エピソード 4ー3 救出の準備
エルフの里の外れにある草原。
俺とアリスは契約の儀式をする為に向かい合って立っていた。――訂正。身長差があるので、立っている俺の前に、アリスが跪いている。
「それじゃリオン、私の手を取って」
「こうか?」
左右それぞれの手でアリスの手を握る。とたん、俺達を中心に光りの魔方陣が広がり、アリスのしなやかな指から熱が流れ込んできた。
「これは……?」
「私とリオンの間でパスを繋いでるの。一時的に感覚が共有されるけど驚かないでね」
アリスがそう言うあいだにも、俺の中にどんどん熱が流れ込んでくる。そしていつしか、アリスと手を繋いでいる感覚に、手を繋がれているアリスの感覚がまじり始める。
まるで、体がもう一つ増えたような感覚。脳に届く情報量が二倍に膨れあがり、脳に激しい痛みが走る――が、それも一瞬。
直ぐにそれらの感覚は薄れていった。
「リオン、大丈夫?」
「な、なんとか……今ので、儀式は終わりなのか?」
「うん、ちゃんと成功したよ。これでリオンと私はエンゲージで結ばれたから」
「そう、なんだ?」
言われて手のひらを見つめる。さっきは確かに感覚を共有しているような感じがあったけど、今はまるで感じられない。
「恩恵の力はオンオフの使い分けが出来るからね。じゃないと、ずっと感覚を共有してたら大変なことになっちゃうよ」
あぁそれはそうだな。あんな感覚ずっと味わってたら脳が焼き切れそうだ。
「と言うか、あの状況で魔術の練習なんかする余裕なさそうなんだけど」
「それは大丈夫。恩恵は大抵能力の調整が利くから」
「それはつまり、感覚を共有するレベルを調整できるって事?」
「うん。だから任意の感覚だけを伝えることも可能だよ」
アリスはそう言って、自らの頬をつついた。その瞬間、俺は自分の頬がつつかれているような錯覚に陥る。
「おぉ……触覚だけ共有してるのか?」
「うぅん、もっと限定的だよ。指で突いている方の感覚は伝わってないでしょ?」
「あ、そう言えば……」
頬をつつかれた感覚はあったけど、頬をつついた感覚は無かった。なるほど、これが感覚共有か。なかなか面白そうな恩恵だ。
「ちなみに今は一方的な感覚共有だけど、双方向で共有することも可能だよ。そしてこれが、感覚共有の本来の使い方――だよっ」
アリスは右腕を軽く振るう。その直後、俺の前髪がそよ風に揺れた。
それと同時、アリスは周囲の魔力素子を取り込んで魔力に変換。そよ風が舞うイメージを込めて、精霊に魔力を与えた。
それら全ての情報が、俺の中にリアルタイムで流れ込んでくる。
「今のが……魔術?」
「正確には精霊魔術だね。変換した魔力を取引材料に、精霊にお願いを聞いて貰うの。重要なのは、精霊が言う事を聞きたくなるような魔力を作ることと、精霊が実行しやすいように明確なイメージを魔力に込めること、かな」
「ふむふむ。ちょっとやってみて良いか?」
「もちろん」
許可を貰って、俺は魔力素子を魔力に変換する。ここまでは数年掛けてひたすら練習した部分なのであまり問題は無い。
次はそよ風のイメージを魔力に込める。……そよ風? いや、深く考えずに、さっきのアリスの感覚をそのまま再現すれば良いんだよな。
そう思ってイメージしようとするけど、まるで上手くいかない。
「む、難しいな、これ」
「普通の人には未知の感覚だからね」
「そうだな……」
さっきそよ風のイメージを魔力に込めると言ったけど、伝わってくるのはあくまでも感覚。アリスの思考がイメージとして伝わってきた訳じゃない。
説明が難しいけど……アリスは言葉や映像を、魔力に込めたんじゃない。言うなれば、歌声に感情を乗せて、曲のイメージを相手に伝えるとか、そんな感じだ。
でもって、声に感情を乗せる感覚は知ったけど、未知の感覚だから上手く再現出来ない、見たいな。
まあようするに、良く判らない感覚だって事。
「慣れるまでは難しいね。……ん~最初はテンプレートを使ってみた方が良いかな?」
「テンプレート?」
「うん。ダンスとかで順番を覚える時、音楽や歌に合わせて覚えたりするでしょ? あれと同じで、呪文と関連づけて覚えることでイメージを強化するの」
アリスはちょっと見ててねと右腕を倒木へと向け、魔力を生み出していく。
「風の精霊よ、敵を切り裂け――エアスラッシュ」
鋭い風で敵を切り裂けという簡単なイメージが感覚共有で伝わってくる。それと同時、アリスの手のひらから放たれた一筋の風が倒木を浅く切り裂いた。
「――とまぁ、こんな感じだね」
「今のは、呪文――と言うかセリフでイメージを増幅したのか?」
「うん。命令はどうしても単純になるし、応用が利かなくなるけど、初めはテンプレートを利用するのが楽かも知れないね」
「なるほど。今のなら、俺にも出来そうな気がするな」
そうして、俺の魔術の修行が始まった。
ちなみに、一般的な魔術や精霊魔術はテンプレート――それももっと長い呪文を使用するのが普通で、アリスの精霊魔術が規格外だと俺が気付くのはまだまだ先の話である。
それから一週間。俺達は未だにエルフの里に留まっていた。
もちろん、クレアねぇの救出を諦めたわけじゃない。アリスママが気を利かせてスフィール領にエルフの間諜を放ってくれていたので、それの帰還を待っていたのだ。
そして今日、ようやく間諜が帰ってきた。
「――以上が、スフィール家の状況です」
「ご苦労様。これからどうするか話し合うから、貴方は休んで頂戴」
アリスママから労いの言葉を貰った間諜は退出。それを見届けた俺とアリス、それにアリスママが思い思いにため息をつく。
間諜のもたらした情報から、厄介な状況だと否応もなく理解させられたからだ。
報告によると、グランシェス家が襲撃されたのは周知の事実であり、スフィール家がグランシェス家を支援、クレアリディルを保護したという話になっているらしい。
そこまでは理解できるのだけど……問題なのはスフィール家がそれと一緒に公表した内容である。
スフィール家の発表によると、グランシェス家を襲ったのは貴族に恨みを持つ過激派であり、クレアリディルはまだ狙われている。よって次の満月の夜、クレアリディルを安全な場所に匿う――と公式に発表しているのだ。
だけど、だ。
グランシェス家を襲ったのはスフィール家の関係者だし、本当に安全を確保するつもりなら、出立の日時を指定するはずがない。
ようするに、クレアねぇを返して欲しければ次の満月の夜までに来いというメッセージであり、来なければクレアねぇの無事は保証しないぞという脅し文句である。
そんな訳で、正面から会いに行くのは論外だ。
クレアねぇを人質にされたら、俺は相手の言いなりになるしかなくなる。なので、必然的に救出方法は決まってくるのだけど……相手が待ち受けてるのは想像に難くない。
「厄介だな……」
罠であれなんであれ、クレアねぇを見捨てるなんて選択肢は有り得ない。けど、待ち受けてると判ってるところに突っ込むのは……厄介以外の何物でも無いだろう。
「リオンくん、魔術の練習はしてるのよね?」
「アリスに教えては貰っているんですけど……難しいですね」
魔術の練習を始めて一週間。未だ発動には至っていなかった。
もちろん、時間を掛ければなんとかなるとは思うけど、次の満月の夜は八日後。ここから約一週間ほど掛かるので、今すぐに出発しなければ間に合わなくなる。
「俺が魔術を使えない場合、アリスだけでなんとか出来ると思うか?」
「うぅん……リオンは屋敷の構造を知ってるんだよね?」
「まあ、大まかになら」
訪れたのは二回だけだけど、執務室にソフィアの部屋。それに応接間と厨房にも顔を出しているので、どの辺にどういった区画があるのかはなんとなく判る。
俺は記憶を掘り起こしつつ、アリスに屋敷の構造を説明した。
「ん~警備状況にもよるけど、グランシェス家よりは侵入しやすいかな」
「……そうなのか?」
「うん。小さい部屋とか曲がり角とか、死角になる部分が多いでしょ? 闇雲に歩けば突発的な遭遇が増えるけど、私には気配察知の恩恵があるから」
「なるほど……アリスに限って言えば、死角が多い方が楽なんだな」
「うん。でもそれも絶対大丈夫とは言い切れない。クレア様が何処にいるか判らない以上、探し回るほどに見つかるリスクは高まると思う」
「もし見つかったら?」
「強行突破しかなくなるね。でも私もほとんど実戦経験はないから、一人だと対応しきれないかも知れないね」
「そっかぁ……」
アリスの気配察知の恩恵と精霊魔術があればもしかしたらって思ったけど、さすがにそんなに上手くはいかないか。
「そうなると、やっぱり俺が魔術を覚えないとダメか。スフィール領に行くまでの一週間でなんとかなるかな?」
「そうだねぇ……今の調子だと微妙なところだね」
「うぅむ。そうなると、代案を考えておくべきか……」
考えられるのは……クレアねぇの婚約者に泣きつく事かな。色々と困った展開が予想出来るけど、少なくとも命の保証だけは出来るはずだ。
「ねぇ、お母さんは協力してくれないの?」
「……個人的には助けてあげたいけどね。エルフの民が人間の屋敷に攻め込んだりなんてしたら大事になるから無理よ」
「むぅ……」
アリスは不満気に頬を膨らます。
「ごめんね、アリス。リオンくんもごめんなさいね」
「いえ、事情は判ります。間諜を放つだけでも大変だったんじゃないですか?」
エルフ族としては完全に他人事なのだ。娘が関わっているからと肩入れすれば、職権乱用だと言われても仕方ない。アリスママにどれくらいの権力があるかは判らないけど、なにをしても許されるって事はないと思う。
「可愛い娘と、その大切な人の為だもの。せめてこれくらいは、ね」
「……すみません」
「謝る必要は無いわ。娘が選んだ道だから。娘の気持ちを受け入れてくれれば充分よ」
普通だったら、娘を危険に巻き込むなんてと罵られてもしょうがない。なのに、こんな風に言ってくれるなんて――将来責任を取りなさいよと言われてる気がする。
気のせいかなとアリスママの様子を横目でうかがうと、クスリと微笑まれた。
「……リオン? どうかしたの?」
「な、なんでも無い。それより、どうやったらクレアねぇを助けられるか考えよう」
「そうだね。それじゃまず、クレア様を救うまでの問題点だけど――」
こうして、俺達はクレアねぇを助ける計画を立てた。






