エピソード 2ー1 平均180Alice
アリス達と結婚するための地盤固め。その一環として、俺とアリスは紋様魔術を使った新技術の開発にいそしんでいた。
俺的には、妊娠しているアリスがあれこれ研究するのも心配なんだけど……適度な運動も必要だし、研究するくらいなら問題ないとのこと。
俺はその辺はよく分からないので「アリスやお腹の子になにかあったら泣くからな?」と、本音をぶつけて釘を刺しておいたので、さすがのアリスも無理はしないだろう。
それはともかく、紋様魔術の研究に話を戻そう。俺達がいるのは、お屋敷の一室。部屋一つをまるまる使った実験室に、アリスの作った様々な紋様魔術が設置されている。
まずは――紋様魔術による部屋の明かりが天井に設置されている。
紋様魔術による明かり自体は以前からあった。けれど、それは身に付ければ光り、手放せば光らなくなるという代物だった。
だけど、設置されている照明は違う。
部屋に設置されていながら、部屋にいる人間の魔力を使って光りを放ち、しかもスイッチ一つでその機能を停止することが出来る、画期的なものとなっている。
「……うぅん、この照明はホントに便利だな」
ランプと違って揺らぎの少ない照明を見上げて呟く。
グランシェス家のお屋敷は気密性が高いため、ランプの使用には換気に気を遣う必要があったのだけれど、新しい照明は火を使っていないので、そこまで気を遣う必要がない。
「明るさはどうかな? 二つの紋様魔術を平行して使っているんだけど」
アリスが穏やかな表情で俺に尋ねてくる。以前より落ち着いて見えるのは、子供が出来たから、なんだろうか?
俺にはまだお父さんという自覚はないから、ちょっと置いて行かれそうで不安になるな。
「……リオン?」
「あぁ、えっと……これで二つか。思ったより明るくはないんだな」
この部屋なら十分な明るさを確保できているけど、二つと考えると思ったより暗い。もう少し大きな部屋になると、二つでは足りなくなるだろう。
「だからこその、紋様魔術の大型化、だよ。複数人で紋様魔術を起動して出力を上げれば、理論的にはどんな大きな魔術でも起動できるからね」
「ふむ。まぁ……そうか」
大きな部屋ということは、それだけ多くの人が集まるということ。魔力の供給源には事欠かないということだ。
「しかし……あれだな。これは将来的に、魔力を供給するだけのお仕事が出来そうだな。控え室で座って魔力を供給するだけの簡単なお仕事です――みたいな」
「あはは、それはたしかに楽なお仕事だけど、貴族のパーティーなら使用人が兼任できるし、工場なら作業員が兼用できる。さすがにそれだけのお仕事ってのはないと思うよ」
「まぁ、そうだよな」
でも……逆に考えれば、魔力を消費しても、給金が変わらないって可能性もあるな。
紋様魔術一つ分くらいの魔力なら、消費しても一切負担はない――と言いたいところだけど、魔力素子を魔力に変換できない病気の人もいる。
給金が同じだった場合、そういった人が雇われなくなるという可能性もある。給金については、しっかり値上げするように周知した方が良さそうだ。
とまぁ、そんな感じであれこれ話し合っていると、部屋の扉がノックされた。
「誰だ?」
「ミリィです。お茶菓子を持って来たので、休憩いたしませんか?」
「あぁ、母さん。空いてるから入ってくれ」
「え、ちょっと、ダメだよ!?」
なぜかアリスが慌てて制止するが、それは俺が許可を出したあとだった。
扉を開けたミリィ母さんが、お茶菓子を乗せたトレイを持って部屋に入ってきたのだが……少し歩いたところでフラついた。
「――母さん!」
俺はとっさに駆け寄り、その身体を支える。トレイは取り落としてしまったけれど、そっちはアリスが精霊魔法を使って確保してくれた。
「母さん、大丈夫か!?」
「大丈夫よ。少し、目眩がしただけだから」
「目眩って……」
ミリィ母さんは、普段は俺付きのメイドとして振る舞っている。そんなミリィ母さんが、母親として受け答えしている。それほど体調が悪いと言うことだと俺は慌てる。
そこに、更に部屋の照明が落ちて――
「なんだ、なにごとだ!?」
襲撃!? さっきのは魔術による攻撃かなにかか!? なんて警戒したんだけど、
「紋様魔術のスイッチを全部切ったから、もう大丈夫だよ」
アリスの穏やかな声を聞いて「あっ!」と、状況を理解した。
「紋様魔術を使いすぎての、魔力不足か」
「うん。この部屋はさっきまで、かなりの数の紋様魔術を併用していたからね。魔術師として修行していて、魔力素子を自在に魔力に変換できる私やリオンは大丈夫だけど、普通の人がこの部屋に入ってきたら、ふらっとなるのは当然だよ」
「そうか、そうだな……って、お腹の赤ちゃんは平気なのか?」
不意に不安になったのだけど、赤ちゃんはまだ魔力を変換できないから、そもそも消費する魔力がなく問題ないとのことで安心した。
いや、そっちは安心だけど、問題はミリィ母さんの件だ。安易に入室の許可を出してしまった自分の浅はかさを反省。「ミリィ母さん、ごめん」とあらためて謝罪した。
「うぅん、私の方こそごめんなさい。アリスさんから事前に注意を受けていたのに、まさかこんなにすぐに倒れるとは思っていなくて」
「言われてみれば、一瞬だったな」
それだけ、多くの紋様魔術が起動していたと言うことだろう。
これ、もしかしなくても、兵器に転用できるんじゃないか? 部屋にいる人間を、スイッチ一つで弱体化させる……とか。
うぅん……対策を考えないとダメだな。
「……リオン?」
「あぁ、ごめん、なんでもない。……そうだ、良かったら一緒にお茶をしないか?」
「良いの?」
「もちろんだ」
という訳で、俺達は研究を中断。ティータイムを楽しむことにした。
「それにしても、色々な物を作っているのね。照明は既に聞いていたけど……あっちの箱はどんな効果があるの?」
紅茶を片手に、メイド服を来たミリィ母さんが尋ねてくる。その視線の先にあるのは、高さが人の身長くらいある、一見なんの変哲もなさそうな四角い箱である。
「それは冷蔵庫だよ」
「冷蔵庫というと……リズ様が魔術を使っているあれかしら?」
「そう、あれと同じものだ。紋様魔術だとさすがに出力が足りなかったんだけど、複数人の魔力を使用することによって、必要な冷気を確保したんだ」
「複数人……どれくらいの魔力が必要なの?」
「えっと……全力で冷却中は180Alice、温度を保っているときは60Alice以下だ」
なお、Aliceとは紋様魔術を使用したときに、一秒間に消費される魔力量のことだ。アリスが研究して数値化したので、単位にAliceと名付けられた――らしい。
ちなみに、人が無意識下に変換できる魔力量の平均が180Aliceで、従来の紋様魔術で消費できる最大量が60Aliceである。つまり、冷蔵庫は従来の紋様魔術三つ分の出力で、平均的な一般人が一人で維持することが出来ると言うことになる。
ただ……平均値と言うことは、半数の人間は一人では出力が足りないし、他にも照明を初めとした紋様魔術でも魔力を消費する。お屋敷のように多くの人がいる場所なら問題ないけど、平民の家庭で使用するには、消費魔力が問題になりそうだ。
「へぇ、一人でまかなえるのね。それだったら、私も一つ欲しいわね」
「……あっ」
思わず声を上げてしまった。
「あ……って、どうかしたの? もしかして、私が冷蔵庫を持ったらダメなの?」
「いや、そんなことはないよ。ミリィ母さんが必要なら、いくらでも用意させるよ。ただ、使用人が個人的に紋様魔術を使用することを計算してなかったなって思って」
屋敷では常時お屋敷にいる使用人の人数×180Alice確保できると計算していたのだけど、実際には使用人の人数×60~120Aliceくらいで計算した方が良さそうだ。
60Alice提供につき、お給金いくらアップ――とかにするか。
いや、それよりも問題は、出力が部屋にいる人の限界値を上回った場合だな。
「なあアリス、紋様魔術による魔力消費量が、部屋にいる全員のキャパシティを上回った場合なんだけど……安全装置みたいなのは作れないか?」
「ん~……電気で言うところのブレーカーみたいな機能だよね」
「そうそう、まさにそんな感じ」
俺が相づちを打つと、アリスは頬に人差し指を当てて考え込んでしまった。
まあ、考えてみれば、一般的なブレーカーは最大出力が分かっている。けど、紋様魔術の最大出力は、屋敷内にいる人数や、個々の変換量によって変わってくるからなぁ。
「うぅん……個々の魔力量を測定する紋様魔術とかを作れれば、なんとかなるかもしれないけど……ちょっと、すぐには作れなさそう」
「そっか。まあ、紋様魔術の大型化は徐々にで良いよ。アリスも、あんまり根をつめすぎないでくれよ。お腹に子供がいるんだからな」
生まれてきた子供が安心して暮らせるための世界を作るための研究。なのに、その子供を妊娠しているアリスが倒れたら意味がない。
それに、部屋の照明だけなら、一人でも出力を確保できるのでなんとでもなる。高出力の紋様魔術はぼちぼちで大丈夫だろう。
「そう言えばアリスさん。体調は大丈夫ですか? 時期的には、そろそろつわりが始まっているはずですよね?」
ミリィ母さんが、アリスに向かって問いかけた。
「えっと……そうですね。実はもう始まってるみたいです。ただ、私がハイエルフだからかなんなのか、あんまり重くはないみたいで」
「あら、それは良かったわね」
「ミリィお母さんは重かったんですか?」
「私は……そうね。凄く重くて、それに……いえ、とにかく、凄く大変だったわ」
ミリィ母さんがそういった瞬間、俺とアリスに緊張感が走った。
ミリィ母さんは父ロバートのお手つきになったメイドで、正妻のキャロラインさんから疎まれていた。そう考えれば、「それに……」のあとに続く言葉が容易に想像できたから。
でも、ミリィ母さんは、そんな重い雰囲気を吹き飛ばすように微笑んだ。
「でも、ロバート様と自分の子供だって思ったら、辛いなんて思わなかったわ。早く生まれてきて欲しいって、そればっかり考えていたのよ」
「あ、分かります! 私も、リオンとの子供だって思ったら、凄く嬉しくて。早く生まれて欲しいなぁ、名前はどんなのが良いかなぁとか、そんなことばっかり考えてます」
ミリィ母さんとアリスが、和気藹々と語っているんだけど……ミリィ母さんが産んだのは俺で、アリスが生もうとしているのは俺との子供。
なんか……むちゃくちゃ居心地が悪い。
だけど――と、俺はアリスと楽しげに話す、ミリィ母さんの横顔を盗み見た。
その顔に浮かんでいるのは懐かしい、俺が離れに閉じ込められていた頃、ミリィ母さんがずっと浮かべていた優しげな表情。
――つまりは、母親の顔。ミリィ母さんは、アリスを俺の奥さんとしてだけではなく、実の娘のように思ってくれているらしい。
穏やかで、だけど少しくすぐったい。
これが……俺が前世で望んだ幸せ、なのかもしれない。






