エピソード 2ー1 真っ白な少女
人間とイヌミミ族のあいだにある垣根を取り払う宣言をしてから一週間ほどが過ぎ、ミューレ学園では新学期が始まった。
今年の新入生にはリゼルヘイム各領地から来た子供の他に、ザッカニア帝国から選ばれた子供、更にはイヌミミ族の子供が加わっている。
とは言え、生徒の総数は、俺達が入学した頃の四百名からそれほど増えてはいない。リゼルヘイムの各地には、ミューレ学園の卒業生が先生をする学園が作られつつあるからだ。
そんな訳で、リゼルヘイム各地からの入学生は最大時の半分くらい。それに商人の子供なんかを加えて、およそ三百人と言ったところだ。
そして、残り百人ほどがザッカニア帝国から留学してくる子供で、イヌミミ族はシロちゃんを始めとした三人が本科に、十人足らずの子供が予科へ入学した。
なので最大の心配事は、イヌミミ族を迫害対象として見ているザッカニア帝国の子供と、イヌミミ族が同じ学園で授業を受けると言うことだ。
さすがに帝国の子供は、イヌミミ族とは別のクラスに編成している。だけど、ザッカニア帝国の考え方が、ミューレ学園の生徒に伝染する可能性も否定できない。
もちろん、それに対する対策は最大限に取った。
ザッカニア帝国での子供の選抜に、イヌミミ族に対する差別意識の少ない生徒をという注文をつけ、到着した生徒には迫害しないようにと言う教育を施した。
もし迫害した場合は強制送還すると言い渡しているので、取りあえずは大丈夫だろう。というか、もしそれでも行動に移すような生徒がいたら、実際に強制送還する。
シロちゃんをいじめるとか絶対に許さない。
――という訳で、新学期が始まってから数日経ったある日。俺はこそこそとミューレ学園の様子をうかがっていた。理由はもちろん、シロちゃんが心配だからだ。
まずは廊下を歩きながら新入生のいるクラスを一つずつ確認していく。いまはちょうど授業中のようで、各クラスでは先生が生徒達に様々な科目を教えている。
それにしても……いないなぁ。あんなにもフワフワのイヌミミがある以上、すぐ分かると思うんだけど……クラスくらいは聞いておくべきだったか。
なんて考えながら各教室を回って、ようやく元気に授業を受けるシロちゃんを見つけた。
ふむ……隣に座っているのはマヤちゃんか。仲良くしてくれてるんだな。それにシロちゃんの表情は明るいし、授業にもちゃんとついて行けてるみたいだ。
……うん。楽しそうだな。マヤちゃんだけじゃない。ほかのクラスメイトともおしゃべりしてるし……今のところは心配なさそうだ。
「もしやと思って見に来たら……」
不意に背後から聞き慣れた声が響く。振り返ると、何故か呆れ顔のクレアねぇがたたずんでいた。腰に手を当てる仕草がお姉ちゃんぶってる感じで可愛い。
「クレアねぇ、どうかしたのか?」
「どうかしたのか? じゃないわよ。学園の敷地内でこそこそして。不審者がいるって生徒から通報があったのよ?」
「……ははは、そんなまさか。そもそも授業中なのに、生徒が通報できる訳ないだろ?」
「弟くん、一限前の授業中からうろうろしてるでしょ?」
「……え?」
「さっきの休み時間に通報があったのよ。それで警備が飛んでいきそうになったんだけど、ちょうど側にあたしがいたから、もしかしてと思って様子を見に来たのよ」
……そう言えばさっき、友達とおしゃべりしているシロちゃんを見た記憶がある。冷静に考えたら、授業中に堂々とおしゃべりするはずがないよな。
どうやら、シロちゃんの観察に没頭するあまり、時間の経過を忘れていたらしい。
「それで、ここで一体なにをしていたの?」
「そ、それは……」
言い訳を探して視線をさまよわせた俺は、こちらを遠巻きにする生徒達がいることに気がついた。このままだと、シロちゃんに見つかってしまう。
「取りあえず、場所を変えよう」
「え、ちょっと。弟くん? 弟くんってば~」
戸惑うクレアねぇの手を掴み、その場から強引に離脱する。そうして、少し離れた場所にある昇降口へとやってきた。
「さて、ここなら良いかな。それで、明日の夕食はなにが良いかって話だっけ?」
「そんな話はしてないでしょ。弟くんが、あそこで一体なにを――」
「――クレアねぇ」
俺はクレアねぇのセリフを遮り、その瞳をじっと覗き込む。
「な、なによ?」
「いつも、俺のために頑張ってくれてありがとうな。すっごい感謝してる」
「え、そ、そんなの、弟くんが気にすることなんて、な、ないのよ?」
「気にしてる訳じゃない。ただ、感謝してるだけだよ。いつもありがとう、クレアねぇ」
「ほ、ホントに気にしなくて良いのよ?」
「どうして?」
「だ、だってあたしは、弟くんのお姉ちゃんなんだもの」
「そっか。それじゃ……ありがとう、クレアお姉ちゃん」
「~~~っ」
顔を真っ赤にして取り乱すクレアねぇがヤバイくらいに可愛い。婚約までしたのに、いつまでも初々しい感じだ。
……もしかしたら、シスターズの中でも一番初々しいんじゃなかろうか? 普段はお姉ちゃんぶってるのにな。まあ、そんなところが可愛いんだけど。
なんにしても、上手く話を逸らすことが出来た。俺は「それじゃ、そういうことで」と、踵を返して逃げようとする。その瞬間、服の袖を捕まれてしまった。
「……ク、クレアねぇ?」
恐る恐る振り返ると、赤らめた顔で満面の笑みを浮かべるクレアねぇがいた。なんと言うか、可愛い表情なのに……凄く怖い。
「ふふ、ふふふ、お姉ちゃんをからかって、そのまま逃げようとするいけない子は、一体どこの弟くんかしらねぇ……?」
「い、いやいやいや、からかってはないぞ?」
「じゃあなんなのよ?」
「俺はただ、事実を口にして煙に巻こうとしただけだ」
「ふぅん……そんなこというんだぁ?」
上目遣いで俺を見る。そんなクレアねぇの瞳が怪しく輝いている。
なんかヤバイ気がする――と焦る。だけどクレアねぇは気にした風もなく、「それで、弟くんがここにいた理由だけど」と、話を戻してしまった。
よく分からないけど……これは乗っかる方が安全だろう。
「ええっと、俺がここにいたのは……」
「シロちゃんが心配だったのよね?」
「……気づいてたのか?」
「当然よ。小さな頃からずっと弟くんだけを見てきたのに、気づかない訳ないじゃない」
「俺だけをって……」
「あら、なにかおかしなことを言った?」
「い、いや、別にそんなことはないけど……」
クレアねぇと出会ったのは六歳の頃。つまりは十年くらい一緒にいるのだけど、あらためてそんな風に言われると恥ずかしい。
「あたしは、弟くんのことならなんでも知ってるわよ。少し抜けてるけど、みんなの幸せのために一生懸命なのも、お姉ちゃんに甘やかされすぎないように頑張ってるのも、みんな、みぃんな、知ってるんだからね?」
「……そ、そっか」
ホントに恥ずかしくなってきた!
「それにあたしは、弟くんの婚約者でもあるのよ? 愛する弟くんの考えてることくらい、ぜぇーんぶ、お見通しに決まってるじゃない」
「すみません、もうしませんから許してくださいっ!」
無理だよ、勝てる訳ないよっ! 上目遣いのクレアねぇ可愛すぎるよ!? という訳で全面降伏を実施した。
「……もぅ、あたしだって恥ずかしいんだからね?」
「え、そうは見えな――いてぇ」
おでこをピンと人差し指で突かれてしまった。たぶん照れ隠しかなにかだったんだろう。顔を赤らめたクレアねぇが、恥ずかしそうにそっぽを向いている。
「今回はこれで許してあげる。でも、次はもっと恥ずかしい目に遭わせるからね?」
「分かった、ホントにごめんな」
「……もう良いわよ。それより、シロちゃんがそんなに心配なの? マヤちゃんと同じクラスだし、イヌミミ族に偏見のなさそうな生徒ばかりを集めたクラスだから心配いらないわよ?」
「そうだとは思うんだけどさ……」
「……なんか、シロちゃんに甘くない?」
「そうかもしれない。でも、勘が良い程度とは言え、ソフィアと同じような恩恵を持ってるだろ? だからちょっと、な」
クレアねぇが選抜したクラスなら、イヌミミ族という理由でイジメるような生徒はいないと思う。だけどそれは、偏見を持っていないと同義ではない。
偏見は持っているけど、それを表に出さない良識ある一般人の場合だってあるのだ。
その場合、普通なら問題なんて起きないけど……シロちゃんは相手の心を読む系統の恩恵を持っている。なんらかの拍子で、傷つくことがないとは言い切れない。
「……たしかに、恩恵を持っているがゆえに傷つくことはあるかもしれないわね」
「だろ? だから心配なんだ。個人的に応援してあげたいって言うのもあるけどな」
「それも分かるわ。あたしとしてもがんばってるあの子を見ると、小さい頃の弟くんを見てるみたいで応援してあげたくなっちゃうし」
「俺の小さな頃ってあんな感じだったか?」
「そうよ。なんにでも興味を持つところとかそっくりよ」
「なんにでも興味を?」
「ええ。色々教えて欲しいって言われたから、貴族のこととか内政のこととか、ときどき教えてあげる約束をしちゃった」
「そうなのか……」
と言うか、クレアねぇもかよ。なんかほかのみんなもそんなこと言ってたな。ホントに人なつっこいというか……社交性が高いのかもしれない。
「でもなんで、貴族や内政のことなんて知りたがったんだろう?」
「シロちゃんはね、イヌミミ族と人間が仲良くなる方法を探したいんだって。それで人間の考え方とか、付き合い方を知りたがってるみたいね」
「そうだったのか……」
シロちゃん、ただ無邪気にみんなと仲良くしたいって言うだけかと思ってたけど、ちゃんとその方法まで考えてるんだな。まだ小さな女の子なのに、本当にがんばってる。
「あたし達もがんばらないとね」
「そう、だな。俺も心配ばっかりしてないで、いま出来ることをするよ」
みんなのためにも、そしてシロちゃん自身のためにも、シロちゃんだけにかまけてはいられない。まずはイヌミミ族の仮設住宅を見に行くことにしよう。






