エピソード 1ー5 母の想い
お墓参りを終えた後、俺達は改めてエリックさんのところへと舞い戻った。
クレアねぇとエリックさんの話し合いはまだ続いているようで、二人はなにやら真剣な面持ちで議論を交わしている。
「――どうしてだろう。仲の良い二人を見ていると、胸が少し苦しくなった。クレアねぇは俺の姉なのに……」
「もう良いっつーのっ」
謎のモノローグを呟くアリスの頭頂部にビシッと突っ込みを入れる。と言うか、今の内容だと、俺は姉が男と仲良くしてるのを見て嫉妬するただのシスコンじゃないか。
……いや、その姉を異性として意識し始めているわけだが。
「あら弟くん。戻ってきたのね」
クレアねぇはソフィアをちらり。元気そうな姿を見て微かに微笑みを浮かべた。
「ただいま、クレアねぇ。話の方はまだかかりそうか?」
「ええ。せっかくの機会だから、色々と決めておこうと思って。――という訳でアリスにも相談があるんだけど、少し借りても良いかしら?」
「そう、だな」
スフィール家に来たのは、お墓参りやエリーゼさんへの面会が目的だ。けどアリスやクレアねぇ――特に、クレアねぇはエリーゼさんに会わない方が良いだろう。
なんと言っても、間接的に両親を殺した相手だからな。
と言う訳で、俺はアリスとクレアねぇを置いて、エリーゼさんの元へ行くことにした。
なんだか段々とメンバーが別れていって、みんなが分散したところで事件が起きる、パニック系の物語序盤みたいな気がしないでもない。
……いや、この屋敷でそんな事件が起こるとは思わないけどさ。
「エリックさん、面会の準備は出来てますか?」
「ああ。さっき準備が整ったよ。母がいるのは離れだから、今から案内させよう」
先ほどのメイドがどうぞこちらへと案内してくれる。だけどそれに従う寸前、ソフィアがエリックさんに声を掛けた。
「――エリックお兄ちゃん、お母さんはどんな様子なの?」
「……そう、だな。一言で説明するのは難しい。だが……ソフィアにとって悪い結果にはならないと願っているよ。後は……自分の目で確かめるといい」
「……ん~、判ったよ、エリックお兄ちゃん」
ソフィアはクルリと踵を返して俺の元へ、ギュッと俺の腕にしがみついた。
「それじゃ行こっか」
金色の髪を揺らし、俺を引っぱるように歩き始める。そんなソフィアの横顔を盗み見るが、不安そうには見えない。だから、俺はさっきのやりとりが少しだけ気になった。
「エリックさんは……なにを考えてたんだ?」
「……ん、どういうこと?」
「さっき、エリックさんの心を読んだんだろ?」
「うぅん、読んでないよ。言ったでしょ。ソフィアが心を読むのは、本当に必要だと感じた時だけだって」
「……そっか」
いや、別に良いんだよ? たしかに、人の心を読むのは便利だけど、それ故に悲劇が起きることだってあるから。だから、恩恵に頼らないのは良いことなんだけど……
それだったら、俺の心を読むのも止めようよ――なんて思いながら、案内してくれているメイドの後を追った。
そうして訪れたのは、スフィール家の離れ。何処も作りは同じなのか、俺が子供の頃に住んでいた離れを彷彿とさせる。
その建物に入り、メイドに従って廊下をずんずんと進む。
幽閉とは言え、監視されている訳ではないのだろう。離れの入り口には見張りがいたけど、屋敷の中は閑散としていた。
ほどなく、廊下の突き当たり、シンプルな扉の前へとたどり着いた。
「この部屋がエリーゼ様のお部屋です。私は離れの入り口でお待ちしますので、お話が終わったらお越し下さい」
「ありがとう、そうするよ」
「それでは、ごゆっくり」
メイドはそう言って一礼、もと来た廊下を引き返していった。それを見届け、ソフィアへと視線を向ける。やはり緊張しているのだろう、その表情は少し硬い。だから俺はソフィアの頭をそっと撫でつけた。
「……リオンお兄ちゃん?」
「まずは俺が話すよ。だからソフィアは、後ろをついてくれば良いよ」
「……ありがとう、リオンお兄ちゃん」
ソフィアはギュッと、俺のシャツの裾を掴んだ。それを確認した俺は、ソフィアの代わりに扉を三回叩く。少しの沈黙を挟み、中からどうぞと返事が聞こえてきた。
「失礼します」
扉を開けて一歩中へ。そこに広がるのは、飾りっ気のない大きな部屋。窓辺にはソファがあるけど、そこにエリーゼさんの姿はない。
何処だろうと視線を巡らすと、天蓋付きのベッドにエリーゼさんは横たわっていた。幽閉されているからなのだろうか? あまり顔色が良くないように見える。
「まさか、貴方が来るとは思っていませんでした。一体、私になんの用なんです」
視線が合うなり、エリーゼさんは不満気に言い放った。
「ご無沙汰してます。五年ぶりくらいですね」
「……私は用件を聞いたんです。私を笑いに来たのですか?」
「そんなつもりはありませんけど……どうしてそう思うんですか?」
「グランシェス家の偉業は伝え聞いています」
……そっか。エリーゼさんの現状は、俺の持ちかけた儲け話を信じなかった結果だからな。今のグランシェス家を知ってるなら、俺が笑いに来たと思っても仕方ない、か。
「信じてくれなかったことは今でも残念だと思ってます。けど、あの時のことは俺にも問題がありましたから。笑うつもりなんてありませんよ」
「……では、なにをしに来たのです?」
「俺はお供ですよ」
そう言って後ろを振り返り、ソフィアの顔を覗き込む。ソフィアは頷き、俺の横へと並んだ。それを見たエリーゼさんが、先程以上に目を見開く。
「ソフィア……どうしてここに――っ。リオンさん、私のもとに娘を連れてくるなんて、どういうつもりです!?」
俺を見た時ですら不満げな表情を浮かべただけだったエリーゼさんが、弾かれたように拒絶の意思を見せた。
「別に俺が無理に連れてきた訳じゃないですよ」
「なにを馬鹿な。ソフィアが私に会いたがるはずがないでしょう!」
「――嘘じゃないよ。ソフィアがリオンお兄ちゃんに頼んで、連れてきて貰ったの」
「なにを言って……」
エリーゼさんがソフィアを見て黙り込む。
彼女がその瞬間に抱いた感情はなんだったのか。青白い顔に浮かぶのは、感情の読み取れない、複雑な表情だった。
「……リオンさん、今すぐその子を連れて帰って下さい」
「なにを言ってるんです? ソフィアはエリーゼさんに会いに来たんですよ?」
「判りませんか? 娘に心を読まれたくないと言ってるんです」
それは……ソフィアを嫌っているという意味なんだろうか?
判らない。
少なくとも、エリーゼさんの表情から、その内心を読み取ることは出来ない。
もしエリーゼさんがソフィアを恨んでるなら。エリーゼさんと話すことで、ソフィアが悲しむだけだと言うのなら。ソフィアを連れて帰るべきかもしれない。
そう思ったのだけど――
「大丈夫だよ、お母さん。ソフィアはあの日からずっと、恩恵が使えないままだから」
迷っていた俺の横で、ソフィアが嘘を吐いた。
それが恩恵を使わないという意味なのか、使う上で黙っているつもりなのかは判らないけど……ソフィアは帰らないつもりみたいだ。
……まあここまで来たんだし、今更か。そう思った俺は、しばらくソフィアの好きにさせることにした。
「恩恵が使えなくなったというのは本当なのですか?」
「うん。あの日から人の心を読むのが怖くなっちゃったの」
「そう、ですか……こほっ、ごほっ」
エリーゼさんが不意に深く咳き込んだ。
「……お母さん?」
「なんでも――ごほっ、ありません」
深い咳。エリーゼさんはなんでもないって言ったけど、とてもなんでもないようには見えない。最初は幽閉されたショックで老け込んだ的な感じかもって思ったんだけど……もしかして病気なのか?
そう思ったのは俺だけじゃないようで、ソフィアも問いかけるような表情をエリーゼさんに向ける。だけど、エリーゼさんはそれに答えなかった。
「それで、ソフィアは私になんの用です?」
「それは、その……お母さんに会いに来たの」
「それはもう聞きました。用件を言いなさい」
「その……仲直り出来たら、良いなって……思って」
しどろもどろになりつつも、必死に自分の思いを伝える。そんなソフィアを受け止めてやって欲しいと、俺は心から願った。
だけど、それを聞いたエリーゼさんは、不機嫌そうに眉を吊り上げた。
「……ソフィア、貴方はなにをバカなことを言っているんです。私やカルロスは、貴方が慕っているリオンさんの父親を殺したのですよ?」
「それは判ってるよ」
「いいえ、判っていません。大切な人を殺された恨みは、簡単に消えたりはしません。カルロスを殺された私のように、ね」
「――エリーゼさんっ」
ソフィアがビクリと身をすくめるのと同時、俺は思わず声を張り上げていた。だけどエリーゼさんは俺を一瞥すると、再びソフィアに向かって口を開く。
「ソフィア。貴方も今年で十三歳でしょ? もう立派なレディなんですから、リオンさんに甘えてばっかりじゃいけませんよ」
「お母さん。だけど……」
「帰りなさい。貴方はもう、スフィール家の娘ではないのですから」
「お母さん……」
ソフィアが再び呼びかけるけど、話は終わったとばかりにエリーゼさんはベッドに伏せって、沈黙してしまう。
ソフィアはそれでもなにか言いたげにエリーゼさんを見ていたけど、やがて無言で踵を返して俺の袖を掴んだ。
「帰ろう、リオンお兄ちゃん」
「……良いのか?」
俺の問いかけにソフィアはこくりと頷く。本当に納得したとは思えないけど……今日は食い下がっても無駄だろう。そう思ってソフィアと一緒に部屋を出る。
だけど、やっぱり気になったんだろう。ソフィアは扉を閉める前に、もう一度エリーゼさんに視線を向けた。
「お母さん。お母さんたちがリオンお兄ちゃんの家族を殺したことは許せないよ」
「……そう思うのなら、私のことなんて忘れてしまいなさい。貴方にはもう、新しい家族がいるのですから」
「うぅん、忘れない。お母さんのしたことは許せないけど、お母さんがソフィアのお母さんなのは事実だから。だから……ソフィアを生んでくれてありがとう。……育ててくれて、ありがとう」
今にも泣きそうな声で訴え、迷いを残したまま扉を閉めた。