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  5月27日(金) 模試と漫研

※下記の大学入試制度は仙子の場合のもの。

※各自参考とする際は高大接続システム改革会議「最終報告」(文部科学省)を参照。






 日本は文部科学省の話だが、2020年は何かと慌ただしい年だった。


 その数年前に起こった「異世界とつながっちゃった」事件もなんのその、1月にはそれまでの形式のセンター試験がラストを迎え、7月には2度目の東京オリンピックが開催され、11月には新センター試験の記述式・翌年1月には同じく新センター試験のマーク式が実施。マスコミは報道するネタに事欠かなかった。


 大方のギョーカイ関係者の予想通り、新センター初年度は荒れに荒れた。解けなかった受験生が続出したのである。前年までに行われたプレテストの結果からもわかってはいたが、新センターは旧センターよりも難易度が上がったのだ。

 連日、TVやネットニュースでは新センターを取り仕切った組織やその監督省庁である文部科学省に非難が轟々であった。


 これで翌年は難易度が変わったのかというと、なんとほとんど変わらなかった。次年度の受験生が新センター対策を進め、なんとか解けた者が増えた、という状態である。


 実はこれ、出題側のミスというより、時代の変化により作る問題の傾向そのものが変わったことによる混乱だった。問題形式そのものの難易度が高いのである。


 新センターは正式名称を「大学入学希望者学力評価テスト」といって、記述式とマーク式の2種類からなる。国公立大学への進学を希望するならば必ず受けなければならない。


 記述式は、与えられた資料を読み条件に沿って解答する。だが、長い資料を短時間で理解し、論理的な意見を組み立て、相手に伝わるように書く、というのは社会人でも骨が折れる作業だ。対策が不十分な受験生がさくっと書けるわけもない。解答欄が空欄を意味する「無回答率」は、おっそろしいほど高かった。


 ではマーク式はどうかというと、従来のセンターとは異なるタイプがしれっと混じった。このタイプ、正解が1つではないのである。「あてはまる答えを全て選べ」という恐怖の文言は、受験生に鉛筆(または番号を書き込んだ消しゴム)を転がすことを許さなかった。転がしたところで答えは1つとは限らない。最後の希望はもろくも折れた。


 こんな感じの出題形式であるから、結局、新センター初年度から数年は受験生が「解けた」「解けなかった」で二極化し、大学側も選抜が大変だった。後年、「高等学校基礎学力テスト」(イメージは高校生版の全国学力テストに近い)の本格運用が始まり、これの結果と併せることで「解けなかった」層も「けっこう解けた」から「ちょっと解けた」まで区分することができるようになった。大学側も受験者側もやっと一息つくことになる。


 たいそうな負担を受験生にもたらした新センター試験だが、文部科学省もいたずらに混乱させようとしたわけではない。2010年代からさんざん言われた「AI(人工知能)やロボットの発達によって人間の仕事が奪われるちゃうよどうする!?」論(※1)を真摯に受け止めた結果、「日本の教育を自分で仕事を思いついて飯を食っていけるものに変えよう! 小中はPISA(※2)で脱ゆとりしたからオッケーオッケー、あとは高校だ、よし、大学入試を変えればも全部変わる!」と一念発起し、「今のセンター試験は2020年で終わりにします(キリッ)!」と発表した。


 2015年1月のことである。


 この段階で決定してることはこれ(センター終了)だけで、制度や仕組みはすべて「案」の状態だった。


 この時、小学6年生の子ども(最後のセンター試験を受ける)を持っていたある親は思ったという。


 ――あ、これ浪人させちゃまずいヤツだ。


 余談であるが、小学5年生以下の層では、大学入試を回避するため大学付属校を目指す動きが見られたり、問題傾向の似た公立中高一貫校の人気がさらに高まったりした。





 さて、落ちついたとはいえかなり手強い大学受験。

 これに挑まなければならない野玖宮高校3年・瀬里澤仙子であるが、1学期中間考査最終日の今日、生ける屍と化していた。「かゆいうま」とか言ってこのままゾンビになってもいいかな?、いいとも!、という気分だった。


 テストの手応えが良くないのは予想通りだ、それはいい。物理が解けなかったのも想定内。問題なのは――


「D判定……」


 ――模試の第一志望の合格判定が、Dだったことである。


 テスト終了後、今月8日に受けていた大手予備校の模試の結果が返却されたのだ。学校を通して申し込んでいたので、担任から面談がてら返された。

 正直、ここまで悪いとは思っていなかったのでショックが大きい。


「D……D……『一層の努力を期待する』か……」


 面談を終えて進路指導室を出た仙子。

 よろよろと校舎3Fの廊下を歩く。


 ――文系科目はどうにかなる。世界史も国語も嫌いじゃないしそれなりになんとかできる。現代社会もおもしろい。数学はⅡBが死んでるけれども、ⅠとⅠAでどうにか受けられそうだからどうにかする、問題は……。


「理科かぁ……」


 仙子は帳票を眺めた。


 理科は生物基礎と物理基礎を選択している。生物はそこそこ取れているが、物理が壊滅的だった。

 国公立を希望するならば、理科は基礎系2科目か発展まで含めた1科目(基礎なし)が必要だ。発展をやりきれる自信がなかった仙子、2年で学習した物理を選択したのだが思いっきり足を引っ張っている。では他の基礎科目はどうかというと、


「化学なんてもっとわからないし、地学なんて習ってないし……」


である(野玖宮高校では地学が理科の選択に入っていない)。


「どうしよう……Eじゃないだけイーとしようか……あぁ、つまらないねこれは」


 重症だった。

 もはやくだらないことを呟くくらいしかできない。

 お腹も空いたしとりあえずお昼を食べよう、と廊下の突き当たりの教室の扉に仙子は手をかけ――



 ダガンッ


「呼んでんだろ」


 ――背後から壁ドンされた。



 振り向かなくても相手が誰か仙子はわかってしまった。見える手の色は褐色だし声もずいぶん聞き慣れたし、ここまで遠慮会釈なく何でもしてくるのは一人しか心当たりがない。そういえば先ほどから「おい」とか「なあ」とか聞こえていたような気もする。


「聞いてんのか」


 背後の相手は腕に力を入れたようで、扉が音を立てて軋む。


「この間の装備、いじってくれ」


 ついでに仙子の心も軋んだ。


(テストの出来はきっと悪いし模試はD判定だし物理はさっぱりわからないしお腹はすいたし寝不足だしニキビは出るし模試の解き直しをいい加減しなくちゃあならないし)


 ぐい、と仙子は振り返る。


 やはり、いたのは慶司郎だった。

 仙子は150cmちょいしかないので見上げる体勢。下から見てもダメだしできない端正な顔立ちが、今はかーなーり腹立たしい。

 女子が一度は憧れるという「壁ドン(イケメンに限る)」なのに、仙子は全く嬉しくなかった。


(だいたい、自分の思うように他人を使い過ぎだ! こっちにだって都合がある。そんなに簡単に君の希望が叶えられると思うなよ)


 腕を組み、胸を張り、ぐっ、と見上げる。

 慶司郎が少しばかり後退した。


(言うべき時に言わないと通じないし、このままでは都合の良いように使われてしまう。ここは関係が悪くなっても言うべきだな! 怖いけど! いやきっと殴ってはこないはず! たぶん!)


 年下とはいえ自分よりずいぶん体格の大きい男子だ。意見するのは少々怖い。冷や汗をかきそうなのは無視。女こそ度胸!、と気合いを入れ、仙子はびしぃっ、と慶司郎に言ってやった。


「慶司郎、私にだって私の都合がある! これでも受験生だ、君の都合ばかりは聞いていられない! あといい加減に人の名前をちゃんと呼びたまえ! 失礼だぞ! 私の名前を忘れたのならばいま一度言おうじゃないか、姓は瀬里澤、名は仙子だ!」


 ――決まった。


 仙子は内心ほくそ笑む。

 途中から妙なテンションになってアニメか特撮か時代劇のノリになったが、言いたいことは言ってやった、私はチョロ子じゃない……!


 仙子の剣幕に押されたのか、慶司郎はさらに後ろに下がっていた。壁ドンしていた片手が宙をさ迷っている。とりあえず、いきなりキれる様子はない。

 じぃっ、と見上げてやれば、慶司郎が腕を下ろした。

 肩も下がった。

 ついでに形の良い眉も下がった。

 青い目が、ゆら、と揺れた。


 ――あれ?


(こ、れはまさかっ……!?)


 仙子にはわかってしまった。

 なぜ今わかっちゃうかな、とそれこそ壁ドンしたいくらいにわかってしまった。

 この15歳は、こちらの突然の(そして少々きつめの)物言いに不機嫌になったのでも、ムカついたのでもない。

 言葉少ない葵とは高1からのつきあいだ、その経験値が高らかに告げていた――「この傍若無人型1年生は今めっちゃ困ってます! 姫ちゃんと同じで何を言えば良いのか本人わからないんですね! こっちから会話をつなげないと話が進みません!」と。


 ため息を、一つ。


 もろもろ思うことはあるが、言いたいことは言ったし、少しばかり八つ当たりが入った自覚もある。


 それに、こちらのため息で、ちょっとばかり、本当にちょっとばかり、ピク、とこちらを伺う後輩の様子を見ると、その緊張に気がついてしまうと、なんだか怒りが持続しないのだ。


「……それで、どうしたんだい?」


 装備のどこをいじりたいのか、と問うと慶司郎の目が泳ぐ。

 しばらく答えない。


 珍しいな、と仙子は思った。短いつきあいだが、この1年生から視線を外されるということは覚えが無い。話すときは必ずこちらの目を見て話してくる。礼儀としてはかなっているのだが、イケメンも過ぎると相手にプレッシャーを与えてしまうのが本人の不幸だろう。加えて無愛想がデフォルトの表情だ、笑えば違うのだろうが、性格的にも期待薄……。


「………………ぃ」


 つらつらと考えていた仙子は、だから、慶司郎の言葉を聞き逃した。


「? なんだい?」


 なので聞き返した。

 

 慶司郎は、ものすごく嫌そうに顔をゆがめた。

 が、それでももう一度言ってきた。

 仙子をきちんと見て。




「…………………………悪ぃ」




(…………15歳ってこんなに素直だっただろうかちょっと待った高1の頃先輩にこんなこと言われたら私どうだったかなうんきっとイラっとしていたねその場では良い顔をして陰で絶対愚痴っていたよ意外とまっすぐわびを入れてきたな君!)


 混乱した頭で「ま、まぁ私も言い過ぎたよ、わかってくれれば良いんだ、毎日は無理だが週1くらいなら装備をいじるのだって構わない」と口走っていると――


 グウウゥゥ


 ――腹が鳴った。





 仙子の。





「…………た、立ち話もなんだ、昼、君もまだならおごるよ、カップ麺でも良ければここにあるし!」


 とても恥ずかしかった。

 恥ずかしさのあまり、「ここにあるし!」で思いっきり壁を叩いてしまった。「漫画文化研究同好会」と書かれたプレートが、仙子の頭上でキコキコと揺れる。




 野玖宮高校・東京キャンパスは生徒数が少ない。なので部として成立しているのはフィールドでの実技が主体の「AR活動部」くらいで、他は同好会である。

 その中で最も古いのが「漫画文化研究同好会」(略称「漫研」)だ。魔研コース1期生が立ち上げた同好会で、東京キャンパスの生徒や教師が持ち寄った漫画を読むための溜まり場として産声をあげた。漫画置き場として校舎の3F端っこの教室を占拠し、その奥の授業準備スペースは同好会活動室(通称「部室」)として確保。廃材を利用して本棚や机、イスなどを整備し、漫画を読むにふさわしいまったり空間を作り上げた。


 集められた漫画は古い年代のものが多い。漫画に限らず、昨今の「本」は人気作品でなければ電子書籍での出版がほとんどだからだ。回路非搭載の電子リーダーならまだしも、アプリで読むには回路による認証が必要である。回路を使えない魔研コースの生徒たちが入手したのは、だから、自然と古い漫画になった。

 漫画のためにわざわざ教室を一つ潰すのはどうか、という意見も出たが、回路の使えない魔研コース在籍生にも気軽に読書をさせてやりたい、という文句のつけにくい顧問の一声で今に至る。


 現在、部室は魔研コースの3年生と漫研会員が使用中。漫画は会員以外にも貸し出しを行っている(週2冊・無料)。古い漫画は電子書籍化されていないことも多いので、生徒たちにはなかなか好評だ。



 こぽこぽこぽ


 漫研の部室に胃を刺激するかぐわしい香気(こうき)が立ち上る。

 お湯がこぼれないよう、仙子はふたを付属シールできっちり留めてカップ(しょうゆ)を慶司郎に渡す。自分のヌードルはシーフードにした。


 部室には人を堕落に導く多数のアイテムが備えられている。

 寝っ転がれる大型ソファベッド、なにかと作業をしやすい大きなテーブルとベンチ、座布団に膝掛け、におい消しその他で使うスプレー型消臭剤、ディスプレイにゲームハード(国産据え置き機・型落ち・2台目)、おやつのクッキーや煎餅缶にお茶用のスティックタイプドリンク各種、お昼のための備蓄インスタント麺多数(各人持ち寄り)……。

 安全上お湯は3Fの国語科教員室からもらうが、あとは寝袋があれば住めそうである。実際、寝泊まりをして警報を鳴らした猛者(もさ)もいた。


「じゃあ慶司郎、話を聞こうか」

「『じゃあ』じゃねーよここんですんなよバーカ」

「昼飯中なんだけど」


 テーブルの端から、先にいた3年生の男子2名――木平(もくひら) (れん)(塩焼きそば)と最上(もがみ) 遥希(はるき)(明太子パスタ)のブーイングが入る。仙子は「タラスパでも良かったかも」と後悔した。男子2名は適当にあしらい、慶司郎から相談内容を聞き出す。


 ぽつぽつと話す慶司郎の内容をまとめると、こうである。

 生徒はテスト期間中はセンターを使用できない。にも関わらず、この1年生は入手した実装備のイアーカフスを普段からも身につけ、センター外でも発動できないか試しに試した。数十回やっても発動できないので――「テスト勉強はしなかったのかい?」「復習だけだろ? すぐ終わるじゃねぇか」「……くっ」――装備の調整を依頼に来たのだ。


「センターの外で使うってそりゃームリな話だろ」

 

 塩焼きそばを食べ終わった蓮が口を挟んだ。

 なんやかや言っても装備に関しては気になるのだ。


 ヌードルをすする慶司郎。

 視線が蓮に向かう。


 もぐもぐ


 しゃべらない。

 目で疑問を訴えているのが仙子には読み取れてしまった。蓮は「な、なんだよキンリュー……」と引き気味だ。どうやら食べ物が口に入っている間は話さないタイプらしい。「親御さんの躾か? なんだかギャップが」とか思いながら仙子は答えてやる。


「回路の機能を発動させるには、センターの外では『力』の濃度が足りない。AR関連の回路は大量に『力』を消費するから、調整でどうにかなるレベルではないんだ。そもそもARの実体化に関しては施設外での発動を厳しく制限されている。データだろうが実装備だろうが、そういった調整は入れられないよ。合宿の時に習っただろう?」

「そーだぞー勝手にやってんのがばれたら持ってる奴だけじゃなくて作った奴も捕まるんだぞー」


 慶司郎の眉間が寄る。


「外でも使えるって話、クラスの奴がしてたぜ。この装備だって、もとは外で使ったんだろ」


 誰が話していたのかを聞き出した仙子、うーん、と顔をしかめる。

 蓮も遥希も苦い顔をしている。


「凛の妹さんか。…………慶司郎、それは話が別だ。それは回路じゃない」


(どう、伝えれば良いだろうか)


 仙子はエビを口に放る。

 テストが終わったばかりだというのに、頭が休まらない。 


「私たちは回路を使えない。けれども回路でなければ魔語が使える。そのイアーカフスはもともと私たちの先輩のために作られたものだ。先輩も回路は使えない。だからそれも、もとは回路ではなかった」


 行儀が悪いなぁとは思いつつ、仙子は箸で慶司郎の耳の装備を指し示す。 


「回路でなければ『力』の消費量はかなり少なくなる。君、小学校の頃に工場見学しなかったかい? 回路制作の」 

「…………した」


 小学校時代は日本にいたらしい。国内大手メーカーの名前が慶司郎から出た。


「海外は知らないが、日本で回路をつくる際は魔語を刻んだ金型を使うんだよ。その金型は回路じゃあない。あの共通の文言は無いんだ。だから『力』の消費量も少なくて、センターの外でも使える。工場はごくふつうの所にあったはずだ。センターのような、施設ではなく。

 それと同じで、先輩も回路ではないから、『力』の少ない外でも使えたのさ。前も言っただろう? 体質の問題だ。回路なら濃度が足りないし、回路でないならば君は使えない」


 ヌードルを食べ終わった慶司郎がじっ……と仙子を見てくる。無表情なのだが、何を思っているかはなんとなく想像がついた。


「そんなにうらやましがられても……なんだか妙な気分になるよ。うらやましいのはこちらなんだが。……慶司郎、君は問題なく回路を使っているし、AR回路の扱いは人並み以上だ。それを更に磨くほうが君の役に立つと思う」

「回路使えりゃー新しいスマホも買えるんだけどなー」

「どのみち通信料が高いから私は使わないがね!」


 食後の一服に、と仙子が慶司郎にドリンクスティックを薦めるとほうじ茶オレを取っていった。渋い。自分にはカロリーハーフのカフェオレを選択。「俺濃いめのコーヒーにミルクと砂糖2杯ずつなー」「ブラックで」と脇からオーダーが入ったので、「どうぞご自由に」と白湯(さゆ)を出してやった。


 甘い味に一息ついて、「ともかく」と続ける。


「回路になっていない魔語は効果にムラがある。私たちだってできるならば回路を使いたいんだ。安定していて、安全だしね」


 コーヒー(ブラック)を飲んでいた遥希が深くうなずいた。


「ほんとに、外で魔語書けたって何もいいことない。『ふきだまり』には巻き込まれるし、おかしなものは見るし」

「…………何が見えるんだ?」


 ――そこ突っ込まないでほしい。

 仙子は切実に思った。思ったので「いろいろらしいよ」と話を強引に流した。

 施設外で局地的に「力」が溜まった場所は俗に「ふきだまり」と呼ばれ、気分が悪くなったり幻覚・幻聴が発生したりすることが報告されている。不思議体験や不思議生物を見た事例のほか、「死んだ人に会えた」「幽霊が見える」というまことしやかな噂もある(心霊特集の常連スポットだ)。

 ……たまーに遥希が何も見えない空間に消臭スプレーをプッシュしていることがある。仙子は全力で気にしないようにしている。

 

「キンリュー、お前だって『ふきだまり』くらい知ってるだろ? 『力』が溜まったやつ。あれ、役場が業者呼んできれいにするもんだけど、俺、地元に帰ると毎回親父にやらさられるんだ。どこにあるかわかるし、魔語書いて散らせるからって」


 あごを組んだ両手の上に乗せ、遥希はうめいた。

 声が重かった。


「しかもタダで」


 慶司郎はよくわかっていない顔をしているが、仙子は遥希のつらさが身に染みた。せめてバイト代くらいは欲しい。


「それでさー、ただ働きさせるわりに好きに魔語書いたらめっちゃ怒鳴られるしなー」

「そうそう、GPS(ジーピーエス)もつけなきゃだしな」

「…………なんでだ?」

「御守りがわりだよ。どうも私たちは『力』に敏感らしくてね。おかしなことに巻き込まれやすいから、何かあった時に居場所がわかるように、ということで身につけている」

「つーかさー、昔すげー持たされなかった? ほんとの厄除けのやつ」

「持たされた。しかも自分ちで作った御守り」

「なー!」

 

 ちなみに蓮は寺、遥希は神社が実家である。

 仙子は、あ、と気がついた。


「御守りで思い出した。慶司郎、君、異装届は出したかい? そのイアーカフス、校則に反しているだろうから届を出さないと内申に響くよ」


 効果のほどは定かではないが、昨今はさまざまな御守りを身につける者が増えた。定番の御守り・御札のほか、十字架やらお数珠やら多種多様である。「ふきだまり」のような事案もあるので本気度は高い。葵など、家族が心配して銀製のものをいくつも身につけさせられている。

 学校側も保護者からの申請があればたいていの装飾品を認める。中には単なるアクセサリの場合もあるが、監督する教師も面倒なので「御守りデース」「はいはい」ですませるケースが多い。


 案の定「出してねぇ」という慶司郎の返事だった。ちょうどドリンクも飲み終わっていたので「そろそろ行こうか。担任の先生からもらえるから早めに出すんだね」と慶司郎を促す。

 横から聞こえる「なー昨日新作出たろ? ソフトどこ?」「ここに」「予約特典は?」「……ちょっとまずいな。出せない」「……そんなにエロい?」「ネ申レベル。ヤバい。あれヤバい」「きたわーこれきたわー18歳勝ち組だわー」というしょーもない男子の会話に配慮したのである。


 立ち上がった慶司郎が部室を見回した。


「なあ、ここ、誰でも使えんのか?」

「うん? いや、ここのスペースは漫研の部室なんだ。……まあ昔から使っているから、少々、うん少々、3年生は私物化しているけれども、基本的には会員だけだね。そちらの書庫なら放課後は開放されているよ」

「俺これでも漫研の副会長ですからー」

「俺も」


 ちなみに会長は陽太、仙子は部室を使いたいだけの幽霊会員である。


「なんだキンリュー漫研入るか? イベント行こーぜイベント、即売会!」

「1年生はいないから第一号だ。ようこそ買い子要員。大丈夫、健全本しか頼まない」


 何を言っているのだか、と仙子は呆れ「行こう」と慶司郎に声をかけ――ようとして固まった。


 イケメン後輩が、その青く美しい瞳をきらめかせ、部室の隅の大きなソファベッド(リサイクル品)を見つめていた。

 少し厚めの、形の良い唇が心地よい声を紡ぐ。






「入る」






 ――ま じ で?




 3年生の心はいま、一つになった。




 こうしてこの日、野玖宮高校・漫画文化研究会の会員が1名増えたのである。

 以降、授業前や昼休みなどにソファベッドでごろ寝するイケメンや読書に勤しむイケメンが見られるようになったのだった。






■次回更新日:6月1日 22時


※1 「未来の雇用」マイケル・A・オズボーン(2013)より

※2 「(OECDによる)生徒の学習到達度調査」(Programme for International Student Assessment))

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