エピソード 4ー1 アリスティアの故郷
屋敷を襲撃したのがスフィール家の関係者だった以上、詰め所などに駆け込むのは論外。それに俺の外見は見るからに貴族なので歩き回るのもまずい。
と言う訳で、屋敷から脱出した俺達は、町外れにある農地の小屋に身を隠した。
そうして最低限の安全を確保してから、顔が知られてないアリスにクレアねぇを迎えに行って貰ったのだけど――
「スフィール家の迎えが来て、クレア様は連れて行かれたそうです」
クレアねぇは既に連れ去られた後だった。
「直ぐにクレアねぇを助けに行かないと!」
「待ってください!」
小屋から飛び出そうとした俺をアリスが掴む。
「なんで止めるんだよ! クレアねぇが殺されるかも知れないんだぞ!?」
「もし相手がその気なら、今から追いかけても手遅れです」
「そんなのっ、そんなの追いかけてみないと判らないだろ!? 早く助けに行かないと、クレアねぇが殺されたらどうするんだ!」
「――リオン様!」
乾いた音が小屋に響く。それと同時、頬に鋭い痛みが走った。
「なに、を……」
その続きは言えなかった。俺を叩いたアリスの方が、俺よりもずっと苦しそうに顔を歪めていたからだ。
「どうしたんだアリス!?」
「……なんでもありません」
「なんでも無いはずないだろ!?」
――って、そうか。俺を叩いたから、奴隷契約の呪いが発動したのか。
相当に苦しいのだろう。アリスは額に脂汗を浮かべている。だけどアリスは弱音を吐かず、俺の顔を覗き込んできた。
「……落ち着いてください、リオン様。もし相手がクレア様を殺すつもりなら、今から追いかけても間に合いません。でもそれはあくまで、相手が殺すつもりだったなら、です」
「……クレアねぇを殺すつもりが無いって言うのか? ブレイクが殺されるところ、アリスも見てただろ?」
「屋敷には賊として侵入していますが、修道院にはスフィール家として姿を現しています。クレア様を殺す気なら、スフィール家を名乗るはずがありません」
言われて気付く。クレアねぇを殺すつもりなら、馬鹿正直にスフィール家と名乗る必要なんてない。屋敷を襲った時と同じように顔を隠して襲撃するなり、グランシェス家の名を騙るなりするはずだ。
にもかかわらず、彼らはスフィール家を名乗った。
「つまり、スフィール家はクレアねぇにも用事がある?」
「その可能性は充分にあります。ですが私は違うと思います。彼らがクレア様を連れ去った目的は恐らく、リオン様に対する交渉の材料です」
「……俺?」
「グランシェス家の当主と長男が亡くなり、現時点で伯爵の地位を引き継ぐ可能性が最も高いのは誰ですか?」
「……クレアねぇじゃないのか?」
長女で、俺より年上。更には正当な血筋。だからクレアねぇが後継者になると思ったのだけど、アリスは首を横に振った。
「貴族社会において、女性が後を継ぐのは特別なケースを除いてありません。今回はそれに当てはまらないので、後継者に選ばれるのはリオン様です」
「つまり、クレアねぇは俺に対する人質だって言うのか?」
「……恐らくは、ですが。とは言え、まったく別の理由かも知れませんし、本命はクレア様だという可能性もあります。ですが、どのような理由であれ――」
「クレアねぇが殺される可能性は低い、か」
「そう思います。ですから今は慌てず、クレア様を救い出す手段を考えるべきです」
「救い出す手段って言っても……」
探せばグランシェス家の生き残りはいるかも知れないけど……相手はスフィール家。俺がレジスを見たなんて発言だけじゃどうにも出来ないだろう。
かと言って、俺とアリスで屋敷に忍び込むなんて不可能だし……
「もし宛てがなければ、私の故郷に行きませんか?」
迷っている俺を見かねたのか、アリスがそんな提案をした。
「故郷って……エルフの里? 興味はあるけど……今は観光なんてしてる場合じゃないぞ? それともなにか宛てがあるのか?」
「事情を話せば力を貸してくれるかも知れませんし、それが無理でも私の奴隷契約の刻印を消して貰えます。そうすれば、私は精霊魔術を使えるようになるので」
アリスの精霊魔術か。俺は魔力の制御しか習ってないし、精霊魔術がどれくらいの能力なのか知らないんだよな。
「アリスが精霊魔術を使えれば、クレアねぇを救い出せるか?」
「私一人では厳しいですが……それについては考えがあるので、なんとか出来ると思います。それより問題なのは、ここからエルフの里まで、馬車を乗り継いでも、片道一週間程かかることでしょう」
「つまり、その間にクレアねぇが殺される可能性もあると?」
「可能性は否定できません。ですから、どうするかはリオン様が決めて下さい」
直ぐにスフィール家に向かうか、いったんエルフの里に向かうか、か。可能な限り急ぎたいのは事実だけど、今の俺じゃクレアねぇを助けられない。
エルフの里に向かう方が可能性は高いだろう。
「一応確認するけど、エルフの里って人間が訪ねても大丈夫なのか?」
俺の地球での知識が宛てになるかは判らないけど、この世界のエルフも滅多に人と関わらないって話だし、訪ねていって追い返されましたじゃ困る。
「大丈夫ですよ。私が招いたと言えば、必ず受け入れて貰えます」
「そう、なんだ?」
なんだろうこの自信。
良く判らないけど、なんにしても次の目的地は決まった。
「アリス、俺をエルフの里に連れて行ってくれ」
ちなみに旅に必要な路銀は、身につけていた品を売り払ってなんとかした。
そんな訳で俺達は無事に街を脱出。スフィール家の網に掛からないよう、馬車や徒歩を織り交ぜてエルフの里に向かったのだけど――
「……なぁアリス」
俺はジト目でアリスを見つめる。
「な、なんですかリオン様?」
「言ったよな? エルフは人間を受け入れてくれるのかって聞いた時、私が頼めば大丈夫って言ったよな?」
「い、言いましたけど」
「だったら、なんで包囲されてるんだよ!?」
アリス曰くエルフの里がある森の中。俺達は――と言うか、俺は十数名のエルフに囲まれ、弓矢を向けられていた。
「ぜんっぜん、受け入れる気、無いよな?」
「だ、だって、まさか話をする暇も無く包囲されるなんて思わなかったんです! と言うかみんな、この人は敵じゃないから弓を下ろしなさい!」
アリスに抱き寄せられる。……いや、庇ってくれてるんだろうけど、身長差があるので、そんな風になっているのだ。
「なにを言ってるんだアリス! そいつはお前を攫った人間だぞ!?」
「リオン様は私を攫った人とは無関係よ!」
「リオン様だと? 何故お前が人間にその様な敬称を……っ、そうか! 奴隷にされているんだな!?」
「……え? 確かに私はリオン様の奴隷だけど」
「やはりかっ! つまりその者を庇うように命令されているのだな!」
「違うってば! あたしは自分の意思でリオン様と一緒にいるの!」
「皆まで言わずとも良い! 直ぐにそいつを殺して解放するから心配するな!」
「だから違うって言ってるでしょ、いいかげんにしてお父さん!」
……え、お父さん? と、俺は改めてさっきから声を荒げているエルフの男を見る。見た目は二十代前半の優男といった見た目なんだけど……お父さんなのか。
「お、俺はただ、お前が心配でだな……」
「私を思ってるなら、話をちゃんと聞いてよ! ちょっとでもリオン様を傷つけたら、一生口をきいてあげないからね!?」
「なっ!? そそそっそれは困る! ――い、いや待て! そのセリフすら、その子供に言わされているんじゃないのか!?」
「へぇ……本気で言ってるの? だったら、どうぞ。リオン様を傷つけてみれば? それで後悔するのは、お父さんだと思うけど?」
「なん、だと? 本気、だと言うのか? 本気で、その子供を庇って? だがしかし……いやっ。しかし、しかしだ! もし仮に事実であれば、俺はっ! 俺はぁっ!」
……なんかむちゃくちゃ効いてるけどさ。さり気なく人の命を掛け金に交渉するのは止めてくれませんかね?
まあ、アリスが俺を庇うように抱きしめてるから、万が一にも彼らは攻撃しないって考えての上での交渉なんだろうけど。
と言うか、このままだとアリスに護られてるだけで立場が無いな。ちゃんと自分で弁明しておこう。
「ええっと……アリスのお父さん?」
「お前にお父さんなどと呼ばれる筋合いはない!」
「……いや、そう思ってわざわざ‘アリスの’って付け足したんですけど」
「うるさい黙れ、とにかくお前のような人間と話すつもりはない! 命だけは助けてやるから、さっさとこの地から出て行くが良い!」
うわぁ……このおっちゃん、人の話を聞く気は零か。いや、この場合は人間の話を聞く気が零なのか? なんにしても、めんどくさくなってきた。
「……なぁアリス。帰って良い?」
「あぁ、帰れ帰れ、お前などアリスを置いて帰ってしまえ」
「いえ、私もリオン様と一緒に旅立ちますけど? と言うか、見知らぬおじさん、馴れ馴れしくアリスとか呼ばないで下さいませんか?」
「な、なななにをいっ、いいいいってるんだ!? 俺はお前のお父さんだぞ?」
「はい? 私の恩人に酷く当たるような人が私の父のはずないじゃないですか?」
「うぐっ!?」
……いつまで続くんだよ、このやりとり。急いでも仕方ないのは判ってるけど、さすがにこんな茶番に付き合ってる余裕はないんだけど。
「あ~すみません、誰か俺の話を聞いてくれる人はいませんか?」
「なら、私がお聞きしましょう」
澄んだ音色が一帯に響く。一体どこからと視線を巡らすと、いつの間にか目の前にエルフの女性が佇んでいた。
「――なっ!?」
アリスがとっさに動こうとする。だけどそれより早く、そのエルフが口を開いた。
「アリス、その少年が大切なら大人しくしていなさい」
女性は笑顔を浮かべているだけだ。だけど俺は言いようのない迫力に気圧される。そしてそれはアリスも同じなのか、無言で俺をギュッと抱きしめた。
「族長である貴方がどうしてここに。リオン様になにをするつもりですか?」
「心配しなくても大丈夫よ。その少年が、貴方の言うとおり悪人でないのなら、ね。それとも、貴方はその少年を信じていないのかしら?」
「……判りました」
僅かな逡巡の後、アリスは少しだけ俺から距離を取った。とは言っても、その手は俺の服の裾をつまんだままだけど。
それはともかく、俺は族長と呼ばれたエルフへと視線を向ける。アリスと同い年くらいの年齢だけど、族長と呼ばれてたからには見た目通りじゃないんだろうなぁ。
それに、さっき突然目の前に出現したのは……
「魔術で姿を隠していたんですか?」
「あら、良く判ったわね」
「なるほど、ね。さっきまでの茶番は、俺達の注意を引く演技か」
そう言う事なら、茶番も仕方ない。コッソリ接近するのをサポートするために、わざと騒ぐ必要があったんだろう。
「いえ、あれはあの人の素よ」
「……そうですか」
演技だと言っておけば丸く収まったのに、以外と正直なエルフだな。まあなんにしても、話が通じそうなのはありがたい。
「アリスを取り戻す為に近づいてきたんですよね? どうして姿を現したんですか?」
「貴方が話を聞いて欲しいと言ったからと言うのが一つ。そしてもう一つは……この距離なら、貴方が何かをするよりも、私が貴方を殺す方が早いと確信しているからよ」
そう言って微笑むが、その目は少しも笑っていない。もし俺が何か変なことをすれば、本気で殺しに掛かってくるつもりだろう。
でもまぁ、そう言う事なら問題はないな。俺に敵対するつもりはないし。
「一つ質問です。貴方たちならアリスに刻まれた奴隷の刻印を消せるんですよね?」
「ええ、そうね。それは問題ないと思うわ」
それを聞いて俺はホッと息を吐く。誤解を解く意味でも、クレアねぇを助ける意味でも、アリスの奴隷の刻印を消すのが大前提だったからな。
「それじゃ、まずはアリスの刻印を消してあげて下さい。その後でなら、アリスの言葉を信じてくれますよね?」
「時間を稼いでいる間に逃げるつもり?」
「なんなら、俺を拘束してくれても構いませんよ。もちろん、結果が出るまで危害は加えないって約束して貰いますけど」
「ふぅん? どうやら、本気で言ってるようね」
「そうですけど……」
なんでここまで疑われてるんだ? やっぱり、俺が人間だからだろうか?
「その顔は判ってないようね。貴方はアリスを信じてるようだけど、奴隷の刻印は時に、対象の意思すらもねじ曲げるのよ」
「……ねじ曲げるって、洗脳するって意味ですか?」
「文字通りという訳ではないわ。でも奴隷は主人に逆らうと激しい痛みに襲われる。つまりその恐怖を知っている奴隷は、無意識に主人に好かれようとするのよ」
「……あぁ、なるほど」
元の世界でも同じような理論を聞いた記憶がある。人質が犯人に惹かれる現象。ストックホルム症候群とか言ったっけ。
「つまり、アリスが俺を護ろうとしてるのは、奴隷の刻印の影響だと?」
「その可能性はあると思っているわ。だから刻印を消した後、アリスが自分を取り戻すまで一週間ほど時間を頂くわ。それでも――」
「それでも構いません。アリスの奴隷の刻印を消してください」
即答すると、今まで表情を崩さなかった彼女が初めて驚きの表情を浮かべた。
「驚いたわね。子供だからなにも判ってないのかと思ってたけど……そう言う訳じゃなさそうね。それほどまでに、自分の行動に自信があるのかしら?」
……自分の行動に自信?
今までの行動を振り返って脳裏に浮かぶのは……アリスにキスマークを付けたり、胸を鷲掴みにしたり、毎晩自分好みに調教したと言いふらしたこと。
……無いわぁ。
奴隷から解放したら、一発くらい殴られる覚悟はした方が良いかもしれない。と言うか、族長の懸念が、的を射てる気がしてきた。
だけど……
「自信は無いですけど、アリスを奴隷から解放するのは俺の望みでもありますから」
「判ったわ、そこまで言うなら、貴方の処遇は一週間後、アリスに決めて貰います。それまでは、誰であろうと決して手出しはさせない。皆も、そのつもりでいなさい」






