エピソード 1ー1 過去と向き合うために
お墓参りから数日経ったある日、俺は久々に懐かしい夢を見た。それは俺がまだ離れで暮らしていた頃の、当時はまだ奴隷だったアリスと過ごす夢だ。
「懐かしいなぁ……」
いまだ夢心地の俺は、抱き枕に顔を埋めつつ当時のことを思い返す。
あの頃は監視役のマリーの目を欺くために、アリスと一緒に寝ることが多かった。なので、朝起きたらアリスの抱き枕になっているなんてことは珍しくなかった。
あの頃は二次成長も始まってなくて、一緒に寝てもあまり緊張したりしなかったけど……今考えると凄いことをしてたよなぁ。
と言うか、本気で懐かしい。
抱き枕なんて抱いて寝たから、あの頃の夢を見たのかな……って、あれ? 俺、抱き枕なんてベッドに持ち込んだ記憶がないぞ?
……え? まさか――って、いやいや。そんなべたべたな展開、あるはずが……なんて考えながら、恐る恐る目を開く。
腕の中にあるのは抱き枕ではなく、すやすやと眠るアリスの肢体だった。
「おぉう……なんてベタな」
思わずため息を一つ、アリスの寝顔を眺める。
長いまつげに、切れ長の眉。目蓋が閉じられて見えないけど、その瞳が吸い込まれそうな蒼い瞳と、金色の瞳の虹彩異色症であることを俺は知っている。
そしてベッドに広がる桜色の長髪は、朝日を浴びてキラキラと輝いている……って、
「おい、こら起きろっ」
不意に怒りを覚えた俺はアリスの頬を突っつく。
「……ふみゅ? あぁ、リオン。おはよぉ~」
「おはようじゃねぇよ」
アリスの頬を突っついていた指で、そのまま頬を容赦無くつねる。
「いひゃい、いひゃい。……もぉ、なにを怒ってるの?」
「そんなの決まってるだろ! 髪だよ、髪。なんで髪を束ねないで寝てるんだ。長い髪を束ねないで寝たら痛むだろうがっ」
「あぁ……リオンを起こしに来て、うっかり寝ちゃったみたい。ごめんね……って、怒るところはそこなの?」
「ベッドに潜り込んでたことなら、別に怒ったりしないぞ」
俺達は付き合ってるんだから――とは、声に出さずに呟く。アリスにはそれが判ったんだろう。なにやら頬が緩んでいる。
「えへ、えへへ。それじゃ、今度から毎日リオンと一緒に寝ようかなぁ」
「それは寝不足になるから止めてくれ」
「……リオンのえっちぃ」
「ちげぇ。隣で誰かが寝てると熟睡出来ないんだよ。それくらい知ってるだろ? と言うわけで、いつまでも馬鹿言ってないで起きるぞ」
俺はため息まじりに言い放って体を起こす。そうして、寝転んだままのアリスの体を引っぱり起こした。
「んで? 俺を起こしに来たって言ってたけど、なにか用事なのか?」
「うん。ここ数日リオンの様子がおかしかったから、なにかあったのかなぁと思って」
「……ん? あぁ、大したことじゃないよ」
「それでも、なにかあるのなら教えて欲しいよ」
「いや、墓参りにいって少しセンチメンタルになってたんだと思う」
「それで様子がおかしかったの?」
「たぶんな。自分じゃ気にしてないつもりだったんだけどな」
なんて、本当は分かってる。
家族を失った悲しみは乗り越えたけど、父がどう思っていたか、いまだに引っかかっているのだ。でも、考えてもしょうがないことだってことも判ってる。
だから俺は平気だと嘘を吐き、心配をかけないようにアリスには話さなかった。
「……取り敢えず、ソフィアちゃんの様子がおかしいのとは関係ないんだね」
「……ソフィアも様子がおかしいのか?」
「うん。リオンと同じように考え込んでいるから、二人になにかあったのかなって思ったんだけど……」
「俺とアリスの件が原因じゃないのか?」
ミューレ学園を卒業した日、俺はアリスに告白して付き合うことになった。それをソフィアやクレアねぇに伝えたので、それが原因かなと思ったんだけど……
「それは大丈夫だよ。だってリオンは、あたしだけじゃなくて、二人のこともちゃんと考えるって公言したんだよ? あの二人が悲しむ理由なんてないじゃない」
「……まぁそうかもだけど」
と言うか、改めて言われると、俺がすっごい女たらしみたいだなぁ。
いや、アリスと付き合うことにしたけど、他の二人のことも考えるとか言った時点で、まるで弁解の余地はないんだけどさ。
しかし、それ以外でソフィアの様子がおかしい理由か。
心当たりは――ある。
グランシェス家襲撃事件の首謀者はソフィアの父親。そして、そのカルロスを殺したのは、ソフィア自身だから。
「ソフィアの様子がおかしいんだとしたら、そっちもお墓参りが原因だと思う」
その一言だけで察したのだろう。アリスは「そっか……」と寂しげな表情を浮かべた。
「なぁ……アリス。ソフィアは今でも過去を引きずってると思うか?」
「それは、ね。一生消えない記憶だと思うよ」
そう、か。そうだよな。あの無邪気なソフィアが狂ったように嗤い、血の雨を降らせた。俺だってあの時の光景は忘れられない。
当事者のソフィアが忘れられるはずがない、か。
「教えてくれてありがと。ちょっとソフィアに会いに行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい。私はこのまま三度寝するね」
「するなっ、いや、しても良いけど、せめて髪は結んどけ?」
俺はベッドに寝転ぶアリスに向かってため息を一つ。ソフィアに会いに行くべく部屋を後にした。
そうしてやって来たのはソフィアの部屋。寝てる可能性も考慮して控えめに扉をノックしたんだけど、幸いにして直ぐに返事があった。
「リオンだけど、入っても良いか」
「リオンお兄ちゃん? 大丈夫だよ」
許可を得て部屋の中に。ソフィアは窓際の席に腰掛け、優雅に紅茶を飲んでいた。ふわふわの金髪が、窓から差し込む朝日を受けて煌めいている。
その姿はいつもどおりで、笑顔に陰りは見えない。
だけど……
「おはよぉ、リオンお兄ちゃん。朝から尋ねてくるなんて珍しいね。どうかしたの?」
「ソフィアの様子がおかしいって、アリスから聞いてさ。なにかあったのかなって」
心当たりがあったのだろう。俺がそう言った瞬間、ソフィアの視線が泳いだ。
「……なにもないよ」
「嘘付け。そんな表情をして、なにもないなんて言われても信じられないぞ。言いたくないなら言わなくても良いけど……遠慮なんかしなくて良いんだぞ?」
「……リオンお兄ちゃん」
ソフィアは少し迷うような素振りで俺を見ている。だから俺は座っているソフィアの側まで歩み寄り、そのふわふわの金髪を優しく撫でつけた。
最初はくすぐったそうにしていたソフィアだけど、やがて俺の胸に頭を預けてきた。
「で、なにを悩んでるんだ?」
「……実は、ね。お墓参りに行った時、リオンお兄ちゃん達のお話を聞いちゃって、ソフィアのお父さんとお母さんはどうだったのかなぁって思って」
「カルロスさんとエリーゼさんか」
――ついにこの時が来たか。
俺が最初に抱いたのは、そんな想いだった。
ソフィアは自分が両親に嫌われていると思い込んでいる。俺はそれが誤解だと思ってたけど、それをソフィアに話さなかった。
だって、ソフィアは自分の父親を殺した。
もちろん相応の理由があってのことだけど……それでも、ソフィアは父親を殺した罪悪感に苛まれていた。そんなソフィアに、カルロスさんはソフィアを大切に思っていたはずだよ――なんて、言えるはずがなかったから。
だけど……今は違う。
ソフィアは過去を乗り越えて、両親の思いと向き合おうとしている。
「あの時は言わなかったけど……カルロスさんはあの日、気絶してたソフィアを心配してたんだ」
「……お父さんが?」
「そうだよ。だから、ソフィアを嫌ってなんていなかったと思う。例えあの瞬間、ソフィアを恐れていたとしても、な」
「そう、そうなんだ。お父さん、ソフィアのことを嫌ってなかったんだ。それなのに、ソフィアはお父さんを……」
ソフィアは何かに耐えるように身を震わせた。そんなソフィアを見ていられなくて、俺はその華奢な体をぎゅっと抱き寄せた。
どれくらいそうしていただろう?
ソフィアは俺から身を離して、静かに俺の顔を見上げた。
「ねぇリオンお兄ちゃん。それじゃ、お母さんも同じなのかな? お母さんも、ソフィアを嫌ってないのかな?」
「そうだな……」
あの頃はきっと、カルロスさんと同じようにソフィアを大切に思っていたと思う。
だけどあれから五年と半分、エリーゼさんとはあの日から会ってない。
ソフィアに夫を殺され、自らも殺され掛けた。そうして生きながらえた後は幽閉され、今もスフィール家の離れで暮らしている。
果たして、今のエリーゼさんがどう思っているか、俺には想像が出来ない。でも、ソフィアが気になるのなら、向き合う覚悟が出来たのなら……
「エリーゼさんに会いに、久しぶりにスフィール家に里帰りしてみるか?」
「それは、でも……リオンお兄ちゃんも一緒、なんだよね?」
「当然だろ」
ソフィアが両親と向き合うつもりなら、もちろん一緒について行くに決まってる。そう思っての発言だったのだけど、ソフィアは困ったように眉を落とした。
「ソフィアのことを気づかってくれるのは嬉しいよ。でも……リオンお兄ちゃんにとって、ソフィアのお母さんは……」
家族を殺した相手だ――と、言いたいんだろう。確かにあれを不幸な行き違いだと割り切ることは出来ない。
だけど……
もしカルロスさんが事件を起こさなければ、俺やクレアねぇは政略結婚の道具となっていたし、アリスだってどこかに売られていたかもしれない。
今の俺達があるのは良くも悪くも、カルロスさんの行動の結果なのだ。
「……そろそろ向き合う時なのかもしれないな」
「リオンお兄ちゃん?」
「許すことは出来ないけど……でも、悪いことばっかりじゃなかったからな。一緒にスフィール家に顔を出してみよう」
過去と向き合って、乗り越える為に。






