エピソード 1ー6 この世界でもっとも貴重な素材の一つ
エリーゼさんの部屋を退出した直後、ソフィアは今にも泣きそうな顔をしていた。
実の母親とのあいだで交わされたやりとりを考えれば、それは無理からぬことだ。けど、だからって、哀しげなソフィアを放っておくことは出来ない。
かと言って、こんな状態のソフィアを連れていけば、みんなにも心配をかけることになるだろう。と言う訳で、まずは別の場所で慰めることにした。
だから俺はソフィアの手を掴み、引っぱって歩き出す。
そして離れの出口で待っていたメイドと合流し、本宅の食堂へと移動した。それから案内してくれたメイドに飲み物を頼み、落ち込むソフィアの頭を優しく撫でつける。
「ソフィア、そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ」
「リオンお兄ちゃん……でも」
「今回は上手く仲直り出来なかったけど、また日を置いて会えば良いだろ?」
「だけど、もう来るなって。スフィール家の娘じゃないって……」
「そうだな……エリーゼさん、結構きついことを言ってたもんな。でも、さ。ソフィアの心配もしてただろ? だからたぶん、嫌われてる訳じゃないと思うぞ」
これは俺の感想だけど、エリーゼさんがソフィアを遠ざけようとしていたのは、嫌っているからとは少し違うように思う。
どちらかと言うと『私と仲直りしようとするなんて、リオンさんに悪い。だから、私とではなく、リオンさんを大切にしなさい』と、そんな感じじゃないだろうか?
もちろん、俺の気のせいかもしれないけど、な。
「と言うか、心を読まなかったのか?」
それこそ、必要な時に該当すると思ったんだけど、ソフィアは首を横に振る。
「お母さんに使えないって言ったから、騙すようなマネはしたくなかったの」
「そっか……」
使えば疑問は晴れていたはずだけど……家族に嘘を吐きたくないって気持ちも理解出来る。それに、仲直りが目的で恩恵を使って、後ろめたさを抱いたら本末転倒だ。
今回に限って言えば、恩恵を使わない方が良いと言うことだろう。
とは言え、恩恵を使わないとなると……うぅん。この後はどうするかな。もちろん諦めるつもりはないけど、ただ無闇に通い詰めても拒絶されるだけな気がする。
そんな風に考えていると、エリックさんがやって来た。一緒に話し合いをしていたクレアねぇとアリスも一緒だ。
「エリックさん、話は終わったんですか?」
「ああ、おかげさまでな。そっちは……あまり思わしくない感じか?」
「自分のことなど忘れて、今の家族を大切にしろ、と」
「やはりそうか……」
やはりってことは、前からそう言う雰囲気だったってことか。それって……
いや、それよりも、だ。
「エリーゼさんの容態が悪いように見えたんですけど」
「……それは」
エリックさんは言葉を濁す。だけど、俺の言葉を聞いたソフィア。それにアリスやクレアまでもがエリックさんに注目する。
それで誤魔化せないと思ったのだろう。エリックさんは小さく息を吐いた。
「実は……重い病を患っている。今日明日と言うことはないが、恐らくはもう回復することはないだろう、と」
「そんな――っ。嘘、だよね……?」
ソフィアが弾かれたように席を立ち、エリックさんの元へと詰め寄る。だけど、エリックさんが首を横に振るのを見て、ソフィアは絨毯の上にへたり込んだ。
「ソフィアちゃんっ」
側にいたクレアねぇが絨毯に膝をつき、ソフィアの体を支える。
俺もソフィアの元に駆けよったんだけど、俺を見たクレアねぇがこっちは大丈夫だからと視線で合図を送ってきた。
多分だけど、ソフィアは自分に任せて、エリックさんから話を聞けと言いたいんだろう。だから俺はクレアねぇに判ったと小さく頷き、エリックさんへと向き直る。
「その病はどんな症状なんですか? 俺やアリスには少しだけ病気に対する知識があります。だから、もしかしたら力になれるかもしれません」
インフルエンザの大流行から約十年。なにもしなかった訳じゃない。この世界に出まわるクスリの効果を確認したり、前世の知識を使ったクスリの研究もした。
今のアリスなら、ペニシリンにだって手が届くかもしれない。
とは言え、実際に作った訳でもないし、抗生物質が万病に効く訳でもない。
けど、前世の俺とその家族は、不治の病を患って亡くなった。病気で苦しむエリーゼさんを、他人事のようには思えない。俺達に出来ることがあるのなら――と、俺は詳しく聞くことにした。
果たして――
「母が患っている病気は、なんと言ったかな。確か……結核性――」
紡がれた言葉にどっと冷や汗を掻く。
咳やクシャミによる空気感染のある重い病。なにより、もしかしたら作れるかも知れないと言っていた抗生物質が効かない病。
今すぐエリーゼさんを隔離して俺達も――と考える。
だけど、
「ええっと……そう。結核性の魔力素子変換器不全、だったかな」
続けられたエリックさんの言葉に、俺は思いっ切り首をひねった。
「結核性の、魔力素子変換器不全……って、なんですか? いや、その前に、それは感染する病じゃないんですか?」
「感染? それは聞いたことがないな。なにより母が病に掛かって四年ほど経っているが、世話係や薬師に移ったという報告は聞いていない」
「そう、ですか……」
結核は感染しても、必ず発病するとは限らないそうだけど……発病は2~3年が一般的、だっけ? 誰にも移ってないなら、本来の結核とは全く別の病気か?
「えっと……それはどういう病気なんですか?」
「俺も詳しいことは知らんのだが、薬師の見立てでな。魔力素子を変換する体の機能が弱り、体内に宿る魔力が減少する病気らしい」
「魔力が減少……?」
そんな病があるのかとアリスに視線を向ける。
「病名は聞いたことがないけど、体内の魔力が減少したら体調が崩れるのは事実だよ」
「そう、か……」
アリスが言うのなら、そう言う病は実在するのだろう。問題は……と、俺はエリックさんに視線を向ける。
「失礼ですが、その薬師は信用出来るのですか?」
「もちろんだ。代々うちに仕える薬師で、父も信頼していた。それに……その、例の事件で精神的に弱っていた母を、精神的に支えて立ち直らせてくれたのが、その薬師なのだ」
なるほど、ね。古くから仕える薬師なら、お金目当てで適当な病名を言ってるとかって可能性はないだろう。
結核と違って感染はしないみたいだから、パンデミック的な心配はしなくて良さそうけど……ここに来てファンタジーな病とか、完全に予想外だ。
ファンタジーな病を治すのなら白魔術――って言いたいところだけど、回復系の白魔術を使えるモノは、この大陸には滅多にいないらしい。
しかも、白魔術で怪我を治すことは出来ても、病人を直すことは出来ない。
これはアリスの見解だけど、白魔術は細胞を活性化させて傷の治りを早めるモノらしい。なので、病人に使うとウィルスなんかも活性化するらしい。
と言う訳で、魔術に頼ることは出来ない。なので他の方法が必要になるんだけど……
「なにか方法はないんですか? 魔力素子を自然に変換出来ないって言うなら、意識的に変換する訓練をするとか」
「薬師の話だと、変換する機能自体に問題があるので不可能だそうだ。ただ薬師が現状を維持するためのクスリを作ってくれているので、当面は大丈夫らしい」
「それは……維持は出来るけど、治せないってことですか?」
「そう、なるな。……いや、正確には治すためのクスリは存在する」
「だったらっ!」
そのクスリを作ればと言う俺のセリフは、エリックさんによって遮られた。
「クスリはたしかに存在する。だがその材料が、とてつもなく希少な素材なのだ」
「希少、ですか? 一体どんなモノなんですか?」
「まずはリュクスガルベアのキモ。そして地竜の爪だ。この二つはかなり希少な素材だが、絶対に入手が不可能というレベルではない。だが……残る一つが、どう考えても無理なんだ」
エリックさんは諦めてしまっているのだろう。力なく首を横に振った。
スフィール家はうちと同じ伯爵家。一時は力が衰えたとは言え、今は内政も立て直し、以前以上の力を付けている。そんなスフィール家が手に入れられない素材。
本当に、貴重な素材なのだろう。
けど、それを手に入れなければ、エリーゼさんを救えない。エリーゼさんを救えなければ、ソフィアが悲しむ。だから、例えどんなに困難でも、必ず手に入れる。
そんな決意を抱き、俺はエリックさんに素材の名前を聞いた。
果たして――
「この世界でもっとも入手が困難だと言われる素材の一つ――世界樹の葉だ」
エリックさんの口からこぼれ落ちたのは、なにやらどこかで聞いたことのある名前だった。固唾を呑んでいた俺達は一斉に脱力する。
そんな反応を見たエリックさんは、俺達が絶望に捕らわれたと誤解したのだろう。申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「すまないな。期待させるようなマネをして。だが、これで入手は不可能だと理解してくれただろ?」
「いえ、それなら問題ありません」
「……なにを、なにを言ってるんだ? 世界樹の葉だぞ? エルフのツテを頼っても、入手は不可能だと言われた、この世界でもっとも貴重な素材だぞ」
そうなのかとアリスを見ると、てへっと舌を出された。アリスの自重なさっぷりが再び強調された訳だけど、この場合はグッジョブと言わざるを得ない。
とまぁ、そんなやりとりを見たのだろう。エリックさんがもしやと目を見開いた。
「まさか、彼女なら入手が可能だというのか!?」
「可能というか……校舎裏に世界樹を植えやがりました」
「………………………は?」
「だから、学園に行けばむしり放題ですよ、世界樹の葉」
エリックさんの目が点になった。