閑話 リアナのヴァレンタインデー
二月十四日。恋する乙女達が、大好きな男の子にお菓子を贈って告白をする聖なる日。ヴァレンタインデーと呼ばれる行事は――製菓会社が仕掛けたものではない。
なぜなら、リゼルヘイムにおけるヴァレンタインデーを作ったのはアリス。つまりは、シスターズがリオンに愛を囁くために作られた記念日なのだ。
そして、そんな記念日。早朝からお屋敷の台所では戦争が勃発していた。
――と言っても、リオンを慕うシスターズは、通常では信じられないほどに仲が良い。なので別に、リオンにお菓子を贈るのは私よ! みたいな感じで戦争が勃発している訳ではない。
戦争になっていると言ったのは、それぞれが鬼気迫る勢いでお菓子作りをしているからだ。
アリスブランドの創設者であり、ソフィアにお菓子作りを教えたアリスに、パティシエールとして名前を轟かせるソフィア。更にはクッキーだけを作り続けたティナと、シスターズの面々は、お菓子を作るのが得意な女の子が多い。
そんな彼女達が、リオンにお菓子を美味しく頂いてもらったり、あわよくば自分も美味しく頂いてもらったりするのは、ある意味では必然。それを邪魔しようとする女の子は、シスターズにはいない。けれど、それは決して、羨ましいと思わないという意味ではない。
自分も同じように褒めてもらいたい。そのためには努力が必要――と言うことで、シスターズはときに嫉妬をしながらも協力し合い、至高のお菓子作りをしていた。
そしてリアナもまた、お菓子を作る乙女の一人として厨房にいた。そうして一生懸命にお菓子作りをしていると、手が空いたのかティナが話しかけてきた。
「リアナはなにを作ってるの?」
「あたしはマフィンを作ってるの」
リアナがチョイスしたのは、比較的日持ちのするレシピ。ソフィアやアリスがとんでもなく力を入れて作っているケーキは、日が経てば明らかに味が落ちる。
つまりは、今日食べてもらうのを前提として、最高のお菓子を作っている。であれば、リオンが自分のお菓子を食べてくれるのは二日目以降。そう考えてのチョイスである。
「そういうティナはクッキーだよね……って、どうしたの?」
リアナは小首をかしげた。ティナが不思議そうにリアナを見ていたからだ。
「どうしたって言うか……リアナって、自分のことをあたしって言ってたっけ?」
「あぁ、そのことか。今までは私って言ってたよ」
「だよね。なにか心境の変化でもあったの?」
「心境というか、環境の変化、かな」
リアナは生地を作りながら、イタズラっぽく笑う。
「ほら、あたしが主役の新作が明日から始まるでしょ? それにあわせて、あたしも自分の呼び方を変えてるんだよ~」
「つまり、新作でのリアナは、自分のことをあたしって言ってるの?」
「うん、そうだよ。他にも少しだけ設定が違ってたりするけど……っと、これで良し」
リアナは生地を混ぜあわせるのを終えて、生地をマフィンの型に流し込んでいく。そうして、あらかじめ温めておいたオーブンに入れた。
「うん、後は数十分焼いたら完成、だね」
リアナはやりとげたと笑顔を浮かべて、ハンカチで顔に浮かんだ汗を拭いた。
「それで、ティナはいつものクッキーだよね。もう完成したの?」
「うぅん。あたしはアリスさんやソフィアちゃんと一緒に、午後のティータイムに併せて、焼きたてを贈るつもりだから」
「さすがティナだね」
アリスもソフィアも、お願いすればいくらでもお菓子の作り方を教えてくれるし、一緒にプレゼントしたいって言えば喜んで受けてくれるだろう。
けれど、アリスもソフィアもこの世界でトップを争う腕前。リアナはとてもじゃないけど、そんな二人と一緒にお菓子を出す勇気はない。
けれど、ティナは違う。勇気があるという意味ではなく、二人に匹敵するという意味。
ティナが作れるお菓子はクッキーだけ。ただひたすらにクッキーだけを練習することで、クッキーの腕前だけは、ソフィアやアリスに匹敵する実力を手に入れたのだ。
「うぅん……あたしも。なにか一つくらい、極めたら良かったかなぁ」
「心配しなくても、リオン様はお菓子の腕を評価してくれることはあっても、下手だからって愛情を疑うような真似はしないよ」
「それは、分かってるけど……でも、リオン様にはお礼をしたいから」
リアナが呟くと、なぜかティナが笑い始めた。
「……え、なに? あたしがなにか可笑しなことを言った?」
「可笑しな……って言うか、おかしいでしょ。お礼って……もう、私達はハーレム入りが決まっているんだよ。そこはお礼じゃなくて、愛を届けたい、でしょ?」
「そ、それは……そう、だけどぉ……」
わりと、ガツガツ行くシスターズの中で、控えめなリアナは真っ赤になった。リアナがリオンに想いを寄せているのは明らか。だけど……「今回はお礼なの」とリアナははにかんだ。
「お礼って……なんのお礼?」
「うん。実は……ね。リオン様は命の恩人なの」
「恩人って……学生時代のこと?」
「それもだけど、もっと別のこと。もうずいぶんと前だけど、あたし達がミューレ学園に来る少し前に、インフルエンザが大流行したことがあったでしょ?」
「……うん、良く覚えてるよ」
「あの頃はインフルエンザなんて知らなくて、みんなから死を招く伝染病だって恐れられてた。そして、感染した人は、他の人に移さないように……って」
今でこそ、感染しても死ぬ人は格段に少なくなったけれど、あの頃は老若男女関係なく多くの人が亡くなった。それを防ぐために、感染者を隔離、場合によっては焼き殺していた。
「もしかして、リアナは?」
「うん。あのとき、あたしもインフルエンザに感染してたの」
だから、リアナがいまこうして生きているのは、リオンがインフルエンザ対策を領民に知らせてくれたから。リオンはリアナの命の恩人なのだ。
だけど、実はリアナは最初、インフルエンザ対策を教えてくれたのがリオンだと知らなくて、いままでリオンにちゃんとお礼をすることが出来ずにいたのだ。
だからこの機会にお礼をしようと、リアナはお菓子作りを頑張っている。
「そっか……リアナも一緒だったんだ」
「一緒ってことは……ティナも?」
「私の場合はミシェルお姉ちゃんだけどね」
「ミシェルさん……そうなんだ」
ティナの年の離れた姉で、リオンの母親と同じ年頃なのだが……最近、リアナ達の後輩と結婚した。いまだに若々しいから、見た目的にはまったく違和感のない夫婦なのだけれど。
「みんな、リオン様に救われたんだね」
リアナはシスターズのみんなのことを思い出しながら、しみじみと呟いた。
アリス、クレア、ソフィア、リズ、ティナ、リアナ、シロ、マヤ、ヴィオラ、オリヴィアと、リオンのもとに集う全員が、口を揃えてリオンが恩人だという。
もっとも、リアナがリオンに惹かれたのは、それだけが理由じゃない。ミューレ学園に通っていた頃から、リアナは何度も何度も、リオンに助けられていた。
懐かしいなぁ……と、学生時代を思い出したリアナは呟いた。
「……つまりリアナは、リオン様にお礼をしたいから、マフィンを焼いているってこと?」
「うんうん、そうだよ」
リアナが頷くと、なぜかティアは意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「リアナって本当に素直じゃないよね。素直に、リオン様が大好きだから、あたしと一緒にお菓子も食べてって言えば良いのに」
「ちちちっ違うよ!?」
思いが伝われば良いな……くらいは思っているリアナだが、さすがに自分がメインで、セットでお菓子なんて発想はない。だけど、もしも……なんて考えて真っ赤になる。
「なら、リオン様のこと、なんとも思ってないの?」
「それは……えっと、そんなことは、ないけど。でも、今回は本当にお礼が目的なの」
今でこそ、グランシェス伯爵領の内政に携わるリアナだが、最初はなんの知識も力もない、ただの村娘だった。
そんなリアナがグランシェス家にやって来たのは、飢饉で村がピンチだったから。食糧支援と引き換えに、若い子供を求めているという要請に応じてやって来た。
リアナは、慰み者にされる覚悟だった。村や妹を救うために犠牲になるつもりだった。
だけど、リオンに与えられたのは制服。
転生者であるリオンや、その妹であるアリス。そして、そんな二人の影響を受けたクレアとソフィア、とんでもない能力を秘めた人達と出会い、様々な知識を与えられた。
いまのリアナがいるのは、リオン達のおかげ。
――だから、これからもずっと、リオンの側に。
そんな想いを胸に、リアナはマフィンが焼き上がるのを見つめた。






