エピソード 2ー3 イヌミミメイド候補生
「……なんだか騒がしいね?」
裏通りから聞こえてくる男達の声に、アリスがぽつりと呟く。
男達は誰かを探しているようだけど……まさか、俺達ってことはないよな? この国で追われるようなことはまだしてないし――いや、今後すると言う意味ではなく。
さっき服を売ったゼニス商会の関係者である可能性は……ちょっと考えにくいな。正当な取引をしただけだし、そもそも相手に悪意があれば、ソフィアが気付くはずだ。
……なんて思っていたら、路地から小さな影が飛び出してきた。そしてそれは前を見ていなかったんだろう。アリスにドスンとぶつかって尻餅をつく。
「……女の子? ――っ!?」
尻餅をついた影の正体はみすぼらしい服を着た小さな女の子――だけど、その頭にあるのは、モフモフな毛並みに覆われ耳。
――足湯イヌミミメイドカフェの店員候補キタコレ!
おっと、興奮してしまった。少し落ち着こう。
まずは……と、俺は尻餅をついているイヌミミ幼女に右手を差し出す。
「お嬢ちゃん、金貨90枚で俺のところに来ないか――いてぇ」
アリスに思いっ切り頭をはたかれた。
「ちょっと落ち着こうか。それじゃまるで、幼子を買春しようとするヘンタイ貴族だよ」
「す、すまん。ええっと……ウェイトレス的なお仕事なんだけど、どうかな?」
「え、あの? ええっと……」
イヌミミ幼女は意味が判らないとばかりに戸惑っている。
「いたかっ!?」
「いや、こっちにもいない!」
再び、遠くから男達の声が響く。それに対してイヌミミ幼女がビクリと身を震わせた。
「もしかして、キミが追われてるのか?」
「えっと、その――ひっ」
裏道の方から、複数の足音が近づいてくる。それを聞いたイヌミミ幼女が逃げようとするが、ここでメイド候補を逃がす訳には――じゃなくて、見殺しにする訳にはいかない。
という訳で、俺は少女の腕を掴んだ。そして少女がなにかを言うより早く、
「匿ってあげるから、大人しくしててくれ」
と、アリスの方へと押しやった。
「――アリス」
「うん。こっちへおいで」
アリスは右腕をばっと翻すと、イヌミミ幼女をぐいっと引き寄せた。そうして、自分の腰に抱き寄せる。
なにをやってるんだろうと思ったのは一瞬。ここにいる全員が、俺には見えないローブを着ていることを思いだした。
さっきの仕草はおそらく、ローブを翻してその下にイヌミミ幼女を隠したのだろう。その証拠に、イヌミミ幼女はおとなしくアリスの腰にしがみついている。
そしてほどなく、足音の主である三人の男達がやって来た。
状況からしてチンピラ風の男達を思い浮かべていたんだけど……男達は意外にも、一般的な兵士のような出で立ちをしていた。
「お前達は何者だ? こんなところでなにをしている?」
兵士の一人が、俺達に向かって尋ねてくる。どうやら警戒されているようで、他の二人は腰の剣に手をかけていた。
それを見たエルザが俺の前に出ようとするが、それは身振りで止めた。
「俺達はただの旅人で、これから宿に向かうところだ」
「……旅人だと? ……ふむ、イヌミミ族ではないようだな」
松明を掲げた男が俺達の顔を眺め、そんなことを呟く。そしてそれと同時、彼等は腰の剣から手を離して警戒を解いた。
やはりというべきか、彼等はイヌミミ族の幼女を探しているらしい。
「やたらと騒がしかったけど、なにかあったのか?」
「いやなに、奴隷として捕まえたイヌミミ族の娘が逃げ出してな。探しているところなんだ」
……どういうことだ?
どう見ても、彼等は普通の兵士に見える。と言うことは、イヌミミ族の幼女の方に非があるのか? もしそれなら、悪人を逃がす手伝いは出来ないけど……とソフィアを見る。
ソフィアは無言で首を横に振った。
俺の思考を読んでのことであれば、イヌミミ族の幼女に非はないと言うことだろう。詳しい事情はあとで聞くとして……取り敢えずはこの場をなんとかしよう。
「残念ながら、俺達はそのイヌミミ族の娘とやらは見ていませんよ」
嘘は吐いていない――と自分に言い聞かせる。俺が見たのはイヌミミ族の幼女であって、娘と言うような年齢じゃなかったから、と。
気休めではあるけど、相手に嘘だと悟られる可能性は下がる。それに、もしソフィアのような恩恵持ちが相手にいた場合でも、多少はごまかすことが出来るからな。
結果、兵士は「そうか」とだけ言って引き下がった。あっさり具合を考えると、もともと俺達を疑っての言葉ではなかったのかもしれない。
「今はこの辺りも物騒だ。宿に向かうのなら急いだ方が良い」
兵士達は親切なセリフを残して踵を返す。恐らくはイヌミミの娘を探しを再開するのだろう。だから俺はそんな彼等を感謝の言葉と共に見送った。
そうして彼等が見えなくなるのを確認し、アリスに抱きついているイヌミミ幼女へと視線を向ける。けど、イヌミミ幼女からは見えていないので反応がない。
うぅん、このままじゃ話をしにくいな。
「アリス、その子と話したいんだけど」
「ん、そうだね。今は周囲には誰もいないよ。と言うことで、少し出てきてくれるかな?」
アリスがイヌミミ族の幼女をローブのしたから連れ出す。
「あ、あの。ボクを助けてくれてありがとう」
少し怯えた様子が物凄く可愛い。イヌミミ少女はまさかのボクっ子だった。ううむ、今すぐモフモフしたい。けど、今は自重、自重しよう。まずは幼女の話を聞かなくては。
「さて。イヌミミ族のお嬢ちゃんはどうして欲しい?」
「えっと、あの……?」
「一人で逃げたいって言うのなら、ここで解放して上げるよ。でも俺達に助けを求めるのなら、逃げるのに協力して上げるってこと」
「……逃げても、良いの?」
「それはもちろんだけど……どうしてそんなことを聞くんだ?」
「だって……人間はみんな、ボクたちを捕まえて奴隷にする悪者だって聞いてたから」
「……人間がみんな悪者?」
どういうことだろうと首をかしげる。
イヌミミ族は自分達の味方をする人間と一緒に、リゼルヘイムの大陸を去ったはず。
だから、リゼルヘイムの人間を恨んでいるのなら分かるけど……今の物言いだと、人間そのものを警戒してるように聞こえる。
「ご、ごめんなさいっ。お兄さんたちが嘘を吐いてないのは分かるよ」
「……そうなのか?」
人間が悪者と言い聞かされていた上に、その人間に攫われた。いくら俺達が助けたからと言って、そんな風に信じてくれるのはかなり意外だ。
「ボク、相手が嘘を吐いてるかどうかはなんとなく分かるの」
「へぇ……」
もしかして、ソフィアの恩恵と似たような能力があるんだろうか? もしそうなら、かなり希有な存在だな。
「お兄さんが嘘を吐いてないのは分かるけど、その……驚いちゃって」
「ふむ……良く判らないけど、俺達のことは信用してくれてるんだな?」
「そ、それはもちろんだよ」
「そっか。それなら、まずは俺達と一緒にここを離れないか?」
さっきの連中は遠ざかったけど、時々イヌミミ族を探す連中の声が聞こえる。あまり長居はしない方が良いだろう。
イヌミミ族の幼女もそれは感じていたのか、「うん」と可愛らしく同意してくれた。
そんなこんなで、たどり着いた宿屋。アリスが受付にいるおばさんに話しかけた。
「いらっしゃい……っと、さっきの予約してくれたお客さんだね。部屋は用意してあるよ」
「それなんだけど、一人増えたから、三人部屋を二部屋に出来ないかな?」
「もちろん、大丈夫だよ」
アリスとおばさんの他愛もないやりとり……なんだけど、俺はあれれと首をかしげた。
俺とアリスとソフィア、それにミリィ母さんとエルザ。そこにイヌミミ幼女が加わって六人なのは分かる。分かるんだけど……
「なぁ、アリス? 三人部屋を二つって、どういう部屋の割り振りをする予定なんだ?」
「もちろん、リオンと私とソフィアちゃんで一部屋だよ?」
「ちょ、それは――」
俺はとっさに反論しようと思ったのだけど――
「うん、ソフィアもお兄ちゃんと一緒に寝る~」
「私も野暮は言わないわよ」
「警備的観点でもその方が良いと思います」
次々に援護射撃をされて沈黙した。唯一なにも言っていないイヌミミ幼女に視線を向けるけど、ローブでこちらが見えていない幼女は沈黙のまま。どうやら味方はいないらしい。
一人の方が熟睡出来るんだけどなぁ……いや、深い意味ではなく、普通の意味で。
だけどまぁ……警備がどうのと言われたら仕方がない――と渋々、渋々である。俺はその部屋の割り振りを受け入れた。
2-4は5日を予定しています。






