エピソード 1ー2 知り得ぬもどかしさ
「リオンお兄ちゃん……それじゃ、ソフィアと一緒にスフィール家に来てくれる?」
ソフィアは深く紅い瞳をうるませ、ジッと俺を見上げてくる。不安そうに俺の袖を掴んでいるところが最高に可愛らしい。
と言うわけで、ここで断るという選択肢は有り得ない。俺は即座に「ああ、もちろんだ」と答えた。
「……ホント?」
「ホントのホントだ。今度時間を作って、みんなでスフィール家に行ってみよう」
俺がそう言った瞬間、ソフィアは不満気に頬を膨らませた。俺がみんなでと言ったせいだろう。だけど、俺は気付かないフリをする。
……いや、なんて言うかさ? 不安そうなソフィアも良いけど、拗ねるソフィアも凄く可愛いんだよ。だから、それを見たくて、ついついからかっちゃうんだ。
とか考えていたら、ソフィアが紅い瞳を妖しく輝かせた。
「往復の馬車で、ずっと隣に座ってくれるなら許してあげるよ?」
「……ええっと、なんのことだ?」
「リオンお兄ちゃん。ソフィアの恩恵を忘れちゃったの?」
「え、いや、覚えてるけど……」
今のソフィアは、恩恵の力が全盛期のレベルにまで回復している。だから側にいるだけで、相手の考えている内容を読み取ることが可能だ。
だけど、その力を無闇に使うことはなくなった。本当に必要だと思った時以外は、決して能力を使わなくなったのだ。
だから、俺が考えてる内容なんかは読み取ってないはずなんだけど……
「確かに普段は心を読まないようにしてるけどね。リオンお兄ちゃんを口説くのは全力なんだよ?」
「なん、だと……」
それはつまり、アレか? さっきの俺の考えとかも、全部読まれてたってこと?
「うんうん、そう言うことだね」
うわあああああああああ、ホントに全部読まれてる!?
それはつまり――いや、考えちゃダメだ! まずはソフィアから離れる。非接触状態なら、深層心理までは読めないはずだし!
「そうだけど……リオンお兄ちゃんの性癖なら、今更隠さなくても全部知ってるよ? 例えば、最近アリスお姉ちゃんと――」
うああああああああああああああああああっ、待った待ったっ! それはダメだ! なんでもするから、俺の心を読みまくるのは止めてくれ!
「え、今なんでもするって……」
「思ってない! いや嘘ごめん。思ったけど、言ってない!」
「えぇ? じゃあ恩恵をアリスお姉ちゃんに使って、追体験とか……ダメ?」
「ダメに決まってるだろっ!?」
心を読むソフィアの恩恵。その全力使用は、相手の経験を一瞬で追体験――つまり、自分が体験したかのように読み取ることすら可能だ。
それをアリスに使うとか危険すぎる。主に薄い本が厚くなっちゃう的な意味で。
……こほんっ。
「と、とにかく、ソフィアにはまだ早いからダメ」
「むぅ……じゃあいつになれば良いの?」
「え? ええっと……も、もうちょっとしたらで……?」
俺はアリスだけじゃなくて、ソフィアやクレアねぇも受け入れる覚悟を決めた。
でもそれは、ただ状況に流された訳じゃない。他の誰でもない、ソフィアとクレアねぇだから受け入れたんだ。他の誰かだったら、絶対にこんな選択はしなかった。
だから、いつかソフィアやクレアねぇとも付き合うのだとしても、なし崩しでって言うのは嫌なんだ。いつか折を見て、ちゃんと告白して付き合いたい。
そんな風に思っていたら、ソフィアに意味ありげに微笑まれてしまった。心を読むの、止めてくれたんじゃなかったんですかねぇ……
ともあれ、カルロスさんのお墓参りと、エリーゼさんとの面会のために、スフィール家に行くことが決定した。
なので、いつ、誰を連れて行くかを調整するため、ソフィアと別れた俺はクレアねぇの居る執務室を訪れた。
「クレアねぇ。リオンだけど、入って良いか?」
「弟くん? もちろん入っても良いわよ」
「……本当に? 着替えてたりしない?」
着替え中だけど入って良いわよと言われた過去を思いだして尋ねる。
「大丈夫だって、着替えてないから入りなさいよ」
「ホントだな? 信じるからな? 扉を開けて下着姿とかだったら怒るからな?」
恐る恐る扉を開ける。そうして部屋の中を見回すと――システムデスクの向こう側。プラチナブロンドの髪を指で弄りながら、半眼で俺を出迎えるクレアねぇの姿があった。
「……弟くんは一体、あたしをなんだと思ってるの?」
「いやいや、前に着替え中だったことがあるだろ」
「あの時はちゃんと、着替え中だって言ったでしょ? そもそも、なんであたしが執務室で着替えないといけないのよ?」
呆れられてしまった。言われてみればその通りなんだけど……それでも疑わしく思えるのは、なんでなんだろうなぁ。
「それで、あたしになにか用事? アリスとは何処までいった?」
「あぁ、ちょっと相談が。アリスとは……って、言わないからな?」
「ふぅん、言えないところまでしちゃったんだ」
「――ぐっ」
ちくしょう、相変わらず手強い。……って、そう言う問題じゃないな。俺は以前クレアねぇに告白されて、今は待って欲しいと返事を保留した。
それなのにいまだほったらかしなんて、怒られたってしょうがない。
「クレアねぇ、あのさ――」
「ごめん、ちょっとした冗談よ」
覚悟を決めて紡いだ言葉は、クレアねぇの何処か真面目ぶったセリフに遮られた。
「……クレアねぇ?」
「弟くんは、あたしのこともちゃんと見てくれてる。だから、アリスと仲良くしてることに含みなんてないの。ただちょっとからかっただけよ」
「そう、なのか?」
「そうよ。だから、そんな顔をするのは止めなさい。そもそも、当時奴隷だったアリスを貴方にプレゼントしたのはあたしなのよ?」
「……そうでした」
クレアねぇの言葉が本音なのか、俺を気づかってくれてるのかは判らない。けど、ここで俺がなにかを言っても意味はないと思うから。
俺はクレアねぇの言葉を信じて、今はその話題に触れないことにした。
「それで、弟くんはなにをしに来たの?」
「あぁうん。ソフィアがさ、エリーゼさんに会いたいんだって」
「……ソフィアちゃんが?」
「自分がどう思われてるのか、確かめたいんだってさ。だから、スフィール家にいつ行くのが良いか相談に来たんだ」
「……弟くん、本気で言ってるの?」
クレアねぇが碧玉の様な瞳を不安げに揺らす。その理由は考えるまでもない。俺と同じように、ソフィアを心配してるんだろう。
「クレアねぇの考えてることはなんとなく想像がつくよ」
「だったらどうして。確認した結果、ソフィアちゃんが愛されてたって分かるなら良いけど、そうじゃない可能性の方が高いのよ?」
「そうかもな。でも、そうじゃないかもしれない。それに例えそうだったとしても、良いんじゃないかなって俺は思うんだ」
「……どういうこと?」
俺がソフィアのためにならないことをするはずがないとは信じていても、その意図が読めないのだろう。クレアねぇは怪訝な顔をした。
「俺もさ。父が俺のことをどう思ってたんだろうって考えるんだ。俺のことを大切に思ってくれていたのか、それとも煩わしく思っていたのかな――ってさ」
「さすがに嫌ってはなかったと思うわよ?」
「――でも、大切に思ってたかは判らないだろ?」
「……そうね。どうとでも考えられるけど、確認のしようがないモノね」
「うん。それで思ったんだ。判らないのが一番辛いって」
嫌われてたのなら諦めれば良い。大切に思われていたのなら、その想いの分まで頑張れば良い。だけど、判らない。
感謝すれば良いのか、恨めば良いのか。父さんの分まで幸せになるって言えば喜んでくれるのか、疎まれるのか、それすらも判らない。
そんな状態が一番辛いって、俺はそんな風に思ったのだ。
「俺はもう知ることが出来ないけど、ソフィアは知ることが出来る。もちろん無理強いするつもりはないけど、ソフィアが知りたいと願ったのなら、その手伝いをしたいんだ」
「……判ったわ。弟くんがそこまで考えてるのなら、あたしはもうなにも言わない。ソフィアちゃんを、エリーゼさんに会わせてあげましょう」






