関せずと漫画本を読んでいた陽太が早速つまむ。
今日のドリンクはチョコの甘さが引き立つカフェオレ砂糖ゼロ。書庫にいた漫研2年生も呼び、陽太にもいれる。細かい注文をつける蓮と遥希は――「ここには18歳未満も来るのだから自重してくれ! 広げるのはせめて表面だけにするとか」「抱き枕の真価は裏面にある。表なんて飾りだ。チョロ子にはわからないか……」「私はチョロ子じゃないしわかりたくもないよ!」――教室でやってこいと追い出したので一安心だ。
「そういえば瀬里澤、聞いたか?」
「?」
「昨日の合同実技。2年の御明がやらかしたらしい」
「…………おや、まあ」
「今度は相手が悪かった。琴留だとさ」
「えーと、いったい何がどうなったんだい?」
野玖宮高校・東京キャンパスは生徒数がまだまだ少ない。1年は魔戦・魔技と2コースあるが、2・3年は1コース1クラスしかない。しかも2年は20人ちょい、3年はたったの6人だけ。
同じ学年で固まりすぎるのもよろしくない、と学校側も考えているのだろう。学年間の交流を深めようと合同授業や行事が計画されている。
事件はその内の一つで起きた。
昨日の火曜日、センターにて1年魔戦コースと2年生でAR合同実技授業があり、1・2年生でペアやチームを組んで対異形戦を実施。慶司郎とペアになったのが2年生の御明 大翔であった。
「御明も僕たちの中じゃ一番上手いんですけど、琴留はなんだか別世界のレベルで。ばれないように邪魔をしようとしたんでしょうけど動きに全然ついていけてなくてですね。もうみえみえで」
慶司郎が前方に出て異形にあたり、大翔が後方支援、という役割分担だったらしい。最初は役割通り、強風や遠距離攻撃で異形の足止めや牽制をしていたのだが、そのうちに牽制が直前まで慶司郎のいた場所で発生するようになった。本人は異形と接近したタイミングを見計らったようだが、慶司郎の移動速度が早すぎて狙っているのがバレバレだったそうだ。
「結局、琴留は一人で異形を倒したんだとさ。御明の妨害も全く関係なく」
「へ、へぇ……」
相変わらずすごいな、と仙子は後輩の規格外っぷりに驚く。ペアとはいえまがりなりにもチーム戦である。対戦する異形は教官が選ぶので、ソロでは苦労する強さや攻撃手段を持つものが出現したはずだ。
「しかもまだある」
「?」
「教官がですね、二人ともチームとして動けていないからって、そのあと5連戦させまして」
「うわあぁ……」
大翔は懲りずにサポートを装った妨害を続けたが体力を消耗し、5戦目では慶司郎に庇われる始末。
最後の異形も一人で倒した慶司郎は、荒い息をついて地面に転がる大翔に言ったという。
「もう終わりかよ。つまんねぇ」
このあと慶司郎はソロでもう1戦したというから驚異の体力である。最初はピリピリしていた1年生たちも、終盤では生ぬるい視線を大翔に送っていたそうだ。
魔戦コース生だけあって彼らは強さ弱さに敏感だ。自分たちの中で圧倒的な強さを誇る慶司郎に稚拙で卑怯な手段で挑み、しかも全く相手にされていない。上級生とはいえ恐るるに足りない、というか、あいつが2年で一番強いの?、え、2年弱くね?、邪魔なんじゃね?、邪魔してくんじゃね?、という雰囲気になり、そのあと他の2年生は1年生との連携に苦労したというオチがついた。
「さすが教官、容赦がないね!」
「琴留が勝つのを見越して戦わせたんだろ。……潰す時には、本当に、徹底的に潰したほうがやりやすいんだろうさ」
漫研2年生が「え?」と陽太に聞き返す。
「じゃあ、わざとあんなにさせたんですか?」
陽太がカフェオレをすする。苦かったらしくまたもチョコを一口。
「同じようなことが先輩でもあった」
「……先輩たちだけではなかっただろう? まあ、私たちも、こう、イキがる? そんな態度だったから良くなかった。1年の頃に教官からご指導を受けたんだよ」
外でも魔語が書ける、と鼻にかけていた魔研コース生を柔道や剣道の授業で打ちのめし、吐くほど走らせたのである。魔研コース生は上には上がいることを実体験でたたき込まれ、むやみに教師たちに反抗することはなくなった。
同じ距離を涼しい顔をして後ろから追い立てた教官の微笑みは――
「格好良かったね!」
「鬼かと思った」
――評価の分かれるところだ。
「御明、今日は1限に呼び出し受けてました」
「どうりで進路指導室から話し声がすると思ったよ。3年生は誰も呼ばれていなかったから不思議だったんだ」
しかし、と仙子は首を傾げる。
「彼はどうして慶司郎に挑んだのだろうね」
「勝ちたかったんじゃないですかね」
「いや、そうなのだけれども……彼、弱いところを狙うタイプだろう?」
「そうですねぇ」
「慶司郎は絶対に泣き寝入りする外見ではないのに、よく仕掛けたものだよ」
「ですねぇ」
「強い相手にも挑戦してみたかったのだろうか」
「さぁ? そんなできた人間じゃないと思いますよ」
「そ、そうかい」
漫研2年生のばっさり切って捨てた感想に「さすが一人で漫研に入るだけある」と仙子は謎の感銘を受けた。
野玖宮高校・東京キャンパスの2・3年生の関係はぎくしゃくしている。
実はこの原因も大翔にある。昨年の合同授業(回路作成)の際に「回路も使えない人たちからアドバイスもらっても役に立つんですか(笑)」といった類の発言を繰り返し、当時の2年生(葵)を泣かせている。ついには話を聞いて激怒した3年生に手を出させ、停学処分一歩手前に追い込んだ(大翔本人は教師からの注意のみ)。
現在の2年生は魔語進学コース(略称「魔進」)といい、外では書けないがセンター内ならば魔語を書ける生徒たちが在籍。カリキュラムは魔研コースと魔戦コースを足して割ったいいとこ取り……のはずだが、実態はどっちつかずの中途半端なコースだと言われている。学校側が1年生を魔戦と魔技の2コースに分けたことからもわかるように、回路作成とAR回路の実技の両立は少々難しいようだ。
視察に来る企業の人事担当者も「なんだ外で魔語書けないのかー」といった残念感をにじませてしまい、魔進コース生の鬱屈を溜める要因となっている。
当初からなんとなく含みのあった魔研コースと魔進コースである。
大翔の発言を契機に、個人はともかく学年としてはお互い関わらないようにしよう、というのが生徒たちの心情だ。大翔は成績優秀で寮(1・2年用)の取りまとめもしており、クラス内の発言権も強かった。2年生は寮住まいが大半である。そんな大翔と関係無く行動できる者は少ない。本日ここで駄弁っている2年生(通学生)がこの学年唯一の漫研会員だ。
「琴留って強いですねぇ。1年であんなに強いんじゃほんとに選抜入りするんじゃないですか?」
「うーん、あながち否定できない」
4月の合宿の際にも単独で中級異形を撃破しており、慶司郎はその強さがずば抜けていた(1年生の大半は複数人で中級異形と対戦が可能なレベル)。
1年生はチーム戦も行う。育成指導案を立てた身だ。他の1年生と組んで異形(下級)と戦っている慶司郎の映像を仙子も見たが、「これは一緒は無理だ」という感想を抱いた。
チーム戦の授業なので、単純な強さよりも共闘してお互いの弱点を補えるかが重視される。仙子には意外だったが、慶司郎は一人で異形へ突っ込むことなく他の1年生へ懸命に協力していた。
そう、懸命にあわせようとしていた。
「AR回路の実技はしたことはないけれど、私にも慶司郎が別格なのはわかったよ。一人で倒せる異形をなんとか皆で倒そうと動いているけれども、他の1年が全く反応できていない。逆に慶司郎の邪魔をしてしまっていた。あれは見ていてかわいそうだったね」
他の1年生も協力しようと動くのだが、速度が合わずあわや衝突という場面もあった。これではお互いが不幸である。その後は慶司郎の訓練メニューからチーム戦が外され、ソロ戦が中心となっている。
「慶司郎が選抜メンバー入りしたら学校の人気が上がるかな?」
「学校が有名になって就職も有利になればいいんですけど」
「さすがに琴留だけじゃ無理だろ」
ガチャッ
益体もないことを話していると部室のドアが開いた。蓮や遥希かと仙子が振り返ると――話題の人、慶司郎がいた。素晴らしいタイムリーさである。
当の慶司郎は無言でちょいと頭を下げ(おそらく挨拶)ドアそばのソファベッドに腰をおろす。スクールバッグは床、そこから取り出したファッショナブルなタンブラー(密閉式)は部室の机、小脇に抱えていた数冊の漫画本(漫研所蔵本)は自分のすぐ脇。そうして長い足を組んで背をソファに預け淀みない動作で本を開いてページをめくる。
タイトル――「疾風伝説 特○の拓」。
陽太がむせた。
漫研2年生が「また古いのが」とつぶやいた。
仙子はどこから突っ込んでいいのかわからなかったので(ジャンルが守備範囲外なので未読)、とりあえずホットな話題をふってみた。
「昨日は御明君と大変だったようだね」
顔を上げた後輩は今日も絶好調でイケメンだ。ポロシャツ(男子の夏服)のボタンは開けられ、ちら見する鎖骨から首筋の、しなやかであるが皮膚の下の筋肉を感じさせるラインは一瞬みとれるほど。褐色の肌と白いポロシャツのコントラストで異国情緒も大盛り増し増しである。
慶司郎は形の良い唇をしめらせる。
青い目がスッ、とその色味を濃くした。
雨音の中、つやのある声が響く。
「あいつは不運と踊っちまった」
陽太が激しく咳き込んだ。とうとう鼻から何か出たらしい。
漫研2年生が「使い方が違う気が」とつぶやき陽太にティッシュ箱を渡した。
仙子は読んでいないのでさっぱりわからなかったが、「ネタが意味不明でも格好良いとは本当にイケメンは得だな」と世の中の不平等をしみじみとかみしめた。おそらく手元の漫画本からの引用なのだろう。これは慶司郎なりの「ドヤ顔」なのだと解釈し、「怪我がなくてなによりだよ」と流すことにする。
慶司郎はちらり、といまだにむせている陽太を眺めて再び漫画本を読み始める。
心なしか、満足そうであった。
雨は相変わらず降り続く。
話の区切りもついたし、チョコで小腹を満たした。図書室に行こうかと仙子が腰を浮かすと、またも部室のドアが開いた。
「おや、今日はずいぶん揃ってるな」
今度は漫研の顧問教諭(化学担当)だった。後ろには蓮と遥希。
ロマンスグレーという言葉が似合う年輩の顧問は「残り物で悪いが差入れだよ」と焼き菓子セットの箱を机に置く。
仙子はもうちょっと部室にいることにし――
「1年と2年もいるし、3年は瀬里澤までいるから会誌の話を決めようか」
――たことを後悔した。
漫研では年に1回、10月の学祭に合わせて会誌を発行している。
漫研の会誌ではあるが、漫画以外に小説などの文章も載せている。生徒人数の少ない東京キャンパスでは文芸部もない。そのため「鳥獣戯画のような絵巻物が漫画の原型だっていう話もあるから、会誌に文字ページがあっても良いよね」という顧問の(強引な)援護により字書きにも発表の場が開かれている。
とはいえ、創作活動そのものが苦手な仙子には作品1つ考えるのもハードルが高かった。レポートは書けても物語はさっぱりである。絵など蓮に見せたら「…………よく見よっかー」と真顔で言われた。くじけた。
「基本的には1人1作品なんだけど」
「先生! 僕は読み専なので校正係をします!」
「私も!」
陽太と仙子の挙手は顧問に笑って「だめ」と却下された。
「去年は見逃したけど、今年は人数が少ないんだから君たちも参加しなさい。社会に出たらこんな機会もそうないんだから」
テーブルを囲んだ蓮や遥希も「だめだだめだー」とはやし立てる。
「そーそー、会長は会長なんだから1つくらいはまともにやんなきゃなー」
「歴史ネタのうんちくとかでもいいんじゃん」
「この辺の昔話でエッセイなんてどうですかね?」
「……まあ、それならなんとか」
「わ、私は!?」
「………………どーすっか」
「………………どうするか」
「頑張れ瀬里澤」
「ひどいな会長まで!」
議論は白熱し、最終的に仙子はリレー小説に参加することになった。設定は決めてもらい、途中から書く形である。同じく幽霊会員の稟や葵もこれなら参加しやすいだろうという案だ。
書き出しと設定は漫研2年生、ラストは遥希、途中の順番はあみだくじとなった。
あとは幽霊ではない会員たちが何を描(書)くかという話に進んでいく。これ以上いるとさらにノルマが増えそうと予感した仙子、「姫ちゃんが待っているので」と部室から抜け出すことにした。ちゃっかり焼き菓子(自分と葵の分)を確保するのも忘れない。
そぉっと部室の扉を閉める際、慶司郎の横顔が見えた。漫画本から顔を上げ、ずいぶん真剣な表情をしていた。
(そういえば放課後に来るのは珍しいな。いつもはセンターにいるはずなのに)
書庫を出て、はて、と仙子は首をひねる。
先ほどの議論中も発言することはなかった。本も読まずに何をしているのだろうかと疑問に思う。
魔戦コースの1年生は皆「AR活動部」に所属しており、放課後はたいていセンターで部活動をしている。休養日は水曜日。これはセンター側の事情でフィールドが貸し出しできないためだ。学校側も水曜日の5・6限を全学年とも校舎内で済む授業にし、放課後に委員会活動も設定している。
ゆるーい漫研も一応の活動日を水曜日にしており、顧問が顔を出したのもきっとそのためで――
「……って、ええっ!?」
――そこまで思い至って、仙子は後輩の行動に関する恐るべき可能性に気づいた。
水曜日。センターは使えない。だから委員会や同好会の活動日。ということは。
「漫研の活動に参加しに来た、ということなのか!?」
廊下で思わず叫んでしまった。ちょっと危ない感じだった。人がいないのが幸いだった。
(まさか、まさかね……まさかね?)
ばっ、と振り返る。
「漫画文化研究会」のプレートがかかった部屋からは誰も出てくる様子はない。真剣に会誌の構成を決めている、のかもしれない。……慶司郎も含めて。
え、いや、まさかね?、とぶつぶつ言いながら、仙子は図書室に向かうのだった。
その夜。
寮にて「キンリュー? 水曜はちゃんと来てんなー」「会誌も参加するってさ」と蓮と遥希に言われた。
人は見かけによらない、と実感する仙子であった。
■次回更新日:6月30日 22時




